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シーとまことのひかり

作者: ユッキー





《序章》



 シー

 眠くなって来たかい

 どうやらまた雨が降ってきたね

 この地球では、むかしから雨は循環しているんだ

 だから「森」に降った雨も、樹々が雨滴を吸収しやがて蒸発して水蒸気になる

 でも水蒸気もそれだけでは雲になれない

 空気中のちりやほこりにくっついてはじめて雲になれる

 そしてその雲から、また雨が地上へと降り注ぐ


 おれたち生物(いきもの)も同じだよ

 太陽の光がなければすべては成り立たない

 恒星である太陽の光がおれたちを(はぐく)んでいる


 それは宇宙の声なんだ

 ひとつの宇宙の照明がすべてを照らしている

 まことのひかりが


 ずっとおれは、まことのひかりをさがしてきた


 シー

 もう寝よう


 いつか一緒に、まことのひかりをさがす旅へとでかけよう


 (シーとは、愛犬シーズーのシー)






《第1章》



 最低条件は、5万円。

 

 中年男性は、ワタシを見るなり醜く微笑み声を細めていった。


 きみ可愛いね

 5万円でいいんだね



 初夏の日差しが容赦なく、一番町商店街の歩行者専用通路は沸騰したように膨張していた。行き交う有象無象(うぞうむぞう)(やから)も日差しを避けて屋根のあるアーケード下に集中している。有象無象とは、世にたくさんあるくだらないもの。種々雑多なくだらない人間や物。ろくでもない連中のことだ。

 もちろんワタシも有象無象のひとりだろう。たいした努力もせずに流されて生きているのだから……


 待ち合わせの時間にまだ余裕があったので、近くのスターバックスに入り、ホットコーヒーを注文し一番奥の席に座った。

 ベージュで丸いテーブルにマグカップを置き、愛用している爽やかなブルーでツバの短いふっくらとしたフォルムのキャスケットをぬいだ。

 あまり汗をかかない方だが、左手首の白いサポーターにも若干汗が(にじ)んでいる。やや薄暗い照明の下、CHANELのコンパクトで顔の化粧を確認し、読みかけの文庫本を取りだした。


 駅のコインロッカーに捨てられた二人の乳児がやがて成長し、自分が何者かを希求したすえ、都市への復讐を果たすという物語。胎児または嬰児(えいじ)の時期に母性的なものとの接触を決定的に障害された人間がたどる純粋理念的な必然を、豊潤で狂暴なイメージで描かれている。


 ワタシは双子だったが、乳児の頃に両親が離婚したため、もうひとりの兄弟には一度もあったことがない。ワタシはママのもとで育てられ、もうひとりは男のもとで育てたられていると聞かされた。世の中にもうひとり同じ顔をした人間が生きているなんて、とても信じられないし不思議だった。

 いつの日かあうことがあるのだろうか?

 ずっと太平洋を泳ぎつづけていれば、偶然、大海原(おおうなばら)の真ん中で会うことがあるのだろうか?

 大都会の真ん中で、偶然同じ顔を見かけたらどんな思いをするのだろう。ワタシは思わず顔を(そむ)け、キャスケットをまぶかにかぶりなおし心臓が破裂しそうになりながら急いで立ち去るかもしれない。

 ほんとうは話してみたかったはずなのに……






《第2章》



 待ち合わせの時間に、晩翠通(ばんすいどお)りのコンビニ前に立って、深海のような空に地球上のすべての生命を育む陽光を感じていた。もちろん太陽は、なにも言わずに膨大なエネルギーを地球に放射していて、決して地球の生物に対してなにかを要求することはない。

 ワタシはママのような愛情を、太陽に感じていた。


 しばらくすると、グレーのスーツを着た中年男性が醜い笑顔で近づき、アネモネさんですかと尋ねてきた。ブルーのキャスケットをまぶかにかぶっていた顔をあげて頷くと、中年男性はじっとワタシの顔と全身を舐めるように凝視してから、黄ばんだ歯を覗かせ声を細めていった。

 

 きみ可愛いね

 5万円でいいんだね


 出会い系アプリでのワタシの最低条件は、5万円だった。相場が2、3万円ほどだったのであまり金のない男から生意気だと非難を浴びたが、金のある男からはかえってそれなりに支持された。

