小さな幸せ
「大丈夫さ、数週間で帰ると書いてあったんだ。レモを信じようよ」
父さんは皇都で遊んでくるのだろうと言っていたが、私と同じで不安な顔は隠せていない。
ロヒの住処へ行ったところで竜心の位置が判らなければ、いくら剣技を持っていようと倒すことはできない。それだけが唯一、ロヒの所へ行ったということを否定してくれる材料だった。
兄が家を出てから一週間が経った、その日の夕方、一人の訪問者があった。
兄を皇都へと、騎士団へと誘った副団長のヴァラカさんだった。
「レモ君を入団させるにあたり、家族の方へ挨拶が必要だろうと考えて、お邪魔させていただくことにした次第です。まずは突然の訪問をお詫びします」
「兄さんが入団? その兄さんは、どこに……」
奥から父さんの声がする。
「入ってもらいなさい」
テーブルへ着いたヴァラカさんへ、お茶を出すこともなく兄の行方を訊いた。
「兄さんは、今、どこに居るのですか? 一緒ではなかったのですか?」
「レモ君は、私が皇都へと帰るために歩いていた街道に突然現れて『必ず会いに行くので待っていてください』と言ったと思ったら、あっという間に飛び去ってしまいました。いやぁ、レモ君は素晴しいですよ。あれ程、高度な魔法まで使えるなんて……」
どうでも良い話を遮り、兄の行方を聞く。失礼だなんて言っていられない。
「どこへ向うか言っていませんでしたか?」
「いえ、どこへ向うかは……。そのまま街道を皇都方向へ飛んで行ったので皇都ではないでしょうか」
「父さん、やっぱりロヒの所へ行ったのよ」
「……」
私はいつの間にか席から立っていたが、父さんは黙って座ったまま、なにかを考えている。
そんなに落ち着いている場合ではないはずだ。
「父さん、追い掛けましょ」
「……そうだな」
父さんは蒼白になりながら立ち上がり、ヴァラカさんへと言葉を掛ける。
「私達はこれからレモを追い掛けなければならん。悪いが詳しい話をすることは出来んし、そんな暇もない。すまんな」
「父さん、早く」
「待ってください。なにか大変な事態になっているのですか? 私で力になれることがあれば……」
父さんは首を横に振って家を出た。
家を出てすぐに板に乗り飛び立つと、それを見ていたヴァラカさんは「まいったな」という顔をして頭をかき出した。
飛べない自分が、この緊急事態ではなんの役にも立たないことを知ったのだろう。
取り敢えずは皇都を目指し、飛ぶ。
ロヒの住処への目印は、まずその住処となっている山の麓にある村だった。
場所は兄が訊いたと知ったときに、ワランさんから私にも教えておいてくれと言って聞きだしていた。
「山脈を越えよう」
父さんはそう言って山脈を登るように飛ぶ。
皇都までは街道に沿って飛んだ方が迷わずに行けるが、それでは時間が掛かってしまう。
今は夏だが、山脈を越える為に高度を上げていくとかなり寒くなってきていた。山肌には万年雪が見える。
それにそろそろ日が落ちる時刻だ。これから更に寒くなるだろう。
震えが出るくらいに寒くなってきたが、あと二時間くらいで山脈は抜けるはずだ。我慢して飛ぶしかない。
速度もこれまで出したことが無いくらいに早い。父さんの後に付いて飛んでいるが、一人で飛んでいたらこれ程の速度は出せなかっただろう。
飛びながら、あまり兄の事は考えないようにした。
考えれば考えるほど、悪い結末しか頭に浮ばない。
兄が居なくなってから一週間が経っている。すでに結末は決まっているとしか思えなかった。
山脈を越え、四時間程街道に沿って飛ぶと皇都らしき城壁が見えてくる。
辺りはとっくに真っ暗ではあるが、その暗闇の中にぼんやりとした明かりが見えてきた。
かなり高く飛んでいるので、城壁の中にある明かりで皇都が浮び上るように暗闇の中に見える。
父さんも私もこの辺りへ来たことが無いので、それが皇都だという確信は無いが、その大きさからして間違いないだろう。
皇都の西側を、左手に皇都を見ながら飛ぶ。こんな時でなければ降りて中を見たいと思うだろう。兄を見付けたら二、三発は殴らなければ気が済まない。
