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謝る、とは決めたけれど、あのメートルに頭を下げないといけないなんて、
さすがに落ち込む。
どんな風に言えばいいだろう。
自分の中のタイミングを測るように、呼吸を整えながら店のドアをみていると、
修が追い越して行ってドアを開けようとした。
と、向こうから自動ドアみたに開いて、さっき店内にいた最後の客がでてきた。
さすがにびっくりして固まっていると、
「先ほどはお食事中、お騒がせしてすみませんでした」
と、修が頭を下げた。
え、修が謝っちゃうの?
奥様方二人を見ると、さっきまでの不審そうな表情から、
うれしさを抑えるように口元と目元が秘かな笑顔の形になっている。
僕は、こういう時のカンは外した事がない。
弱りきった風に、小さな声で、ごめんなさい、と、
わざと子供のようにぺこりと頭を下げた。
「あらあ、いいのよう。ね?」
という、テンションの高い声が頭上から降って来る。
この年代、自分の母親の少し年上くらいの女性は、
自分の息子より少し下くらいの年齢の男の子に、基本的に滅法弱い。
特に修は、素直でお行儀の良さそうな雰囲気で、童顔できれいな顔立ちをしている。
丁寧に謝罪なんてされたら、可愛くって仕方なくなるだろう。
僕はその雰囲気を壊さないように、弱ったところを見せて下手に出ていればいい。
修はそのテンションの高さに一瞬驚いたような表情をして、
本当に、申し訳ありませんでした、とまた頭を下げた。
「いいの、いいの、じゃ、おやすみなさいね」
手を振りながら門から出て行く二人の姿が見えなくなるまで見送ると、
塀の向こうから、可愛かったわねえ、という声が聞こえた。
こういっちゃなんだけど、ちょろい。
店の方に振り向くと、僕より少し店側に立つ修の、強張った背中が見える。
その向こう、ドアのところに、さっきのチンピラ・メートルが偉そうに立っている。
修が頭を下げて、僕にも謝るようにといった視線を送ってくる。
修まで頭を下げる事、ないのに。くそ、なんでこんな屈辱。
いや、考えるのはよそう。さっさと終わらせた方がいい。
「ひどいこといって、ごめんなさい」
胃がぎりぎりと痛んだ。悔しくて、悔しくて、涙が落ちた。
そのまま地面を見ていると、やつの足先が店の中に入っていくのがわかった。
修がそばに来て背中にそっと触れた。
いこう、という意味だと取って、うん、と頷いて店へ進んでいった。
メートルが入り口脇によけて僕達を店内へ通す。
そっちを見ないように正面奥に視線を向けると、
厳しい表情で細倉さんが立っていて、こちらへ、と奥の部屋に招かれた。
そこはディレクトールの執務室のようだった。
部屋の奥にしっかりした大きな机が壁に背を向ける形で置かれ、
手前側には簡易的な応接セットがある。
左側の書棚には料理に関する本や、
なぜかルネッサンス芸術についての本なんかが置いてあって、
壁には風景の油絵が掛けてある。
とっとと謝ってさっさと帰ろうと思ったんだけれど、
途中にしていた所用でもあったのだろう、ちょっと掛けて待っていて、といって、
部屋から出て行ってしまった。
じゃ、とりあえず、と応接セットの手前側の椅子を使おうとしたんだけれど、
修は入り口あたりに立ったまま動こうとしない。
どれだけ掛かるかわからないのに、立って待つのかよ。
だるいけど、ここは修に合わせよう。
二人とも沈黙を守ったまま、幸い、数分程度で細倉さんが戻ってきた。
立ったまま待つ僕たちに少し驚いた風に、椅子をどうぞ、と勧めてくれたけれど、
これも修が、すぐお暇しますのでここで結構です、と辞退する。
なるほど、それが修の誠意の見せ方なのか。
修のそういう、イマドキの高校生らしくない矜持に感心することがよくある。続いて、
「お仕事中、突然お邪魔して申し訳ありません」
と、深々と頭を下げる。