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ワインの味を教えてくれたのもじいちゃんだ。
遊び人で、食道楽で、そのままそれを仕事にしちゃった人だった。
中学に入る前から、少しずつテイスティングに付き合わせてくれた。
親父は、未成年に、とごにょごにょ言っていたけれど、
「フランス(だか、ロシアだか。どこか外国)では、
水代わりに飲んでいるんだぞ」
といわれて、そうですよねぇ、さすがお父様! とかへこへこしていた。
黙ってろよコメツキバッタ。とか思ったけれど、
知らん振りして、「おじいちゃん、このワインおいしいねぇ」と、
無邪気を装ったりしていた。
思えば、親父は気の毒な人だ。真面目すぎる、自己犠牲の人。
嫌ならイヤっていえばいいし、断ればいいのに、
それができないせいで損ばかりしているようにみえる。
じいちゃんは、跡継ぎなんて面倒くさい、財産は残さず、
全部遊びに使い切って死ぬって主義だったらしいんだけれど、
一人娘がそれを承知しなかった。
跡継ぎを産むから仕事のできるムコを!と息巻いて、
面倒になったじいちゃんは、面倒を断れなさそうな部下にムコ探しを押し付けた。
押し付けられたのは、じいちゃんに心酔している、細倉さんって人。
細倉さんは、自分の部下で一番真面目な、面倒を断れない男を紹介した。
これが、僕の両親の馴れ初め。
当然というか、そんなわけで親父はじいちゃんに頭が上がらない。
ある日幼稚園から帰ると、
突然、家にグランドピアノとバイオリンと、それぞれの先生がやって来た。
ばばあは、今日からピアノとバイオリンをしなさい、とだけ言ってどっか行った。
僕は未就学の幼児だったけれど、唖然とした。
それまで楽器なんて僕の世界になかったのに、突然なんなんだ?と。
唖然とする4歳児は、なかなかにシュールだったと思う。
それでも、この新しいおもちゃを僕はすぐに気に入った。
ばばあにしては気が利くと思っていたら、じいちゃんの発案だったんだそうだ。
やっぱりね。
この二つは、僕にリズム感やら表現力やらをつけてくれたし、
やがて、女の人を口説くのに大活躍してくれた。
ここまで話して今さらだけれど、僕には、陽一という一個上の兄がいる。
血が繋がっていると思うと気が滅入ってくるようなヤツ。
暗くてオタク、ブサイクでとろくて、
自分の靴下がどこにしまってあるのかさえ知ろうとしない。
塾とかぎっしり通わされているくせに、成績は下から数えた方が早い。
いじめられてはいないようだけれど、嫌われているのは知っている。
特技も、目立つような何かもないのに、尊大で、
すぐ人を見下すような男と友達になりたいやつなんていなくて当たり前。
僕が唯一アイツに感謝しているところがあるとすれば、
先に生まれてくれたおかげで長男にならずに済んだ事。
うちの母親は、どういうわけか跡継ぎに命を懸けている。
長男じゃなくてよかったと思うところはいくつもあるけれど、
最悪なのは、誕生日。
ヤツは毎年、じいちゃんの持っているホテルの式場を使って、
盛大な誕生日パーティをする。
僕は、子供だからとかいう理由で特に誘われもしなかったし、
興味もなかったから参加した事はなかった。
それが中学2年の時、じいちゃんが、いろんな世界をみておくといい、
パーティに行くのなら、自分の贔屓にしているテーラーでスーツを新調してやる、
といいだした。
ヤツのパーティなんて行きたくはなかったけれど、
いつもお洒落なじいちゃんにスーツを仕立ててもらうというのは魅力的だった。
とても感じのいいお店で夜空のように深い濃紺のスリーピースを作ってもらい、
当日、じいちゃんのごっつい車に乗せてもらってパーティ会場へ行った。