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人でなしのいろは  作者: 囲味屋かこみ
第一章 存在証明
1/12

  

 絵無筆頼えなしふでよりが、その行為に及んだきっかけは、言うならば“なんとなく″であった。


 公務員の両親の元に産まれた彼は、世間一般から見れば厳格と言える家庭に育った。


 彼の子どもの頃の記憶といえば、自室で軟禁された環境での勉強しかなく、同年代の子ども達が遊ぶゲームとやらは当然のように禁止だったし、スマートフォンなんてものは大学に入って初めて授業で触った。両親にどこかへ遊びに連れて行ってもらった事などは皆無で、遊園地やデパートなどという存在は、同級生の自慢話で知った。


 娯楽とは人生において無駄なものであり、


 幸福は、悪なのだと。


 まるで無菌室で大切に培養される菌のような。


 どこか皮肉めいた矛盾を感じさせる両親の教育で、絵無が学んだ事はたった一つだった。


 無——。


 絵無が思うに、自分は両親の夢だったのだ。真面目なだけが取り柄の彼等は、人生において何も為せず、何者にもなれず、その塵芥のような上昇志向を自らの子に託すしかなかった。


 自分は、彼らのちっぽけな自尊心を満たすだけの、器なのだと。


 絵無が自覚したのは、小学五年生の夏であった。


 なんともまあ、酷く滑稽で、くだらない話だ。


 悲劇でも、喜劇でもない。なんの価値も意味も存在しない、毒にも薬にもならない人生だったと、絵無は自覚する。


 だからこそ——自分は、自分の人生を意味あるものにしたいのかもしれない——と、絵無は手元にある新聞をなんとなく眺めながら、思考した。


 もしそうであるならば、皮肉にもそれは、子どもの存在を利用して自身達の存在を証明したかった両親の生き方そのものだった。


 ——ならば、自分が″この行為″を始めたのも、それが原因なのだろうか。


 絵無手元の新聞には、大きな見出しでこう綴られていた。


 連続猟奇殺人鬼、未だ逮捕されず。


 幼い少女ばかりを狙った、白昼堂々の連続殺人。僅か二週間の間に七人もの少女が殺害された凶悪犯罪。被害者の間には接点が無く、幼い少女であるという点以外は共通点が無い為、警察は無差別殺人と断定。特筆すべき点は、遺体のどれもが激しい損傷を受けていたこと、にも関わらず、この手の犯罪では珍しく陵辱の痕が見受けられない点が挙げられる。


 現在、犯人のプロファリングや目撃情報、被害者の身体に付着していた指紋等から、捜査が進められている——と、記事は締め括られていた。


「ふむ」


 絵無は、何気なく読んでいた記事に少しだけ、興味を示す。


 犯人のプロファリング。専門家から見た自分の人物像とは、どのようなものなのだろうか。 


 ——自分とは一体、何者なのか。


 それは絵無にとって、物心ついた時から三十余年考えている命題であった。人から答えを教えて貰えるならば、そんなに楽な事はない。


 まあ、望むべくもないか、と。絵無は読んでいた新聞を閉じると、今まで座っていた公園のベンチにそのまま置き、立ち上がった。



 丁度、獲物が目の前を通り過ぎたからだ。


 

 鐘崎彩乃かねざきあやの。11歳。付近の小学校に通う、五年生。やや人見知りではあるが、友人関係は良好。家庭環境に全く問題はなく、両親は共働きで、いわゆる鍵っ子である。このご時世、当然のように集団下校ではあるが、マンションに隣接する公園の前で彼女は離脱するため、そこから部屋に戻るまでの区間は一人になる。


 バブルの頃に建築されたマンションとそれに付随するこの公園は古く、監視カメラやオートロックの類は無い。防犯の意識が高まる情勢の中にあっても、やはり人々の心のどこかでは、犯罪など他人事。このような環境は、探せばいくらでも存在した。


