P38
「このペンって、借りたもの?」
午後の片づけ中、修の声に、秘かに耳を澄ます。
女子の誰かが、美術室から借りてきた、手が空いていたら返してきて欲しい、
と告げると、わかった、と応えて修が教室を出て行った。
数分、机の位置を直したりしていたけれど、堪えきれずにその後を追った。
美術室のある二号館は、しんと静まり返っていた。
階段を登って行く、上履きの擦れるような足音は修だろう。
そっと足音を忍ばせてゆっくり進む。
階段を昇りきって廊下の先に視線を移すと、
ちょうどカギを外した修が美術室のドアを開けて中に入っていくところ。
開けっ放しのドアから教室をのぞくと、奥の扉の向こうに背中が消える。
自分は何をしようとしているんだろう。
素早くそのドアまで移動して入り口に立つと、狭い倉庫のような薄暗い部屋の中、
気配に気付いた修が振り返ろうとしていた。
その動きのまま、右手で修の左肘を思い切り掴んで引いた。
持っていたペンが床に落ちて、バラバラと散らばる。驚いた目で僕の顔を見て、
「伊月?」
とぽかんとする。
なんで、あんな女。あんな女より。頭の中が、どくんどくんと脈打つ。
肘を掴んだ手に力が入ると、いた、と怯えたような表情を浮かべる。
そんな目を、みせるのか。僕にも、誰にも見せない表情を、あの女には。
肘を掴んでいた手を離し、肩を押して棚に押し付ける。
右手で修を押さえたまま左手で棚を掴み、ぎゅっと目をつぶった修を間近に見る。
みつめる先でそっと目を開けて視線を彷徨わせて、目が合う。
だめだ、抑えられない。首筋に唇で触れようと体を前に倒す。
修の髪に触れる。そこで、数秒こらえて動きを止めた。
「伊月」
かすれた修の声。呼吸の音と、その息が触れるのを感じる。
「いたい」
僕は、何をしているんだ、まじで。
奥歯を強く噛んで、ゆっくり体を起こして、修を見る。
僕を見返す目に浮かぶのは、困惑。
踵を返して、二号館から走り出た。くそ。
午後はHRの時間まで、ひと気のない所でさぼって時間をつぶして教室へ戻った。
何かいいたそうに修がこちらをみていたけれど、気づかないフリで急いで帰った。
問い詰められても、何もいえない。
その日以降、普通にしていようと決めた。
僕さえいつも通りなら、修も機嫌よく接してくれる。
けれど、ふとした時に湧き上がる、締め付けられるような痛み。
醜い感情。これは、嫉妬だ。
そんな事をしてもなんの意味もないのに、修を引き裂いて壊してしまいたくなる。
修が打ち上げの話をしようとすると、どうしても、
金曜日はあの女と過ごすのだろうという思いで頭がいっぱいになった。
結局、湊も早瀬君も、その話題に触れなくなって、週末を迎えた。
最悪の週末だった。金、土曜日に湊がメールをくれたけれど、どちらも無視した。
今頃、どこで、どんな話を。何を、しているんだろう。
自分を追い詰めて傷つけて、何が楽しいのか。
それでも考えるのを辞められなかった。