蚯蚓(ミミズ)
あなたの家の近くに林はありませんか?
あなたの家の中に虫が入っていませんか?
あなたの家の近くで、ガサガサと何かが蠢く気配はありませんか?
それらは全て、或る一匹の蚯蚓の仕業なのかもしれません。
その蚯蚓はとても長命でありました。
普通なら半年から一年しか生きられない所を、そのミミズは五年も生きて尚、まだまだ生きたいと考えていた。目も手も足もないが、生きたいという気持ちは誰よりも強くありました。
「生きたい、生きたい、俺はこんなに長く生きたんだ。どこまで長く生きるか知りたい」
その一心で、蚯蚓は周りを下水道とコンクリートに囲まれた、とても小さな林の中の土を食べて暮らしていました。
さて、ある日の事。
ミミズはいつものように土を食べて暮らしていますと、若いミミズが林の外に出ようとしていました。
目は無い蚯蚓だが、わずかな感覚で仲間がどこにいるのか、美味しそうな土がどこにあるか分かるのでした。
長生きした蚯蚓は若い蚯蚓に話しかけました。
「おい、若いの。そっちに行くな。そっちは土なんか無いぞ。行っても死ぬだけだ」
「ご忠告ありがとう、年寄りさん。僕はよくよく気をつけるから大丈夫です。なに、今はまだ暗いですから干からびる事はありませんよう」
「なんで向こうに行くのだ。あっちに土はないぞ」
「はは、年寄りさんには分かりませんよ。では、行って参ります。」
そう言って、若い蚯蚓は林の外へ出て行きました。しかしそれを見た雀が木から飛び降りたかと思うと、コンクリートの上を進む若い蚯蚓を短い嘴で捕まえて巣に持ち帰り、細切れにして小さな雛に食べられてしまいました。
長生きした蚯蚓は葉の裏からそれを見ていましたが、若い蚯蚓が「ああ、あの向こうにいきたかったな、畜生」と言ったのを、忘れる事は生涯ありませんでした。
それから長生きした蚯蚓は考えました。
この林を抜けるのは危険だ。しかし若い蚯蚓が行こうとした向こうにある何かを見てみたい。
そのためには早く動く足と鳥を見つける目が必要だ。
そう考えた蚯蚓は早速、蟻の巣に行き、働き者のアリに頼んで見た。
働き者の蟻は蚯蚓の頼み事より、自分の愚痴を誰かに話したかった。
「やあ、アリッ子」
「やあ、ミミズどん」
「アリッ子、頼みたい事が」
「まあまあミミズどん、僕の話しを聞いてくれないか。そうしたら、君のどんな願いも叶えられるよう協力するから」
「え?…分かったよ、聞きましょ。それで、どんな悩み事?」
「ああ、実は僕、少し疲れてしまったんだ。だけど女王様や上司は鞭を使って『働け働け』としかるんだ。もう、休みたいよ」
「成る程な、それなら俺に任せなさい。いい方法があるんだ。少し後ろを向いて、アリ働けの歌を歌っていてくれないかな」
「え!そんなの、あるの?