 絵無は、自然な足運びで彩乃の後を付いていく。下手に気配を殺そうとすれば、それは違和感となって人目に留まりやすくなる事を知っているからだ。


 絵無の服装は、スーツにビジネスバック。公園では外回りのサラリーマンがサボっているように見えるし、マンションに入ってしまえば訪問販売としか思われない。


 下調べは十分に行った。


 絵無自体、今の日本でこの犯罪がいつまで続くか懐疑的であるし、いつ捕まってもいいとさえ考えるが、性分として最低限の事はしておかなければ落ち着かなかった。


 彩乃に続いて、マンションへと足を踏み入れる。


 彩乃は、エレベーターの呼び出しボタンを押すと、その間にポストを確認するのが日課だ。


 絵無は、彩乃がポストを見に行く隙をついて、非常階段の近くに隠れた。


 別に、少女である必要は無かった。性的嗜好があるわけではない。ただ、男性よりも女性、女性よりも女の子の方がセンセーショナルだと思ったからだ。出来れば強姦でもした方がより良かったのだが、残念ながら絵無は生まれてこの方、性的なものに興味が見出せなかった。物理的に不可能なものはしょうがない。だからこそ、過去の凶悪犯罪を調べ尽くし、出来るだけ残虐な方法で殺害、死体を損壊した。


 全ては、より大きく世間に取り上げられる為。


 全ては、自分の存在を世界に証明する為。


 存在とは、他者からの認識によってのみ成り立つものである。


 絵無の持論だ。


 例えば、有機物にしろ無機物にしろ、周囲から全く認識されない存在があるとする。はたしてそれは、存在していると言えるだろうか。否、言えない。


 自己認識としては存在しているのかもしれない。触れている空気、地面、ひいては質量がある以上物理的にも存在していると言えるだろう。しかし、概念的にはどうだろうか。


 誰からも必要とされない、誰からも不要とされない。はたして、そんな存在に意義はあるのだろうか。


 無関心——悪意でも殺意でも狂気でもなく、この世で最も残酷な感情は、無関心だ。洗脳でも殺人でも強姦でもなく、この世で最も残酷な行為は、無視だ。


 無関心は、人を殺す。

 無干渉は、人を殺す。


 エレベーターがもうすぐ到着する。このエレベーターは十年前に改修されており、マンションで唯一監視カメラが設けられていた。同乗するわけにはいかない。彩乃の部屋は事前に調べてある。三階の非常階段近く。そろそろ階段で向かえば、丁度彼女が部屋の前に着くのと同時に辿り着けるだろう。


 さて、今回はどうしようか。そこだけは、げん担ぎの意味も含めて、その日の気分によって決めることにしていた。あまりめんどくさい事はしたくないが、かといって普通に殺したのでは話題にはならない。前回は、十三年前に神戸で起きた事件を参考に、脳をくり抜き、そこに、部屋にあった水槽の砂利と水、そして魚を詰め込んだ。前々回は、頭部だけを切り離し、バラバラに解体した身体と一緒に、夫婦のベッドに綺麗に並べた。


 まあ、殺してから考えるか——。


 どうせ今決めても、考えが変わるかもしれない。あまり意味のない思考だ。


 と、結論を先送りにし、非常階段へと絵無が向かおうとした、その時だった。



「絵無筆頼さんですね」



 声を、掛けられた。


 絵無は、ゆっくりと振り返る。


 いつの間にか、一人の少女がそこに立っていた。


 警察ではない。


 中学生くらいだろうか。背は低く、顔付きは幼いが、まるで人形のように精巧な少女だ。ただ、後ろで一つに束ねられた髪は、変わった色をしていた。黒と銀が中途半端に混ざり合ったまだら模様。顔の造形に似つかわしくない、出来損ないのような印象を受ける。


