助けてくれた者
飛ぶには風を受ける為の板が無ければならない。
昇降機の扉の前で、よさそうな物がないかと周りを見渡して見るが、見付からなかった。そう都合良く有る訳がないだろう。
「あの、いらない板、ありませんか?」
「ん? 板? ……あぁ」
扉の前に立っていたアスモへと訊いてみると、俺の手に持っていた杖を見て合点がいったようで、少し離れた小屋へと歩いて行った。
戻って来たアスモの手には、少し大きめの、結構立派に見える盾が握られている。アスモが盾なんて使うのだろうか?
「飛びたいのだろ? これでどうだ?」
渡された盾は金属製だった。
「少し重いかも……。木製のは……ありませんか」
図々しいのは百も承知だが、いきなり金属製の重い板では練習にならない気がして、そう訊いてみる。
「無いな」
聞けば、その盾も一つだけで、数年前に人間の剣士とやらが迷い込んで来た時に、谷の入口であのアスモと戦いになり、その戦利品としてここに置いていたらしい。
戦利品ということは、この盾の持ち主は既にこの世にはいないのだろう。
「そうですか……。しょうがないですよね。これで練習してみます。あ、これ貰っちゃっても良いのですか?」
「ああ、構わんよ」
既にこの世にはいないであろう、持ち主の剣士さんには悪い気もするが、この盾を使わせてもらうことにした。
飛ぶのは難しかった。
宙に浮くだけでもすぐにバランスを崩すため、まったく前進することが出来ず、雪の上へと何度となく落ちることになった。
ただ、金属製の盾は重すぎるということはなく、宙に浮く事ができた時には、この盾の頑丈さは頼もしいとすら感じるようになっていた。何度も失敗し、地上に叩き付ける事になるので、木の板であればすぐに壊していたかもしれない。
その日は城の前にある雪原を抜けただけで日が暮れてしまい、そこで夜を過ごす。次の日も飛ぶ練習をしながら進んだ。
昼過ぎになると、なんとかバランスを保つ事ができるようになり、もうすぐロヒのように飛べると希望が湧いてきていた。
それが油断に繋がってしまったのだろう。
突風に煽られ、立て直そうとしてフラフラと漂ってしまい、最後には雪の上へと墜落してしまった。
雪の上だと安心していた俺は、すぐに間違えに気付く。
その雪の下にはクレバスが口を開けていた。
幸い、それ程深くはなかったのと、雪の上へ落ちた事で身体は打ち付けただけで致命傷とまではならずに済んだ。
しかし、俺は意識を失っていた。
目を覚ますと、焚き火があり、その横にはアスモが座っていた。
辺りは既に暗く、焚き火の明かりだけに照らされたアスモの顔を寝起きに見て、ぎょっとする。
「目、覚めたか?」
そのアスモは、多分、来るときに出会った奴だろう。名前はカウといっただろうか。
「ここは……クレバスに落ちたんだっけ?」
「うん。その割れ目の中だよ」
身体を起そうとすると痛みが全身に走った。
「いっ……た……」
「じっとしてた方が良いんじゃないかな」
「うん……。この毛皮、君……、えーと、名前は……。カウだっけ?」
俺の身体はなにかの獣の皮に包まれている。このカウが包んでくれたのだろう。
「うん。カウだ。おまえが飛んでる所を見てたら、急にこの割れ目に落ちていったから、おどろいたよ。人間は寒いと死んじゃうんだろ?」
毛皮だけではなく、岩の上にあったはずの雪まで取り除いてくれたらしく、俺が横になっている場所は岩肌が露出している。
「上に上げようかとも思ったんだけど、ここの方が風も当らないからそのままにしておいたんだ」
「うん。ありがとう」
カウが言うように、クレバスの中は風を凌げ、焚き火と毛皮のおかげで死ぬことはなさそうだった。カウが見付けてくれていなければ今頃は凍死していただろう。
「まだ寝てなよ。朝になったら引き上げてあげるから」
「うん。そうする……。ありがとう」
