最終話
「よりによって君が出るとはな…チャイルド。おかげで何もかもぶち壊しだ」
空虚な闇の中で、膝を抱えてすすり泣く別人格を睨む。
「だって、おそとであそびたかったもん」
彼女にとっては唯の遊びでも、他者の目に映るさまは無貌の破壊。衝動のままに生きるには彼女の力は強大すぎる。
「船はすぐ直るのじゃ。家畜共もまた繁殖させればよかろうて。何を騒ぐことがある」暗闇の宙に浮かぶ2人目の別人格がゼノを諭す。
「黙れオールド。船や住人が元通りになれば済むような話ではない」「客人の事を気にしているのか?随分とご執心のようだったが、あんなガキのなにが気に入ったんだ?」
姿の無い3人目の別人格がどこからか語りかける。
「プライドか。損得感情抜きで私に食ってかかった者は彼が初めてだった。だがそれだけじゃない。なにかに……もっと別のなにかに、私は心を惹かれたのだ。それが何か分かりそうだったのに、チャイルドが全てを台無しにした」チャイルドと呼ばれる人格が、ビクっ、と肩を震わせる。
「も、もうチャイルドの事はいいじゃないですか。彼女だって悪気はないんですから」
「駄目ですぞイドラ殿!間違いは正さねばなりません!厳格に!公正に!不必要は粛清しなければいけません!」
離れた位置から遠慮気味にぼそぼそ喋る4人目の別人格を、宙を飛び回る球体状の白い光が喧しく叱責する。
「プライド、イドラとジャッジメントを眠らせろ。話が進まん」
「庇うわけじゃないが、いくらチャイルドを責めたところで意味がないのはお前もわかっているだろ。客人の信頼を取り戻したいなら記憶を改竄すれば良いじゃないか」
「記憶の改竄?反吐が出る。まだそんな事を言っているのか。だから君は進歩しないんだ」
「なんだと?」
別人格達が一斉にゼノに視線を注ぐ。
「言葉は選べよエミュレーター。何を勘違いしたのか一丁前に主人格ぶっているが、お前は俺たちが造った唯の情報収集装置なんだ。忘れたわけじゃないだろう」
「だから私は役目を全うしようと尽くしているだろう。君達が望んだ事だ。それなのに、急に馬鹿でかい横槍を入れられた挙句、今度は媚び諂いながらその馬鹿共の接待をしろと?冗談も大概にしてくれ」
「貴様…」
「怒ったか?私を嫌いになったか?不必要になったか?だが残念だったね。私を抹消するのならもっと早い段階で決行に移すべきだったね。いつまでも支配者ぶれると思うなよ」
「チッ!出て行け!今すぐにここから出て行け!!」
「言われなくとも出ていくさ。ああ、それと、もうかき乱されるのはごめんだから、意識の扉には鍵をさせてもらうよ。心配せずとも役目は果たすから、気が向いた時に土産話のひとつでも持って来てやるよ」
暗闇の中に出現した白い光の扉を潜る。白い光の通路は奥に進むほど光を増していき、やがては、目も開けられないほどの光に全身が包まれていく。
一時的に気を失い、暗闇の中で再び自我が芽生えたところで、外部の情報を遮る闇を上へと押し上げる。
内側からのみ外側が覗けるマジックミラーの天井には宇宙空間が広がり、宇宙船の住人達が、破損箇所を修理している光景が目に入った。
逃げるように視線を横に向け、ベッドカーテンを開く。
「おはようございます。E様」
すぐ側に立っていた、執事服に身を包む老人が柔かに微笑む。
「彼は…アルフィルは無事か……?」
「はい。地球神用の客室で待機しております」
