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京大のタテカン  作者: 小島 剛
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京大のタテカン

 京都大学で2018年5月、名物の立て看板タテカンが撤去されることになった。ずいぶん長いこと京都大学にいたが、見慣れた光景だったし、サークルの宣伝から、政治的主張まで何でも行えるので、アナログだが、効果的な広報ツールであったことは間違いない。



京都という都市も他の都市の例外ではなく、空間の凡庸化の餌食になっている中で本部と総合人間学部の間の吉田神社参道の両側や、東大路通りの京大横、百万遍交差点には、独自の光景が形成されていたものだった。今回のタテカン撤去のおかげで、だんだんつまらなくなってきていた大学という場所がまた一層つまらなくなったことは間違いない。外国では学生が壁新聞をはったり、デモ行進をしたりしないだろうか?その手段の一つをもぎ取ったのだから、また一つ世間は全体主義に近づいたことになる。ナショナリズムというのは、強迫的に「国家」を強要する一方で、その日本領内を文化的にカーキ色や灰色で虚無的に塗りつぶす。古来伝統の日本文化であっても抹消する。そんな作業に加担する学内の連中にもあきれたものである。

 


 私は15年間京都大学に所属していたが、塀や石垣が嫌いであった。入学して講義に出てみて、大体なんで大学を囲っておくのかわからなくなった。講義はつまらない。あるいはきちんとやっている先生もいらっしゃるのだが、「先生、それは先生のご著書を拝読すれば、独学可能では?」という感じがした。



マックス・ウェーバーやゲオルグ・ジンメルについて話してくれるのはいいが、彼らの本は売っているし、入門書も売っている。むしろ、今思えば、この辺が自閉症っぽかったのかもしれないが、大教室に詰め込まれるのも苦痛だった。私は昔から人混みが嫌いだ。また、そんな人混みが形成される講義もまれで、ガラガラな教室でポツンと座って受ける講義も多い。「何のために試験を受けて選別してんのかわからんな」と入学直後に思わされたものだ。「来たい人がいたら、来させてあげればいいではないか」としか思えなかった。



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