に(ファンタジー?)
晴れわたる青い空に、澄み切った空気。
そんな日は必ず、心地よい眠気に襲われる。
今日はいったい、どんな夢を見せてくれるのだろう。
紅茶の美味しい昼下がり、僕は劇的な出会いをした。
喜劇でも悲劇でもなくロマンティックでバイオレンスな現代劇。それは運命的であって衝撃的な遭遇であった。端的に表現すると、僕は突然、見知らぬ女性に銃を突きつけられたのだ。
どうして僕が……。などというつまらない疑問はこの時僕のなかにはなくて、これから始まるであろう映画のワンシーンのような展開を想像し、一人、胸を高揚させていた。
そんな僕の心をしってか知らぬか、彼女は僕のネクタイをむしり取るように引き寄せ、
「逃げるぞ」
と口にする。
僕は待ってましたと言わんばかりに、あぁ。と、少し生意気に言葉を返した。
このとき僕らの逃走劇の幕が開いたのだ。
照りつける日差しを背に、僕らは建物の合間を猫のように渡り歩く。砂埃のたまった細い路地、石のブロックが積み上げられた塀の上、錆びれた廃工場の中、階段状にとびだしたの室外機の上。どこもかしこもちょっぴりスリリングで、エキサイティングな所ばかりだ。
日常とかけ離れたそういう場所を意図的に通っているのかは謎だが、僕にとってはありがたい。だって、こういう非日常が降りかかるのを期待していたのだから。日常から逸脱する日を待ち望んでいたのだから。
目に見えない敵の姿を耳で探るようにして、僕らは静かに歩みを進める。
右か左か。
左か右か。
はたまた遥か前方なのか。
敵の姿は未だに感じ取ることができなくて、踏みつけた小枝の音、吹き抜ける風の音、そんな些細なノイズにすら敏感に反応を示してしまう。そんな僕がなにより恥ずかしい。前方を歩く彼女は、凛と前を見据えるばかりだというのに。
僕は彼女の背に隠れてばかりだ。
どこに向かうのかはわからない。でもきっと、何処か遠くへ行くのだろう。
非日常が在るべき処へ。
日常が退廃した場所へ。
僕らはひっそり脚を進める。
見つかりにくい所へ、探しにくい場所へ、誰も知らないどこかへ。
すると突然、彼女は振り返りこう言ったんだ。
「お構いなしに踏み込んで来い。そうしなければ呑まれるぞ」
意味なんて、わからなかった。
でもきっと、わかるような気がしたんだ。だから僕は嘘をついた。
「そんな事、わかっているさ」
若気の至りというには、まだ年をとり足りていないが、そんなぐらいには愚かな行為だっただろう。
そこはまるで異世界ファンタジー。
路地裏をあっちこっち迷っているうちに、何時の間にか空想世界にきていたようだ。
空の道、粉砂糖のような砂、白で満ちたこの世界は、周りを雲で取り囲まれていた。ふかふかとしていそうなそれは、陶器のように艶やかな光沢をもち、しっかりとした硬度があった。
ここは何処なのか、なんの目的で訪れたのか、何一つわからないままに前を歩く背中を追いかける。
店先に立つ人々の活気、すれ違う人々の笑い声。その全てが先程までの世界と変わらないのに、白だけが不可思議で不気味で違和感を僕に与え続けた。
しばらくして無言だった彼女が言葉を紡ぎ出した。
「ほら、ついた。ここに来たかったんだろう?」
何処についたと言うのだろう?僕に目的地などないはずだ。
そう思いながらも彼女の指が示す先を目で追う。
そこにあったのは、小さなお店。
色とりどりの飾り窓に桃色の高い屋根。まるでかわいいお人形のために作られたドールハウスのようだった。
特徴がないことが特徴の大の大人を、ラブリーでファンシーなこんな場所に連れて来て彼女は一体なにを考えているのだろうか……。
__謎だ。
でもきっと、僕はここに来なければならなかったんだろう。
日常から逸脱した、特別な所に。とりあえず中に入ってみよう。そうしたら、ここに来た意味がわかるかもしれない。
あまり気が進まなかったからか、僕の脚は石のように硬く、重いもののように感じた。まるで自分の体でないようだ。
そんな重い足取りでドアをくぐると、そこにあったのは可愛らしい外見どおりのキュートな小物たちであった。プリザーブドフラワーや、オルゴール、ガラスの香水瓶。どれもこれも、可憐な少女が好んで愛用する様な品物ばかりだ。
はて、彼女は僕を女だとでも思ったのだろうか?