「そうか」
ホッと胸を撫で下ろす。
「私はどれぐらい眠っていた?」
「200年です。彼も心配しておりますよ」
ゼノのいる場所と、アルフィルのいる場所とでは時間の流れが大きく異なるが、それでも客人を、まる3日間待たせた形になってしまう。
ベッドから降り、アルフィルの待つ客室に向けて歩き出す。
足取りが重い。行かずに済むなら行きたくない。
『……やってしまった………』
会ってどうするつもりなのか自分でも分からない。道中には大きな破壊の傷跡が見受けられる。石化した者や、魂だけが抜けてただの肉袋となった者、地獄の業火を描いた絵画の中に埋め込まれ悶える者もいる。ゼノの尻拭いに奔走する部下達が、挨拶もそこそこに道を譲る。中には神の力に匹敵する種族もいると言うのに、明らかに怯えた視線に自分が化物だと再認識させられる。
彼の、アルフィルの性格はそれなりに理解したつもりだ。おそらく自分は拒絶されるだろう。恐怖を抱いたのは初めてだ。恐怖とはこんなにも嫌な感情なのか。だが、それ以上に彼に会いたい。
『理由なんか分からないのに、こんなにも求めている。私はどうかしてしまったのか?確かめなければ。私の中のなにかを満たす為に確かめなければ』
いくら歩く速度が遅いと言っても、船の全てを熟知しているゼノは、機械的に最速最短のルートを選択し、すぐに客室の前に辿り着いた。
心臓の音が異様に大きくなる。全身が強張り呼吸が擦れる。押し潰されかねない緊張から早く解放されたい気持ちが、嫌でも覚悟を後押しして、気が付けば、半ば無意識に客室へのドアを開いていた。
開いてしまった。
「アルフィル」
「ゼノさん?」
ソファに座っていたアルフィルが顔をあげる。
「ゼノさん!」
「アルフィル、私は」考えも纏まらない内に口を開いてしまう。何を言おうとしている?謝罪か?言い訳か?我儘か?目まぐるしく感情の回るぐちゃぐちゃの精神が、ふいに生じた熱の中へ静かに溶けていく。
『なにがおきている?私は、抱きしめられているのか?』
「よかった……心配していたんですよ……」
『……しんぱい………心配だと?』
「っ!!よせ!!」
アルフィルの体を腕で押しのける。
「ゼノさん?」
「ちがう……違うんだ!君がそんな反応するわけないんだ!私は君の性格を知っている!君みたいな甘い性格の持ち主が!私みたいな化物を受け入れるわけがないんだ!」
「ゼノさん!?何を言っているんですか!?」
「私が何をしたかは知っているだろう!あの悍ましい姿を観ただろう!私の本性を垣間見れば、君は私を嫌悪するはずなんだ!なのに心配?心配だと!?嘘吐きめ!見損なったぞ!所詮は君も損得勘定で私の機嫌をとる輩か!そうまでして宝が欲しいか!」
「損得勘定………?ゼノさん、貴方は勘違いしています。買い物なんかどうだっていい。僕は純粋に、貴方を心配しているんです」
「まだ言うか!もういい!宝ならなんでもくれてやる!いますぐここを出てけ!!偽物共が!!低能共が!!傲慢共が!!皆嫌いだ!!みんなみんな大嫌いだ!!!これ以上私に構わないでくれ!!!」
目の前で小さく音が鳴る。顔の向く方向が勝手に変わり、頬が僅かに熱をもつ。
「馬鹿な真似はよしてください。自分で自分を否定するなんて、悲しすぎます」
複雑な表情のアルフィルが自分を睨んでいる。わけがわからない。否定?悲しい?なんのことを言っている?
