エピローグ。もしくはプロローグ
自室でシテンとリノが持ってきた竜の翼、目玉、爪を観察しながら、その精緻さに驚かされていた。それらを構成する細胞は、どれも自然発生した人間等の動物や我々アスモを遥かに凌ぐ精緻さを持っていた。
私はこの星の大気中に元から存在する魔素から、物質化した物をいくつか作った事はあった。しかし、その出来栄えに失望したため、その魔素を変質させ、アスモ達を作った。
その所為か、人間や竜からは魔王などと呼ばれてしまっているが、変質した魔素の害は必要悪なのだ。アスモという生物が生きるために必要な物なのだからその権利を行使しているだけの話だ。
その事について、人間や竜に配慮が必要だとは思っていない。
ただ、現状の変質させた魔素の散布範囲を広げる事は、人間や竜との争いに繋がるだろう。私はそこまでするつもりはない。
しかし、通常の魔素からこれ程までに精緻な物質を作ることができるのであれば変質させる必要はなかった。
まだ不明な点も多いが、これらから得ることができる知見は非常に有用だ。きっと面白い『物』ができるだろう。
これを作った、私にとっては兄であり、竜達からは『ザー』と呼ばれる存在は、私よりも優れたものを持っていたようだ。
しかも、今、目の前にあるこれらは、その『ザー』が直接作った物ではなく、その子供達である竜が作ったというのだから、さらに驚かされる。
竜と同様に、私が作ったアスモ達が自分達と同じアスモを作る事は不可能だろう。
しかし、『ザー』はそれをやって退けたのだ。感服せざるを得ない。
ふと気付くと、そろそろ観測室へ行く時刻となっていた。
そろそろ日が昇る頃だ。結果が出ているだろう。
観測室で計算機を使っているティルトの側へと近付き、結果を訊く。
「どうだ。結果は出たか」
「はい。今は最終確認をしていますが、間違えないでしょう」
「そうか。……では計画を進めてくれ」
「はい……」
「どうした? なにか問題でもあるのか?」
「いえ……。……しかし……」
「何だ。はっきりと話せ」
「……よろしいのですか? 確かに人間や竜など、我々には関係ない存在ではありますが、せめてクラニ村の者達くらいは……」
「私にどうしろというのだ? 方法があるとでも言うのか?」
「いえ……。私には考えが付きませんが、ゼノ様であれば……」
「私は全知全能ではないのだ。奴等とて、あと数十年もすれば気付くはずだ。自分達で解決するさ」
「しかし、それでは手遅れとなる可能性が……」
「そうだな。しかしどうしようもなかろう……。お前が気に病む必要はない。……そうだな、クラニ村からの面会は、そろそろ止めることにしよう。面会に来た者から順次、もう来る必要が無いと伝えてくれ」
「はい。……そう伝えることにいたします」
自室に戻り、研究を続ける。
しかし、ティルトとの会話が頭から離れない。
竜の遺骸を見ていると、それを持って来たシテンとリノの顔が浮ぶ。
それを皮切りに、次々とクラニ村の主立った人間達の顔が浮んで来た。
仕舞いにはヴェセミアの顔まで思い出す始末だ。
「私にどうしろというのだ……」
ヴェセミアの顔は消えず、昔、ヴェセミアが言った言葉が思い出された。
『命は同じよ。人も魔族も同じよ。考えがないならこれからはそう考えなさい』
「そのような考えは未だ、理解できんよ。それにお前は『命は他者がどうにか出来るものじゃない』とも言っていたではないか」
理解できないものを考え続けるのは嫌なことだ。
気分を変えよう。
「研究だ。
私は知る為に生きているのだ。
私は知ることを切望する」
それが完成したのは、研究を始めてから五年後だった。
いや、まだ完成ではない。しかしその種は完成した。
あとは育てるだけだ。
ティルトを呼びクラニ村へと使いに出す。
シテンとリノがそれから三日後に姿を現した。
「お久しぶりです」
久し振りに見るシテンとリノは、ほんの少しだけ変化している。歳を取る毎に老いていく人間というものは、なんと悲しい生き物ではないか。
しかし、その老いとは成長だと気づけば、そこに新しい知見を見つけることが出来た。
「ああ、すまんな。もう来る必要は無いと言っておきながら呼び出してしまって」
「いえ。それで、どのような用なのでしょう?」
「要件は二つあってな……。まずはこっちだ」
用意しておいた、薬が入った壺をシテンへと渡す。
一抱えする程の大きさだが、喜んで受け取るはずだ。
「お前達が『呪い』と言っていた、変質した魔素の害を解決したのでな。それはその薬だ。……少し大きいな。持って帰るのが面倒かもしれんが許せ」
シテンとリノは顔を見合せ、すぐさま答えた。
「私達は不要だとお伝えしたはずですが……。これを頂いてしまっては、死んだ竜へ顔向けできません。誰かの死の上に胡座をかくような真似はできないのです」
「ああ、もちろん覚えているよ。しかし、それはお前達二人のことであろう? その意見はクラニ村の総意なのか?」
「クラニ村の……。えっ。もしかして、クラニ村の全員に対処できるのですか?」
「ああ、そうだ。全員分、予備として、三倍の量がその中に入っている。お前達が使うか使わないかは自由だ。好きにすれば良い。それと、その薬の効果は世代を越えるのでな、一度飲めば生まれてくる子には飲ませる必要はないぞ」
