三話
「ヒーロー、ですか?」
「うむ。アルフィルがここに来て早5日。道具は一通り見て回った事だし、そろそろ生き物達の方も確認してほしくてな。ウチには優秀な人材が揃っているぞ。隕石を殴り壊す者がいれば最高水準の衣食住を提供する者、たった1匹でバイオハザードを巻き起こし星ひとつを死滅させるウィルスや無限の富をもたらす生物などなんでもござれだ」
「なんかどれもヒーローからずれているような……ウィルスに至っては完全なラスボスじゃないですか」
「ヒーロー像は人それぞれさ。地球の者がまず最初に思い浮かべるような、街を破壊して人々を苦しめる奴をぶっ飛ばす者もヒーローだし、野球少年からすればプロ野球選手もヒーローだろ?悪のカリスマと言う言葉もある。ことの良し悪しに関わらず、突出した力を持つ者を総称して私はヒーローと名付けている。そもそも掲げる正義なんて個々によって違うんだ。一方からすれば恐ろしい敵でも、もう一方からすれば頼れる味方。人助けも人殺しも、ずば抜けた実力があるのなら等しく誰かのヒーローだ」
「なるほど。確かに言い分は理解できます」
「そうだろう。で、どんなヒーローをみてみたい?戦闘に特化した者か?知識に特化した者か?グロさに特化した者か?弱くとも果敢に敵に立ち向かう勇気を持つ者か?それともバランスタイプか?最強の万能タイプなんかもいるぞ」
「それじゃあ、戦闘に特化した者で」
「予想外の答えだな。君の口からそんな血の気の多い言葉が飛び出すとは」
「血の気が多いと言われましても……ここに辿り着く道中で宇宙生物に襲われて色々と苦労したんですよ。だから戦いの場で、なにか参考になるものを掴めればと思いまして」
「オーケーオーケーよ〜く分かった。タイミングも抜群だ。今日は丁度、人型の生物や、高い戦闘能力を備えた生物同士が戦う日なんだ。食事を終えたら試合場に向かおうじゃないか」
相変わらず広いテーブルなのに、わざわざ肩を寄せ合うような距離でアルフィルとゼノは食事を取っていた。当然、一方的にゼノの方から距離を詰めたわけだが。
「ねぇゼノさん。ずっと気になっていたんですけど、なんで事前に目的の品がどんなものか告げる事を禁じているんですか?」
「これでもプロなのでな。例えば客が、宝石が欲しいと言ったとしよう。私は客が望んだ宝石が初めから完璧な保存状態だと把握しているにも関わらず、より良い状態で手渡したいと、必要以上のメンテナンスを行うだろう。埃や汚れなんか全く付着していないのに、ずーっと宝石を磨いたりね。職業病が発症すればせっかくの客人との時間が台無しだ。それを避ける為、事前に欲しい品を聞かないように注意しているんだ」
「でもそれっておかしくないですか?購入段階になった時に客の希望に見合った品が置いてなかったら大変ですよね?」
「ないない有り得ない。訪れる客層を鑑みる限り、そんな事態が起きていればこの船はとうの昔に宇宙の塵だよ」
「え!?そんな客層が悪いんですか!?」
「まぁほんの一握りだけどね。それでも、あらゆる世界からあらゆる神がやってくるんだ。善神のくせに宇宙征服を企む輩や、膨大な力を持つ乱暴な破壊神も当たり前のように顔を出す」
「うわぁ……僕ならストレスで胃に穴が開きそうだな…ゼノさんは平気なんですか?」
「ここに無い物なんてないからね。ここには全てが揃っている」
「全て…ですか」
「なにもかも全てだ」
おそらくは事実だろう。アルフィルは初日の時点で、座標Xは宇宙で最も高度な発展を遂げた場所なんだと悟った。1日目以降も、初見時のインパクトを超えるような生物や道具が次々に見つかった。高位の神を超える力を持った人工生命体や、概念を塗り替える霧、大いなる意志に干渉する禁物までもが見つかった。しかしゼノは、其れ等すらも氷山のほんの一角だと言った。世界に及ぼす影響とあまりの価値の高さから、知覚の限界を超えた品を紹介されたりもした。もしかせずとも、彼女がその気になればこの世を支配するのは容易ではなかろうか。興味本位で質問してみたところ「そんなのは些細な事だよ」の一言で話題は終わった。
