渦を持つ人
町へと帰る頃には日が暮れ、その日は町の宿屋へと泊ることになった。
あまり宿屋へは泊らず、野宿しようと思っていたが、お金はオトイが出すと言うので甘えさせてもらうことにした。
夜飯は祝勝会を兼ねた、酒場での大騒ぎだ。
隊長と呼ばれている男が皆のテーブルを回り、声を掛けている。
「小僧、ごくろうさん」
俺とオトイのテーブルへも来て労いの言葉をくれる。
「いえ、俺、なんにもしてないです……」
「いえいえ、シテンさんのおかげで、今日は楽に終われました。まさか五十人も居るとは思っていなかったので助かりましたよ」
オトイの言葉はあまり素直に喜べない。一発も相手に当てることが出来なかった雷光は、これから練習することにしよう。
ただ、俺が駄目なのではなく、やはりロヒと同じようにオトイもなにか普通と違うように感じた。
「オトイさん、その……、なんと言っていいのか判らないのですが、オトイさんって普通ではありませんよね?」
「え? いたって普通だと思いますが……」
「ははは、大将は確かに普通じゃねえな。あんな見えている罠に引っ掛かる奴なんて、そうそう居るもんじゃねえ」
酒場に居た皆が大笑いをする。
オトイが掛かった罠は、本命の罠から気を逸らすための囮だったらしい。
確かに普通じゃないのかもしれないが、俺が訊きたかったのはそんな事ではない。まあ、訊いた所で答えてもらえるかは微妙なところだろう。
次の日、昨日の分の遅れを取り戻すために早朝から出発することにした。
隊長達は夜中まで騒いでいたらしく宿屋のあちこちから豪快ないびきが聞こえてくる。
挨拶をしておきたかったが、また会うこともあるだろう。そう思い、そのまま出発することにした。
宿屋を出て、昨日引ったくりに合った場所まで来る。
オトイが居てくれて助かった。魔導具は簡単に切れないように鉄の鎖を使うことにしたが、ぶら下げているのも少し不安なので旅が終わったら服の中に収められるような工夫を考えようと思う。
昨日の出来事は、引ったくりにしても山賊退治にしても良い勉強になった。旅に出て正解だったようだ。
そんな事を思いながら細い道を門へ向って歩いていると、また後ろから人が走って来る気配を感じ、まさか二日連続ということは無いだろうと思いながら振り返ってみる。
走っていたのはオトイだった。
「ひどいですよ。黙って出発するなんて」
「すいません。みなさん、まだ寝ていたようなので……」
「そんなに急ぎの旅なのですか?」
「そうですね……。あまりゆっくりとはしていられないです」
そう言いながら無意識に左腕を見ていた。
「ああ、なるほど……」
この人はやはりクラニ村の事を知っているようだ。
「残念ですね。僕も南へ行くので一緒にと思ったのですが……」
「いえ、ご一緒していただけるのであれば、ぜひお願いします」
このオトイという人には色々と訊きたいことがあった。
村の外の魔導士から話を訊けることなどめったにないのだ。こんな機会は逃したくない。
「でも、僕はあまり早くは歩きませんよ? 大丈夫なのですか?」
「はい。それほど明確な予定があるわけではないので、大丈夫です」
一週間という父さんとの約束だったが、一日、二日遅れたからといって、あの父さんが心配することはないだろう。セウラさんには怒られるだろうが……。
いざとなったら邪魔なものが無い雲の上を飛べば好きなだけ速度が出せる。
全速力で飛べば一日ちょっとでエテナから帰ることもできると思っていた。
「昨日、少し訊きましたが、クラニ村のことはどれくらい知っているのですか?」
南門を出て、二人並んで街道を南へと進む。
これほど濃い魔素を纏っている人であれば、色々な話を訊いておいて損にはならないはずだ。
「……。まあいいか。クラニ村の人なんだし」
クラニ村以外の人間には聞かせられないが、俺がその村の人間なのだから、自分が知っていることを話しても構わないだろう、という判断らしい。
俺はこのオトイという人が、村の秘密をどこまで知っているのか興味があった。
「魔獣退治を生業にしている村だとか……、
昔、左腕を魔王に再生されて、それから変質した魔素なしでは生きられないとか……、
今でも魔王に会うことがあるとか……」
村の秘密はほとんど知っているようだ。
「村の人間以外には秘密にしている事まで……。どうしてそんな事まで知っているのです?」
「うーん。それは言えないかな。心配しなくても誰にも言わないし、僕以外で知っている人なんてほとんど居ないはずですよ」
「そうなのですか……」
「そんな目で見ないでくださいよ。本当になにも心配するようなことありませんから」
俺は無意識に訝しそうに見ていたらしい。
少しおどおどとした態度を、怪しいと見るべきなのか、たんに小心者だと見るべきなのか判断はできなかった。
「オトイさんは旅するとき、飛んで移動しないのですか?」
「飛ぶ?」
「ええ。使えますよね? 板に乗って風魔法で飛ぶやりかた」
「なるほど、そうですね。僕は板はいらないですね」
そう言って、ふわりと浮き、立ったままの姿勢で俺の周りを浮いた状態で回りだす。
「どうやってるんです? そんな魔法があるのですか?」
「同じですよ。板の代わりに足の裏を使っているだけです」
「足……の裏……」
俺には無理だ。
足の裏なんて狭すぎて上手く狙い通りに風を当てられない。出来たとしてもバランスを取ることができないだろう。
数周、俺の周りを飛んで回り、すっと地上に降りる。