「そうですが、何か?」 


 絵無は、警戒しつつ身構える。自分の名前を知っている点で十分警戒に値するが、何よりも少女が纏っている雰囲気が、只者ではないことを絵無に直感させた。


 確信は無い。いや、そんなものいらない。絵無にとって、生まれて初めて感じる感覚。冷たい。脊髄に直接、液体窒素を流し込まれたような底冷え。


 絵無の問いに、少女は笑みで返す。社交的な、処世術を感じさせる笑い方だ。ただし、絵無を見る薄い空色の瞳は、死んだ人間のように濁っていて冷たかった。


「失礼しました、名乗りもせず。わたし、九頭竜くずりゅう探偵事務所のものです」


「九頭竜探偵事務所……」


 その名に聞き覚えは無かったが、このちぐはぐな少女が、どんな用でここにいるのかは明白だった。


 犯行の下調べを行う際、ついでのように知った事実。警察の手に負えない、または警察が介入できないような事件の解決を、金次第で請け負う人種がいると。


 “この少女はまともな人間ではない“。


 となれば、やる事は一つ。


「突然で申し訳ないのですが、あなたを捕獲し——」


 少女が言い終わるよりも速く、絵無は動いていた。


 ポケットから、解体用の刃物を抜くと同時、少女へと向かって突貫。


 少女との距離はやや離れている。おそらくどんな事があっても対応できる距離なのだろう。だからこそ、絵無は、全力で、躊躇いなく、一切の迷いを捨て、床を踏み抜いた。


 小細工は不要。駆け引きなど無意味。


 この程度の距離、“今の自分ならば″一歩で潰せる。


 狙うは首だ。


 身体では、一撃で仕留められない。頭部は、頭蓋が邪魔をする。


 素人の自分に、頸動脈を正確に切り裂く技術などないが、力任せに切るならば首が一番だ。切り落とすことなく、一切りで相手を殺傷できる。


 少女は、目を見開いて驚いていた。


 虚をつく事に成功したのだろうか。


 絵無の凶刃が、少女の首を捉える。彼女の命まで数センチの距離。


 時が止まる。

 

 一瞬が、ゆっくりに。


 めまぐるしく、スローモーションに、流れていく。


 それは、矛盾感覚。


 まるで、走馬灯だった。



 刹那ーー“少女の右足が跳ねた″。



 バネのように、勢いよく。鞭のように、しなやかに。小さな体が稼働する。


 絵無の右手に走る激痛、ナイフが手から飛んでいった。何が起きたのか、理解するよりも前に、少女はすでに次の動作へと移っている。流れるような駆動。絵無の鳩尾に、少女の左足が突き刺さった。


「がっ——⁉︎」


 凄まじい衝撃、絵無の体が、飛んだ。


 気持ちの悪い浮遊感が彼を襲い、次の瞬間には壁に叩きつけられた激痛が全てを吹き飛ばす。


「ぎっ——ごぼっ——⁉︎ ——っ——か」


 血と体液を撒き散らしながら、絵無は、その場で力なく崩れ落ちた。息が出来ない。痛みが強過ぎて頭がおかしくなりそうだ。体中の信号が真っ赤に点滅している。のたうち回りたいのに、体が動かない。ぴくりとも動かない。


「本当は、日陰者同士、あまり目立つわけにはいきませんので、部屋まで泳がそうと思ったのですが……。あの女の子に怖い思いをさせるわけにはいきませんからね」


 声が聞こえた。眼球は動く。絵無は、視線だけをかろうじて向ける。いつの間にか、少女はすぐ側に立っていた。


「暴力は、目に毒ですから」


 少女の表情は、冷たい。彼女の濁った瞳が絵無を見下ろしていた。


 絵無の意識が薄れていく。耳の奥がじんじんした。心臓の音が遠い。神経が引きちぎれたような痛みは、もう無かった。何も感じない。苦しくない。やっと眠れる。


 自分はこの後、どうなるのか想像に難くない。警察に引き渡されるか、それとも裏社会で秘密裏に処分されるのか。どらにせよ、このまま目を閉じてしまえば、起きた頃には全てが終わっている。


 ようやく、終われる。


 安堵——。


 それは生まれて初めての感情。絵無はここにきて、自身が終わりたがっていることに気づき、少なからず驚いたが、それはもはやどうでもいいことなのかもしれなかった。


「…………」


 少女が屈み、絵無と視線が対等になる。


 目と鼻の先、


 目線が交わり、視界が交錯する。


 暗い暗い。まるで闇の底のような瞳。


 等しく等しく、覗き込まれる。


 深く深く、吸い込まれる。


 濁って濁って、一体、どれだけの死を見てきたのか。


 絵無は、少女の瞳にどうしようもなく魅入られた。


 とても綺麗だと、思った。

 

 少女が微笑む。


 柔らかに、暖かく。


 それでいて、冷ややかに。


 美しくも、儚い。


 そして、ゆっくりと、少女の唇が開かれる。



「この人でなし」



 その言葉は、絵無が欲していたもの。


  『——まあ、妥当な所だろう。些か平凡ではあるが。幾分凡庸ではあるが。しかし、少女よ。その言葉は、一体全体、誰に向かって言っているのかな? 吐き捨てているのかな? 


 少女の瞳には、私が映っている。


 ということは当然、私の瞳には彼女が映っているのだ。


 となれば——そう、あるいは、言い聞かせているのではないかな? 水面の向こう側、鏡の中の自分へと』


 まあ、どうでも良い事だが、と絵無は詮無き思考を打ち切る。


 眠るように、意識が薄れていく。


 さようなら、世界。もう会う事はないだろう。

 

 少女の瞳には、すでに絵無の姿は映っていなかった。

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