第2話 ロンタイ・ホテル
僕達を乗せたバスは空港を後にした。
観光客が多いせいだろう。道幅は広く,路面は滑らかでよく整備されている。
でも,どっちを向いても荒れた赤い土ばかりの砂漠のような風景だ。
いたる所に大小の穴が無数にあり,その穴の縁にわずかに背の低い緑が見える。
金髪頭のガイドさんの話しによると,空港のあった所には
第二次大戦中には陸軍の飛行場があったそうで,この辺り一体上陸して来た
連合軍との激戦地になったらしい。
戦場になる前はそれは緑豊かな草原で,海鳥たちの格好の住家だったのに,
戦闘により土が掘り起こされ,現在のような風景になってしまったと言う事である。
この赤土は硫黄分を含むため植物は育たないし,動物も住めない。
たくさんいた海鳥たちはどこかよその土地へ行ってしまった。
人間の手を加えない以上は以前のような草原には戻らない。
この国の人達が戦争の悲惨さを忘れない為に,また他の国の人にも知ってもらう為にも
政府もこのまま手を付けないで残しているそうだ。
おばちゃんガイドは言う。
「空港から市内へ行くには必ずここを通ります。御客様に聞かれなくても
この土地の説明をするのが私の生きがいなんですよ。」と。
ガイドの説明に社長連中はうなづきながら聞いていた。
「うん・・・戦争は悲惨だよ・・・でもヘヴイな話しはあまりうれしくないな。」
僕は持ってきたウォークマンを取り出し,ヘッドホンを掛けた。
僕達のバスは市内を目指している。
市内に近づくにつれ,緑も多くなり,建物も増えてきた。
道路沿いには観光客向けのレストランやみやげ物を売っている大きな建物が点在し,
僕達のバスと似たような派手なバスがあちこち止まっている。
その奥の筋には,たぶん住宅だと思うけど,鮮やかな建物が軒を並べている。
それぞれの建物は個性的でありながら,色使いは統一されており周囲の緑とよくマッチしている。
観光客向けの建物が無かったら,美しい田舎の風景と言った感じだ。
昼食前に1ヶ所観光する予定になっていたが,まだしばらく時間かあったし,
さすがに腹も減りすぎてきたので僕はビールを飲む事にした。
冷蔵庫からビールを取り出そうと,バスの最前列まで歩いて行った。
「おっ!もうビールを飲むのか?」
「は,はい・・・っ,ちょっと小腹がすいたもんですから・・・」
「昼飯前なんだし1本くらいにしとけよ。ついこないだの旅行の時も飲み過ぎて
トイレタイムと言っては何度もバスを止めただろう?
それに今日は夜のために体力を温存しとかんといかんぞ。どら,俺にも1本取ってくれ!」
僕は心に余裕が出てきたせいかボスのダメ出しにムッとした。
「ちぇっ!こんなとこまで来てうるさい社長だ。ビール1本くらいでガタガタ言いなさんなって。
それに自分だって飲むんじゃないか。」
そう思いながらボスにビールを渡すと,俺も俺もとみんながビールを欲しがった。
結局僕は全員にビールを配って廻った。
「良かったら運転手さんもビール飲みませんか?」
「イエイエ,私運転ガアリマス。ダカライラナイデス。ハイ,サンキューデス。」
「ですよねー。」
八つ当たり気味に大人気ない事を言ってしまったとちょっと反省した。
席に戻ると思い切りビールをあおった。
乾いた喉をかきむしりながら食道から空腹の胃袋へと落ちていく。
「か~っ,きく~っ!ビールはやっぱりウルトラドライだ。」
僕は3口ほどで360mlを飲み干した。
スキっ腹なので酔いが廻るのが早い。酔いと言ってもほんのほろ酔い気分なんだけど
ビール1~2本程度の酔いが一番心地良い。
続けて2本目をと思ったけど・・・ボスに言われた手前,やめとく事にした。
アルコールが入るとタバコが吸いたくなるのは自然な生理現象。
網棚のバッグから潰れたタバコを取り出すと火をつけた。
「ハイ,皆様お疲れ様でした。間もなく歴史記念公園へ到着しま~す。」
ガイドさんの声とともにバスはスピードを落としながら,大きくて古そうな門を潜って行った。
******************************************
歴史記念公園を後にした僕達は,市内に入るちょっと前の焼肉店で昼食を取った。
