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冬休みが終わって、お正月の雰囲気も消えた、ある金曜日の夜、
じいちゃんにジルエットに呼び出された。
「よう、なんだ伊月、男らしい、いい面になったな」
じいちゃんはお世辞なんていわない。誇らしい気持ちでいっぱいになる。
テーブルに付くといきなり、リュシオルへの寄付、全額切った、といいだした。
寄付をしていた事自体初耳だ。
「去年は寄付金だした後で、お前の進学を知ったからな、狡いよなあ。
伊月を他の学校にやったって俺が怒ったのを知った佐和子が、
学校が勝手にやったって、逃げやがったんだよ。
で、学校に対して、そこまで孫コケにしておいて、
寄付金集ろうってんじゃねえだろうなってやってやったわけよ」
それで、実質一番困るのは、ばああと陽一だ。
陽一は今年高校三年になるからあと一年過ごさないといけないし、
その後きっとリュシオルの系列の大学に進学するつもりだろう。
そうでもなければ、やつの成績じゃたいした大学にはいけない。
寄付金を出す、ださないであからさまに差別されるわけでもないだろうけれど、
経緯がこんなんじゃ、学院内での立場というものがないはずだ。
「それでな、その寄付金の半分を蓬泉に廻して、
残った半分で幹部を慰安旅行に行かせる事にしたんだ。
グァムでゴルフだとよ」
幹部の旅行なんだから当然、社長である昭弘君も参加だ、という。
親父もかよ、ひでえ。
リュシオルに贈られるはずだった寄付金で、親父が慰安旅行なんて、
ますますばばあと陽一の立場がない。
呆気にとられていると、そんな顔すんなよ、という。
「なあ、伊月。お前には悪いが、これはお前のためって訳じゃないんだ。
佐和子も陽一も、今のままじゃろくなもんにならねえ。
いい加減、他人の、っていうより、実際は身内だけどよ、
足引っ張ったっていい事ないだろ。
ここらで、てめえらで踏ん張る事、覚えないとな。
やつらにはちと厳しいけれど、
ここで腐らねえで切り替えられるかどうかってところだな」
「自力で踏ん張る? あいつらが? 無理だろ」
運ばれてきた前菜のテリーヌをナイフで切りながら、
上目遣いにちらっとじいちゃんを見て言った。
じいちゃんは、ふ、と肩を落として、まあな、といった。
「俺はな、あいつらを嫌っているわけじゃない。
あんなでも、いいところもある。ただ、底抜けにバカなんだな。
あいつらには、気の毒な事をしたって思ってるんだ」
じいちゃん。何を言おうとしているんだ?
いつものふざけたような空気と少し違う。
ワインに口をつけて、話を続けた。
「ばあさんは、戦後没落したけど、すげえ家のお嬢様だったんだ。
俺のうちは逆だな、貧乏だったけど、なんでか知らん、
親父は戦争で儲けたらしい」
じいちゃんは、子供の頃から自分の事は自分でしろ、と躾けられたらしい。
家に金があるのをいい事に、学校にもほとんど行かず、
世界中を放蕩して歩いたんだそうだ。
あんまりいつまでもふらふらしていたので、
気が付いたら見合いをして結婚する事になっていた、という。
ばあさんは、何にもできないやつだった。
家事のさしすせそは知っているか、と聞かれた。
「砂糖とか味噌とかいうやつ?」
と答えると、それは調味料だ、
さ、は裁縫、しつけ、炊事、これはメシを作る事だな、
洗濯、掃除、これが家事のさしすせそだ、と教えてくれた。
それの、どれも全部だめだったんだ、という。