ゼノの言葉は、アルフィルからすれば誤魔化しの言葉に思えたが、彼女自身からすれば紛れも無い事実だった。権力も、名声も、先頭に立って他者を導く事などにもまるで興味がなかった。有ろうが無かろうが関係ない。他者の生死、幸不幸など、彼女には取るに足らない事象なのだ。
『私は全てを手に入れた。三千世界をひっくり返すような物も全て。そう、全てだ。だが、この寂寥感はなんだ?なぜ心が満たされない?どうすればこの渇望は癒される?いや、そもそも、私という存在は、真に満たされるようできているのか?』
散漫な意識が宙を浮遊する。時々、自分という存在を忘れ去りそうになる。
「ご馳走様でした」
アルフィルの言葉に、はっと我に帰る。
「お、おぉ。もういいのか」
「はい、今回の料理もめちゃくちゃ美味しかったです。ピラミッドガエルのカースト親子丼なんか見た目はグロいけど味は最高でした」
「ふふふ、君もいい感じに染まってきたな。いっその事ここに永住すれば良いのに」
「またまた、ゼノさんったら冗談がキツいですよ。油断した瞬間に即死級の罠や拷問が襲い掛かる場所に住めだなんて」
「時間を掛けて対処法を学べばいいんだ。私が全て教えてやるよ。ダメダメ甘やかし教師から死線ブッチギリ鬼教官までコンプリートだ。オプションでツンデレコースや互いに競い合うライバルコースなんかもあるぞ。どれでも好きなのを選べ。途中変更もいつでも受付可能だ」
「第一、僕には帰るべき場所がありますからね。冗談はこの辺にして、そろそろ試合場に案内してもらえませんか。普段通りのゼノさんコースで」
「しかたないなぁ。私から離れないよう気をつけたまえよ」
食事の後片付けは、天井から吊り下がるタコの触手が生えたシャンデリアに任せて席を立つ。
アルフィルの片腕にゼノが抱きつきながら、肺呼吸の生物でも息ができる水中や、ドアを開け閉めする度に部屋の作りが素粒子レベルで別物へと入れ替わる区画、通称、一期一会の間を抜けていく。
達磨の両側に、象の鼻が腕のように生えた一つ目の巨大生物を刺激せぬよう最小限の注意を払いながら抜き足で歩いてる最中、ふざけて刺激を与えようとするゼノをアルフィルが必死の形相で阻止する。
やがて自動で動く床に着いたところで、おもむろにゼノが寝転がる。
「ゼノさん?どうしたんですか?どこか具合が悪いんですか?」
心配そうな顔でしゃがみ込むアルフィルに驚きつつも、ふいに湧き上がった悪戯心のまま、ゼノがアルフィルの腕に両足を絡めて関節技を掛ける。
「あだだだだだ!?ちょっ!?なにするんですか!痛い!」
「スキンシップというやつだ」
「こんなスキンシップがあってたまるか!」
「じゃあ戦闘訓練な。ほれほれこの程度の技が跳ね返せんでどうする。修行が足らんぞ若造が」
「なんでいきなりこんな廊下で!?てか力強すぎ!ギ、ギブアップ!ギブアップですってば!もう離して!」
呼吸を乱しながら蹲り、恨めしげにゼノを睨む。「まったく貴方という人は、何を考えているんですか」
「誰かに心配されたのは記憶している限り初めてなんでな。どう反応すればいいのか迷った挙句、悪ふざけに走ってしまった。照れ隠しというやつかな」
「心配されたのが初めて…ですか?」
「ほら、私って万能だろう?対等の存在などなかなかいないし、いたとしても、彼等はすぐに母星へ帰ってしまう」
「寂しいのですか」
アルフィルの言葉に目が丸くなる。理由は不明だが、なぜだか胸に熱がこもる。
「どうだろうな」
正直な答えだった。寂しさの定義が理解できなかった。ゼノの反応がどういった心境なのかを推察しながら、アルフィルが、彼女を知る手掛かりを探し続ける。
「なぜ急に寝転びだしたんですか。心配するじゃありませんか」
「なんとなくだ。理由なんて無い」
「はしたないですよ。こんな廊下のど真ん中で」
「それは地球の常識だろ。郷に入っては郷に従え。アルフィルもやってみろ」