だとすれば、それはひどい勘違いだ。すぐに訂正したい。誤解だと。
そんな場違いでしかない僕を不審にでも思ったのだろう、店の奥に鎮座していたおじさんは腰を上げると僕に声をかけて来た。
「何をお探しだい?」
__探しもの?
そんなものは、ない。
「いえ、特には」
曖昧に言葉を濁すと、それが気に入らなかったのかぐいっと顔を近づけて再度同じ質問をされた。探しものはないのかって。そんなものあるはずがないのに、なぜそんなにも熱心に訪ねてくるのだろう……新手の押し売りだろうか。
でもそうだな、これだけ綺麗なものだらけならきっと一つぐらい僕の心に響くものがあってもおかしくはない。
なんとなしに店内をぐるぐると回っていると、ふと目に入ったのは小さな手鏡。
凝った装飾が施されているわけでもなく、むしろ意識しなければ気づきもしなかったような、なんの変哲もない、ありふれた手鏡だった。
なぜそんなものに手を延ばしてしまったのか。
どうしてこんなに手に馴染むのか。
コップに水を注ぐように心がみたされて行くような気がして、僕はそれを手放すことができなかった。
買ってしまおう。
値札も確認せずにそんなことを思ったのは、初めてだった。
衝動買いという言葉がこれ程に合うこともないだろう。
さて、会計にでも向かおうかと思ったその時、タイミングが良すぎるほどに先程のおじさんが隣に控えていた。
「それかい?」
おじさんは僕の手に収まる手鏡を見てそう言った。
「はい、これをいただけますか」
他のものに比べれば、そこそこ安そうな見た目をしている。華美な飾りもないし、特徴があるものなわけでもない。
ぼったくりでもなければ、そこそこの値段で済むだろう。
「大事にしなさいね」
おじさんの返答は、僕の予想外のものだった。
大事に……は、するつもりだがそれは買ってからの問題だろう?
料金も払っていないこの状況で言われても、反応に困るだけなのだが……。
「あの、これはいくらなんですか?」
めげずに素直に聞いてみると、これまた意外な答えが返ってきた。
「代金なんてもらえないよ。それはもともと君のものなんだから。しっくりくるだろう?ぴったりと収まるだろう?それが君が持ち主だという証だ」
持ち主?
一体なんのことだ……?
それを尋ねようと口を開いたが、そこにおじさんの姿はなかった。その代わりに、名前も知らない彼女と出会う前に見ていた景色が目の前に広がっていた。
そういえば彼女もどこへ消えたのだろう……。
白昼夢でもみていたのだろうか?
納得のいかないあの出来事を思い出し眉間にしわをよせながらも、どこかみたされた心で僕は一歩前に踏み出した。
それはマイナーな噂話。
雲の中になくしたものをくれるお店が在るらしい。
そのお店の名前は、おとしもの。
お店においてあるものたちは、すべて誰かが何処かにおき忘れた小さな感情と記憶の欠片。
心の隙間にぴったりと収まる、わずかな思い出。
暖かな、夢だったと思う。
おひさまの匂いのする布団にくるまれた、ぽかぽかとした心地の良い夢だった。
さてもう一眠り。
次はどんな夢をみるのだろうか。
読んでくださり、ありがとうございます。