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P71

「何もできない、やろうとしても時間がやたらかかる。

 遅かろうが、失敗しようが、あらあらまあまあ、うふふ、ってなもんだ。

 それがイライラしてな、うちに帰らなくなった。

 ばあさんはできないなりに、必死だったんだろうな、

 佐和子に、自分が知る限りの世間の常識ってやつを叩き込もうとした。

 もちろん、ほとんどが間違いだ。

 俺が気づいた時には、もうどうにもならんような状態だった。

 女は跡取りの男を産んでこそ人間の価値があるとかいいだして、くらくらしたよ。

 江戸時代かよ。

 あれがあんな風になったのは、だから、俺のせいなんだ」


カキのスモークをフォークで刺して、そのまま口に放り込み、

ワインを流し込む。

首の後ろを揉みながら、ばあさんが、癌になって、と言葉を続けた。


「もう長くないって知ってから、初めて、大事なやつだって気付いたんだ。

 あいつはいつでも、放っておいてばかりのひどい亭主だった俺を、

 一番に考えてくれていた。

 俺が見た世界の、ほんの一部でも、

 この世の中はきれいなものやすげえものがいっぱいあるんだって、

 見せてやりたかったんだが、あっという間に弱って。

 しんどいくせに、弱音の一つも吐かずに笑っていやがるんだよ。

 伊月よ、金はな、ないよりはそりゃ、あった方がいい。

 ばあさんの治療するんだって、どこか連れて行くにしたって、

 金があってよかったと思うよ。

 けどな、働いて、身の丈に合った生活して、

 ハラさえ減らない程度に食えていれば、金なんてその程度ありゃいいんだ。

 やりたい事なんてものも、死ぬまでの時間はたっぷりある。

 間に合わなくて死んじまえばその後のことなんて、

 てめえではどうせわからないだろ、死んでるんだから。

 それだけの男だったってだけの話だ。

 惚れた相手が死んじまうってのは、これはきつい。

 どんなに会いたくても、

 うまいもん食って、あいつにも食わしてやりてえなって思っても、どうにもならん。

 すげえ事して、一緒に喜んでくれるやつがいないなんて、寂しいぞ。

 好きなやつを助けたいと思ったら、力をつけろ。

 その力を自分のためだけに使っているようじゃ、やっぱり虚しいもんなんだ。

 だからな、惚れたやつができたら、なんでもやってやれ。

 好きなやつは、友達だろうとなんだろうと、飽きるくらい一緒にいたらいい。

 人ってもんは、人には飽きないんだ。お互い、常に変わっていくからな」


珍しく熱弁をふるうじいちゃんをじっとみていた。

きっと一年前の自分だったら、

必死になってだっせーな、とか思っていたかもしれない。

けれど、今はじいちゃんの人生が、想いが胸に詰まる。

手を止めた僕の視線の先で、ワインの瓶を自分で持って、グラスに注ぐ。

大きくひと口あおって、ため息をついた。


「コウサキもな、跡取りなんて、考えてねえんだ」


「え」


じいちゃんが言っているのは、グループ企業の事だろう。

どういう意味だ?

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