狼獣人の大将
狼族の大将の傍らには、朝から一匹の狼が張り付いていた。
人型をとっている大将が歩けば、狼は彼の半歩後ろを、軽い足取りでトコトコと着いていき、立ち止まれば傍らでしっぽを振って、興味深そうに大将を見上げて観察していた。
隊員は彼らに好奇の目を向けていた。
だが大将は、ぶしつけな視線を気にとめることなく、また狼を追い払おうともせず、いつもどうり職務をこなしていた。
それがさらに皆の注目を集める要因なのだが。
そう。獣人がただの獣を連れているという光景はここの世界では珍しい。
それが馬や鳥、家畜の類であれば言わずもがなだが。
獣人族は、獣と一線を引いている。
獣もまた、自ら獣人族には近づこうとはしない。
例えそれが同じ種類の獣であっても。
お互い、妙なプライドのようなものが、そうさせてるらしい。
(((((おい…誰か大将に聞けよ…)))))
だれもがそう思っていただろう。
だが、誰も声を掛けることはなかった。
ついには、大将には全く見えておらず、自分たちだけが見える幻覚なのだと信じ込む輩もいた。
狼は目の前を通りすぎた蝶々を、目で追っていた。
大将のそばで初めては大人しくしていたが、飽きたらしく、だんだんと目が虚ろになっているようだった。
いや、実際は目が虚ろにはなってはいないのだが、なぜか隊員たちは狼の気持ちが手に取るようにわかった。
俺たち、ついに狼の気持ちまで解るようになったのだろうか…
沈黙の均衡が破れたのは、その狼が蝶々を追い求めて、大将の傍から離れようとした時だった。
「おい!傍を離れるな!」
大将が部下に指示をするよう、狼に命令をしたのだ。
むろん、狼族と言えど、言葉で狼と意思疎通がとれる訳ではない。
その狼ももちろん、大将が何を言っているのか理解できず、ただ、自分を見て大声を上げた人物を、首をかしげてじっと見返しているだけだった。
「…」
改めてまた、隊員たちは全員、無言で大将を凝視した。
「これのことは気にするな。」
大将は皆の視線にそう答えるだけだった。
(((((それだけですかい!!)))))
部下が、全員、心の中で突っ込んでいたが、誰一人として声を出さなかった。
それほど、大将の威厳は大きく、経口を叩ける雰囲気を全く持っていないのだ。
その後も大将は傍らに狼を携え、職務をこなしていった。
狼が何度か傍を離れようとしたらしく、大将の怒号が幾度となく響いていた。
狼を目で追っている様子はないので、どうやら気配で把握しているらしい。
いつもより、迅速な速さで仕事をしていた大将は、日が落ちる前に召集を掛けた。
今日はこれから部屋に籠るらしい。
だいぶ遠回しな言い方だったが、要約するとそういうことだ。
自身の就寝スペースに向かう、大将の後ろ姿を彼らは目で追った。
そして彼らは気づいていた。
これは彼らが狼族で、先ほどの獣が狼だから解ることなのだが、大将の傍らにいる狼は『メス』だということを…。
「「「「「・・・」」」」」
隊員は皆、押し黙っていた。
***************
「絶対誤解された…」
大将は自室で頭を抱えて蹲り、呟いていた。
部屋にたどり着く前に、日は落ち、室内は魔法灯がひとつ、机に灯されてるだけであった。
光の陰影もあり、大将の悲壮感はより際立っていた。
狼は事をまるで理解しているように、落ち込みから床で丸くなっている大将に近寄ると、ポン、と片足を大将の頭にのせた。
慰めているようだった。
「…」
大将は無言で立ち上がった。
狼は前足をのせていた頭を急に動かされ、バランスを崩して地面に転がった。
「あ…あぁ…すまない…。
あ…いや…すみません…か?」
またしてもぼそぼそと呟いていた。
狼には謝罪の言葉は理解できず、恨めしそうに地べたに這ったまま大将を見上げ、のせてた前足をペロっと舐めた。
と、とたんに布で覆われ、狼は慌てふためいていた。
「こら、暴れるな。布団を体に巻いているだけだ!」
狼はやっとのことで布から抜け出し、大将と間をとった。
と、大将が持っていた布は毛布であることに狼は気づき、彼がベッドを指差していた。
狼は警戒していた。
だが、大将がそろそろと近づいても応戦することはなく、勢いよく逃げるようにしてベッドに飛び乗った。
狼はベッドのスプリングに上下に揺らされると目がだんだんと閉じていき、しまいには足を折り丸まった。
一日中大将について回ったので、狼はヘトヘトだったのだ。
しかも、すぐに移動してしまうため、仮眠をとることも不可能だった。
狼は大きくあくびをひとつすると、不審がることなくすぐに寝いった。
それほど疲れていたのだ。
だが、心の中では大将を信用しているようにも思えた。
***************
狼が、規則正しく、呼吸と共に肩を上下し始めると、狼の身体が白い光に包まれた。
「やはり、夢では無かったか…」
大将は呟いた。
狼の毛並みは徐々に短くなり、人間の肌が現れて来た。
と同時に、手足も長くなり、狼は人型をとり始めた。
大将はさっと身体に毛布を掛けた。
掛けるときに、豊満な胸とお尻に目がいってしまったことは仕方ない。
「不可抗力だ。お前が布団を嫌がるから…」
はたから見ても、それは言い訳にしか聞こえなかいのだが…
白い光がだんだんと弱まり、部屋にはまた静寂が戻ってきた。
大将は魔法灯を手に取り、「元」狼の顔に近付けた。
目鼻立ちははっきりしていて、長くしなやかに伸びた髪が、艶やかであった。
(やはり…王女…だよな。
目を閉じているから、確信は持てないが…。
しかし、匂いが獣族のものとは違う…。)
獣族と獣は根本的に匂いが異なる。
それがお互い受け入れられない要因の一つでもあった。
大将は、王女の顔に鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。
(昼間は獣の匂いだが、今は…なんというか…甘い…)
大将は、もっとこの匂いを嗅いでいたいという本能をなんとか納め、王女から離れた。
そして、王に知らせるべく、机に向かって手紙をしたため始めた。
***************
それから、大将は王女が人型に変化をするのには一定の法則があるのを見つけた。
法則と言っても、ごく至極単純で、【王女が眠りにつく】というものだった。
それは時間帯や場所を選ばなかった。
初めに目を離したすきに、木陰でうたたねをし始めようとした時、狼が白く輝き始めたのを見て、大将は大層慌てた。
(この男くさい敷地で、女の裸が現れたらどうなることか…
私が、王女だと説明しても本能がそれを信じさせないだろう…)
大将が狼を抱きかかえると、狼は起き出し、じっと大将を見上げた。
(そうだ。起きるんだ。お前はもう部屋に閉じ込めなければ!!)
