7 朝食は三人で
次の日の朝。
寝心地が良すぎて逆によく眠れなかったせいで、頭がぼんやりとする。
開こうとしないまぶたをやや強引に引きはがす。ベッドのそばのちいさな脇机の上には書き置きが残されている。朝食は三人で食べるから、身支度を整えたら記された場所に来て欲しい、というような旨だ。
伊鞠の身支度なんてあっという間に終わる。普段と違うのは、ベッドを綺麗に整えることと、見るからに高級そうな着物を着ること。どちらも少々手間取ってしまった。
――縹地に雪輪文様があしらわれた着物に、淡黄色の帯。決して派手なわけではないが、とても上品で、綺麗だ。身にまとうと、姿勢がぴんと伸びるような気がする。
ベッドに関しては合っているかどうかもわからないが、何もしないよりはいいだろう。そう思い、部屋から出る。
たどり着いた部屋は、異国風の外観からは拍子抜けするほどに、見慣れた造りの部屋であった。障子戸を開くと、若草色の新しそうな畳に、二人はすでに座している。ただ座っているだけなのに、気品が漂うのは流石としかいいようがない。
「おはよう、よく眠れた?」
「はい。すごく寝心地が良くて、ぐっすり」
よく眠れなかったと言って余計な心配をかけるわけにはいかないため、控えめな笑みを作る。
用意されていた食事の前に座る。初めて食べるようなご馳走で、そちらの方に視線が向いてしまうところを必死に前方の二人へと正す。
「美味しそうですね、ご飯」
「そうか? 口に合えばいいが」
なぜか上機嫌な光明。
「これね、光明が作ったご飯なんだよ」
料理人の作る料理がよほど好きなのだろう。そう思っていたから、その返しは想定外だ。五家の者が好き好んで料理をするだなんて誰が思うだろうか。
つやつやとした白米。ほかほかと湯気がたちのぼる、豆腐と玉ねぎ、油あげの入った味噌汁。香ばしい匂いのする、ほどよい焦げ目のついた焼き魚。これを全て光明が作ったというのか。
「料理、お好きなんですね」
「嫌いではない。料理の仕方が身体に染みついているくらいだから」
まあとりあえず食べよう、と光明は続けた。伊鞠も遥飛もそれに頷く。
「いただきます」
箸を持ち、魚の身をほぐす。口の中にいれると、ほろほろと身が崩れる。ほどよい塩味がまた良い。白米だって、炊きたてなのもあるだろうが、今まで食べたもので一番美味しい。味噌汁の味も絶妙で、豆腐の柔らかさ、玉ねぎのしゃくしゃくとした食感、どれをとっても美味しいの一言につきる。
人と食べるご飯はさらに美味しく感じるというのは本当らしい。あっという間に食べ終わってしまった。二人のことなんてお構いなしに食べてしまったことに少々後悔する。
ふと前方を見ると、食べている様子を光明からじっと見られていたことに気づく。少しそわそわしているように見える彼は、ぎこちなく口を開いた。
「美味しかったか」
「はい! すっごく、すっごく美味しかったです」
光明に対してつい満面の笑みで返してしまい、少し気恥ずかしくなる。本当にとても美味しかったのだからしょうがない。
「そうか」
「光明の作る料理は美味しいからね」
にこにこしながら遥飛は「ごちそうさま」と言い箸を置いた。口の端にはお米が一粒くっついているが、気にする様子はない。それくらい食べるのに夢中だったのだろうか。
「……で、伊鞠に話したいことがあるんだが」
「光明」
光明の言葉を遮るように遥飛が口を開いた。伊鞠に対する声音とも、先程の呑気そうな声音とも違った、少し低めで冷たい口調。
「おい、何故止める」
「もっとよく考えなよ、光明。今話すのは違う。……ごめんね伊鞠ちゃん。気にしないで」
「わかり、ました」
伊鞠も関係する何かがこの二人の間で。いや、もっと大きなものの中で進んでいる気がした。なんだか胸騒ぎがする。
(……そうだとしても。私がここで何か言ったって、しょうがない)
こういう時は、相手が求めるように素直に頷いていた方が都合が良い。少しでも面倒に思われたら、伊鞠はどうすることもできない。今、ここでいきなり出ていけなんて言われてしまったらと考えると、恐ろしくてたまらないのだ。
「……私、部屋に戻っていた方が良いですか?」
「そうだね、戻っててくれるかな。暇になったら、屋敷の中ならどこを見て回っても大丈夫だから」
ごく自然で、それでいてはっきりとこちらを拒絶するような笑み。初めて遥飛のことを、得体が知れないと思った。怖いと思った。
まだ出会ってから二日も経っていないくらいだから、当たり前ではあるのだが。
「あの、ご飯、美味しかったです」
最後にそう言って、伊鞠は二人の様子を窺うこともせず、立ち上がる。どれだけ動揺していても、身体はすんなりと動くのだから、驚いたものだ。
「伊鞠」
光明が伊鞠を引きとめようとする声が聞こえた。
聞こえなかったふりをして、足早に部屋を去った。