俺がゼノ様の城へ入れるから恩を売ろうとして助けたのか。それともアスモ族も人間と同じ様に、情けや親切心などというものを持っているのか。そんな事を考えながら眠りについた。
「ごめんよ。人間の治癒はできないんだ」
「ああ、平気だよ。少しなら自分でやれるから」
全身が痛いが、骨が折れているようなこともなさそうで、酷く痛む場所だけを集中して治癒魔法を掛ける。
ゼノ様から貰った魔導具の効果か、あまり通常の魔素が無いこの場所でもいつもより上手く治療ができた。
「それじゃ引き上げるぞ」
「ああ、たのむ」
カウは包まっていた毛皮の端を持ち、そのまま俺が包まった状態で持ち上げ上昇する。
人間が見ていたら悪魔が人攫いをしている現場に見えるかもしれない。
クレバスの上まで来ると、ゆっくりと雪の上に降ろしてくれた。
「歩けるのか?」
「うん。大丈夫、平気だ」
治癒魔法のおかげで酷く痛む場所というのはほとんど無い。
「カウのお陰で死なずに済んだよ。ほんとうにありがとう」
「へへ……」
無邪気に、恥ずかしそうに笑うその笑顔は、人から魔族と呼ばれている事を忘れさせてくれた。
村への帰りをカウと並んで歩く。
さすがに命の恩人を邪険に追い払うことはできなかったし、そんな考えすら無くなっていた。
「おまえも飛べるんだな」
「うーん。練習中だけどね。まだ思い通りには飛べないよ」
「その変な板がないと飛べないのか?」
カウは俺が背負っている盾を指で突きながら、不思議そうにそう訪ねる。
「うん。この盾に風を受けて飛ぶんだ」
「面倒なんだな」
「しょうがないよ。魔力が強い訳じゃないし、翼も無いしね」
「飛ぼうぜ。一緒に」
「え? カウのように上手くは飛べないから……」
「また落ちそうになったら、ちゃんと支えるから。な、飛ぼうぜ」
練習はしたかった。その言葉に甘えることにしよう。
「ここまで昇って来なよ」
俺は慎重に風魔法を使い、宙に浮く。
カウを見上げると周りの木よりも高く飛んでいた。
ふらふらとよろけながら宙に浮いている俺を見て「あはは」と声を上げて笑うカウ。
一度落ちてしまった俺は、飛ぶことを少し怖がっているのが自分でも判った。
「大丈夫だよ。ここまで来なよ。今なら風も無いぜ」
ゆっくりと、少しふらつきながら上昇し、やっとカウと同じ高さまで来ると、森の木々に遮られていた景色が目の前に開けた。
「うわっ」
思わず声に出して驚いてしまった。
白くどこまでも続く雪原、遠くにきらきらと光を反射して見える海、初めて見る景色があった。
景色に見とれていると突風が吹き、盾が飛ばされてしまう。
「え? ……うわー」
実際は、それ程すれすれではなかったようだが、俺には地上すれすれだと感じる程の距離でカウが俺の背嚢を掴み、墜落から救ってくれた。
ゆっくりと地上に降ろし、俺の恐怖に引き攣った顔を見て、また「あはははは」と大声で腹を抱えて笑っている。
俺も、その笑い声につられ、引き攣った顔のまま「あはは」と笑った。
魔獣の森まで四日が掛かった。
飛べるのだからもっと早く来られたはずなのだが、練習しながら来たのでこんなものだろう。
「俺はそろそろ戻るよ」
「魔獣の森なら、まだ平気じゃないのか?」
「魔獣の森? ああ、この先のことか。少しなら平気だけど、ゼノ様からあまりこの先へは行くなと言われているんだ」
それは初耳だった。
確かにそうでなければアスモ達ともっと頻繁に出会すだろう。
そうなれば人間とアスモ達の間で、頻繁に争いが起ることになる。子供の俺でもそれくらいは判った。
ゼノ様は人間の事も考えてくれているらしい。
「それじゃ、また遊ぼうぜ」
そう笑いながら言い残し、すぐに飛び去って行くカウの後ろ姿を見送りながら少し寂しさを感じている自分が居る。
「ありがとー。また会おー」
カウの後ろ姿にそう大声を掛け、姿が見えなくなるまで手を振っていた。