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切望する魔  作者: 山鳥月弓
アルクの章
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ティタ

 十九歳の、短い夏のある日の事だった。

「ひさしぶりー」

 そう云って家へ入って来た女には見覚えがあった。

「えっと、ティタ……だっけ?」

「あら、こんな美人の名前を忘れていたとでも言うの? そうよ、ティタよ」

 ティタはそう云いながら背負っていた背嚢を床へと降ろす。

「いや、随分前に、それもたった一日、ここに居ただけじゃないか。記憶も曖昧になるよ」

 実際、雰囲気は変わっていた。特徴のある髪と肌色、それに服装がティタであることを教えてくれたが、この辺りの女性が着るような服装で来られたら誰だか判らなかったかもしれない。

 ほんのりと化粧もしているのだろう。顔付きは以前より大人びている。

 座れとも言っていないが、ティタはテーブルへ着き、飲み物を要求した。


「ロヒは、もうここには居ないよ」

 コップへと注いだ水を出すと、ティタは一気に飲み干す。

「知っているわよ。この辺りまで来たついでに寄ったの。数日はお世話になるわ。おかわり」

 随分と図々しい女だ。

 水も金を取ってやろうか。

「家は宿屋じゃないんだけどな」

「あなた、ロヒの弟子でしょ? それじゃ私達は『萎竜賊』流の一門だから家族も一緒よ」

「そんな流派に入った覚えはないんだけどな。って、ロヒの剣技はその『萎竜賊』流っていうものなの?」

「知らなかったの? あきれたわね」

「ロヒが言わなかったんだ。そんな流派が在ることすら知らなかったよ」

「まあ、いいわ。明日から私が稽古を付けてあげる。それならあなたも損じゃないでしょ?」

 剣の稽古の押し売りなんて聞いたこともない。

 それに、この女とした手合わせは良い記憶ではなかった。

 ティタはおかわりした水を、今度は少しだけ口にする。

 首すじから開けた胸の辺りまで、すっと汗が流れ落ち、その見慣れない光景は、俺の脈拍をほんの少しだけ早くさせた。


 次の日の朝、いつものように朝の鍛錬をしているとティタが眠そうにしながら剣を持ってこちらへとやって来た。

 朝の鍛錬はロヒが居なくなってからも、たとえ仕事をサボったとしても、毎日欠かさずやっていた。いつの間にか村で一番の剣豪と呼ばれるようになっていたが、その面目がそうさせている。

「約束通り、相手をしてあげるわ」

 眠そうにそう云いながら頭を掻きつつ、剣を置き、代わりに木刀を取り上げる。

「いらないよ。自分の鍛錬でもしてくれ」

「あら、私が怖いの? そうよね。一度、負けてるものね」

 そんな挑発、乗るものか。

 黙ったまま剣を振っているとティタも同じように剣を振りだす。

 剣が風を切る音だけが聞こえていた。


「つまらない」

 黙って素振りをしていたティタが、そう言うとこちらを向き、剣を構える。

「いくわよ」

「え……。なに?」

 俺も素振りをしていたので剣を構えてはいたが、ティタの突進してくる速さは尋常ではなく、反応することが出来なかった。

 ティタの剣は俺の胸を刺す直前で止まっていた。


「つまんないわね。反応しなさいよ」

 しなかった訳ではない。だが出来なかったと言う事も自尊心が許さない。

「あんた、魔法が使えるのか?」

 ロヒに教えてもらった、魔法で瞬発力を高め、一気に相手の間合へ入る方法だと思った。

「魔法なんて使えないわよ」

「もしかして、ロヒより強い?」

「まさか。ロヒだって魔法を使わなくてもこれくらい出来るし、魔法なんか使われたら私だって抵抗する暇もないでしょうね」

「ロヒって、そんなに強かったのか……」

「あの人に勝てる人間なんて居ないわよ」

「つまり、この世界で一番強いってこと? すごいな……」

「この世界でと言われると違うかな……。って、ロヒの事はどうでもいいわ。あなた、悔しくないの? 悔しかったらこれくらい出来るようになってみせなさいよ」

「いや、別段悔しくはないかな……。今でも魔獣退治には十分だし」

「つまらないわね……」

 悔しいとは思っていた。だからといってティタに教えを乞う事もやりたくなかった。

 それに、あれくらいなら俺にもできる。魔法を使えばだけれど。


 ティタはその日、一日中をぼんやりして過ごしたらしい。

 俺の畑仕事を見ていたと思ったら、いつのまにか居なくなっていて、昼食を食べようと家へ入るとテーブルで居眠りをしていた。

 いったい何をしに来たのだろう。


 午後に魔獣の森へ行こうとするとティタも付いて来ようとする。

「なんで駄目なのよ」

「魔獣の森は普通の人間じゃ魔獣になっちゃうんだよ。クラニ村で生まれた人間は耐性があるけど、ティタには無いだろ?」

「どうすれば耐性が付くの?」

「どうしようもないよ。俺達は生まれた時から耐性があるんだ。やる事が無いなら夕飯の用意でもしていてくれよ」

 不貞腐れたような顔をしたティタを置いて俺はそのまま家を出た。


 夕方になり、家へ帰るとティタは剣を一心不乱に振っていた。

 夕飯の準備をしようと台所へ行くと、ほんの少しだけ物の配置が変わっている事に気が付く。

 ティタがなにかを作ろうとしたのだろうか?