 すぐにワタシと中年男性は、晩翠通りから一歩入っただけの場所にあるホテル街の、高級そうなラブホテルに入った。

 中年男性はすごく上機嫌で、何度も、可愛いねとヤニで黄ばんだ歯を覗かせながら醜く微笑んだ。

 ワタシはホテルに入る瞬間に、空を見あげて太陽の表情をたしかめたが、ちょうど薄い雲に覆われて表情が見れなかった。

 太陽は、こんなワタシを見たくなかったのかもしれない。


 裸になって、中年男性と浴室でシャワーを浴びているあいだも、左手首の白いサポーターははずさなかった。中年男性はあまり気にしていないようだったので安堵した。

 中年男性は、また金を払うから会おうと誘ってきたが、同じ男と繰りかえし会わないことにしていたので断った。自分の娘のような年頃の若い女を平気で抱ける男を、有象無象の中の最低のウゾウムゾウだと思っていたから。

 しかし、ワタシはその最低のウゾウムゾウからお金をもらって生きている、もっとも最低のウゾウムゾウなのだが……






《第3章》



 ラブホテルから出ると、すっかり空は一面に暗灰色(あんかいしょく)の雲に覆われ雨が降っていた。すぐにワタシは、ウゾウムゾウの中年男性から逃げるように駆けだした。背後から中年男性の大きな声が聞こえたが、もちろん無視をした。

 晩翠通りから一番町商店街へ向かって走っているあいだ、ブルーのキャスケットをぬいだ顔には雨粒が降りそそぎ、涙まで流してくれた。

 

 この地球では、むかしから雨は循環している。だから「森」に降った雨も、樹々が雨滴を吸収しやがて蒸発して水蒸気になる。

 でも水蒸気もそれだけでは雲になれない。

 空気中のちりやほこりにくっついてはじめて雲になれる。そしてその雲から、また雨が地上へと降り注ぐ。

 ワタシたち生物も、太陽の光がなければすべては成り立たない。恒星である太陽の光がワタシたちを育んでいる。

 それは宇宙の声。

 ひとつの宇宙の照明がすべてを照らしている。

 まことのひかりが……

 ずっとワタシは、まことのひかりをさがしてきた。



 一番町のアーケード商店街まで走った。お気に入りの子犬のイラストが描かれたタオルハンカチで濡れた髪をぬぐい、ブルーのツバの短いキャスケットをまぶかにかぶった。

 ショーウィンドウに映ったワタシは、濡れた野良猫みたいだった。

 お気に入りの仙台三越の地下1階の食料品売り場で、新作のショートケーキを二つ買った。ママと食べようと思ったから……



 仙台三越を出てから、都会に浮かぶ湖のような定禅寺通(じょうぜんじどお)りの中央分離帯の遊歩道を歩いた。通りは豊潤な(けやき)葉叢(はむら)に覆われ、雨もおおかたふせいでくれる。

 欅の一本一本はとても(たくま)しく、暗灰色の太い幹から分かれた太い枝々には、豊潤な葉叢が茂っていた。

 欅の葉叢が風に揺れた。欅たちが何か囁いているように錯覚する。いつもここに来ると、日常生活の(わずら)わしさや辛さを忘れさせてくれる何かがある。もしかしたら双子のもうひとりの兄弟にも、こんな場所で会えるのではないかと思った。きっと兄弟も欅たちの囁きに耳を澄ませたいと願うだろう……

 しかしママは、双子の兄弟について詳しいことを教えてくれたことはなかった。






《第4章》



 自宅の古い賃貸マンションに帰る途中で、雨はあがった。雨上がりの夕映えに包まれた空と都会の街並みが、レースのカーテン越しに眺められた。レースの繊細な模様が赤く反映していて美しかった。

 照明もつけずにママが、リビングのソファにうつ伏せになっていて、ガラス製のテーブルには読みかけらしい便箋が無造作に置かれていた。

 照明のスイッチをいれると、白い便箋は、パソコンで書かれた文字が並ぶ、ママ宛の手紙だった。

 送り主の名前は、ヒカリとあった。


 ヒカリ

 誰だろう?


 気になって白い便箋を手にとると、急に明るくなったため目を覚ましたママが、乱れた髪のまま顔をあげ瞳孔(どうこう)を開いて(まぶ)しそうにした。あわてて白い便箋をガラス製のテーブルに戻した。


 帰ってたのね


 ママの目は、泣いたあとのように腫れていたので、手紙を読んで泣いたのだろうと推測できた。


 ママ、三越で新作のケーキ買ってきたからあとで食べよう


 ワタシは、着替えのために自室に入った。泣いてしまうほどの手紙とはどんな内容なのだろう。ヒカリってだれ? と強い疑問を抱いた。



 その深夜、ワタシは左手首の白いサポーターをはずし、左手首をカッターで切った。血が(にじ)んで少しだけ痛かった。

 ワタシは、男に身体を売るたび左手首を切り、もう何本も傷痕(きずあと)があった。

 都会の照明に薄められた紺碧色こんぺきいろの夜空に(はかな)く輝く星たちだけが、ワタシの儀式を知っていた。






《第5章》



 ワタシはママが外出したとき、いけないことだと思いながらも、ママの部屋に置いてあった手紙を無断で読んだ。

 手紙は、ヒカリという送り主の結婚を知らせる内容だったため、すぐにワタシは、ヒカリが双子の兄弟に違いないと推察した。結婚の連絡をもらってママが泣く相手は、やはり離れて暮らしていても我が子しか考えられない。

