断罪される予定でしたが、その日は有給休暇をいただいております
卒業記念祝賀会。
王太子から婚約破棄を告げられ、数々の悪行を暴かれ、悪役令嬢ベアトリーチェが断罪される日。
――になるはずだった。
けれど、その日。
肝心のベアトリーチェは王都にいなかった。
「だって今日は、有給休暇をいただいておりますもの」
断罪される本人が欠席したまま、予定されていた物語だけが動き始める。
卒業記念祝賀会まで、あと七日。私は自室の壁に掛けられた予定表を見つめていた。
王立学院卒業記念祝賀会。午後六時、王宮大広間。出席者は卒業生、その家族、王族、主要貴族。
そして、その下。私にしか見えない予定を頭の中で書き足す。
午後七時十五分。断罪開始。
午後七時二十分。王太子から婚約破棄。
午後七時三十分。悪行の証拠を突きつけられる。
午後八時。国外追放。
完璧だ。何が完璧なのかは分からないが、ゲーム通りならそうなる。
「ベアトリーチェ様。何をそんなに難しいお顔で御覧になっているのですか?」
紅茶を運んできた専属侍女のエマが、私の視線を追った。男爵家の三女として生まれた彼女は、五年前から私付きとして働いている。私が公爵令嬢であることにもすっかり慣れ、二人きりのときには遠慮なく意見を言う数少ない相手だ。
「人生最後の予定を確認しているの」
「縁起でもないことを仰らないでください」
「最後といっても、この国での人生よ」
「もっと悪いです」
私はベアトリーチェ・フォン・エルグランド。王国屈指の名門、エルグランド公爵家の長女で十八歳。そして、この世界が前世で遊んだ乙女ゲーム『聖なる花冠と五人の王子』に酷似していることを知っている。私が前世の記憶を取り戻したのは、十歳の誕生日だった。鏡の中の金髪。青い瞳。ベアトリーチェという名前。父はエルグランド公爵。そして十一歳になれば、王太子アルフォンスとの婚約が決まる。嫌な予感しかしなかった。
翌年。本当に婚約した。確定した。私は悪役令嬢ベアトリーチェだった。ゲームのベアトリーチェは、王太子アルフォンスの婚約者。高慢で嫉妬深く、平民出身の特待生マリアを執拗にいじめる。そして卒業記念祝賀会で悪事を暴かれ、婚約破棄。ルートによっては国外追放。最悪の場合、修道院送り。
私は考えた。どうすれば回避できる?マリアをいじめない。王太子に執着しない。取り巻きを作らない。ゲームのイベントに近づかない。実に簡単だった。私はこの八年間、何もしなかった。マリアが学院へ入学してきても無視。階段でぶつかりそうになれば避ける。王太子とマリアが庭園で二人きりでも見なかったことにする。陰口を聞いても参加しない。むしろ三年間、模範的な公爵令嬢として生きてきた。
それなのに。ゲームの主要イベントは、妙に原作通り進んでいた。マリアの教科書が破られる。制服が汚される。階段から落ちる。匿名の脅迫状が届く。そのたびに、なぜか私の名前が出てくる。もちろん、私はやっていない。一度も。だがアルフォンスは、少しずつマリアを守るようになった。そして一か月前。廊下で二人が話しているのを偶然聞いた。
「卒業祝賀会ですべて明らかにする」
王太子アルフォンス・レグナード。国王の長男で、私が十一歳から七年間婚約している相手だ。ゲームでは正義感が強い王道攻略対象。現実では、少々思い込みが激しい。
「必ず君を守る。ベアトリーチェの罪も、皆の前で明らかにする」
そう言っていた。なるほど。断罪イベントは開催されるらしい。私は予定表を見る。祝賀会。断罪。婚約破棄。国外追放。そして、その二日後。父が所有する北部の温泉保養地へ家族旅行。私は一つ前の予定へ視線を移した。以前から行きたかった。雪山を見ながら入れる露天風呂がある。料理もおいしいらしい。ただ、祝賀会と日程が近いため、私だけ一日遅れて合流する予定だった。
私は考えた。断罪される。温泉へ行く。断罪される。温泉へ行く。どちらが大事か。
「エマ」
「はい」
「祝賀会の日、休みます」
「はい?」
「お父様に、旅行を一日前倒しできないか聞いてくるわ」
「お嬢様?」
私は立ち上がった。そうだ。なぜ今まで気づかなかったのだろう。断罪イベントを回避するために、証拠を集める必要もない。マリアと仲良くなる必要もない。王太子を説得する必要もない。その場に行かなければいい。
父の執務室へ行く。エルグランド公爵家当主である父、オズワルド・フォン・エルグランドは、王国宰相を務める四十五歳の政治家だ。娘には甘いが、仕事には恐ろしく厳しい。
「お父様。お願いがあります」
「珍しいな」
書類から顔を上げる。
「卒業祝賀会を欠席したいです」
「駄目だ」
即答された。
「まだ理由を言っていません」
「公爵家の令嬢で王太子の婚約者が、学院の卒業祝賀会を欠席できると思うか?」
「体調不良なら?」
「今から七日後の体調不良を予定するな」
正論だった。
「では、有給休暇ということで」
父の眉間に皺が寄った。
「学生に有給休暇はない」
「公爵令嬢にも?」
「ない」
困った。私は椅子へ座る。
「では正直に言います」
「最初からそうしなさい」
「祝賀会で、アルフォンス殿下から婚約破棄される予定です」
父の手が止まった。
「……何?」