 夕飯の準備が出来ると、見計らったようにティタが家へと入ってくる。

 汗を拭き、手と顔を洗い、テーブルへつくと用意していた夕飯を食べだした。

 感謝しろとは言わないが、なにか一言くらいあっても良いのではないだろうか。

 いつもと違って一言も喋らずに、もくもくと食べているティタは怒っているようにも見える。


 沈黙に耐えきれずに俺から話し掛けてみた。

「なにか作ろうとしたの? 台所、物が動いていたけど」

 ティタの手が止まった。

「料理なんて……」

 食事をしながら、言葉の続きを待つ。

 なんだかやばい。怒りが爆発しそうな雰囲気だ。触っちゃいけない事だったのだろうか。

「料理なんて……作れない……わよ……。悪かったわね」

 そう言って、こちらを睨みつける顔は怒っているのだが、泣き出しそうにも見えた。

「そ、そう……」

 これ以上怒らせるのは得策ではないだろう。気まずいが黙って食事を続けることにした。

 ティタは食事をがつがつと口の中へ掻き込み、「ごちそうさま。おやすみなさい」と吐き捨てるように言って客室へと引っ込んでしまった。


 次の日、朝の鍛錬をしているとティタもやって来て、昨日と同じように剣を振りだす。

 無言なのが不気味だが昨日のようにつっかかって来ることはなかった。


 畑仕事は顔すら見せない。また家で寝ているのだろう。

 昼食を食べ、今日も魔獣の森へと出ようとするとティタが訊いてくる。

「今日も魔獣の森?」

「うん」

「そう……、いってらっしゃい」

 寂しそうにぼんやりとした顔でこちらを見ているティタの顔は、いつもの図々しさが無い。一人にしておいては、ぼんやりして事故や火事でも起すのではないだろうか。

「……一緒に行くか?」

「え? いいの? 魔獣になっちゃうんじゃないの?」

「ああ、一日くらいなら平気だ。ただ、面白い訳ではないからな。変な期待はしないでくれ」

 ティタの顔がいつもの明るい顔に戻る。現金な奴だ。


 魔獣の森まで久しぶりに歩く。

 いつもは盾に乗って飛ぶので久しぶりの徒歩は新鮮だった。

「ここから魔獣の森だよ。気を付けてくれよ。魔獣は無差別に襲ってくるからな」

「私を誰だと思っているのよ。これでも……。いえ、気を付けるわ」

 二十分程歩いて、昔はお気に入りだった木へ登る事にした。

 飛べるようになってからは、あまりこの辺りへは来ていない。

「ティタは木登りできる?」

「ええ。出来るわよ」

「それじゃ、登ろう」


 登り始めると昔と感覚が違うことに気付く。そうか、背が伸びたんだ。

 いつも座っていた枝へと座り、下に居るティタを見ると、するすると登って来て隣の枝へと腰を下した。

「へえ、海が見えるのね」

「うん。昔はここが一番のお気に入りだったんだ」

「今は違うの?」

「今は色々な所へ行けるようになったからね。久しぶりに登ったけど、やっぱりここもいいな」

 遠くに見える海は、昔と変わらず、太陽の光をきらきらと反射させていた。


「……身の上話、してもいい?」

「どうぞ」

 ティタは語り出した。

「私ね……、私が萎竜賊流の跡継ぎになるものだと思って、必死に剣術だけに専念してきたの……。物心がつく頃には、もう木刀を握って振り回していたわ。近所の子らが遊んでるのを横目に剣の鍛錬だけをしていたの」

「それじゃ俺なんかが敵う訳ないな」

「そりゃそうよ。今でも私の村で私より強い奴なんて、師匠である父さんしかいないわ」

「俺だって、村では一番だぞ」

「……はなし、聞く気、ある?」

「だまってます。つづきをどうぞ」


「うん。それでね、二十になったから父さんに『私が跡継ぎで良いのよね?』って訊いたの。そしたら……」

 ティタの顔付きが少し変わる。それは怒りなのか悲しみなのか判らないが、俯いて、なにかを堪えているように見えた。

「そしたら、『跡継ぎはワランだ』だって。あ、ワランって私の弟ね」

 わざと声の調子を上げているようで、明るく話そうとしているが顔は今にも泣きだしそうだった。

「ワランなんて、まだまだ全然弱いのよ。あなたと同じくらいじゃないかしら。いえ、あなたの方が強いかもしれないわね。気弱だし、体力だって無いし、すぐに逃げるし――」

 思い付く限りの弟への悪口を言ったかと思うと、突然、黙ってしまった。

「……でもね……、やさしい子……な……の……。……うぇーん――」

 泣き出してしまった。

 二十の女の泣き方とは思えないが、大声で、まるで五歳児かと思うような声を出し、顔をしわくちゃにしながら泣いていた。

 こういう時、俺はどうすれば良いのだろう。

 ロヒはそんな事、教えてくれなかった。


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