 思い切ってワタシは、手紙にあったヒカリの住所に会いたいと手紙を送った。生まれてから一度も会ったことのない兄弟とはじめて会うことが、太平洋を泳ぎつづけて、大海原で出会うことと同等に大変なことだと自覚しながら。

 もっとも最低のウゾウムゾウのこんなワタシを、おそらくヒカリは軽蔑するだろうと強い恐れを抱きつつ……


 

 約束の日は快晴だった。

 待ち合わせ場所に指定した、定禅寺通りの遊歩道に設置されている黒く光る「オデュッセウス」のブロンズ像のすぐ(そば)の木製ベンチに腰かけて、豊潤な葉叢に覆われた欅たちを見あげていた。

 一方的な手紙だったし、はたしてヒカリは、ほんとうに来てくれるだろうか?

 挨拶はどうしよう?

 やはりはじめまして、というべきか?


 約束の時間がせまり、小さな胸の心臓が激しく鼓動してきた。愛用の爽やかなブルーのツバの短いふんわりしたフォルムのキャスケットをさらにまぶかにかぶりなおし、落ち着こうと息を吐いた。

 欅たちの豊潤な葉叢が風に揺れた瞬間、こちらに向かって遊歩道を杖をついて歩いてくるひとりの女性が目にとまった。青い花柄模様の白いワンピースを着た若い女性らしかった。白い杖で地面を軽快に叩きながら歩く姿は、視覚障害者にしか見えない。


 まさかアナタがヒカリ

 アナタは、目が見えないの?


 白杖(はくじょう)の叩く音が大きくなり、ワタシの心の奥底にまで響いてくる。青い花柄模様の白いワンピースの若い女性の顔が、(うる)みはじめた視界にもはっきり確認できるようになった。

 髪はワタシよりも長いけれど、そこにはワタシと同じ顔の人間がいた。若い女性は、間違いなく双子の姉妹のヒカリだった。

 欅並木の木漏れ日のなか、長い黒髪が(なび)き、ヒカリはとても美しかった。


 もう言葉もなく、ワタシは白杖を持ったヒカリの細い手を握ると、ヒカリもワタシの手を握りかえして微笑んだ。

 そしてワタシたち双子は、そのまましばらく抱きあった。

 囁くような欅たちが風に揺れる音と、ワタシとヒカリのすすり泣く声だけが、都会の喧騒に(まぎ)れていた。






《終章》



 欅並木の木漏れ日のもとで、ワタシとヒカリは木製ベンチに腰かけて、失われた時をとり戻すように長い時間話しをした。

 ヒカリは、未熟児網膜症みじゅくじもうまくしょうのため生まれながら目が見えなかった。五体満足に生まれた自分を申し訳なく思うとともに、もっとも最低のウゾウムゾウの自分を恥ずかしく思った。


 しかし、ヒカリの左手首にも白いサポーターが巻いてあり、ワタシは、ヒカリの左手首の白いサポーターの上にそっと手を乗せて尋ねた。


 この白いサポーターは?

 ワタシも白いサポーターをしているのよ


 ヒカリは、恥ずかしいそうに躊躇(ためら)いながらも応えてくれた。


 リストカットしていたから

 それでサポーターで隠しているの

 

 ワタシも同じよ

 リストカットの(あと)なんてほかの人に見せられないもの

 でも、この傷痕は、きっと弱きものの世の中への復讐の(あかし)


 欅たちがまた風に揺れた。ワタシは、欅たちが笑っているように思えた。

 欅たちの樹冠(じゅかん)から陽光が漏れる。今日もすべての生命を育む太陽が存在している。ヒカリは太陽の光をじかに見ることはできないが、強く感じることができるといった。

 まことのひかりとは、ヒカリが感じているひかりかもしれない。



 また欅たちが風に揺れた。

 すぐそばの、木漏れ日が円を描いて点在する遊歩道を、ベージュの髪のおとこと、一匹の白にゴールドの体毛の小犬が、なにかを希求するように欅たちを見あげながら散歩していた。

 するとヒカリが、微笑みながら風のように囁いた。


 小犬がいるわ

 つぶらなくもりのないまなこの小犬ね







挿絵(By みてみん)


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