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人でなしのいろは  作者: 囲味屋かこみ
第二章 人でなしの姫君
8/12

——————




 大学も無事終わり、夕方。


 わたしは、事務所に向かっていました。


 最寄り駅で降り、名物の観音様を越えて商店街を歩く事、10分。メイン通りから一本裏路地に入ったところに、その建物はあります。昭和の時代に建てられた雑居ビルを、最近リフォームしたもの。


 隣に立つ古い木造の一軒家の前に、住民の方が植木の剪定せんていをしておられましたので、わたしは軽く挨拶を交わし、事務所へと向かいます。


 ビルの一階には、居抜きで入っている喫茶店(所長曰く、お約束だそうです。相変わらず、何をおっしゃっているのかわかりません)。その脇にある入り口から階段を登り、二階へ。小さな踊り場に見えてくるのが、事務所の扉でした。


 漆塗りの高級感漂う扉です。金属製のプレートには、九頭竜探偵事務所と書かれていました。幾度となく見た光景。なのに、何故、わたしは立ち止まったのでしょうか。その答えはすぐに分かりました。


 扉に手をかけた、その時——ぞくりと、背筋が震えたのです。


「…………えっと」


 わたしお得意の嫌な予感がしました。


 事務所の中から、鮮烈な気配がしました。


 積乱雲のように荒々しく、太陽のような熱量を持ったこの気配を、わたしはよく知っています。


 会いたくない……というわけではないのですが、なんというかその——この先の苦労が約束されている、そんな人物の気配です。


「………………」


 正直、帰ろうかな——なんて、思ったり。


「……なんだかなあ」


 もちろん、本当に帰るわけにはいかないので、わたしは、嘆息しながら事務所の扉を開け、中に入りました。


 玄関のホワイトボード(本日も、所長以外は皆さん外出中のようです)を通り抜け、奥へと進み、事務室にたどり着いた所で——


「よー、久しぶり! 私のいない世界は、随分と退屈だったようだな」


 当然のように、超然と『彼女』はそこに存在て、まるで待ち構えていたかのように、わたしを見て、にいっと笑うのでした。


 トレードマークである、群青色のスーツに筆頭に。ベージュのトレンチコート。胸元まで伸びるセミロングの髪。すらりと伸びた長身。現役のモデル並みのそのスタイルは、ゆうにわたしの3倍ほどのアップダウンを誇っています。あくまで客観的に、じくじたる思いで至極客観的にみる限りにおいては、非常に格好の良い、大人の魅力溢れる女性でした。


「恭子さん……」

 

 彼女の名前は、『人見恭子ひとみきょうこ』と申します。わたしを、“あの白い世界から解き放った“張本人であり、一応の保護者であり、織部流の師匠でもある方です。


 彼女は、わたしの事務机の上に、タバコをふかしながら腰掛けていました。


 長身の女性がトレンチコートを肩にかけ、紫煙をくゆらせるその姿は、あまりにも絵になっています。まるでマフィアの女ボスといった貫禄。あまりタバコは好きではないのですが、彼女の場合は似合い過ぎていて、むしろ無いと違和感ですらあります。


「なんだなんだ、久しぶりに会ったってーのに、ちっとも嬉しそうじゃねえな? もっとこう、会いたかった! とか言って抱きついてきたりしてもいいんだぜ? お前、黙ってれば見た目はいいんだから、私としてはいつでも大歓迎だ」


 彼女は、その端正な顔立ちに似合わない、ガキ大将のような笑みで言います。


 彼女に抱きつくなどというそら恐ろしい妄言はスルーすることとし、わたしは、呆れたように返しました。


「事務室は禁煙ですよ……恭子さん」


 是非はともかくとして、ルールはルールです。


「おっ、いいねいいね。私に意見する人間なんてのは、昨今ではツチノコ並みに希少だからな。新鮮だぜー。それだけでもここに来たかいがあったってもんだ」


 本気がどうかいまいち分からないことを言う恭子さんではありますが、真実ではあるのでしょう。我々の世界において、彼女の名を知らぬ者はいません。そして同様に、“彼女と対等な立場な人間などいない“のです。