予算の関係であまり上等の肉を食べる事はできなかったが,代わりに腹いっぱいビールを飲んだ
ので皆それなりに満足していた。
バスの中はほろ酔い気分のおじさん連中でえらくにぎやかになっていた。
カラオケでもあればちょっとした宴会場になっていただろう。
バスはやがて市内へと入って行く。
市内は僕の思い描いていた街とはかなり違っていた。
さっきまでのどかな田舎の風景だったのが,市内に入ったとたんにコンクリートの街に変わった。
「へぇ~,結構都会じゃないか!」
高層とは言わないまでも中層の近代的なビルが立ち並び,その間を立体交差の都市高速が
縦横に走っている。僕達のバスはその下の一般道を走っているが,片側4車線,
場所によっては5車線のところもあり,まるで東京のように車が多い。
妙に東京の道路に似てるのにどこか何か変な感じがする。
よく見ると走ってる車は日本製が多いのだ。
でも,明らかに中古車とわかる物ばかり。もっと言えば ポンコツ である。
日本で廃車になったのをこっちへ持ってきて使っているのだろう。
思えば日本は贅沢な国だ。まだまだ乗れる立派な車を平気で廃車するのだから。
今はまだいいよ。金に物を言わせてブイブイやってるけど,いつまでも続くもんじゃない。
いい加減贅沢を止めないと,いずれこの国にも追い越されるかも知れない。
僕は窓の外を見ながら,ほろ酔い気分にも関わらず真面目な事を考えてしまった。
信号待ちで止まっている僕達のバスの横に路線バスが止まった。
路線バスにはたくさんの乗客が乗っており満員バス状態だ。
釣り輪に掴まりながら乗客達は皆僕達の方を見ている。僕も乗客たちを見た。
・・・視線が合う。
「え? な,なんだこの突き刺すような視線は・・・痛い・・・」
僕達が日本人である事は乗っているバスから一目で判る。
彼らの僕達を見る目は明らかに敵意に満ちていた。
いや,どちらかと言えば攻撃的と言うよりも汚い物を見る時のさげすんだような目である。
「なんだよ!そんな目でこっちを見るな!」
僕も負けじとばかりに彼らを睨み続けるが,後ろめたさのある僕は,
早く信号が青に替わってくれ,と願った。
やがてその睨み合いも青信号とともに引き分けに終わった。
2台はしばらく並走した後,路線バスはバス停で停車。
僕達のバスは都市高速へと入って行った。
「ハイそれでは皆様,お疲れ様でした。
アルコールもほどよく廻り,大変御気分もよろしいようですね。
さて,これからバスは都市高速を南へ走り,市内中心にあります国立博物館へ参ります。
そうですねー,約15分程度でしょうか・・・・国立博物館が建てられたのは・・・・」
「ハ~イ,ガイドさん!」
おばちゃんバスカイドの話しをさえぎるようにボスが手を上げた。
「ガイドさん,ちょっとマイクを貸してくれんね。」
「マイクですか?・・・あ,ハイ,いいですよ・・・それじゃあ前の方社長さんにマイク
を廻してあげて下さい。」
何だろう,ボスは何を話すつもりかな?まさかヘタな歌でも歌うつもりじゃないだろうな?
「フッ,フーッ,マイク入ってるかぁ?・・・・入ってるな・・・・
えー皆さん,お疲れさん!これから国立博物館と言う事ですが,ひとつ提案があります。
野下さんと桂さんと話しをしたんだけど,これから行く国立博物館,その後もう1ヶ所
行く予定にしていたグラスタワーはやめて,このままホテルに行ってはどうか?
と言う意見なんですが,どうですかー?
私は2ヶ所とも行ったけどあんまりたいした事なかったしなー。
それより年寄りもいるし,朝も早かったから,早々とホテルでゆっくりした方が
いいんじゃないか?って事なんだけどどうかなー?」
野下さんと言うのはボスの最も親しくしている瓦屋の社長で,年寄りと言うのも野下さん
の事だ。年寄りと言っても還暦を過ぎたばかりで,頭は禿げているが元気そのものである。
桂さんと言うのは怪しい現地の世話役の男である。
「あー,時間が早くなってもあっちの方の手配は大丈夫と言う事だから・・・・」
ボスはうれしさを隠せないと言った表情で付け加えた。
あっちの方と言うのは女性の事である。
現在午後2時をちょっと廻ったところ。
まだ2時なのにもうホテルって?いくら何でも2時は早過ぎないかい?
