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人でなしのいろは  作者: 囲味屋かこみ
第一章 存在証明
5/12




————


 

 携帯の時計を確認すると、時刻は午前2時を過ぎておりました。積もりに積もる話も半年分となれば、相応の時間が掛かります。


 あの後、まるでお伽話を読み聞かせるように、この半年の出来事を語り、身依が眠りに落ちるのを見届けてから、わたしは帰路につきました。


 終電の時間はとっくに過ぎ、もちろんタクシーを使うお金もありません。必然、手段は徒歩に限られます。アパートへまでの行程は、2時間弱ほど。些か遠いですが、歩くのは嫌いではありません。特に今夜は、そういう気分でした。聞くところによると、乙女心は空模様らしいですよ。


 国道から道を逸れ、脇道に入ります。近道ではありましたが、それだけが理由ではありませんでした。

 

「…………………」


 歩き始めてから、30分ほど経ったでしょうか。少し疲れてきましたので、歩幅を緩めます。そして、すぐに早めます。緩めます。早めます。緩めます。ニュートラルへ。ご安心ください、乱心したわけではありません。


「…………………」


 しばらくして、わたしは″足を止めました“。先程、時刻を確認した際に気になった、トピックスのニュースを確認する為でした。携帯を取り出します。ぼんやりとした明かりに照らされました。


 内容自体は、ごくごく短いものでした。名古屋市の郊外にて、不審者が相次いで目撃されたとのこと。


「不審者…………ですか」


 不審とは、疑わしく思うもの。はっきりとしない様子。平たく言えば——怪しさ。抽象的に表せば、気味の悪さ。



 ならば——。



 ならば、“先程からずっと感じる、このまとわりつくような視線“は、きっと不審と言っても過言ではないのでしょう。


 ひしひしと。


 びしびしと。


 背中に突き刺さる強烈な視線。


 あまりにも、露骨。


 まるで素人のような。


 いえ——素人ですらない——隠す気も無い

、悪意。


 嫌な汗をかいていました。背中がひんやりとします。喉がからからでした。

 

「全く……厄介な事に縁がある1日ですね」


 正確には、もう日付は変わっていましたが、わたしの中では、起きてから次に眠るまでが1日でした。


 携帯をポケットにしまいます。そして、手に持っていたランドリーバッグの紐を伸ばすと、袈裟懸けに。両手はフリーにしておいた方がいいという判断でした。


 再び歩き出すと、それに合わせて気配もついてきます。


「なんだかなあ……」


 住宅街を更に奥へ。外灯が少なくなってきました。名古屋とは不思議な都市で、大通りは大変栄えているのですが、何本か脇道に逸れると急に古い街並みになったりします。


 地元民が通り抜けの為にしか使わなそうな道をいくつか進んだ先、見えて来るのは木々の生い茂り。この辺りで、一番の規模の公園でした。


 南口から、公園の中へと入ります。最初の噴水広場を越え、二股の分岐路を左へ。公園を南北に分断する大きな川を渡る橋を踏破し、すぐに右へ曲がります。春は桜が綺麗な河川敷を降り、石畳の広場へとたどり着きました。


 遮蔽物はなし。人の気配も皆無。条件は、整ったでしょう?


 背後から、こつこつと、いっそ清々しいくらいの足音が聞こえてきます。


 わたしは立ち止まり、ゆっくりと、振り向きました。


 はたして。


 そこには、一人の女学生が立っていました。


 近くの高校のものである制服。肩口辺りで切り揃えられた髪。短く切り詰められたスカート。どこからどうみても、普通の少女でした。


「こんばんは、お嬢さん。何か、御用でしょうか?」


 わたしの問いに、彼女は答えませんでした。ぶつぶつと何かを呟き、わたしを見るその双眸そうぼうは、あまりにも虚ろで。様子がおかしい、そう思った——その時。



 嫌な、予感がしました。



 次の瞬間、女子高生の身体が、いきなり飛び跳ねます。


 誇張なんかじゃありません。


 そのものそのまんま。


 スーパーボールのような勢いで。


 人間の身体が。


 飛んだのです。


 スタートダッシュなどと生易しいものではなく。


 ほとんど一瞬。瞬き刹那の亜音速。


 人間の身体の、何て柔らかいこと。


 女子高生は空中でその肢体をひねり、ひねり、ひねり、ひねり、まだひねり、そして真っ直ぐに、わたしへと向かって、わたしの命へと向かって、斧のように脚を振り下ろしてきました。


「——っ!」


 わたしは、すんでのところで、それを後方にとんで躱します。直後、鳴り響く轟音。石畳が爆散します。石の破片が頬を打ちました。土埃が、舞い上がります。


 追撃は、ありませんでした。


 “ずるり”と。


 女子高生は、地面に埋没していた自身の足を——あまりの衝撃で“ぐちゃぐちゃ”になったその足を、いとも簡単に、顔色一つ変えることなく、引き抜いてみせました。


「いやいや……」


 嘘、でしょう。


 何ですか、“コレ″は。


 明らかな、異常。

 突然の、非日常。


 しかし、今は考えている場合ではありませんでした。


 頭の中に浮かぶ疑問を全て棚上げし、臨戦態勢に入ります。腰を浅く落とし、相手に対して半身に。軽く握った右手を対象の正中線へと向け、構えます。


 わたしが操る《織部流おりべりゅう》に、特定の型はありません。師匠から弟子への稽古は、実戦のみ。基礎反復など一切なし。ただひたすらに叩きのめされ、折られ、砕かれ、壊されるだけの修行。一子相伝ですらない、ただの肉体改造の末にたどり着くのは、全てを研ぎ澄まされた直感に委ねる実戦闘法——ようするに、ただのケンカ殺法でした。