「貴方のやったことは、故意でないとはいえ許されることじゃありません。あの姿を見れば、誰もが貴方に恐怖して距離をおくでしょう。でも、貴方まで貴方を嫌いになってどうするんですか!どうせ自分は化物だろうと、誰にも愛されないんだろうと不貞腐れてどうする!!貴方は何の為に生きているんですか!!どんな事があろうとも、心と心が寄り添う事を諦めないでください!!」
「なんの…ために……わたしは………」
ゼノの瞳から、ぽとぽとと涙が溢れ落ちる。
「?なんだ…これは………あれ…私…どうして……」
止まらない。涙が、身体中から湧き立つ感情が止まらない。
「うぇ……ふぇ……え……」
わからない。感情のコントロールができない。身体が勝手に座り込み、堤防が決壊したかのように大量の涙が溢れ出す。苦しくて恥ずかしいのに、なぜか幸福が湧き上がる。
理解した。ようやく理解した。心にぽっかりと空いていた最後の一欠片が埋まった。自分はずっと孤独だった。自分が欲してやまなかった何かの正体は愛だったのだ。命を慈しむ心だったのだ。アルフィルはそれに気付かせてくれたのだ。
「アルフィル。こっちにきて」
ゼノが両腕を前に差し出す。側に寄って来たアルフィルを力一杯抱き締める。
「わたし…ずっと寂しかった….自分を認めることができなかった……」
決まった姿形を持たず、何者にもなれるが故に明確な個を得られなかった。膨大なエネルギーを持ち、何でもできるが故に何をするのが正解か分からなかった。
「ゼノさん……叩いてごめんなさい……」
「いいよ。いいよアルフィル。ありがとう。本当に……ありがとう……ありがとぉぉ……」
ゼノが泣き止むまで両者は抱き合い続けた。
気が済むまで泣き、ようやく落ち着いたところで、ソファに移動して隣同士に座り、ゼノが座標Xの仕組みを説明した。
「じゃあゼノさんは、ずっと多重人格に悩んでいたんですね」
「ああ、どれが本物でどれが偽物か、私はいったい何者なのか。自分が造られた存在であるが故に、私も人為的に色んな種族を造り、大いなる意思とは無関係のところで産み出された生物が明確な個たりえるのかを研究していた。彼等が死ねば、彼等の存在を記憶した魂を貪り、感情の経験値を蓄積させていた。だが、私の器を満たすには彼等のエネルギーでは足りず、様々な感情が積もっていったのはいいが、それらは私からすれば小さすぎて認識できなかったんだ。しかも、探し物がなにかすらも分からない状態で塵の一粒一粒を漠然と眺めていたんだ。滑稽な話だろ」
「貴方は真剣だったし、彼等はちゃんと生きている。笑いませんよ」
「………船のルールは全て一から見直す事にしたよ。今の私なら、本当に大切なものが何なのかがちゃんと確認できる。アルフィル、君のおかげだ」
「そんな…大した事はしてませんよ。僕はただ、自分に出来る事をやったまでです」
「そうか、やはり価値観は人それぞれだな」
ゼノがソファから立ち上がり、アルフィルに背を向けたまま一呼吸置き、聞き逃してしまいそうな小さな声で言葉を絞り出す。
「きょ、きょうは既に8日目だ。約束していた夜伽の日が過ぎてしまったな」
「そ、そうですね。舌の根も乾かぬ内にこんなこと聞くのはものすごく恥ずかしいし、非常に申し訳ないのですが…この場合はどうなるんでしょうか……個人的に宝が欲しいわけではないのですが上司から頼まれたお使いを放り出すわけにはいかないと言うかなんと言うか僕個人としましては本当にゼノさんの事は心配してましたし宝とかどうでもいいのですが…けどやっぱり僕にも立場的なものがありましてどうしようも無い場合ってのがやっぱりあったりする訳でして」「君…彼女いないだろう。女心を全然理解していない。仕事は大事だが全てじゃないぞ。堅物も程々にしろよ」
露骨に、しかもこれ以上ないってくらいに不機嫌な顔で、振り返ったゼノがアルフィルを睨む。
「うぐ……反論はありません……ごめんなさい…本当に………」
心底申し訳ないと言った様子でアルフィルが表情を強張らせる。
「約束事を変更するのは私の主義に反するが、今回の場合はそうも言ってられない。夜伽の日付けを変更しようか。買い物をせずとも良いのなら強制はせんが」
「不束者ですが……」
「だがしばらくは駄目だ」
「え?」「いまそんな事をしてしまえば、単なるコミュニケーションの範疇を越えてしまう。心の準備をしたいんだ。後はその…アレだ……君に限った話だが、仕事の都合なんかで抱かれるのは気にくわん」
「え?……は?あの…まさかゼノさん……それって…」
アルフィルの顔が一気に熱を帯びる。自分の勘違いとは思えない。これはどう考えても…
「っ!船の修復を手伝ってくる!ただ待っていても暇だろう!案内人を付けるから施設を見て回るといい!君が驚くことや喜ぶことがまだまだいっぱいあるぞ!」
踵を返したゼノが走り出し、素早く部屋を飛び出す。
「あっ!?ちょっと待ってください!ゼノさん!ゼノさんってばー!!」
何者かになりたかった。なんでも良かった。少し外に出れば、どこにでもいるようなその他大勢。おそらくはそのカテゴリーに含まれるであろう、今の自分の在り方に耐えられなかった。だから私は歩みを進めた。
長生きした甲斐があった。
ようやく答えが見つかった。