一発でも良いから殴ることができるように、神など信仰の無い私が祈った。
皇都の西側を抜けると、また真っ暗闇の中を飛ぶことになる。
麓の村までは、あと二時間くらいだろう。
東の空が、そろそろ夜明けを迎えようとしている時間になると、村が見えてきた。
その村が目的の村なのか判らないので、村の名前を聞くため中へ入ろうと入口付近で地上へと降りる。
かなり明るくなっているので早い人であれば起きているだろう。
村の方へと父さんと並び、早足で歩いていると、一台の荷馬車が村から出て来るところだった。
「あの人に村の名前を訊いて……」
そう父さんに言いながら荷馬車の御者を見ると、見覚えがある。
ヴィファー村で教わった作り方で、私が作った服を着ている。その服は兄の為に作り、兄は剣の鍛錬をする時に着ることが多かった。
「兄さん。……父さん、あの人兄さんだわ」
そう言って、私は荷馬車へと駆け出していった。
駆け寄った私を見て、御者をやっていた兄は驚いて荷馬車を止めた。
「リノ……。どうしてここに」
止まった荷馬車の御者台へとそのまま飛び乗ると頭ごなしに、叫ぶように怒鳴った。
「兄さんのばか。どれだけ心配したと思っているのよ。ロヒを殺しに行ったとばかり思って、村から一晩中飛んで来たのよ……」
ここまで怒鳴ると、ふっと安心してしまい、声に勢いがなくなってしまった。
「どれだけ寒くて、怖かったか……」
半分涙声になりながら、最後には腰が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
「はぁ……。よかった……」
父さんもこちらへ、ゆっくりと歩いてきている。顔には安心したような顔が見えた。
安心すると、次は怒りが込み上げてくる。
「で、なにしていたの? どこへ行っていたの?」
兄の顔を見ると、まるで子供が親に叱られたように、下を向き、悲しそうな顔へと変わり、荷馬車の荷台へと視線を移した。
その視線に釣られ、私も荷台へと視線を向ける。
そこにはなにかの皮のような、大きな蝙蝠の翼のような、黒っぽい布らしいものが見える。
「ロヒの翼だ。目と爪もある……」
「え? ロヒの……。え? どういう……。……殺したの?……」
「ああ、殺した……」
「殺したって。竜を……。どうやって……。……竜心が」
自分でもなにを訊きたいのか、なにを話したいのか判らなくなっていた。
「俺がティタの孫だと言ったら、『判っている』と言われたよ。『ここを剣で刺せば私は倒せる』といって竜心の場所も教えてくれた……」
これ程の短時間に、安心と恐怖と怒りと悲しみと、それらの感情が複雑に入れ替わったり重なったりするような経験は、これから先、二度とないのではないだろうか。
「殺したって……。兄さんは、それで満足なの……。そんなことまでして都会に出たかったの……。人の命を奪ってまで……」
「人ではないさ。なんの罪にも問われない」
「違うわ。兄さんはロヒが人であったとしても殺していたわ……」
「……そうかもな」
いつのまにか馬車の側まで来ていた父さんを見ると、悲しそうな顔をしてはいたが、兄を責めるような素振りは見せない。
「私だけなのね。誰かを不幸にすることで、幸せになっちゃいけないと思っているのは……」
「そんなことは……」
父さんがあわてて否定するが、心からそうは思っていないのだろう。言葉は最後まで口からは出てこなかった。
「きっと、これからは、兄さんの人生に後悔の影が付き纏うことになるわ。兄さんだけじゃない、私や父さんも止められなかった後悔を一生することになるのよ。そんな事が無いというのであれば、そんなのはもう人じゃない」
「……そうだな。後悔は、もうしているよ。
でも、それはロヒを殺したこと自体に対してじゃない。殺すことは覚悟を決めていた。
それが人ではないものの所業だとういうのであれば、俺は人を捨てても良いと思っている。
何年も悩んだ事なんだ。
そんなことにいまさら後悔なんてしない。
……でも、それは……間違えだったと、今では思ってしまっている……。
ロヒには子供がいたんだ……」
