十四 ありがとう
この話を純粋な「運動会」のお話として終わらせたい方などは、この最終話を絶対に読まないでください。
十四
すべてを語り終えた時、暗かった空からは光が差し込み、雨もすっかりあがっていた。傘はもう不要だ。彼の目の前に置かれている茶はとうの昔にぬるくなっていた。机の上には、飴の食べカスがいくつも置かれている。
鹿島は小さくため息をつく。
「これで、あの頃のお話は終わりです」
鹿島は、ハンカチで少し涙を拭く。
「なるほど……とても感動的なお話でしたね」
「感動的かどうかは知りませんがね」
鹿島は苦笑いをして、ぬるくなった茶を一口すする。短髪の男は、髭を撫でている。かすかに涙を流しているような気もする。
「それで、あなたはその子を探していると?」
「ええ。大々的な捜索をしているわけではないですけどね。見つかれば、その子に謝って、一言だけ、ありがとうと言いたいのです。あの時言い忘れたありがとうをね。もう忘れているかも知れませんけどね」
短髪の男はティッシュで鼻をかみ、
「それじゃあ、かなり遅くなりましたけど商談を開始しましょうか」
と、話を切りだした。
「おっと、話に夢中ですっかり忘れていました。名刺です」
「それでは、こちらも」
互いの名刺を受取り、まじまじと眺める。
それから、商談が始まった。
それからの商談は、鹿島が予想していた以上にスムーズに進んだ。商談は成功し、これからもひいきにしてくれるという。鹿島はその結果に喜び、取引相手も終始笑顔だった。
商談が終わると、二人は雑談をし、鹿島は会社を出た。その際、短髪の男がわざわざ会社の入口まで送ってくれた。
鹿島が立ち去ろうとした時、短髪の男が少し涙を流しながら言う。
「それでは、これからも頑張ってください」
「何をですか?」
「あの子のことですよ。きっと探し出せます。私も、出来る限りの力添えをさせて貰います」
鹿島はほほ笑む。
「そうですか、それは助かります」
鹿島は、軽く会釈をしてから会社を後にした。水たまりを蹴とばし、会社に戻るべく元来た道を帰る。イチョウの木から水滴が滴り、水たまりに落ちる。
ゆっくりと歩を進めていくと、鹿島のズボンのポケットで携帯電話が震え始めた。
「はい、鹿島です」
『僕だ。商談は終わったか?』
「ああ、藤堂君か。今終わった。契約もしっかりもらったよ。これから、出来る限りのサポートもしてくれるらしい」
鹿島は明るい声で言う。
『そうか、それは良かった。人の情に訴えるというのは、本当に使えるものだ。ところで、またあの話をしたのか?』
「もちろんだろう。今日の相手は特別に同情していたよ。涙まで流してね」
『はは。本当のことを先方に話したら、どうなるかね?』
「俺は、嘘は言っていないのだから、どうにもならないさ。ただ、実話を商談に使っているだけだ。この、心に響く良いお話を提供してくれた藤堂君には、感謝しなくちゃいけないな。皆例外なく同情して、その勢いで契約書にサインしていく。君は、会社の神様だ」
『そんなに褒めるんじゃないよ。鹿島君』
イチョウ並木道に笑い声がこだまする。
それから、ぷつりと電話が切れた。
鹿島は少し口元をゆがめ、ほくそ笑む。
「ありがとう、親友の藤堂君」
これで、『君へ「ありがとう」』は完結となります。
私の作品に興味を持たれましたら、前作『黒い咆哮』の方も、どうぞ宜しければ読んでみてください。作者の僅かばかりの成長が読みとれるかと思います。
それでは、これまでお付き合いいただきありがとうございました。
読者の方と、創作活動を愛するすべての人に感謝と敬意をこめて。
また、次回作でお会いしましょう。
お疲れさまでした。