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人でなしのいろは  作者: 囲味屋かこみ
第一章 存在証明
3/12




 名古屋市は郊外、新興開拓街として著しい発展を遂げる地域があります。ついこの間までは、閑静な住宅街だったように記憶しているのですが、最近になって随分様相が様変わりしてきました。


 その理由は、大きく二つ。


 地下鉄の路線拡張計画に伴い、沿線が付近まで伸びてきたこと。


 そして、県道沿いに大型のショッピングモールが建設されたからでした。


 元々住みやすい土地ではあったのです。都心に近く、土地も豊富なベッドタウン。そこに、人を集めるランドマークと交通網が加われば、発展もさもありなんというところ。


 そして、そんな町の一角に、今の時代に全くそぐわない純粋な日本家屋——時織ときおり家の屋敷は存在していました。



 時織——それは、唯一無二にして絶対の名。


 この日本において、その名を冠する『家系』は一つしか存在しません。王は、名を騙られる事を決して許さないのです。


 『時織』。

 『鴻上こうがみ』。

 『身代みのしろ』。


 三隔たる三千世界こと『三界』と呼称される、近代から現代にかけて日本を支えた大財閥の一角。


 権力などという言葉では収まりきらない、財力などただの前提条件、政治力の世界、名家の中の、名家——それが、時織です。


 忌々しい事に、わたしの実家でもありました。忌々しい——むしろそれは、時織むこうから見たら、こっちの台詞、なのでしょうけれども。


 何せ、当方、時織を追放された身ですので。禁忌の子。禁断の仔。原罪の血。産まれた事、それ自体が大罪であるわたし。恨みはありません。禁断の果実を口にすることなく、楽園じごくから追放かいほうして下さったのですから。


 そんなわたしですが、半月に一度のみ、時織の屋敷に立ち入る事を許されています。屋敷とは言ってももちろん本宅ではなく、日本中に星の数程存在する、別宅の一つです。


 ですが、わたしにはそれで充分でした。


 先程も述べた通り、時織家には何の感情も感傷も感慨もありません。それでも、欠かさず屋敷を訪れるには理由がありました。


 ——『時織身依ときおりみより』。


 彼女に会う為に、わたしは今日も敵地へと赴くのです。



————

 


 時織に帰って早々、せっかくですので広い浴槽にでも浸かろうかと思い(わたしのアパートは風呂無しです)、目一杯精一杯時間一杯お湯に浸かっていたわたしは、のぼせる手前になってようやく浴槽から這い出ると、冷水で身体を洗い流してから、浴室を後にしました。


 時織家の屋敷は、その末端、末席に至るまでもれなく広大。それはこの第2浴場も例外ではありません。一体、何人で入る事を想定しているのか。メインの巨大な檜風呂を筆頭に、ジャグジーが三つ、桶風呂、水風呂、サウナが一つ、おまけに露店風呂付き。洗面所も、まるで銭湯のようなスペースです。壁一面を使った鏡張りの洗面台、床には檜で作られた純和風のすのこ、トイレ、体重計、マンションのように並ぶ衣類入れの数、今すぐにでも営業できそうでした。


 そんな広いお風呂も、今はわたしの貸切状態でした。世界に一人だけにでもなったような開放感。お得です。


 役得、と言い換えてもいいかもしれません。何故なら、わたしが入っているというのに湯浴みに同伴しようなどという酔狂な人物は、この屋敷にはいないからです。どころか、しばらくはこの浴場は使用禁止になるでしょう。どうせこの後、お湯は全部張り替えられ、滅菌作業の如くクリーニングされるはずですから。まあ、どうでもいい事ですが。


 ある程度身体を拭き終わり、わたしは洗面台に向かいます。ドライヤーは何台もありました。何となく、一番真ん中を手にとります。ぶおー。苦労して長く伸ばした髪は、乾くまで時間が掛かります。手持ち無沙汰なので、鏡に映った自分の姿を何気なく観察します。


 相変わらず貧相な身体でした。発達不良、中学生と間違われる事もあります。傷痕がいっぱいありました。女の子としては致命的です。おっぱいも東尋坊でした。断崖絶壁という喩えです。自殺したくなる、とも捉えられます。