『唐突に廊下で寝転がるのがここの常識なのだろうか。多種多様な知的生命体が住み付く環境なんだから、地球とまったく違う認識が生まれるのも理解できなくは無いが』
迷った末に、ゼノと同じように廊下に寝転がる。
「ちなみに忠告しておくが、廊下で寝込んでいたらコイツは馬鹿だと認識される」
「やっぱりかぁぁ!!?」
「動物型の種族なら問題ないがね。人型がやるとマズイ」
「くっ!普段のゼノさんコースを選んだのが間違いだった!」
アルフィルが腰を上げようとするが、ゼノが首元に抱き付いて動きを阻害する。
「おわっ!?近い近い!」
「まぁ待て。馬鹿にも種類があるんだ。廊下で寝転がる奴はただの馬鹿だが、自分のやりたい事を我慢したまま一生を終える奴は大馬鹿だ。前者の方が断然マシだろう」
「別に僕は廊下で寝転びたくなんかありませんよ!」
「周りの目は気にしなくていい。ここには君と私しかいない。今しかできない事を楽しめ」
「……なら問題はないですけど」
「そこは素直に寝転ぶのか」
「いちいち突っ込んでいたらキリが無いので」
「心中お察しするよ」
「貴方ってひとは………」
なにかを言おうとするが、途中でおそらく無駄だろうと悟ったアルフィルが、口を閉じて地べたに後頭部を付ける。
「味気ない天井を見上げ続けるのは退屈だろう。天体観測と洒落込もうか」
ゼノが指を鳴らすと白塗りの通路の壁が徐々に色素を失っていく。10秒程で外見がガラス張りへと変化し、外の景色が見えてきた。
「うわっ!?なんか凄い生物がこちらを睨んでいますよ!?」
ふたりが見上げる天井には、全身が岩岩しい紫色の巨大なクラゲのような生物が、通路の至るところに触手を巻き付けていた。一つ目の中の無数の複眼全てが、アルフィルとゼノを睨んでいる。
「な、なんですかこの生物!」
「おっと、予期せぬ大物が現れたな。アレは種族名グドーモス。ケドレモント語で狂った月を意味する。偶々目に入った対象を徹底的に破壊し尽くす宇宙の暴君だ。神だろうが悪魔だろうが同族だろうが容赦なく殺しにかかる」
「完全にこっちをロックオンしてますけど」
「大丈夫だ。彼等が勝手に迎撃する」
「彼等?」
ほどなくすると、居住スペースの箱の連結部が開いて人影が飛び出し、宇宙空間を飛んでいた鳥の群れや、宇宙服を着用した、足だけが異様に長い猿が、グドーモスへと近付いていき攻撃を開始する。
筋骨隆々の男が手から光線を放ちグドーモスを焼き、鳥の群れが触手を嘴でついばみ、連結通路の僅かな突起に掴まり移動する猿が、頭上にまで移動したところで、頭部を幾度となく踏み付ける。
「キュミアアァアアァァァァアア」
奇声をあげながら、堪らずにいったんグドーモスが何処かに飛んでいこうとするが、突然、宇宙空間の暗闇が歪みだし、宇宙空間に擬態していた超巨大アンコウが巨大クラゲを丸呑みにする。
「彼等が座標Xの正式ヒーロー達だ。なかなか頼もしいだろう」
「すごい…彼等みたいな者が何人もいるんですか」
「ああ、星の数ほどな。訓練生は皆、彼等みたいに圧倒的な力を得る為に訓練に励んでいる。今も何処で誰かが頑張っているだろう」
座標Xには無数の居住スペースが整然し、居住スペースは、全てが生物の繁栄が可能な一個の惑星として成り立っている。自分の生きる場所が誰かの支配下に置かれた実験室だなどと予想だにしない者もいれば、現実を知ってなお前向きに生きる者、自分が支配者にとって変わろうとする者など様々な生物が存在する。
区画Nの405番。人型の生物が多く住まう区画では、座標Xの仕組みをある程度理解しつつ、誰かの支配から逃れて生き延びる道を模索する者達がいた。
街中の道路のど真ん中で器具が揃えられたスペース。道行く通行人の目など意にも介さず彼等はトレーニングに汗を流す。体格のいい青年は時速300キロのランニングマシーンで12時間走り続け、身長180センチの胴長の鶏は高重量のベンチプレスを限界まで持ち上げ、サングラスをかけたゴリラは、サンドバッグを打ちけたたましい爆音を鳴らす。