大将は足早に狼を抱えたまま自室に戻った。
一方、狼は抱きあげられて、揺れる心地よさにまたウトウトし始めた。
狼が白い光に包まれ始めた。
「げ…」
大将はその様子を見て、全速力で走った。
バタン
2人が部屋に入ると同時に、王女の体は変化を始めた。
大将の腕の中で、彼女は完全に人型となった。
大将は彼女をお姫様抱っこした状態になっていた。
左手を脇の下に、右手をひざ裏に添え、彼女を支えていた。
たとえ、左手の感触が柔らかくとも、目が胸の先端を見つめようとも、彼は彼女を支えていたのである。
コンコン
どのくらい時間が経っただろう、大将の部屋がノックされた。
大将はまだドアの前で王女を抱えたまま立ちつくしていた。
(こんな僻地に大勢の年若い男を派遣するとは、王も惨いことをする…)
だからと言って視姦が許されるとは限らないのだが…
コンコン
もう一度、ドアがノックされた。
「どうした?」
「大将!ここに居られましたか。急にいなくなられましたから…。そろそろ会議の時間です。」
「分かった。すぐ行く。」
大将は名残惜しそうに、裸の王女をベッドに降ろすと、布団を掛け、部屋を後にした。
大将が布団を掛ける際、敢えて胸の先端をかすめながら掛けたのは言うまでもない。
そして、王女が小さく声を上げたせいで、大将が会議に遅刻してしまったことも。
***************
その次の日、大将はあからさまに気が立っていた。
(…どうやら、メス狼に逃げられたらしいぜ。)
隊員たちは皆、理解していた。
(俺たちが狼に変化してしまえば、獣族も獣も似たようなもんだしな。)
(狼の中でも、べっぴんな方だしな。)
(ここら、女が少ないしな。)
隊員たちは、違う方向に理解を示していた。
それを知ってか、大将は全員にいつもの2倍の仕事量を課した。鍛錬も2倍の量に増やした。
そして自身も、普段の5倍もの仕事をこなし、くたくたになった体に鞭をうちながら自室へと戻った。
今日は満月。
魔法灯がなくても、ある程度の行動が出来る。
それに今日はもう、疲れ果てたため、大将は魔法灯を灯すことなくベッドへと直行した。
大将はベッドに倒れ込むと、寝がえりを打った。
と、目の前に、王女の寝顔が現れ、大将は飛び上がってベッドから降りた。
「…ん?…レールウェル大将??…」
王女は眠い目をこすりながら、ベッドの上に起き上がった。
「お…王女…、私の行動に怒りを覚え、城に帰ったのかと…
というか、その服…」
「これ?服ではなく、私の国の伝統的なパジャマ…」
王女は自分の着ている浴衣を見下ろした。
上は乳頭が見えないぎりぎりまで開いており、帯の下は片足が完全に出ていた。
どちらも肝心な部分が見えていない、微妙なラインで、大将の心をくすぐった。
とはいえ、大将は完全な裸を何度も見、しかもいたずらまでしているのだが。
「あら…はだけてしまっているわね。失礼。」
王女は優雅にはだけをなおした。
「今日は満月でしょ?
私の国では、満月の夜に人間が狼になるのだけれど、こちらの呪いはその反対ね…。
私がこの国の者でなかったから完全な呪いに掛りそびれたんですって。
だから、満月の日は人型に戻れるのよ。
魔法もちゃんと使えるし。
だから、ちょっと国に戻ってゆかたを調達してきたの。」
「…」
大将は妖艶な王女の言動に少々…大変、困惑していた。
「そういえば、1000人ほどの隣国の軍隊が国境近くまで来ていたわよ?
隣国の城下町に転送しといたから、今、街はごったがいしてるかも。」
王女は静かに笑った。
「と、言うことで、大将、私の呪いが解けるまで、一緒にいましょうね。
満月の日なら、魔法で敵を蹴散らしてあげるわよ。」