「ツチノコ……それは褒め言葉なんですか? まあ、いいんですけど……。——それにしても、いつ日本に帰っていらっしゃったのですか? 連絡くらい下さればよいのに…… 」


 一応、保護者なのですからそれくらいはあって然るべきかと思います。


「ん? ああ、昨日だよ。いやあ、ちょっち大きめのヤマ抱えててな、連絡する暇が無かったんだよ。すまんすまん」


「仕事、ですか?」


「そうそう、仕事。実は今日ここに来たのも、至極単純。その関係で、お前と——そこに転がっている織也のやつに用があったんだ」


 今更気づいたのですが、恭子さんの足元——さながら女王と奴隷のような位置関係で、所長が床に転がっていました。


 おそらく、恭子さんにいつもの調子で軽口を叩いて、制裁を加えられたのでしょう。まあ、それは放っておくとして。


 きた、と。わたしは警戒を強めます。


 誤解なきよう言及するのですが、わたしは恭子さんの事をとても尊敬しています。


 トラブル請負人たるこの業界において、彼女は他に並び立つ者がいない程のトッププレイヤー。圧倒的王者であり、絶対的強者であり、世界的覇者なのです。彼女を表す異名はたたあれど——『最強』——その言葉を用いて表されるのは、群雄割拠、魑魅魍魎渦巻くこの世界においてただ一人、それがここにいる人見恭子という人物なのでした。


 ただし——だからこそ、彼女が持ち込む依頼トラブルは、そのどれもが厄介事レベルが著しく高く、わたしは毎度毎度死にかけています。死ぬ思いをするのではなく、実際に死にかけるのです。わたしでなければ、とっくに死んでいると思われます。


「用——ですか?」


「うん、用事。頼みたい事。いいよね?」


 内容も言わずに、言質を取ろうとする。どこの糞な店長ですか、あなたは……。

 

「せめて、内容を聞かせてください……」


「えー」


「………………」


「冗談だよ、そう怒んなよ。ったく、せっかくの美少女が台無しじゃねえか。黙ってりゃ、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花みてえな見てくれしてんのに、口を開けば毒吐くしよ。食中植物か、お前は」


「言い得て妙ですが、酷過ぎません? せめて美しい薔薇にはトゲがある程度で済ませて欲しい……」

 

「自分で言うのかよ、それ」


 ……ちょっと赤面。


「因みに、ちゃんと録音してあります」


 そう言って、胸ポケットから小型のICレコーダーを取り出す恭子さん。


 鬼がいる! 


 おそらく向こう半年はこのネタでいじられ、強請ゆすられるでしょう。わたし、一生の不覚。


「と、とにかく! 用事! その用事とは一体何なのでしょうか!」


 恭子さんのペースに付き合っていては、いつまで経っても話が進みません。流石兄弟弟子だけあって、その辺は所長に通じるものがありました。


「んん? ああ、用事ね、ヨウジ。えーっと、何だったかな?」


 言って、彼女は吸い終わったタバコを携帯灰皿に捨てます。そして二本目を取り出し、少し間を置いた後、結局火をつけることなくそのままシガーケースに戻します。わたしの先程の苦言を、汲んでくれたようでした。


「そうそう、思い出した。お前にはな、『子ども』の面倒をみてほしいんだよ」


「えっと……」


 子ども? こども? コドモ? 


 子どもって、あの子ども?


 えっ? えっ? 恭子さんに? 恭子さんの? 