 互いの距離は、5メートル程。


 近距離戦を得意とするわたしの領域レンジ


 今度は、わたしの番でした。


 地面を蹴ります。


 狙うは、顎。脳震盪による戦闘不能。


 女子高生の正面から接敵すると、わたしは彼女の顎へ目掛けて左の掌底を放ちます。


 女子高生はそれを避けようともしませんでした。


 手に伝わる、確かな手応え。見事ヒットします。


 女子高生の身体が、その場で崩れ落ちました。首の骨を折ってしまわないよう、注意をする必要がありましたが、どうやら成功したようです。


「——ふう」


 わたしは、安堵しました。


 闘うのは、好きではありません。当たり前の話ですが。人を殴る感触というのは、えも言われぬ不快感です。自分の力を試したいとも全く思いません。ましてや披露したいなど、唾棄すべき愚考です。


 さて——とりあえず、地面に横たわる女子高生の身体でもまさぐって、様子を調べようと屈みかけた——その時でした。


 がばっ、と。


 バネ細工のように、彼女の身体が跳ね上がったのです。


「なっ——」


 飛び退こうとするよりも早く、女子高生の細腕が、真っ直ぐにわたしの首へと伸びてきます。咄嗟の判断で、その手を払い除けました。しかし、これがいけなかった。防御ができる暇があるのなら、避けられたはずなのです。


 目的地を見失い、行き場を失った彼女の手は、そのままわたしの右腕を掴みました。態勢が崩れます。とんでもない力でした。万力で締め付けられているよう。このままでは不味いと、本能が警告していました。身に迫る危機を回避しようと、女子高生の手を引き剥がそうとしますが————ぼきり————頭の芯に、破壊の音が、響きました。


「あっぐぅぅううう⁉︎」


 激痛!


 痛みから逃れる為に、わたしは、ほぼ反射的に、左足で女子高生を蹴り上げました。肉を切り、骨を砕く、嫌な感触。彼女の身体が宙に打ち上がります。今度は、手加減する余裕はありませんでした。


 女子高生は受け身も取らず、自由落下で地面に叩きつけられます。一度バウンドし、僅かに細動すると、そのまま沈黙。

 

「はぁ……ぐぅ……」


 右腕から、絶え間なく痛みの信号が送られ続けていました。骨を直接ハンマーで連打されているような心地です。動かそうとするまでもなく、折れていました。


 わたしは、警戒しながら女子高生に近づきます。今度こそ、油断しないように。慎重に、意識の有無を確認します。


 気絶——しているようでした。


 さて、のんびりしている暇は無さそうです。


 丑三時。倒れる女子高生。誰かに目撃されでもしたら、通報されかねません。


 わたしは、携帯を取り出すと、記憶している番号をプッシュ。相手は、ワンコール目で出ました。


『もしもし?』


「もしもし、織部おりべさん。お久しぶりです」


『ええ、お久しぶりですね。10時間ぶりくらいでしょうか』


 電話口の相手は、やや呆れたように言いました。事務的な、けれどよく耳に通る女性の声です。


『ご依頼ですね』


「はい。場所は——」


 わたしは、現在地を告げました。


『すぐに向かいますね。——お怪我の方は大丈夫ですか? 救急車……は、無理ですが、医者の方でしたらすぐ手配できますが』


 わたしの僅かな声の違いから、負傷を見抜くのは流石プロでした。


 右腕へ、視線を向けます。相変わらず痛みはありますが、“徐々に治まってきていました″。指先を動かします。この分ならば、“一晩あれば大丈夫でしょう″。


「ええ、大丈夫ですよ。ご心配いただき、ありがとうございます」


『まあ、仕事ですので』


 織部さんは、事もなげにいいます。愛想が無いので誤解され易いですが、基本は良い人です。


『それにしても——ここからは、個人的な意見ですが——つくづく、厄介事に好かれるたちですね、あなたも』


「ええ、そうなんですよ。わたしが、魅力的過ぎるからですかね?」


『はあ、なるほど』


 ……流されました。恥ずかしい。言わなければよかった。


『まあ、私としては儲かるだけなので、いいんですが……。——さて、請求先はいつものところで大丈夫ですか?』


『はい。九頭竜探偵団事務所でお願いします』


 かしこまりました、お客様。


 と、流れるような常套句を機に、電話は切れました。


「なんだかなあ……」


 わたしは空を仰ぎ、嘆息します。


 今日は疲れました。


 わからない事だらけです。考えなければならない事項が、たくさんありました。とにかく、女子高生の事は織部さんの報告を待って、所長と相談しなければなりません。


 ……なんとなく、この受け身な状況が続くと、まずい気がしました。経験上、嫌な予感がします。わたしの嫌な予感は、天気予報並みに当たると評判です。つまりほぼ100%といった有様でした。


 そして、今のわたしには、何よりも心配しないといけない事が存在します。


 時刻を見ると、既に午前3時を回っていました。


 そして、明日の大学は、1コマ目から授業が入っています。


 ……大丈夫、ですかねえ?


 友さん、ピンチ。


 現実はいつだって非情なもの。空には暗雲が。今にも、雨が降り出しそうでした。


 


 




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