第１話 気づいたらすきになってた
ずっと男の人だと思っていた。男だと信じて疑うことすらしなかった。
だって、あの声。胸の辺りにすとんと落ちて響く低音の心地いいハスキーヴォイス。
でも、たとえ女であっても、もう引き返せなかった。
その人、アルバイト先の店長の名は、時雨菜月という。
みんな、時雨さんとか、グレさんと呼んでいる。そして私は名前の漢字を知らずに、夏樹という男性ネームを思い浮かべていたのだった。
居心地のいいお気に入りのカフェで、彼もとい彼女は働いている。いや、ややこしいけど、彼女だとわかった瞬間までは、「彼」と書かせてもらおう。
彼はラテアート（カフェラテにかわいい絵を描くやつ）を得意としている。基本はハート型なのだけど、リクエストに応えて何でも描いてくれる。かわいいねことか、うさぎとかくまとか、動物の絵が人気だ。たまにロボットと言われても、ささっと描いてしまうから流石。時雨さんのラテアートは彼に似て人の心をほっとさせる。
そんな時雨さん目当てでここにやってくる常連客のほとんどが女性だ。どう考えてもみんな、彼を男だと思っているよね。
スラッと細身。170センチを少し越えた位で、男性としては特に高いわけじゃないけど、背筋がピンと伸びてて身長以上に高く見える。
何よりその首筋だ。白いシャツからのぞくセクシーなラインにそそられてしまう。よーく見てみたら喉仏らしきものがなかったけど、人によってはそんなに目立たないものだと勝手に思っていた。
私は男性の血管がすきな筋フェチなのだ。ああ、スージー。首はもとより、手の甲からすっと腕に向かって伸びたあのラインに、ついつい目がいってしまう。ちらっ、ちらっ。
私はいつもカウンターに座るの。そうするとラテアートを描く時の彼の真剣な横顔が、すぐ間近で見られるから。
長い睫毛が落とす影が揺れて見惚れる。しあわせになる。
すてきだなと思うけど、絶対こんな人、私如きに手が届くはずないでしょ。誰もがそんな風に遠巻きにあこがれるだけ。つまり観賞用。この世にはそういう存在の人がいるんだよね。ずっとそう思ってた。
見目形が麗しいだけじゃなくてね、まったく時雨さんは罪な人なんだ。あの包み込むようなふわりとした笑顔で、やさしい言葉なんてかけられちゃったら、もう誰でもイチコロなの。
あの時だって、少し触れられただけでめちゃくちゃ意識しちゃったんだ。
「どした？ 元気ないな」
そう言って私の耳に手をよせて、ピアスを指ではじいて揺らすんだもの。その瞬間、どきんとして体中に電流が走っちゃった。
そんな私に転機が訪れる。「バイト募集」の張り紙を見た瞬間、はいって手を上げてたの。
「君なら即採用」ってくすって微笑まれて、人生が変わっていく。やったぁ。
そして私は毎日毎日あなたを見て、どんどんすきになってしまったんだ。一緒にカウンターの中にいて、傍で見つめていられるなんて夢みたい。
「結花ちゃん、ほら、これ運んで」
はぁーい。かしこまりましたぁ。
だからね、或る日とうとう言ってしまったの。
「時雨さん、すきです」
「お。それは、ありがと。私も結花ちゃん、すきだよ」
「ええっと、そういう軽い意味じゃなくて」
「え、結花ちゃんって、あっちの趣味の人なの？」
「あ、あっちって、どっちですか」
「つまり百合？ ゆりゆり？」
……。どうゆう意味ですかー、時雨さーん。
え……。えええー!?
それが、彼じゃなく「彼女」だったとわかった瞬間でした。