リノの顔が歪み、その場にしゃがみ込んで、大声で泣きだしてしまった。
「おいおい。なぜ泣く。私はなにか悪いことをしてしまったのか?」
「いえ、リノは嬉しいのですよ。ロヒとレモの死が、まったくの無駄にならず、村の者、皆が自由になれることが」
そう言うシテンも目から涙を流している。
「数百年、人間というものを見てきたが、まったく理解できんよ。嬉しい時には笑うものだと聞いたがな」
リノは私の言葉を聞いて、泣き止み、私の顔を見て、笑顔を作ろうとしたらしいが、またすぐに大声で泣きだしてしまった。
私は次の要件へと移りたかったのだが、リノが落ち着くまでにかなりの時間を待たなければならなかった。
「さて、次の要件なのだが」
リノが落ち着いたのを見計らい次の要件へと移る。これはリノが重要な要因となるのだ。
「私は人間の事を良く知らないので、間違えていたら訂正してくれ。ティルト、連れて来てくれ」
隣の部屋に待機させていたティルトが入室した。
その腕には人間の赤ん坊のような『物』が抱かれている。
それをティルトから受け取ると、リノの前に差し出し、要件を伝えた。
「これを育ててくれ。これは人でも竜でもアスモでもない。まったく別のものだ。ただ、その形や生態は人間を模倣しているのでな。人間に育ててもらうのが一番いいだろう」
「育てる……のですか? 私が……」
「ああ、人間というのは母親が育てるのだろう? これも魔力を持っているからな。私が知っている人間の女で、一番魔力が強いお前に頼むことにしたのだよ」
「はあ……。母親ですか……。私は母親は知らないし、この父親に育てられましたが」
そう言ってシテンの方へと視線を移す。
「ん? もしや、女でなくとも良いのか?」
「はい……。もちろん両親がいた方が一番良いとは思います」
「ふむ。まあ、よくは判らんが、リノ、お前が育ててくれ」
再度、リノの前に両手に抱えたそれを突き出す。
リノは唖然としたような顔をしていたと思ったら、突然、怒りだした。
「ふざけないでください。命をなんだと思っているのですか。ゼノ様が親なのだからゼノ様が育てるのが筋というものでしょ。だいたいなんですか、この子を物のように言って。この際だから言わせてもらいますが、なんですか、城の外に居るアスモ達だって同じゼノ様の子供なんですよ。それをあんな寒い所に放りだして――――」
リノは今まで見たことが無い程に捲し立てる。
人間からこれほど言われたのはヴェセミア以来だ。いや、ヴェセミア以上に激しく長い。
間違えていたら訂正してくれとは言ったが、まさかこれほど怒るものだとは思わなかった。
シテンが止めなければ永遠に続いていたかもしれない。
「まあ、言いたいことは判ったが、こちらにも事情というものがあってだな。リノが駄目なのであれば、別の誰かでも構わんよ。兎に角、人間に育ててもらわなければならん」
「リノ、お前が育てるかは別にして、この子は連れて帰ろう。アスモではなく、人間に近いというのであれば、ゼノ様達では育てることはできんだろう」
シテンの言葉に助けられた。
まだリノの顔には怒りが残ってはいたが、渋々、差し出した『その子』を受け取り、自分の胸へと抱き寄せ、『その子』の顔を見ると、みるみる笑顔へと変わっていってくれた。
人間というものは、やはり判らん。
「判りました。まだ私が育てるかは判りませんが、村へ連れて帰ります。ところで、この子の名前はなんと言うのですか?」
「名前? ああ、そういえばまだ名前は付けていないな。リノ、お前が付けて構わんぞ」
リノの顔に、また怒りが爆発する兆候が現れる。
「あぁ、判った、判った。落ち着いてくれ。私がつけよう……。そうだな、この子の元になった竜にちなんでロヒとするか」
「ロヒ……」
シテンもリノも悲しそうな顔をする。
「ん? 駄目そうだな……」
「いえ、構いません。そうですか、ロヒの子なのですね……」
そう言いながら『ロヒ』を大事そうに抱き、見詰めるリノの顔は、今迄に見たことが無い人間の表情だった。それは悲しみなのだろうか。しかし、悲しみとはまた違うなにかがあるように見える。
「そう言えなくはないな。だが竜体に変化することはないぞ。あ、それと、その子は一定の成長を終えると成長を止める。そこも竜と同じだな」
合点がいかないという顔をしたシテンが質問をする。
「つまり寿命はないということですか?」
「そういうことだな」
「それは……。育てられるのだろうか……」
「大丈夫だろう。それ以外は人間と変わらんと思うぞ」
「はぁ……」
二人は不安そうな顔をしていたが、最後には薬も『ロヒ』も持って帰ってくれた。
「さて、これでこの星でやるべきことはほぼ完了したかな」
「はい。しかし、『あれ』が人間や竜の希望となるのでしょうか?」
「さあな。可能性はあるだろうさ。これ以上は私にはできそうにないよ。それと、『あれ』ではない。『あの子』もしくは『ロヒ』と呼びなさい」
「はっ。申し訳ありません」
ティルトと並んで城の外を見ていると、城から出て来たシテンとリノが見えた。
私は切望する。
ロヒがこの星の希望とならんことを。




