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修のお母さんには双子の兄がいて、両親から兄妹で差別されて育てられていた。
溺愛される兄と、存在を否定され、金を稼がせるだけの奴隷のような妹。
兄弟に対してまるで接し方が違う親が世の中に存在している事は、
僕は嫌って程に知っている。
ただ、僕にはじいちゃんがいて、お金で雇われていたとはいえ、
家政婦や家庭教師や、バイオリンとかピアノの先生がいた。
僕を守り、受け入れ、支えてくれる大人がいた。
修のお母さんを守るため、お父さんは元担任教師としていろいろ尽力していた。
やがて二人は結婚して、
娘を金蔓にしようとする両親から逃れるように他県へ引っ越し、修が生まれた。
けれど、修が未熟児で生まれて病弱だったこと、
産まれつき染色体に異常があった事などから、
お母さんは自分を責めて病んでいってしまったのだそうだ。
僕は、なんとなくわかる。
本当はお母さん、すごく幸せだったんじゃないんだろうか。
修が病弱だったのは、それは大変だっただろう。
けれど、必死で看病し、子供のために尽くすうち、
自分はこんな風に親に愛されていなかった、と気付いてしまったのだろう。
修のお父さんは、きっと、とてもいい父親で、いい夫だったと思う。
自分が幸せであるという事、
幸せであってはいけないという、幼い頃からの両親からの刷り込み。
修を守りたいという気持ちと、愛されて育つ事への妬み。
自分を受け入れて、守ってくれる夫に、素直に甘えられない葛藤。
結局、修はお父さんと血の繋がった親子だった。
おじいちゃんとおばあちゃんの、孫だった。
お母さんは、幸せを失う日が来るかもしれないという恐怖に、
囚われてしまったんじゃないかと思う。
強く、強く思い続けて、そうして、
その思い込みはお母さんの中で現実になってしまった。
悪いとしたら、お母さんの両親だ。
修のお母さんを、思い描く最悪のシナリオの中でなければ、
安心できない人にしてしまったせいだ。
「母さんから目が離せない事をいいわけに、聞き分けのいい、
賢い、優しい子供だったお前の事を後回しにしてしまっていた。
父親らしく接する事も、父親としての義務も、なにも果たせないまま」
修のお父さんは、そういって再びうな垂れた。
なんとなく、彼は僕だと思った。
好きな人から目が離せなくて、それ以外の事、
日常生活や他の人たちに気が回せなくなって。
いや、一緒にするのは申し訳なさ過ぎるくらい、
彼の方がひどい状況だったはずだ。
修の表情を窺うと、ほぼ無表情に、視線をベッドの上に落としている。
廊下から、カラカラという何かのタイヤが廻りながら通り過ぎる音や足音、
ピンポンという呼び出し音の後のくぐもったアナウンスなどが遠く聞こえる。
「走って、いいの?」
囁くように、修が言う。修のお父さんと僕が修を見る。
「怒っても、いいの? 思い切り、笑っても」
修の父さんの目から、涙が溢れて頬を伝い、口が震える。
「かみさまが、生きていちゃいけないって、言わない?」
「修、いいから、もう、いいから」
思わず修の腕に触れて言葉をかけると、僕の方に視線を向けた。
目の淵いっぱいに、溢れそうに涙がたまっている。
「誰かを好きでも、
好きになってもらって、うれしいって思ったとしても?」
胸の奥がぎゅっとして、言葉が出ない。
「済まない、修輔、本当に済まなかった。
お前は、お前がしたい事を、なんでもしていいんだ。
お前には、なんの罪もない。自由なんだよ」
わあ、と、修が泣き出した。
今まで、抑えるように、堪えきれずに泣いたところは何度か見ていたけれど、
子供がうえーんと泣くように。
何かが溶け出すような感じがして、僕もつられて涙が溢れた。
修のお父さんも声を抑えきれずに顔を伏せて泣いていた。
病室のドアが勢いよく開いて、ちょっと年齢のいった看護師さんが、
驚いた表情で入ってきた。
「どうしました?」
いえ、あの、と、説明しようとしたけれど、言葉が詰まって出てこない。
患者を含めて大の男三人がわーわー泣いていたので、
どうしましょう、そんなに泣かないで、
と始めのうちは慰めてくれていたけれど、止まらずにずっと泣いていたから、
「いい加減にしてください。
患者さんの負担になるようなら、お帰りいただきますよ」
と、三人して怒られた。