表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/74

P36

その願いが通じたのか、二日目で慣れて来ていたのか、

とても軽やかで美しいアンサンブルになった。

昨日のような、迫力のある演奏、というのとは少し違う、

優雅に気遣ってくれるような、僕の知る「修らしい」イメージに近いもの。

僕も早瀬君も、余裕を持って力を出せる。

心地よい空気のまま、演奏はあっという間に終わってしまった。

三人で視線を合わせて席を立つと、客席が波打つように動いた。

ほぼ全員が立ち上がって大きな拍手を送ってくれている。

そして通路を、華やかな波が寄せるように、数人が駆け降りてくる。

舞台袖から「走らないように」と声を掛ける先生の事は、誰も気にしていない。

ぽかんと立ち尽くす修に、いこう、と声を掛けて舞台の端に進み、

しゃがんで花束を受け取り、握手を返す。

ここに出場すると決めてから一週間。三人で合わせたのは、たった一回。

予想以上の充分すぎる結果に、感極まった。


一般公開中、昨日よりごった返す学園内を、アリスのドレスを着た修と歩いた。

変わった格好をしているやつはたくさんいたけれど、やっぱり修は目を引くらしい。


「ちとトイレ」


「うん、外で待っているね」


体育館前で思いついてそういうと、修は少し離れたベンチに腰掛けた。

さすがに、修は、一般公開されていない校舎のトイレだけ使う、といっていた。

体育館のトイレは混んでいて、

さらに出たところで他のクラスの何度か話した事のあるやつに声を掛けられて、

数分立ち話をした。

修のところに戻ると、ベンチの隣に、一般客の男が座っている。

ぴり、と嫌な感じがして、そっと近付いた。

こっそり盗み聞きすると、いやらしい声のトーンで、

君、男の子なんだ、何歳? なんて聞いていて、

修もバカ正直に十五歳です、と答えている。

さらに静かに背後から近付く。

修はもそもそと、困ったように体を離そうとしているのがわかる。

その男が、修の手を握っているのが見えた。全身の血液が黒く逆流する。

思わず殴りかかりそうになるのをぐっと抑えた。騒ぎにするのはまずい。


「あの、一年一組に、遊びに来てください、ね」


「へえ、そうしたら、君がサービスしてくれるのかな」


怯えるように俯く修に構わず、顔を近づける。

修の手を握っていた手が、膝の内側へ滑り、太ももを這う。

なにしてくれてんだ。怒りと衝撃で、逆に体が動かない。


「あ、あの」


必死そうな修の声に、ほんの少し、緊張が弛む。

そう、そんな事されたら、すぐにちゃんと拒否しないとだめでしょう!


「あの、僕でよかったら」


気が付いたら、二人の座るベンチの前に飛び出していた。

きょとんとする修と、僕の形相にひきつった視線を向ける、二十代半ばくらいの男。

修、いま、なんていった? ぎっと睨むと、


「あ、伊月、おかえり」


と、へらりと笑う。おかえり、じゃないだろ。

幸いというか、その男も自分の行為がまずい事だという認識はあったのだろう、

おどおどと修から距離を取る。


「僕のアリスに、触るな……だ、ぴょん」


男は、言葉にならない声をごにょごにょ言って、その場から逃げていった。

ほっと力が抜ける。


「伊月」


静かな修の声に、やっと顔をあげる。

お礼はいいよ、というか、これからお説教ですよ、修輔さん。


「なんであんな言い方。

 せっかく一組に遊びに来てくれそうなお客さんだったのに」


はああああ?

驚きすぎると、声もでないね。ちょっと落ち着こうか、自分。


「確かにさ、教室にはあんまり戻らないで宣伝してきてって言われているけれど、

 ちょっとくらいは案内とか、

 中の進行を手伝ったっていいんじゃないかと思うんだよ。

 せっかく指名してくれているんだし。

 こっちからお願いして来てもらうんだから、

 最後の飴だって、一個くらい余分にあげたって」


ねえアリスちゃん。君の言うサービスって。

誰が飴の心配なんてした? がっくりとベンチに腰を下ろす。

修は、「女の子を守りなさい」みたいな躾は厳しくされていたようだけれど、

自分の身を守るといった感覚が全くない。


「あのね、修。さっき、触られたりして、嫌な気、しなかった?」


僕の問いに、ぐ、と詰まって、それは、と、目を伏せる。

子供に諭すように続ける。


「嫌だと思ったら、そう言っていいんだよ。やめてって。ね、わかる?」


「でも、嫌そうな態度したりしたら、悪いかな、って」


自己評価が低すぎていらいらする。

相手は幼児、相手は幼児、と自分に言い聞かせてなんとか平静を保つ。


「もし、あの人が、修が嫌がってないって、

 そういうのは悪い事じゃないって思って、

 他の人にも同じような事をしてもいいの?

 小さい子が同じような事をされて、怖くてだめって言えなくて、

 嫌な思いをしても?」


はっと僕の顔を見て、泣きそうな表情で首を横に振る。


「嫌な事、ああいう事を、我慢しないでいいんだよ。

 次は、ちゃんとだめっていうんだよ?」


「うん、ごめん」


「修が悪いんじゃないから。僕も、修を一人にしてごめん」


うな垂れる修に、さ、遊びに行こう、と声をかけて立たせる。

その後も、それほどはひどくないけれど、多少似たような事があった。

わかった、といったからって、いきなり強気で拒否できるようにはならない。

修のアリスに合わせて時計ウサギを模し、ウサギの耳をつけていた僕は、

怒鳴りつけそうになる自分を抑え、怒りを隠し、少しでも語調が柔らかくなるよう、

語尾に「ぴょん」をつけて修を庇い続けた。

あと数回「やめるだぴょん」といったら、

本当にうさぎ人間になってしまったかもしれない。

すごく疲れて、充実して、思った以上に楽しかった文化祭は、

あっという間に終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