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クラスマッチの余韻を引きずる間もなく、実力テストが目前に迫っていた。
僕と湊と修は、たまに一緒に勉強をするようになっていた。
僕の勉強のタイプがモロ文系だというのは、以前から家庭教師に指摘されていた。
湊も僕に似たタイプ。それに対して、修は思いっきり理系のようだった。
新しい分野に入ると、すとんと納得してぐんぐん先に進んでしまう。
僕と湊が全体像を掴めず、納得できなくて戸惑っていると、
修が「ああ、伊月、ここで引っかかったでしょう」と、
ピンポイントで解説してくれる。
たまに、いや、そこじゃなくてって時もあったけれど、解説を聞いていると、
確かにその部分が理解できれば全体が掴みやすかったりした。
なんでわかるんだ、すごいなって思わせておいて、
僕と湊があっさり理解できるところに躓いたりする。
お互いに解説しあったりする事はいい刺激になって、理解度も意欲も高まった。
実力テストの結果は、修と僕が相変わらずの1位2位、
湊が9位から7位になって、夏休みを迎えることになった。
夏休みといっても、お盆までの前半はほぼ毎日夏期講習があって学校に行く。
2、3時間でその日の授業が終わった後は、
湊と修に僕のマンションに寄ってもらう事が多かった。
一緒にお昼を食べて、その日の復習をしたり雑談をしたり。
それで、夕方の5時くらいに二人とも帰っていく。
その日、8月7日は僕の誕生日だった。
もともと誕生日にはこだわりがない、というか、陽一の事もあって、
誕生日のお祝いにいいイメージを持っていなかった。
一般的に子供が誕生日を楽しみって言うのは、
ケーキが食べられるとか、おもちゃを買ってもらえるとか、
なんらか付随するごほうび? があるからじゃないかと思う。
僕はぶっちゃけ、ケーキだっておもちゃだって、誕生日にこだわらず手に入ったし、
そんなわけで誕生日が特別っていう思いもなかった。
なのに今日は、なぜか朝から落ち着かなくて、夜遊びに行きたい気分だった。
けれど、こっちにはまだ夜遊びに誘うような友人もいないし、よく知った店もない。
明日は学校の講習もないけれど、誕生日にわざわざ実家に帰るのなんて、
それこそ嫌だ。
そのうち、遊びたい気分も落ち着くかと思っていたんだけれど、
いざ湊と修が帰ると言い出すと、
どうしても、せめて夕食だけでも誰かと一緒にとりたい気持ちが治まらなくなった。
知っている店は少ないし、行くとしたらじいちゃんの店のうちのどれか。
そのどれも、実際には行った事がない。そうしたら、細倉さんのところ、か。
以前、細倉さんがメートルを勤めていたお店に行ったことがあった事を思い出す。
フランス料理店の従業員は、その立場や役割が厳密に決められている。
それこそ、皿洗いにだって「プロンジュール」という名前がつけられているくらいだ。
役割は大きく分けて3つ。
まずは経営陣。経営者は、パトロンと呼ばれる。つまり、これがじいちゃん。
支配人はディレクトール。実質的なお店の方針を決め、営業状態を管理する。
もう一つが料理を作るグループ。
お金をもらって食事を出す以上、料理の味や盛り付けが重要なのは当然。
ちなみにシェフ、というと、日本では料理人の意味に取られがちだけれど、
これは英語で言うとチーフ、つまり責任者って意味。
料理人はキュイジーヌ。シェフ・ド・キュイジーヌで料理長ってわけだ。
でも、基本的に責任者といえば「料理の」責任者を指すので、
シェフ=料理長で通じる。
大きな店になれば、肉を焼く専門の料理人、ロティスールとか、
食材の下ごしらえをする料理人、ガルド・マンジェなんていう専門職も置かれる。
デザート担当の料理人、パティシエや、
ワインの管理担当のソムリエ辺りは有名だから、知っている人も多いだろう。
そして最後の一つが、給仕のグループ。
テーブルのセッティングや料理の配置、説明。
直接お客様と接する彼らの対応で、お客様が感じる料理の味まで変わってしまう。
店で食べるという、非日常的な行為に、
よりよい雰囲気と快適なサービスという重要な価値を付加するのが、彼らの役目。
中でも給仕長のメートルは、その店全体の雰囲気を決めるといっても過言じゃない。
料理の知識、その日、供する料理に対する説明を的確にこなし、
文化、芸術だけじゃなく、宗教や政治、
経済などの時事ネタにも精通している事が求められる。
質問によどみなく答え、かつ慇懃であり、お客様の様子を瞬時に判断して、
給仕の一般職、ギャルソン達にさりげなく指示を出し、店を切り盛りする。
細倉さんがメートルをしていた店は、料理長が厳しい職人肌の人で、
最高級の食材を使って、こだわりの料理を提供する事に誇りを感じるタイプだった。
けれど、経営担当者は常に高価な食材を使う事を許すわけにはいかない。
料理の価格と原材料のコストのバランスを考えてこその経営だから、
これは仕方ない。
意見が対立しがちなその二人をうまく橋渡ししていたのが、
メートルの細倉さんだった。
給仕のセンスも、質も申し分ないのはじいちゃんのお墨付き。
彼が数年前、ディレクトールとしてこの近くに店を持ったと聞いていた。
彼の店なら友人を連れて行っても失敗はないだろう。