説教
飛ぶ練習は順調だ。
今では殆ど問題なく飛べるようになっている。
あまり高く飛ぶと、落ちてしまった時に取り返しがつかないので、ロヒのように背丈より少し高いくらいを飛ぶ。
森の中では木が邪魔で、あまり速度が出せないが、それでも歩くより何倍も早い。
今回のゼノ様との面会は、最高だ。
この力があれば、これまでは行くことが出来なかった町や場所までも飛んで行ける。
この陰鬱な森を進む事に、これほど明朗な気分だったことはこれまでにないことだった。
一週間かかる道程をたったの一日で進む事ができ、その日の夕方には村へと辿り着く事ができた。
ロヒとティタを驚かそうと、家が見えた場所から大声で叫ぶ。
「ローヒー」
誰かが家から出て来た。地上すれすれを飛び、突っ込んで行く。
家から出て来たのはロヒだった。
「ローヒー」
もう一度声を上げ、こちらへと顔を向けさせる。
顔を上げたロヒは俺に気付いたようだ。
目を大きく開き、驚いた顔をして俺を見ている。
構わずロヒへと突っ込んで行き、ぶつかる直前でぴたりと止まって見せた。
「どう? 驚いた? すごいでしょ」
ロヒはぶつかろうとする寸前に右足だけを後ろへと少しずらし、俺を受け止めようとしたらしい。
表情はまだ目を丸く開き驚いている。
「あぁ……。驚いたよ」
「へへ……。……あいつは?」
「あいつ? ああ、ティタか。帰ったよ」
「え? そうなんだ……」
「なにか用でもあったのかい?」
「いや、なにもない。まだ居るのかと思っただけだよ」
剣では負けた。だけど今の俺は飛べる。それを自慢したかった、それだけだ。
「アルク、もうあんな飛び方、危険な飛び方をしちゃだめだぞ」
夕飯を食べているとロヒが説教を始めた。
「どうしてさ。もう落ちるような事もないくらい、自由に飛べるよ」
「だめだ。さっきは私が魔法を知っているから動かずに見ていられたが、知らない人であれば避けようとして怪我をしていたかもしれない。驚いた人は、時に予想が出来ないような動きをする事もあるんだ」
「大丈夫だよ。転びそうになったら支えてやるさ」
「だめだ。それが約束できないのであれば、魔導具は私が預かることにする」
「えぇ……。判ったよ。もうあんな事しないよ……」
ロヒは心配しすぎだ。あれくらいで怪我なんかするものか。
飛べるようになってからは、これまではつまらない、ただ危険なだけの魔獣の森が、広大な遊び場になった。
ゼノ様に貰った魔導具は魔力だけではなく、俺の活動範囲までをも何倍にも広げてくれて、深い谷底、高い崖の上や山頂、迷路のような洞窟、時には海の上を飛ぶ事すらも可能にしてくれていた。
ゆっくりと見て回るというのでなければ、皇都やエテナ国の首都へも行く事が出来るかもしれない。
魔導具は他の人へはあまり見せないようにしている。
妬まれるのが判っていたからだ。
俺が魔導具を持っている事を知っているのは、既に魔導具を持っている村の代表二人に隣のセウラさん、それとロヒくらいだ。
魔獣退治などで、皆の前で魔法を使わなければならない時は、魔導具は隠すように持っている。それに魔法もあまり目立たない程度にしか使わなかった。
なので、魔獣の森で自由に遊びまわりたい時は、必然と一人で森へ入る事になる。
寂しいかと訊かれれば、そうなのかもしれないが、昔から一人はなれているのでそれを意識することもなかった。
それほど森の中は楽しかった。楽しすぎてロヒから「たまには畑仕事もしろ」と小言を言われる事が増えている。最近、畑仕事も魚取りもやっていない。
あれからカウとは一週間に一度くらいは会っている。
魔獣の森を海岸から回れば時間が掛かるが、一直線に突っ切れば二、三時間で抜けることが出来た。
