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〈想い、想われ〉物語集

想い花

作者: 高戸優

 枯れ果てた花があった。


 再起不能なのは目に見えていた。元通りにならないことも知り得ていた。


 けれど、抜く事だけは出来なかった。


 捨てる事なんて、出来やしなかった。









 花の名何て、とうに忘れた。けれど、確かに大切なものだった。


 愛おしくて、大切で、何者にも代えられないはずだった。


 なのに、目の前のそれは枯れ果てて干からびている。


 何でだろう。どうしてだろう。何処で間違えたんだろう。


 考えながら、地面に膝をついた。そっと触れた花は、既にただのゴミの様で。再生など叶わない様で。


 冷めきった気持ちの中に、疑問符と少々の悲しみがこみ上げる。


 疑問符はいくつかの文章を作りあげて脳内を駆け巡った。


 ――どこで間違えた。一体どこで誤った?


 ――どこで忘れた。一体どこで名前を忘れた?


 ――どこで。一体どこで。


 ――僕はこれを、枯らしてしまったんだっけ?


 自然とごめんね、と声が漏れた。謝罪の言葉を零した癖して、何のことで謝っているかは分からなかった。


 口から零れた謝罪の言葉は、枯れ果てた花に降り注ぐ。


 それでも、まだ何て名前だったかは想い出せなかった。








 添え木をしてみようと想った。数本の木の棒と紐を持ってくる。


 支えられているものの、何とか立ちあがってくれてほっとした。


 それでも花が元気になることはなかった。


 未だに僕は、花の名前を想い出せなかった。






 水を与えれば元気になると想った。じょうろに水をたっぷり入れる。


 枯れ果てた土に水を与えると染み込んで行き本来の色を取り戻した。


 それでも花が元気になることはなかった。


 未だに僕は、花の名前を想い出せなかった。






 薬を使ってみようと想った。一縷の望みをかけて薬を持ってくる。


 白い球を花の周りにばらまき、土の中に丁寧に埋め込んで行った。


 それでも花が元気になることはなかった。


 未だに僕は、花の名前を想い出せないまま。






 花の前に座りこんでどれほどの時間が経っただろう。枯れた花を、どれだけ見つめていただろう。


 目を閉じて、開いてみた。それでも花の名前は想い出せない。花の姿に変わりはない。


 確かに大切な筈なのに、想い出せない違和感。すっきりしない気持ち悪い雰囲気。


 膝を抱えて、顔をうずめる。誰か教えて、と内心で叫んだ。


 この花の名前を誰か教えてください、と。


 沈黙が場を支配した。答えは横からも下からも上からも降ってはこない。


 自分で考えろ、ってことなのだろう。


 嘲笑が漏れた。だって、どうすればいいと言うんだろう?


 これだけ考えても想い出せないんだ。これだけ手を尽くしても咲き直してくれないんだ。


 そんな花の名前を、一体どうやって想い出せと?


 いっそのこと、手折ってしまおうか。想って、手を伸ばす。添え木を外して、萎びた茎に手をかけた。


 上へ、手を動かす。花の根は、想っていた以上に簡単にひっこ抜ける。


 まじまじと見つめた。この花は一体、と想いながら見つめ続ける。


 刹那、頭の中に浮かんだ事があった。唇が震えるほど、手が震えるほど驚いた。


 それは、僕がずっと望んでいた答えで。


 それは、僕が忘れていたことで。


 それは、僕が失くしてしまったことで。


 とうの昔に忘れてしまっていたことで。


 ようやく想い出したこと。ようやく想い出せたこと。


 根を持っていない方の手で、目元を押さえた。涙が絶えず溢れ続ける。


 想い出したこと、理解したことを整理して行く。


 整理した結果は、花が枯れたのは全部全部僕の所為であるということだった。


 涙は絶えずこぼれ続ける。謝罪の言葉も雨の様に降り注ぐ。


 名前を想い出した瞬間、こみ上げた愛おしさ。


 花を元の場所に埋め直す。それでも萎びた茎は元気にならなかった。


 ジョウロに残っていた水をぶちまける。それでも花弁は元の色を取り戻さなかった。


 もう、きっと間にあわない。もう、きっと無理なんだ。


 もう一度花を再生させることなんて。


 愚かな僕には無理で、不可能なことで。


 ただただ、涙を流し続ける。


 変わり得ぬ現実を、ただひたすらに呪いながら。






 涙は枯れ果てた。花も枯れ果てたままだった。


 無慈悲な現実は変わりはしなかった、代わりもしなかった。


 何でだよ、と口の中で呪いの言葉を吐く。


 変わってくれよ、と口の外に願いの言葉を吐きだした。


 どうすれば戻ってくれるんだ、どうすれば元に戻ってくれるんだ。


 花弁に顔を近づける。勢いをつけて埋め、枯れ果てたはずの涙を更に零した。


 美しい匂いさえ消えてしまった、花。汚らしい花弁と化してしまった、花。


 その中に、枯れ果てて汚らしくごみの様な花の中に。




 ―――たったひとつの、希望を見いだした。




 そっと、花の中心に手を伸ばす。指先で捕まえたのは、一粒の綺麗な種。


 光に透かしてみると、枯らしてしまった花から生まれたとは思えない程綺麗な種だった。


 涙の跡が幾筋も残った頬を、更に一筋の涙が伝う。


 悲しさではない、嬉しさゆえのものだった。


 急いで地面を掘っていく。爪の間に土が入る事も厭わず、服が泥で汚れる事も厭わず、ただひたすらに掘って行く。


 十分な深さになった穴に、微かな希望を乗せた種をそっと入れる。上からゆっくりと、土を盛っていく。


 先ほど使ったジョウロに余っていた水を、恐る恐るかけていった。必要最低限、かけすぎないように細心の注意を払って。


 全ての準備は整った。膝をついて手を組む。お願いだからどうか、と懇願した。


 どうか、どうか。愚かな僕に、もう一度だけ。


 目をぎゅっと強く瞑る。


 次開いた時、希望があることを信じながら。


 







 ぐるりぐるり、と思考が回る。






 ――花は、枯らしてはならないものでした。けれど、愚かな僕はこれを枯らしてしまったのです。


 ――追い求めていた日々を、渇望し続けていた日々をすっかり忘れ、生きてしまった故に。


 ――忘れたのは何時だったのでしょう。とんでもなく昔の様な気もするんです。


 ――……忘れた時を忘れるなんて、本当に愚かだったんですね。


 ――ようやく掴んだ希望も、こんなに愚かな僕の為に動いてくれるか分かりません。


 ――けれど、願うことくらいいでしょう?





 くるりくるり、と願い続ける。




 ――忘れていた僕が言えた事じゃないけれど、失いたくないんです。取り戻したいんです。

 ――……わがままでしょう? どうぞ、笑ってやってください。


 ――馬鹿だな、我儘はほどほどにしろと叱ってやってください。


 ――名前すら忘れていた癖に、と非難してやってください。


 ――それでも、僕は諦めたくないんです。


 ――誰に何と言われようと、僕は、絶対に――。









 くるりくるり、何度となく願いを回した後。


 恐る恐る目を、開けた。


 かすかな希望が、与えてくれた未来。





 零れた涙は、幸福か絶望か。








 誰もが、何かを失くして生きている事でしょう。


 誰もが、忘れて失くして殺して生きている事でしょう。


 それらに、後悔のない選択などありません。


 再生させたいと願った時、幸せな未来が待っている事を、願っています。

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