「こども?」
「ああ、ロヒを殺した後、住処にしていた洞窟を出て竜の足跡が目に入った。そこには大きな足跡の他に小さいものがあったよ。きっと子供の竜だろう……」
「その子供はどうしたの? まさか殺したの?」
「いや、なにもしていないよ。……でも、親を無くした子竜が生きていけるのか、そのまま育っていけるのか、俺は判らん。生きていけるのであれば、その内、その子に俺は殺されるのだろうな」
そう言って、兄は悲しそうに笑った。
不意に兄は驚いたような顔をする。その顔はすぐに力なく、そのまま眠ってしまいそうな表情へと変わり、目は中空を見ているように焦点が定まっていない。
「にいさん……?」
そのまま兄は私の方へと倒れ込む。
それと同時に、父さんは馬車の後方へと走りながら火炎塊を近くの林の中へと飛ばしていた。
私はなにが起きたのか判らない。私へと倒れ込んだ兄へと目を落すと、背中に矢が二本刺さっていた。
「にい……さん……? どうして? なに……なにが……」
なにが起きたのか判らないまま、治療魔法を掛ける。
私の胸へと倒れ込んだまま苦しそうに、話す兄。
「罰が……当るのが……早かった……な。あいつら……俺が人足として雇ったやつら……だ。……荷物をやつらに……わたすな……」
「矢を放った奴等は父さんが倒したわ。いいから、今は話さないで。気をしっかり持って」
「……いや、もう……だめだよ。……せっかく……ロヒに貰ったんだ。……リノと、とうさんで……、つかって……」
兄の言葉が途絶える。
あっけない兄の死は、そのまま受け入れられない。
私は何時間もの間、治療魔法を掛け続け、いつの間にか気を失っていたらしい。
夕方近くに揺れる馬車の上で目が覚め、最初に目に入って来た兄の遺体を見て、そのまま泣き崩れた。
私が泣き止むと、父さんが兄を襲った奴等の事を教えてくれた。
ロヒの遺骸を運ぶ為に兄が人足として雇った人達らしい。
竜の遺骸は、ちょっとした爪の先であっても魔導具の材料として高値で取り引きされる。お金に目が眩んでしまったようだ。
兄は自由というものに目が眩んで馬鹿なことをしたのだから、類が友を呼んだということだろう。
「馬鹿な兄さん……」
馬車を操りながら父さんが呟く。
「俺はどうすれば良かったんだろうな……」
「父さんが悪かった訳ではないわ」
「いや……。考えれば考える程、俺はやるべき事をしなかったんじゃないかと思ってしまうよ」
「父さんになにができたというのよ」
「……ロヒが竜ではないかと思った時に……、いや、その後、お前からロヒが竜だと知らされた時に、母さんの仇としてロヒを討つべきだったんじゃないのか……」
「それは違うわ。人を踏み台にした幸せなんて私はいらないわ。父さんだってそうだったからロヒを討つことを考えなかったのでしょ」
「……そんな格好の良いものじゃないさ。ただ竜が怖かっただけだよ……。俺も若い時には村から出たかった。ロヒが竜だと知った時も、若い時の想いを思い出していたんだ……。そしてレモの気持ちが痛い程、良く判った」
私にはそれ以上、掛ける言葉を見付けられない。
「魔王と関わって生きる私達は幸せを願っちゃだめなのかしら……」
私の呟いた言葉を聞いて、父さんはヴオリ山を見た。
この辺りには、ヴオリ山に住むと言われている白竜を見ると、その日一日を幸せに過せるという言い伝えがあったはずだ。
その言い伝えを知ってか知らずか、父さんは答えてくれる。
「そんなことはないさ。
だけどあまりにも大きすぎる幸せは掌からこぼれ落ちてしまうものなのかもな。
……昔、夜空の小さな星を見て、あまりに昼の眩しさと違うことに寂しさを覚えたが、あの小さな星達だってたくさん集まれば綺麗だろ。
お前達の母さんと出会い、結婚し、お前達が生まれ、立派に育つ。
俺はいつの頃からか、そんな沢山の小さな幸せを大切にしようと思うようになっていたよ」
白竜は、そんな小さな幸せの一つをくれる竜なのかもしれない。
今の私達には、その姿を見る資格が無いのだろう。
白竜はその姿を私達に見せてはくれなかった。