「お前、何か勘違いしてるだろ?」


 恭子さんが怪訝そうにこちらを見ておりました。


 どうやら相当動揺していたようです。顔に出ていたみたいでした。


「私の子どもじゃねえよ。私の子どもは、お前だけだ」


「まあ」


 そうストレートに言われるとちょっと嬉しかったり。


「今回の仕事の一環みたいなもんでな、子どもを一人、保護してるんだが——お前も知っての通り、私に子どもの面倒はみれん」


 ええ、重々承知しておりますとも。身に染みて知っておりますとも。


 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、を文字通りの意味で実行する親はあなたぐらいでしょう。


「でさ、その仕事ってのがちと厄介でな。正直、この私としては、認めたくは無いんだけれども、子ども抱えながらってのも難しいんだわ。それに、私のスタンスは基本的に『攻め』だからな。子どもを『守る』ってのはどうも苦手だ」


 やれやれと肩をすくめる恭子さん。芝居がかったその仕草も、美人がやるとこうも絵になるのかと思います。


「そこで、お前に頼みたいなーっと」


「えーっと……、それは九重探偵事務所への、依頼という形ですか?」


 わたしは、床に転がる当事務所の代表に視線を向けながら聞きます。もしそうであるならは、一応、所長を通した方がよいかと思ったのです。


「んにゃ、どっちかっつーと、お前への個人的な依頼——というか、お願い」


「なるほど」


「うん。一応『女の子』だからな、野郎には任せられん。特にこの変態には」


 そう言って、恭子さんは所長に蹴りを入れます。ゔっ、というくぐもった嗚咽が聞こえてきました。


「断る理由は、ありませんが……」


 恭子さんの依頼は毎度無茶苦茶なのてすが、今回は比較的穏やかというか、まともな気がしました。


「まあ、そう深刻なもんでもねえよ。“基本的には″、面倒みてくれればいいだけだから。もちろん、当面の生活費は振り込んでおいたし、前金も送金済みだ。報酬も弾む」


「うっ」


 とても魅力的な言葉でした。お金。おかね……オカネ、ホシイ。それは魅惑の誘い。砂漠の地下の洞窟で、ランプと金銀財宝を発見したかのような——罠があると頭のどこかでは分かりつつも、抗うことの出来ない悪魔の囁き。


「わ、分かりました。引き受けましょう」


「ありがとうっ! 友たん大好きっ!」


 きゃるきゃるとした可愛い声で、恭子さんが抱きついてきます。恐怖でした。戦慄しました。ぺろりと、何故かついでのように首筋を舐められます。ぞくぞくしました。


「さて——」


 恭子さんは、あっさりと私から離れると、


「依頼の子ども——そいつ、疲れてるみたいだったから、今、応接間で寝かせてあるから後は頼んだぜ。あと、この愚弟にも頼みたいことがあるから、ちょっち借りてくな。んじゃ、息災で」


 あっけからんと言い放ち、床に放置されていた愚弟こと弟弟子である所長を片手で軽々しく肩に担ぐと、後ろ手に手を振りながら、颯爽と、過ぎてしまえば嵐のようにあっさりと、事務所を去って行ったのでした。


 わたしはそれを見送り「なんだかなあ……」いつもの独り言。


 嘆息しながら、応接間へと向かいます。


 そして、扉を開け、


「なっ——⁉︎」


 驚愕しました。


 はたして。


 お客様用の革張りのソファーの上。産まれたての天使のように眠る幼い少女——わたしは、“彼女を知っていました“。


 それは——あの日の情景。

 それは——あの出会いの追憶


 真っ白な部屋で読んだ、真っ黒な御伽噺。


 わたしの名付け親であり、

 わたしの名前を、初めて呼んだ少女であり、

 わたしの、最初で最後の——。



 “彼女と、瓜二つの少女″が、そこにいました。

 


 ただし——それは、あくまで相似。

 そして——相対でした。


 何故ならば、



 ——『白』。



 今、わたしの目の前で眠る少女の髪とワンピースは、あの日出会った彼女とは違い、純白色をしていたのでした。



 それは、奇しくも、あの部屋と同じように。




《"The beginning of the end."》



 


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