ありがとう、ミミズどん。僕は一生懸命歌うから、準備が終わったら声をかけてくれるかな?」
「ああ、いいとも」
蟻とても嬉しくなって、夢中で後ろを向きました。ちなみにアリ働きの歌とは、蟻達が疲れた時に歌う歌で、その歌を歌うと疲れた力がとりもどせるのです。
そして蚯蚓は六本ある足を左右一対ずつ引きちぎり、自分のわき腹の部分にそれを付けていました。
蟻は嬉しさのあまり、その事に全く気づかず、
「ああ、働かなくていいんだ。嬉しいな、嬉しいな」とニコニコ笑ってミミズが声をかけるのをまっていました。
蚯蚓は蟻に声をかけず、全ての足を自分のわき腹につけました。蟻が転ばないよう、蟻のおなかの下に土を盛り上げながら。
そして、全ての足を付け終えると、今度は口を大きく開けて、蟻の体を尻の部分から食べ始めました。
「おおい、なんか尻の方がかゆいな」
「もう少し、もう少しで準備が終わるよ。だから少し待っててね」
そう言うと、また蟻の体を食べ始めました。蟻は働かなくてもいい方法は一体なんなのか、ワクワクしながら待っていました。
そのうち腰が軽くなる気がしました。
まじめな蟻はアリ働きの歌を歌い続けました。
しかし体が段々軽くなる気がして、とても心配になりました。
しかし心臓が食べられてしまったので、蟻は心配もなくなり、歌を歌うのを止めました。
少し体が大きくなった蚯蚓は、残った蟻の頭から目玉を取り出して自分につけ、それを自分の目にしました。周りがよく見えるようになった蚯蚓は頭だけの蟻を見て、
「アリッ子、これでゆうっくり休めるぞ。瞼を閉じてお休みしな」
「…」
それだけ言って土の中に消えました。
頭だけのアリッ子は何も言い返しませんでした。
さて、こうして足と目を手に入れた蚯蚓でしたが、まだ林の外に行くには不安でした。
それは、雀の嘴です。あの固いハサミに狙われたら、いかに足と目のおかげで素早く逃げでも、捕まってしまえばお終いなのですから。
蚯蚓はまた考えました。
いくら足と目があっても、捕まえれば終わりだ。かといってもっと足と目を増やしても、蜘蛛のように逆に動けなくなってしまうだろう。
それなら、この柔らかい体を固くすればいい。
そう思ったミミズは、土の中で寝ている甲虫の蛹の所に来ました。
今の季節は夏、蛹はあと数日で甲虫になります。その日がくるのを、ただただ楽しみにしています。
蚯蚓は何の遠慮もなくその蛹を食べてしまいました。
蛹を食べた蚯蚓の体は少しだけ固くなり、そしてとても大きくなりました。
蛹の体にはとても美味しくて蚯蚓の体に良い栄養がたっぷり詰まっていたからです。そしてとても嬉しい事に、沢山あります。
この変化に驚いた蚯蚓は、
「これはいい、もっと蛹を食べよう」
と思い、
林の土の中で眠っている二百匹近い蛹を食べてしまいました。
蛹は抵抗しようとしたくても、体が固くて動かせません。
じたばた暴れた所で、「踊り食いもいいな」と何も気にされる事はありませんでした。
そして、蚯蚓の体は食べれば食べる程大きく変化し、ついには体長一メートルを超えました、
その姿を明確に書けば、それはもう蚯蚓ではありません。
もっと禍々しい何かです。
体表は茶色く変化し、小さな棘が連なり触る事が出来ません。
更に蟻から奪った六本足は更に頑強になり地面にY字型の足跡を残す事が出来るようになりました。細長かった体は丸まって太くなり、口には鋭く無数の牙が生えています。
目は複眼になり、草花に隠れた生き物の小さな動きも見逃しません。
そして、尾は鋭く左右にはY字型の角が左右に4対ありました。これで犬や猫を簡単に殺す事ができます。
それはもう蚯蚓ではありません。
もっと禍々しい何かです。
林の中の虫達は既に『それ』に恐怖し、何処かへ消えてしまいました。
そして『それ』はふと気付きました。
林の向こう側に、民家が並んでいる事を。
その時、『それ』は確信しました。
あの雀ごときに殺された若い蚯蚓が見たかったのは、あの民家の事だったと言う事を。
きっとあの中に、美味しい物が一杯あるに違いない。
そう考えた『それ』はガサガサと音をたてて林をゆっくりと抜けていきます。
近くでカラスが鳴き声は明るくなり始めた空に消えていきます。
今の時間は午前7時。
人々が、家の外に出て仕事場に向かう時間です。
ガチャリと扉が開き、中から出てきたそれを見て、『それ』は涎をだらりと垂らしました。
あなたの家の近くに、林はありませんか?
あなたの家の近くに、虫が入っていませんか?
あなたの家の近くで、何かがガサガサと蠢く気配はありませんか?
もしかしたらそれらは全て、或る一匹の蚯蚓が家の中のモノを全て喰らおうとしている兆候なのかもしれません…。
皆さん知ってますか?蚯蚓は人間の血管と構造が似ているのです。だからその体は土の中でも目立つ赤なのですよ。
そして彼等はとても貪欲なのです。目も手も足も全て捨ててでも食べる事に特化した体ですからね、それはとてもとても貪欲なのです。