「こういうのは出来ますが、旅の移動では使いませんね。飛ぶならこんなことしなくても、竜に……、あっ」
「竜? もしかして竜に乗るのですか? すごい……」
「違います。えっと、今のは忘れてください」
忘れることなど出来ない。
オトイくらいの魔導士になれば竜ですら手懐けてしまえるらしい。
竜に勝てる人間などいないと思っていたが、世界は俺が考えていたよりも色々な人がいるようだ。
「やっぱり凄いですね。オトイさんって。それだけ濃い魔素を持っているだけはあります」
「濃い魔素?」
「はい。あれ? オトイさんは魔素を見られないのですか?」
「……いえ。僕は……見ることはできますが……。驚いたな。君は魔素を見ることができるのですか? 普通、人間には見えないものなのですが」
「でもオトイさんも見えているのでしょ? 確かにゼノ様から、魔王から、人間に見るのは無理だと聞いたことがありますが。オトイさんは俺の左腕の黒い魔素を見てクラニ村の人間だと判断したのでしょ? 違うのですか?」
「いえ、その通りです。変質した魔素を使う左腕を見てクラニ村の人だと判断しました。しかし、驚きましたね。魔素が見える人が居るなんて……」
おかしな人だ。自分も見えているのに。
「オトイさんも萎竜賊の村、ヴィファー村と関係ある人なのですか?」
オトイは萎竜賊と聞いて、また驚いた顔になった。
「あなたは、シテンさんは、萎竜賊と……」
「はい。母さんが萎竜賊の村の出身だったそうです」
「なるほど……、そうだったのですね。……魔素はどれくらい見えているのですか?」
「どれくらいというと? 見え方ですか? オトイさんの魔素は濃く、お腹の少し右寄りで渦を巻いてますね。渦を巻いている人を見るのは二人目です。その人もかなり濃い魔素を纏っていましたよ」
「すごい……。僕が見えるといっても、ぼんやりとしか見えませんから、その能力は僕以上ですね。たぶん、そのもう一人の渦の持ち主もシテンさんほどには見えていないと思います」
オトイは驚いているというより、少し怖がっているように感じた。
「それじゃオトイさんは萎竜賊の村の場所を知っているのですね?」
「ええ。通っただけなので、村の人との交流はありませんでしたが、場所は判ります」
「教えてもらえませんか?」
「もしかして、この旅は萎竜賊の村へ?」
「いえ、今回はエテナまでで帰るつもりです。場所が判れば、その内に行こうとは思っていますが」
「そうですか……。地図、あります?」
町で買った地図を広げ、オトイの前に差し出す。
オトイはその地図を見て、くすっと笑った。
「なにか変ですか?」
「あ、いえ。昔、似たような事があったな、と」
俺に見えるように地図を片手に持ち、目の前に下げて指差す。
「たしか、この辺りでした」
その指差した場所は地図が描かれた紙の外側だった。
「……つまり、この地図上には無いということですか?」
「そういうことになります」
萎竜賊の村はエテナから結構な距離を南下した場所らしい。
「地図の裏に描きますね」
もう少し詳しい場所が知りたかったので、オトイに頼み、地図の裏へエテナから萎竜賊の村までの簡単な地図を描いてもらうことにした。
「あれ? あ、あった……。あっ、あっー」
描くためのペンを服をまさぐり探す。見付けたらしいが様子がおかしい。最後の「あっー」という絶叫はなんだろう?
「どうかしました?」
「あ、はい。あ、いえ。……地図、描きますね」
エテナから萎竜賊の村までの簡単な地図を描くが、正直、これで行くのは難しいかもしれないと言われた。
道はなく、森ばかりなので地図など役に立たないらしい。
「まあ、だいたいの場所が判れば、空の上からでも探します」
「そうですね。その方が早いでしょう」
「ありがとうございます。助かります」
「お役に立ててよかったです。そして、残念ながら僕は先刻の町まで帰らなければならないようです」
「え? 忘れ物ですか」
「はい。昨日の仕事の報酬を他の十名に渡すのを忘れていました。今頃、僕が持逃げしたといって探しているでしょう」
先刻の絶叫の原因はこれらしい。
「そうですか。それは残念です」
「あ、これ、昨日の報酬です」
その金額は村で魔獣退治をした時に貰える金額の数倍はある。
「こんなに貰っていいのですか? それに昨日のはお礼として手伝ったのに報酬を貰ってしまっては……」
「いいのです。お礼としては僕の仕事が楽になったという事で十分で、仕事の報酬としては別に受け取ってもらわなければなりません」
「そうですか……。それじゃ遠慮なく頂きます」
「はい」
オトイは笑顔で答える。
「それじゃ、急がないと、殺されちゃいます。またどこかで」
そう言うと、少し浮き、先刻見せてくれたように飛んで行った。
後ろ姿を見送っていると、こちらを向き、戻ってくる。
「これは言うべきか、どうか、悩んだのですが、言っておくことにします。
シテンさんが見えている渦の場所ですが、絶対に誰にも言わないでください。
これはお願いですので、守ることを強要できませんが、もしも、渦の位置を誰かに伝えるような事があれば、シテンさんは僕と敵対したと見做すことになります」
「敵対……」
「それは、もう一人の渦を持った人も同じだと思います。
これから先、同じように渦を持った人と出会うかもしれませんが、その人達も同じでしょう。
理由は、僕の口からは言えませんが、萎竜賊の村へ行けば判ると思います。それじゃ」
そう言うと、また町の方へと飛んでいって、今度は戻ってくる様子はなさそうだった。