「緊急ヴィラン警報発令。緊急ヴィラン警報発令」
空から機械的な音声が響くと、当たりの景色が赤く点滅し、突如として地面から、ピエロの影が平面上に浮かびあがったような、黒い生物が出現する。
「コケっ!?ごげあぁあぁあぁぁあ!!」
全てが影芝居で構成されたような、真っ黒のピエロが真っ黒の松明を投げると、松明に接触したニワトリが黒い炎に包まれて燃えて行く。
「ヴィランが出たぞぉぉ!!みんな応戦しろぉぉぉ!!」
普段なら仲の険悪な者達や、一度も会話を交わした事の無い赤の他人同士でも、彼等はこの瞬間だけは力を合わせ、ヴィランと呼称される真っ黒のピエロに立ち向かう。
「秘技・百烈斬り」
浮世絵から飛び出したような侍がヴィランの隣を駆け抜けると、ピタリと動きの止まったヴィランが、次の瞬間には粉々に散っていく。
赤鬼が手にした棍棒でヴィランを叩き潰す。黒い体液が飛び散る。
だがヴィランもやられてばかりでは無く、巨大な玉で玉乗りを始めてゾンビを轢き殺し、ハンカチから飛び出したハチに人々を襲わせる。
「ぎゃあああぁあぁあ!!」
「た、助けてくれぇ!!」
丸々と太った身長150センチのネズミや、マヌケ顔のマスコットキャラクターにしか見えない生物がヴィランから逃げていく。
ドギツイ配色のマスコットキャラクターがビルの隙間に入ると、路地でも全身が真っ黒の人型が待ち構えていた。
「ひぃ!!」
「邪魔だどいてろ!」
真っ黒の人型が、マスコットキャラクターを腕で押し除け、ヴィランへと真っ黒の銃弾を放ち、ヴィランを撃ち抜く。
「な…なんだ、あんたか」
「なんだとは失礼だな。人情派ハードボイルドのイカしたガンマン、17番様が来たからにはもう安心だぜ!」
彼の名は17番。種族名ジョン・ドゥ。ヴィランと同じく、全身が影の人型生物。
「ここは俺に任せろ!戦えない奴は退がれ!」
17番は、左手でテンガロンハットが飛ばないように抑えつつ、右手で引き金を引いてヴィランを次々に撃ち抜いていく」
「オラァ!!」
サングラスを掛けたゴリラのパンチがヴィランを殴りつけると、殴られたヴィランが空高くへと消えていく。
「格が違うだよ格が!ウォホォォ!!ウホ!ウホ!」
勝利の雄叫びを挙げてドラミングするゴリラの背後から、ヴィランが投げナイフを飛ばす。
「ウホォ!?」殺気に気がついた時には手遅れだった。だが、とっさにゴリラの前に出た青年が、ナイフを蹴り飛ばす。
「ハァッ!ハッ……良かった…怪我はないな」
青年が緊張で引きつった笑顔を浮かべる。
「邪魔だ雑魚共!!全員伏せていろぉ!!」
野太い声が響くと、その場にいた者達が慌ててに地面にしゃがみ込み、次の瞬間、ヴィランの群れが突風と共に切り裂かれていく。
最後のヴィランが倒れたところで突風が止み、二足歩行の狼が宙から降り立つ。
「カスどもが。たかがレベル2のヴィランに苦戦するとは…恥を知れ!」
「だ、誰だあんたは!?助けてくれたのは感謝するが、彼等だって必死に!」青年が突っかかろうとするが、ゴリラが青年を腕で制する。「やめておけ」張り詰める空気を読んだ青年は、歯を食いしばりながらも、怒りを堪えて言葉を止める。
「フンっ!劣等種が」
鼻を鳴らして背を向ける狼を、その場にいた者達が目で追っていると、またも空から機械音声が響く。
「メインストリート、ヴィラン消滅確認。クロヴ橋前、ヴィラン消滅確認。レインフォーズ病院内部、ヴィラン消滅確認。緊急ヴィラン警報を解除します。繰り返します。緊急ヴィラン警報を解除します」
街は何事もなかったかのように元に戻った。だが、それは無機物に限った話だ。失われた生命は戻らない。
「彼等を弔ってやろう」
生き残った者が、誰ともなしに、死者を丁重に葬る提案を出した。
彼等にとっての長い1日が終わった。トレーニングを終え、ロッカールームで服を着替えていると、ゴリラが青年へと声をかける。