カウ達が住む場所は万年雪が溶ける事がなく、一年中が冬みたいなものだが、それでも遊べる場所は遊び尽せない程にある。
川で釣りをし、魔獣狩りをし、山を飛び、谷を越え、力比べをし、魔力比べをして遊んだ。
その日もカウと一緒に洞窟内を歩き回って、外へ出ると既に暗くなりつつある。
「やばい。帰らないと。また来るよ」
そう言って、カウを振り向きもせずに全速力で魔獣の森を飛んだ。
最近はロヒの手伝いなどそっちのけで、遊び過ぎているという自覚があった。
そろそろロヒの怒りが爆発してもおかしくない頃だ。
怒らせるとロヒは怖い。
特に怒らせた次の日の剣の鍛錬では、その日一日、動けなくなる程にしごかれてしまう。
暗闇を飛ぶのは怖いが、これまでにそれで痛い目に会ったことがない俺は、ロヒが怒る事の方がよほど怖い事のように感じ、これまでに出した事が無い程の速度で飛んでいた。
家が見えて来た。よかった。なんとか辿り着いた。そう思った瞬間、盾から飛び出し、宙を舞っていた。
暗闇で見えなかったが、木の枝か何かに身体のどこかを引っ掛けてしまったようだ。
しまったと思った時には、地面へと落ちるまでに空中で身体が数回転し、為す術もなくそのまま地面に叩き付けられ、俺は気を失った。
朝、目覚めると家で寝ていた。
ベッドから降り、朝食を食べようと居間まで行くがテーブルの上にはなにも無い。これまであまり無かった事だけど、朝食抜きという罰だろうか。
テーブルにはロヒが座っている。怖いので顔を直視できないが、ロヒの怒りが部屋の中に充満しているようで、息苦しささえ感じてしまう。
「えと……、朝食は……、なし?」
「座りなさい」
テーブルの上で両手を顔の前で組み、俺を見詰めている。説教の前はこの姿勢を見る事が多い。まあ、仕方がないか……。
「ごめんなさい」
テーブルに座って、すぐにそう云って頭を下げた。
「その魔導具、私が預かろうか、悩んでいる。アルクの答えしだいではそうなると思って答えなさい」
「はい……」
「昨日はどこでなにをしていた?」
「いつものように、木に登って、海を見ていたら眠ってしまって……。気が付いたら日が暮れていたんだ」
昨日、森の中を飛びながら考えていた言い訳だ。おかげですらすらと言えた。
上目遣いにロヒの顔を窺い、嘘がばれていないかを確認する。
残念ながらロヒの顔からは怒っている事しか察することができない。
「あぶない飛び方をしないと約束したね?」
「昨日は急いでいて、約束を忘れていたんだ。……それに、ほら俺も怪我一つしてないじゃないか」
両手を広げて、どこも痛みや怪我が無いことを訴えてみる。
「本当にそう思っているのかい?」
予感はしていた。あれだけ派手な転び方をした割に、傷も痛みも無いのが不思議だった。ロヒが魔法で治療をしてくれたのだろう。
「右腕が折れ、胸骨も一本が折れ、二本にひびが入っていた。もし私が朝まで気付いていなかったら、その右腕は一生使い物にならなかったかもしれない。打ち所が悪ければ即死していたかもしれないんだよ」
事の重大さに少しだけゾッとしたが、気を失っていた俺にはあまり実感がない。
「はい。ごめんなさい」
これ以上、口を開けば墓穴を掘ることになるだろう。以降は「ごめんなさい」だけを答えて、反省したように下を向いて黙って小言を聞いていた。
「外へ出なさい。危険な飛び方をした代償として、昨日、アルクが感じるはずだった痛み分くらいは、今日の鍛錬で感じておいた方が良いでしょう」
その日の鍛錬は、これから先も、これ以上に無いだろうと思われるような、厳しく苦しく痛いもので、それから二日は動く度にどこかが痛く、魔獣の森へ行こうなどと考える事すらない程だった。