幸福
「だからね。料理どころか、掃除洗濯も、畑仕事も魚採りも、なにもできないの」
なるほど、ティタはこれが云いたくて身の上話をしたのか。
木の上で一頻り泣いた後、家への帰りで家事全般が出来ない言い訳を聞き、合点がいった。
「やることが無いのなら、これから覚えれば良いんじゃないの?」
「私に……できる?」
本気で言っているのだろうか? 常人では真似できない程の剣の使い手が、誰もがやっている料理や畑仕事が出来るか不安になっているなんて、とても二十とは思えない。
「ぷっ。……あはははは」
堪えきれずに笑い出すと、ティタは顔を赤くして怒りだし、俺の尻を思いっきり蹴り、つかつかと早足で先を歩きだした。
「信じられない。人が真面目に訊いてるのに……」
ぶつぶつと怒りながら独り言を言い、前を歩くティタを見て、俺はなぜか、両親やロヒと並んで歩いた時に感じたものと似た感覚を思い出していた。
それから三年後、俺とティタは結婚した。
翌年には男の子を授かった。その子も今年で三歳になる。
この七年は幸せだったし、これからも幸せに暮らして行けるだろう。
もちろんティタには、クラニ村の特殊な事情や左腕の話をし、それを納得できなければこの村の人間にはなれないし、不幸な結婚になるだろうと話すと、ティタから「あなたは、今、不幸なの?」と訊かれ「もちろん幸せだよ」と答えると、「それじゃ、生まれてくる子供だって不幸になると決まっている訳ではないでしょ」と言ってくれた。
子供が生まれても、左腕の事で悲観するようなことも無く、穏やかで幸せな日々を送る事ができている。
子供が生まれてすぐにティタと話したことがあった。
「この子を幸せにしたい。でも不安なんだ。この左腕の呪いが幸せへ近づくのを邪魔してしまいそうで……」
生まれたばかりの子を抱き、あやしながら、ティタは笑顔で答えてくれた。
「あなたが持っているその左腕と同じものを持っているだけでしょ。
前にも言ったけど、今あなたが幸せなのだとすれば、この子だって幸せになるわよ。
もちろん、あなたを育ててくれた両親やロヒがそうしてくれたように、私達もこの子を幸せに導く努力は必要だと思うけど」
「……そうだな」
世界中を探しても、俺にとってティタ以上の嫁はいない。
ティタが心配していた、料理や家事全般に畑仕事や魚採り、そんなもろもろはすぐに覚えてしまい、村にもあっさりと溶け込んでしまった。
村の生業である魔獣退治にも参加し、優秀な剣士として村の有名人となっている。
村一番の剣士の称号は、残念ながら俺からティタになってしまったが、剣士になった自覚が無い俺よりも相応しいだろう。
クラニ村を出てから九年が経つが、ロヒはあれから一度も姿を見せていない。
一番に伝えたい人に、まだこの幸せを報告できずにいた。
ティタは子供が一人で立って歩けるようになると早速木刀を持たせ、毎朝、振り回させている。
「少し、早すぎないか?」
あまりに厳しいと感じたのでそう言ったことがあったが、ティタは取り合うことはなかった。
国でも有数の剣士に育てるというのであればこれくらいの厳しさが必要なのだろうが、村を出ていく訳にはいかない俺達には無用の長物になる。いくら強くなったとしても竜やアスモ達には敵わないのだから。
もちろん強いに越したことはないが、子供の頃の楽しい思い出を苦しい鍛錬だけのものにしてしまうのは可哀そうだろう。
まあ、ティタが厳しいとはいっても鍛錬中だけのことで、剣を持たない時は逆に親馬鹿すぎではないかと思う程、べたべたと子供に寄り添って、優しい母親の顔に戻っていた。
「ロヒを越えるような剣士にでも育てるつもりなの?」
木刀を振り回している子供を見ながら、ティタの横へ座り訊いてみたことがある。
「ロヒは……、無理ね」
「でも萎竜賊流ってのは竜を倒す事を目的として作られたのだろ? 竜すら倒す剣術ならロヒだって倒せ……、あ、そうか、ロヒもその剣術を会得しているのか」
「あはは。馬鹿ね。ロヒの強さはそんな単純なものじゃないわよ。それに萎竜賊流といっても、会得しただけでは竜は倒せないわ」
「よく判らんな。竜を倒すための剣術じゃないのか?」
「そうよ。でも倒すためには剣術だけではだめなの」
そういって、ティタは少し考え込む。
「ま、いいか。あなたも萎竜賊流の人間だものね。これから話すことは秘密ね。べらべら喋っちゃだめよ」
そんな流派に属した覚えはないが、その話は聞いておいても損はないだろう。
「竜には弱点というか、人間であれば心臓のような所があるの」
「心臓じゃだめなの?」
「竜は心臓を止めたくらいじゃ、すぐに復活するわ」
「……化け物だな」
「その弱点、『竜心』と呼ばれる場所は、竜の体に魔素を循環させる為にあるの。そこを破壊すると簡単に倒すことができる」
「へえ。竜と戦って勝てる方法なんて無いものだと思っていたよ。案外、簡単に倒せるんだな」
「簡単なものですか。竜心の場所は竜毎に、固体毎に違っているのよ。その場所が判らない限り、私達に勝目はないの」
「その竜心の場所を知る方法もあるんだろ?」
「普通の人間には無理ね。極、稀に、人間の中にでも魔素の流れを見る事ができる人が生まれる事があるらしくて、そういう人なら判るらしいけど、私達みたいに普通の人間には無理よ。……あなた魔素の流れって見える?」
「見えないな。普通の魔素が多いな、とか、変質した魔素が流れているな、とかならなんとなく判る事はあるけど、見えるというのとは違うし……」
「見える人でも、明確に見える人ならすぐに判るらしいけど、ぼんやりとしか見えない人だと、何時間も観察する必要があるらしいし。まあ、それくらい難しいということね」
「そんなので、これまでに一体でも倒せたこと、あるの?」
「もちろんあるわよ。といっても、萎竜賊流の創始者で、私が居た村を創った人が生きていた時代だけだけど。その時代には三体の竜を倒したらしいわ」
「わかった。その人が竜心を見ることができて、それを商売にしたんだ」
「……商売は、そう言えなくもないけど、ただ単に竜の倒しかたを子孫に伝えたかっただけでしょうね」
「ティタはその人の子孫って訳か」
「どうかしら? 魔素が見えたのだから魔法が使えたはずだけど、今の私の血縁に魔法が使える人はいないわ。いつのまにか血は途絶えていたのかもしれないわね」
「ん? そうすると魔法が使える『我子、シテン』は竜心が見えれば竜にすら勝てる、最強の人間になれる可能性があるのか」
「まあ、可能性は、ね。少なくとも『天才ティタの息子、シテン』は剣術だけでも人間最強になるでしょうけど」
「親馬鹿だな」
「あなたこそ」
二人とも親馬鹿になれる程に、幸せな時を過ごしていた。