「へい!受けとれ!」「ん?」飛んできた筒を片手で受け取る。「さっきはありがとよヒューマン。ヒョロヒョロのガキかと思いきや意外とやるじゃねぇか。これはお礼のバナナプロテインだ。同じ哺乳類同士仲良くやろうぜ」
ゴリラが大きく口角を上げてにこやかに笑う。
「ヒョロヒョロ…ねぇ。結構鍛えてるつもりなんだが」「細い細い!もっと肉を付けろ!俺は380番だ!よろしくな」「70億番だ。よろしく」
手を結んで握手をすると、70億番の顔が苦悶に歪む。
「あ痛ッ!はは、すごい握力だな」
「おっと!わるいわるい!ワザとじゃないんだ!」380番が慌てて謝罪する。
「分かっているよ。僕達は種族が違うからね」
「飯だぞぉ!!」
コック棒を被りエプロンを着用した身長160センチの二足歩行の豚が、給仕台を押して部屋に入ってくる。二足歩行の豚は、手近にいるものへ次々に小型のカプセルを渡していき、380番と、70億番の前までやってきて、両者にもカプセルを渡す。
「ウホ!バナナバナナ!」380番がカプセルのスイッチを押すと、カプセルが小さな煙を吹き出し、煙の中からバナナが現れる。
70億番も両手を添えてからスイッチのカプセルを押す。すると、煙の中からカレーの入った食器とスプーンが現れる。
「やった!カレーか!大好物だ!」
380番も、70億番も、あっという間に食事を終え、バナナの皮や食器を給仕台の鍋の中へと入れていく。他の者達も食べ終えた者を鍋の中へと入れていく。その際に、明らかに鍋よりも大きな食器や骨が投げ入れられるが、鍋はまるで、ブラックホールのように大きな残骸を吸い込んでいく。
「どけウスノロ。通路の真ん中に突っ立っていると邪魔だ」
二足歩行の狼が、豚に向かって罵声を浴びせる。
「相変わらず態度の悪い野郎だ。いい加減にしないと鍋と一緒に煮込んじまうぞ」
「だまれ。さっさと飯を寄越せ」
豚の差し出したカプセルを、狼が粗暴な動作でもぎとる。
「なに見てやがる!見世物じゃねぇぞ!」視線を向ける相手へ狼が唸ると。注意を受けたものは、バツが悪そうにそそくさと着替えを終えて部屋を出る。
「アイツ嫌い。俺たちも出ようぜ」380番が70億番に耳打ちする。「ああ」
着替えを済ませ、扉を抜けるが、扉を抜けてすぐに額を硬い何かにぶつけた70億番がジンジンする額を手で押さえる。
「ンア……ゴ〜メ〜ン〜ネ」
身長2メートルのロボが、ガシン、ガシンと駆動音を鳴らしながら部屋に入っていく。
ロッカールームの中からは油臭いだのなんだの言い争う声が聞こえてきたが、無視して通路を進み、小さな中庭へ辿り着く。
太陽は既に月と入れ替わっており、寒い夜の清涼な空気が肺を満たす。
380番と70億番は木製のベンチに腰を下ろした。
「はぁ〜今日は散々だったな。レベル2とはいえヴィランに出くわすは、クサレ狼に出くわすは」
「そうだな。彼等の死は無念でならないよ」
「彼等?死んだ奴の中に友達がいたのか?」
「いや、特に親しい者はいなかったけど、見知った顔の相手が死ぬのは何度見ても慣れないよ」「ふ〜ん、優しいんだな」「僕が嫌な思いをしたくないだけだよ」「だから俺を助けてくれたのか?」「まぁ、一応ね」「ありがとな。今はバナナプロテインしか渡せねーけどよ。この恩はいつか絶対に返すから」「やめてくれよ大袈裟だな。ジュース1本で充分だよ」
「いや本当に助かったよ。あの時は、もう二度と381番に会えなくなるのかと思ったよ」
「381番?」「彼女がいるんだ!これを見てくれ!」380番が首元に手を入れると、体毛の中からロケットネックレスが出てきた。ロケットネックレスには、2匹のゴリラが写った小さな写真が貼り付けられている。
「なっ!可愛いだろぉ!」
70億番は困惑した。なにせ、どちらが380番で、どちらが彼女なのか全然見分けがつかないからだ。彼の目にはただ、2匹のゴリラが写っているようにしか見えなかった。一瞬、適当に話を合わせようかと迷ったが、生真面目な彼は正直に「ごめん。僕には君達の顔の見分けがつかないんだ」と答えた。