それにグラスタワーは楽しみにしていた場所だ!
ようし,ここは一発反対意見を!と思い手を上げようとしたら・・・
「賛成!さんせ~い!」
「おー,そうしようそうしよう,それがいい!」と一斉に賛成の声が上がった。
「え?うそだろう!」そう思う間もなく,
「ホテルっ!ホテルっ!ホテルっ!・・・・」
バスの中はホテルコールに包まれてしまった。
「このおっさんたち何を考えてんだろう・・・もちろん女遊びに来た事は間違いないのだが
昼間の2時からホテルだなんて・・・」
「はい,それでは満場一致と言う事でホテルへと変更しまーす!」
そう言うと満足そうな笑みでボスはガイドさんにマイクを返した。
満場一致じゃないぞー!僕は反対だぞー!
僕の心の叫びなんてエロおやじ達には届くはずもなかった。
「ハイ・・・それではですね,予定を変更と言う事でこれからホテルの方へ参ります。
ただ,現在2時過ぎですから・・・えーっと・・・ホテルまで約30分程度。
チェックインできるまで少々お時間があると思いますので,ロビーでお待ちになるか
近くで時間をつぶされる事が必要かと思います・・・・」
ガイドさんも仕事が減ったせいかちょっぴりうれしそうだった。
観光を取り止めホテル直行となり,更にバスの中のテンションは上がった。
がっかりしたのは僕一人だけか・・・
グラスタワーは楽しみにしてたのに・・・
やっぱりおじさん達とは合わないや・・・
でも,がっかりした気分はすぐに消えた。
それはこれからホテルへに向かうと言う緊張感からだった。
ホテルだから緊張してきたわけではない。もちろん外国のホテルだからと言う事でもない。
仕事の研修や旅行で結構あちこちのホテルには行ってるし,
一流とまでは行かないけど,そこそこの日本のホテルに泊まった経験もある。
部屋の使い方やマナーもそれなりに身に付けてるつもりだ。
それじゃあなぜ緊張するのか?
緊張の原因は女性との出会いである。
ホテルのどこで対面するんだろうか?
どんな風に対面するんだろうか?
何時頃対面するんだろうか?
どんな女の子が来るんだろうか?
相手は日本語を話せるんだろうか?
税関を通る前のように,僕の頭の中はまたしても色んな想像が
グルグルと渦巻き始めた。
バスの中は冷房が効いてるはずなのに体が火照って暑い。
「皆様右手をごらん下さい・・・右手奥の方に丸い小高い山がございます。
その山頂にお団子を串に刺したような建物が見えますが,あれがグラスタワーでございます。
グラスタワーの展望室からは市内が一望できますが,皆様のご希望により
残念ですが今回は参りません。夜になるとライトアップされ,市内のシンボルとなっております。」
「誰だー,行かない!って言ったヤツはー!タカシじゃないのかー?」
またまた!なんで僕なんだよ!最初に行かないって言ったのはオメェだろ!
僕だって20歳過ぎの大人だ。場を盛り上げる為のたわいの無い冗談だと判ってはいるものの,
何かにつけて笑いのネタにするボスの言葉に頭に来た。
おばちゃんガイドは笑いながら続けた。
「そしてその山の右下に目を移しますと廻りの建物より一際高い3つの建物が御座います。
皆様御覧頂けますか?・・・・・・・・ハイ,御覧頂けますねー。
向かって左からハーパーホテル,ロンタイホテル,そして一番右がホテルガウロンです。
皆様が今夜御泊まりになるのは真ん中のロンタイホテルとなっております。
ロンタイホテルは54階建て178mございます。3つのホテルでは一番低いですが,
一番日本人向けに作られたホテルで,大浴場はもちろん,和室の宿泊室,和室宴会場も
ございます。また,ジャパニーズ芸者さんもたくさんおられます・・・・・・・が
今夜の皆様には必要ありませんですね。」
「ジャパニーズ芸者かぁー,それもいいねー!タカシはそれにするか?」
ちぇっ! また,僕かよ・・・ハイハイボスの言う通り,ぼかぁ何でもいいですよ・・・
おじさん社長連中の中の若僧なんて,所詮こういう立場なんだ。
僕は何を言われても聞き流す事にした。
第3話へと続く・・・