香山先生
放課後、塾を休んだ僕は、通っている中学校の近くにある病院に入り、受付を済ませて心療内科の部屋に入った。
相変わらずこの部屋は香水の匂いで充満しているが、これで三度目の通院となる僕にとってはもう慣れたのものだった。
香山先生は、目の前のデスクに座って飴を舐めながら長い茶色の髪を指でくるくると絡めつかせている。女医さんといえば聞こえはいいが、彼女の髪色、化粧の濃さ、その出で立ちは、白衣以外医者のそれとは思えない。
それはよしとして、閑話休題。
「授業を受けている最中とか、家でご飯を食べているときとか、ぷっつり意識が途切れる症状は相変わらず治らないんです。先生の言う通り、これはやはり多重人格、解離性同一性障害?なんでしょうか」
「おそらくね、君の意識がないときも君自体は生活をしていて周りもそう認識している以上、多重人格といって間違いないわね。君とは別の人格の子と話もできれば色々と分かるんだけど。周りの、友達とか家族は、君に別の人格が宿っていることは知っているの?」
「いえ、まだ誰にも気づかれてはいませんね」
僕は自信なさげに下を向いて答えた。香山先生は優しく親身に聞いてくれるが、この病気の原因は僕の弱さに起因するものでもあるため、やはりどうしても肩をすぼめてしまう。
「いいのか悪いのか......せめて親くらいには子供の変化に気付いてほしいものだけどね。意識の途切れてる時間は1時間とか2時間程度なの?」
「時計を毎回確認してる限りだと、それくらいですかね」
「なるほどね。んー、てか君、私のスカートなんか見て、私の話聞いてる?」
僕は下を向いて答えているだけなのだが、先生の短いスカートを覗いているとでも思ったのだろうか。
おどけているだけなのか、本当に勘違いなのか。彼女のニヤニヤした顔からは判別できないがともかく。
「聞いています。ストレスの原因は、自分の将来、というか、両親、父ですね。親にはちゃんと話すべきなのはわかってるんですが、認めてもらえるかどうか......」
「君のお父さんね、優秀で細かい性格、完璧主義で厳格。なかなか苦戦しそうね。私そういう人大嫌いだし相談しにくい気持ちも分かるわ。だから、私も付き添って話に言ってもいいわ、そうしてみる?」
「それは遠慮しておきます」
即答した。
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香山先生の部屋を後にした時に、ヨレヨレのスーツを着た40代くらいのおじさんとすれ違った。
若干髪が薄いそのおじさんは周囲をキョロキョロと見回しながら、まるで何かに監視されているかのような挙動不審な態度で香山先生の部屋に入っていった。
――安...さぁん、また迷惑メールに悩まされてるのー?気にしすぎだって!!風俗でも行ってパァーッとお金使えばそんなの気にしなくなるわよ!
――最近、また...がひどくて。どこかで誰かに見られてるような気がして。
――一向に治らないわねー...藤さんの強迫...経性。逆療法でさ、...やって...
こう会話を聞いてると、香山先生くらいアバウトで快活な人の方が、患者にとっても気が楽になるのかもしれないと思う。自分のペースとルールを持っている人。言い方を変えると、マイペース。
心が病んでいる大半の人に当てはまるのは、他人のルールやペースに支配されていることなのだと僕は思う。だから、周りのルールに縛られていない香山先生の姿を見ると、きっと救われる人もいるのだろう。
今のサラリーマンの人も。僕も。