「そりゃ残念だ。こんなに可愛いのによ」と、380番がネックレスをニヤニヤと眺める。
「ところで、70億番は浮いた話しのひとつやふたつ無いのかよ」380番が肘で肩をつつく。「あたた、気を付けてくれよ。君は力が強いんだから。僕には彼女はいないよ」
「ふ〜ん?欲しいとは思わないの?」
「興味が無い訳じゃないけどね」「ならなんで作らねぇんだよ」「それは……彼女持ちの相手には言いづらいかな……」「なんだよ嫉妬かぁ?暗い顔すんなよ」お調子者の380番が馴れ馴れしく70億番の頬を指でつつく。
「真剣に聞いてくれるなら答えるよ」
「っ!おう聞く聞く!真剣に聞く!」興味津々といった様子で、380番がブンブンと顔を上下させる。
「分かった。彼女持ちの君にこんな事いうのも気が引けるけどね。僕が恋愛を避けるのは、別れた時の事を考えてしまうからだ」
「おいおいそれだけか?恋に別れは付き物だぜ?まぁ、俺と381番は永遠の愛で結ばれているけどよ」
「喧嘩別れじゃなくて……死別の話しをしているんだ」
「しべ……つ……?」
「ああ、こんな世界なんだ。今日みたいに、ヴィランとの戦いに巻き込まれた一般人が死ぬかもしれないし…僕達候補生だって、試合や訓練でいつ命を落とすかもしれないんだ。恋人の存在が自身にとっての弱味になるかも知れない。自身の死が恋人を悲しませるかも知れない。そんな事を考えると、恋愛が恐ろしくなるんだ」
70億番の言葉を聞いた380番は、深く考え込むように目を瞑り、軽く頭を掻くと、おもむろにベンチから立ち上がる。
「こんな世界だからだろ」
「こんな世界だから?」
「お前達ヒューマンは物事を難しく考えすぎなんだよ。もっと気楽に行こうぜ。いつ死ぬか分からないから、本当に自分がやりたい事をやるんだよ。いつもの散歩道でも、運が悪けりゃタキオンワームに轢かれて死ぬかも知れないんだ。どうせ誰もがいつかは死ぬんだよ。あれが怖いこれが怖いってビビって歩きださないまま一生を終えて、死ぬ間際に後悔してもやりなおしは効かねぇぞ」
「僕もなんとなく、それが正解だとは感じるけど、考え方を急には変えれないよ」
「ならいまからでも変えればいいんだ。恋愛が怖い?何言ってんだ!俺なんか既に子供までいるんだぜ!まだ腹の中だけどな!産まれたらウチに見にこいよ」
「そうか。楽しみがひとつ増えるな」
「恋バナをしてたら381番に会いたくなってきちまったよ。今日はもう帰るか」「彼女も会いたがっているだろうね。急いで帰った方がいいんじゃないか」
「おう!楽しかったよ!明日もまた頑張ろうぜ!」
「そうだね。じゃあ、また明日」
上機嫌でスキップしながら通路に戻っていく380番を見送ると、70億番の表情が、みるみると暗くなっていく。
「………また明日…か………」
ポケットに手を突っ込み、しわくちゃの紙を取り出す。
「番号1062番…種族名エイリアン……63戦47勝…実力も高いが…なにより恐ろしいのは、彼が勝利した試合では敗者は全て命を落としていることだ……」
寒い夜風が吹き荒ぶが凍える程では無い。なのに全身の震えが収まらない。
座標Xで行われる試合は、基本的に一対一の勝負であり、どちらかが対戦不能になるまで試合は終わらない。動けないほどの大怪我を負うか、気絶するか、死ぬかまで試合は止められずのデスマッチで、100回勝利を収めなければ正式なヒーローとして認められない。
試合は毎日、最低でも8試合、多い時には3桁にのぼる対戦カードが組まれ、毎日死者が続出する。
死者はゼノの糧となり、正式なヒーローになっても、買い取り手が見つかるまでは強制冷凍睡眠。直接ゼノが応対していないところでも膨大な数の取引がなされているが、在庫として冷凍睡眠されたままお蔵入りになっている種族もまた、膨大な数にのぼる。
試合は明日の午後14時。ヒューマン達が住む区画Nの405番では20時間後の出来事でも、各区画では時差が生じる為に、ゼノとアルフィルにとっては、45分後の出来事だ。