1 華宿りの少女
『あの子、あの“華宿り”なんですって。もう十六になるのに異能も発現しないのだとか』
『あぁ、どれだけ寒凪家の顔に泥を塗るつもりなのかしら。華宿りが産まれてきたこと自体忌々しいのに』
『化け物と一緒じゃないの、華宿りだなんて』
『役立たずで、何もできない、出来損ない。本当、何のために産まれてきたのかしらね、あれは』
* * *
「〜〜〜ッ!!」
最悪な目覚めだ。まだ、嘲笑と、蔑みの含まれた誰とも知らぬ声が脳内に響いている気がする。自分の存在全てを否定する言葉が、まるで鎖や枷のように、どれだけ引き離そうとしても、頭の中から離れない。
もう、慣れた筈なのに。物心つかない頃から、ずっと言われ続けていることなのに。未だに物に当たり散らすような暴力にも、精神的な苦痛にも耐えられない自分は、なんて弱いのだろう。華宿りだから仕方ないと、とっくのとうに割り切っている筈なのに。
──華宿りは身体を流れる血液全てが華というたぐいまれなる体質をもつ、人々の侮蔑の対象とされる者のことを指す。
産まれつき身体のどこかに特有の三日月の形の痣があり、伊鞠は鎖骨のあたりに痣が刻まれている。十歳となると、その華宿り特有の異能が発現するのが一般的なのだと、家の者の会話から知った。
(……そうじゃなかったら、私はとっくに殺されているもの)
だから、忌々しい存在である華宿りが産まれても、この家はその異能の利用価値の高さを見込んで伊鞠のことを生かしている。まだ、望みがあるかもしれないという理由で、伊鞠は生かされているだけ。
生かしているといっても、ご飯は1日1食あるかないかで、扱いは使用人以下。家の者にも、使用人にすら見下されるのにも慣れきってしまった。
十歳になるまでは、使用人と同じ程度の扱いはして貰っていたのになあと、硬く、布団の役割を果たせなくなっている古布団を畳みながら思い返す。
あの頃は、一日に三食もご飯が出ていた。
使わなくなり、誰からにも忘れられたような古い離れの、雨風がしのげる程度の物置部屋ではなくて、使用人が使う六畳くらいの自室が与えられていた。
昔も今も、部屋にあるものが布団と小さな鏡だけくらいなのは変わりないのだが。
「早く起きないと」
井戸から桶に水を汲み、顔を洗う。手入れのいらないようにと自らの手で肩口で切り揃えている、まるで老人のように白い髪を梳かして、必要最低限の身支度を済ませる。
この家での伊鞠の仕事は、掃き掃除や拭き掃除などの屋敷の掃除だ。ちなみに、来客がある時は人の目に触れないようにと自室から出ることも許されない。
そうなると何もすることがなく、いらないことまで考えすぎてしまうので、自分の役割が与えられていることは、少しありがたい。
なるべく人目につかないように掃除を行うのにももう慣れたもので、手際よく掃除を行っていく。
「ふふ、お父様ったら。そんなこと言わないでください」
ふと、鈴を転がすような声が聞こえた。廊下を掃除しながら、障子の隙間を覗く。目に入ってくるのは、いかにも良質そうな美しい着物を着て、無垢な笑みを浮かべる少女と、向かいに座る談笑する壮年の男性。
少ししてから、あの男性と少女は今代の寒凪家当主である自分の父親と妹だと思い出す。全くといって良いほど関わることがないため、頭が二人の存在をどこか奥の方へと仕舞っていた。
(私と真白。同じ両親から産まれた双子の姉妹なのに、こんなにも違うのね)
華宿りか、そうでないか。ただ、それだけの違い。
忌々しい華宿りの自分は、一体どんな重い罪を犯してしまったのだろう。どうすれば、真白のように愛されるのだろう。
そんなことを考えていても何も変わらないと、分かっているのに。幸せそうな二人を見てしまうと、望んでしまう。無条件に与えられる愛情を、愛し愛されることの幸せを。
真白は伊鞠のことなんて、何も知らないのだろう。双子の姉がいるということも、この家には華宿りが住んでいるということも。華宿りというだけで、同じ姉妹なのにこんなにも境遇が違うということも。
腰のあたりまで伸ばされた艶やかな黒髪も、薔薇色の頰も、何ひとつ不自由のない暮らしも、全部持っているのは真白の方だ。
「……産まれたときから、私は真白とは違うのだから、しょうがないのよ」
気を引き締め、箒の柄を持つ手に力を入れ直し、一旦手を止めてしまっていた掃除を再開する。何年もの間毎日休みなく行ってきた仕事なのもあり、手際よく短時間で掃除を済ませることができ、ほっと一息をつく。
だが、そうそう休んでいていい時間などあるわけもなく。叱られるのはいつまで経っても嫌なもので、すぐさま次の仕事へととりかかろうとする。
「いたっ」
水仕事のせいで荒れに荒れた手から、じわりと藤の花弁がにじみ出てくる。
次第に花弁は重力に逆らえず、ひらひらと宙を舞い、まるで人為的に起こしたかのような不意に吹いた突風に飛ばされていく。