 

 視線を上に移します。


 鏡の中からわたしを見つめるその目は、まるで死んだ魚のようでした。薄い空色をしています。排気ガスに汚染された空のような瞳。濁っています。


 時短の為、髪に櫛を入れながらドライヤーを当て続けます。


 黒と白のまだら模様の髪。白黒つかない、中途半端。時織にとっての、異端の証。特にいい例えは浮かびません。強いて言うならば、ちょっとお高めのミニチュアダックスフンドでしょうか。ダップルカラーと言うらしいですよ。可愛いですよね。それは犬の話ですが。


 似合っているわけでも全くありませんし、あまりいい思い出もありません。


「はて——よくよく考えれば、そもそも自分の人生にいい思い出などあったのでしょうかね」


 はなはだ疑問でしたので、鏡の中の自分に訊いてみました。


 その方は、何も言いませんでした。

 わたしも同じ気持ちでした。


 そうこうしている内に、髪を乾かし終えます。


 アパートから持ってきた着替えを身につけて、ゴムで髪をくくりました。元着ていた服は、持参したランドリーバックへ。そして、浴室を出ます。


 時刻は既に23時の半分を回っていましや。あまりもたもたしていると、アパートへ戻る電車が無くなりそうでしたが、元より、それも予定の内でした。


 歩いて帰るには些か遠いですが、考え事をするには丁度いいでしょう。


 さて——ここにきた一番の目的、身依はこの時間どこにいるのでしょうか。探し回って

みるか、大人しく部屋で鎮座するか、どうしたものか——と、廊下の角を曲がったところで、わたしは小石(こいし)さんとばったり出くわしました。


「友様——!」


 まるで生き別れの姉妹を見つけたかのように、その端整な顔を余力なくびっくりさせる小石さん。ただでさえ大きい瞳が、輪に掛けて丸くなっていた。


「ただいま、小石さん」


 挨拶します。なるだけ気さくに。


「————失礼しました」


 すると小石さん、先程までの動揺っぷりが嘘のように冷静な顔つきになります。


「お帰りなさいませ、友様」


 そして深々と、それはもう心の腰が折れるんじゃないかってくらい深々と、お辞儀されました。


 うーん、何だがばつが悪いです。


「様は止めて下さい、小石さん。わたしには最初から、その“資格”はないんですから」


「いいえ、私にとって友様は産まれた時か友様ですので——資格など関係ありません。そこにあるのは、私の意志だけでございます」


 そんな強い言葉とは裏腹に、顔を上げた小石さんの表情はとても優しくて。柔らかい、包み込むような笑顔で。


 本当に——変わらない。


 彼女は、何も変わりません。子どもの頃から、こんなわたしを見続けているのにも関わらず、全く揺るがないのです。


 ——道端小石みちばたこいし


 女性の歳について言及するのはとても遺憾ではありますが、今年26歳になる彼女は、時織家に代々仕える使用人でした。


 過去数年間、わたしの世話役として奔放した小石さん。


 彼女がまだほんの子どもだった頃から、それ以上に子どもだったわたしの面倒を見るというのは、当の本人が言うのもなんですが、それは想像を絶する地獄のようなものだと思います。


 ある意味で。


 あらゆる意味で。


 苦労をしたと思います。


 石を投げられたと思います。


 筆舌に尽くしがたいその労力たるや、想像に余りあります。


 それなのに。


 今もこうして、相も変わらずわたしに接してくれる彼女の人格が、いかに出来ているかはもはや言うまでもないでしょう。


 本当に。


 本当と言えば本当の本当に。


 わたしなんか、放っておけばいいのに——と、思ってしまいます。


 そうすれば小石さんみたいないい人、すぐにでも幸せが見つかる事でしょう。


 わたしとしてはその方が嬉しく思います。まるで自分のことのように錯覚してしまう程——錯綜したわたしでも、幸せになれると勘違いしてしまう程——嬉しく思えるのですが、彼女は決してそれをよしとしません。


