最後に
「夫婦になるまで手を出さない」という縛りで書き直した2017年版ですが、まさか当時の勢いで姦淫でできた子を主人公にしたら、こんなにも物語の柱になるとは思っても見なかったですw
(ここに作者の計画のなさが出ている)
フロンがトラウマに捉われ過ぎとも言えるのですが、もっと爽やかスマート男子にする予定が…そうならず………
思ったよりも、物語もフロンの口調や考え方も厳しくきつめになってしまったのは書いてて反省です。小説を書いて間は、聖書の勉強を怠ってしまったので、もう一度勉強して、些細な面で柔らかい空気感にできたらなと思いつつ、物語の前半後半の差が出たという面では良いのか悩みます。むむむ
とは言え、私自身探していたし自暴自棄のときもあったので、吐き出してた部分もあったと告白しときます。
幸せとはなにか
命とはなにか
生まれてきたくなかったと嘆く者に、それでも生まれてきた希望を与えてくれるだろうか
そんな問いかけを私自身も誰かに投げかけながら書いてました。フロンと探しながら、また小説外で見つけられた1年でした。そしてやっと、どんなに大変な人生でも生まれてきたことがすごいこと、かけがえのないもの奇跡だと言えることができました。
さて皆様はどんな答え出し、私にしてくれますか。
詩編139
16あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました。それが形造られた日々について,しかも,それらのうちの一つもまだなかったのに。
→
私が母親のお腹にいる時から、神はそれを命と見なし生まれてくるその日を待っている
ゼカリヤ2
8万軍のエホバはこのように言われたからである。『その栄光に続いて,神は,あなた方から奪い取っていた諸国民のもとにわたしをお遣わしになった。あなた方に触れる者はわたしの目の玉に触れているのである
→
あなたの痛みや苦しみは、神もまた同じように心を痛めて下さっている
という訳で、まとめるのが下手くそですが生まれがどうあれ、世界が狂ってるので神が本来人間に与えていた幸せの量はかなり半減している世の中です。それでも、生まれてきたことが自体が間違ってたわけではなく、誰かのせいでも、まして自分のせいでもない。
結婚すれば幸せか。パートナーが別の人なら幸せか。もっとお金があれば…。親が、…
思い取りにいかない、自分で自分を潰してしまうこともある。
それでもその中で今ある幸せや注いでくださる愛に目を向けるのが、大切なんだとやっと思えました。
私は自分の命に感謝します。
追伸。
蛇足②の最後の文で「彼らの心を安んじることができる日は来るでしょうか」と、出てきましたが、実はこの聖句を借りてきました。(心を安んじる=安心する、心を納得させる)
ヨハネ第一 3
「
20
何か心に責められるようなことがあっても,それについて神のみ前で自分の心を安んじることができるでしょう。神はわたしたちの心より大きく,すべてのことを知っておられるからです
」