 わたしが何も言えずにいると、小石さんは再び腰を折ります。礼節の教科書があれば載っていてもおかしくないほど、お手本のようなお辞儀でした。


「友様が息災で、何よりでございます。本日は半月に一度、友様がお見えになる日。私、心よりお待ちにしておりました。もし何かご用命があらば、この小石めに何なりとお申し付けくださいませ」


 何なりと。


 彼女が言うその言葉が、決して軽いものではないことをわたしは知っています。


 仮に、わたしが彼女に死ねと言えば、彼女は何のためらいもなく死ぬでしょう。


 例えば、わたしが彼女に誰かを殺せと命じれば、彼女は躊躇なく殺すでしょう。


 それは覚悟の問題であり——生き方の答えでしかありません。


 彼女という人間を形成する上で、最も根幹をなすであろう覚悟。


 彼女のいう人物を表す上で、最も的確な解答。


 そんな彼女に対し、今わたしが言わなければならないことは、一つしかないような気がした。


「小石さん」


「はい。何でございましょうか?」


 わたしはちょっとだけ言葉を選んでから。


「いつもありがとうございます。感謝しています」


 なんとなく意表を突こうと思い、ストレートでいく事にしました。


 はたして小石さんは、一瞬だけきょとんとしますが、瞬きしている間にいつもの柔和な表情に戻ります。


 そして、どこか手のかかる子どもを見るような目で、


「私には——もったいないお言葉です」 


 と、微笑みました。


 ああ——その笑顔。


 その笑顔に、わたしはいつも救われていました。それはまるで——母、のような。


 わたしには、産まれた時から存在しない。わたしには、産まれた時から必要ない。


 わたしが、産まれた時に、この手で殺したのだから——。


 いつだって、わたしの側にいたのは、彼女だけ。


「——そうです、小石さん。一つ頼みがあるのですけど」


「何なりと」


 小石さんは間髪入れずに答えました。何か、と問う前に、何なりと。


「今度、時間がある時に、一緒に食事でも行きませんか。つまりデートです」


「私が——友様と、ですか?」


 流石に驚く小石さん。


「嫌ですか?」


「いえ——」


 もちろん喜んで、と。


 小石さんは頭を下げます。


 やっぱり大人だなあ、と思いました。


 出来ることであれば、かくありたい——無理とはわかりつつもそう思わずにはいられません。


「では、詳しい日時はまた今度」


 そう言い残し、わたしは小石さんと別れました。


 楽しみでした。どこに行こうか。一緒に服など選んで、それからスイーツの食べ放題、帰りはお茶して、それから——そんな事を考えながら、大広間の前を通りかかったところで、今度は、身依(みより)と遭遇しました。


 ばったり。


 使用人を二人連れ添って、廊下を歩いて来た彼女に、わたしは頭を下げます。


「ただいま帰りました、“身依様”」


 かぐや姫のような長い長い黒髪。十二単のようにサイズの大きい着物。10歳の女の子相応の、小さな、とても小さな身体。


 時織身依。


 時織家の、七人いる後継候補の一人であり、


 わたしの、義理の妹でした。


 彼女は、何も言いませんでした。ただわたしを、その感情の欠落した表情と瞳を持ってして見つめ、そして一度だけ両脇にいる従者へと視線を移すと、そのまま元の鞘に納めます。どこを見ているか分からない、きっとどこも見てはいないその視点へ。


 おそらく、この時間帯まで“教育”を受けて——施されていたのでしょう。自分も、幼少期のほんの僅かな期間ですが経験していたことなので、考えるまでもありませんでした。


 身依に、疲れている様子はありません。まるで人形のような。ゼンマイで動く機械のような。“生きていないかのような”。ただ、そこに存在しているだけであるかのような。


「友」


 身依が、ゆっくりと、その小さな唇を持ち上げます。とても平坦な、抑揚のない声でした。


「後で私の部屋に来るように」


「……分かりました」 


 わたしは答えて、そしてすぐに、身依はこの場から去って行きました。


 一度も振り返ることなく。


 両脇に召し仕える使用人達の視線が、わたしに注がれます。それは、不審。そして、忌避。わたしが視線を返し微笑むと、慌てて彼女達は身依の後を追っていきました。


「なんだかなあ……」


 その呟きに、特に意味はありませんでした。

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