「ついでに、マリア様への嫌がらせをしたとして断罪されると思います」
「誰がそんなことを言った」
「殿下です」
正確には、盗み聞きした。
「ベアトリーチェ」
父の声が低くなる。
「詳しく話しなさい」
私はこの三年間に起きたことを説明した。教科書。制服。階段。脅迫状。そのたびに私が疑われていること。そして王太子が卒業祝賀会で何かをするつもりらしいこと。前世やゲームの話だけはしない。そこまで話す必要はない。
「なぜ今まで黙っていた」
「何もしていませんから」
「何もしていないからこそ言いなさい」
父は額を押さえた。しばらくして。
「分かった」
「休んでいい?」
「いい」
意外だった。
「本当に?」
「ああ」
「温泉も?」
「好きにしなさい」
父が笑った。怖い方の笑顔だった。
「私も祝賀会には出席する」
「旅行は?」
「お前と母だけ先に行きなさい。私は仕事ができた」
嫌な予感がした。だが。断罪されるのは私だ。その私がいなければ、イベントは成立しない。たぶん。
七日後。私は王都から馬車で半日ほど離れたエルグランド公爵領北部の温泉保養地にいた。窓の外は雪。目の前には湯気を立てる温泉。隣には母。最高だった。
「ベアトリーチェ」
「何でしょう、お母様」
「本当に祝賀会へ行かなくてよかったの?」
エルグランド公爵夫人である母アデーレは、侯爵家出身で、王都社交界でも影響力を持つ女性だ。普段は穏やかだが、家族に害をなす相手には父より容赦がない。
「はい」
「アルフォンス殿下との婚約は?」
「たぶん今日なくなります」
母は少し考えた。
「そう」
それだけだった。
「驚かないのですか?」
「あなた、殿下のこと好きだった?」
「いいえ」
「ではいいでしょう」
母は湯船へ入った。強い。時計を見る。午後七時十分。そろそろだ。私は肩まで湯につかった。
「今ごろ始まるころね」
「何が?」
「私の断罪です」
母が眉を上げた。
同時刻。王宮大広間。卒業祝賀会は予定通り開催されていた。後から父とエマから聞いた話によると、ここからが大変だったらしい。午後七時十五分。王太子アルフォンスが楽団の演奏を止めた。そして大広間の中央へ進み出る。隣にはマリア。マリア・ベル。商人の娘として生まれ、優秀な魔法適性を認められて王立学院へ特待生として入学した十八歳の少女だ。ゲームでは主人公。この世界でも、明るく愛らしいことで人気がある。
「皆に聞いてもらいたいことがある!」
アルフォンスが宣言する。会場が静まる。
「ベアトリーチェ・フォン・エルグランド!」
全員が待つ。返事はない。
「……ベアトリーチェ?」
当然だ。私は温泉にいる。アルフォンスが会場を見回す。
「ベアトリーチェはどこだ?」
誰かが答えた。
「本日、エルグランド公爵令嬢は欠席ですが」
「欠席?」
「はい」
「なぜ?」
そこで父が答えたらしい。
「休暇だ」
「休暇?」
「娘にも休息は必要なのでな」
父。本当に有給休暇扱いにしたらしい。
「しかし今日は卒業祝賀会だぞ!」
「存じております」
「王太子の婚約者が欠席など」
「その婚約者を、今から公衆の面前で断罪する予定だったそうですな」
会場がざわつく。アルフォンスの顔が変わる。
「なぜそれを」
「娘から聞いた」
父は笑った。
「続けてください。本人はいませんが、父親として聞きましょう」
ここでアルフォンスは引けばよかった。だがゲームの王道攻略対象は、正義感が強い。現実のアルフォンスは、それに思い込みの強さまで加わっている。
「では言わせてもらう!」
言ったらしい。ベアトリーチェはマリアを嫉妬し、三年間にわたり嫌がらせを続けた。教科書を破った。制服を汚した。階段から突き落とした。脅迫状を送った。
「証拠は?」
父が聞く。アルフォンスが合図する。学院の教師が記録を持ってくる。最初は、破られた教科書。事件発生日時。二年前、五月十二日。父が尋ねる。
「その日、娘は学院にいたのですか?」
教師が出席記録を見る。沈黙。
「……欠席です」
「理由は?」
「王妃陛下と慈善施設を訪問していました」
会場の視線が王妃へ向かう。王妃が頷く。
「確かに一日中、私と一緒でした」
一つ目。終了。
次。制服を汚された事件。昨年九月三日。
「その日のベアトリーチェは?」
「午前中のみ学院に」
「事件は?」
「午後三時ごろです」
「娘は午後どこへ?」
父が聞く。教師が記録を見る。
「王宮で外交使節との茶会に出席しています」
二つ目。終了。
次。階段から突き落とされた事件。目撃者がいた。マリアと同じクラスの女子生徒だ。
「ベアトリーチェ様が階段の上にいるのを見ました」
父が尋ねる。
「顔を?」
「いえ。後ろ姿を」
「なぜ娘だと?」
「金色の髪と、青いドレスでした」
父は会場を見回した。金髪の令嬢。十人以上。青いドレス。さらにいる。
「それだけか?」
目撃者が黙る。
三つ目。終了。
最後。脅迫状。これは強かった。私の名前が署名されていたからだ。
『身の程を知りなさい。アルフォンス様に近づけば、次は許しません。
ベアトリーチェ・フォン・エルグランド』
父は手紙を見た。
「娘はこれを自筆で?」
「もちろんです」
アルフォンスが言う。
「筆跡鑑定は?」
沈黙。
「封蝋は?」
沈黙。
「配達記録は?」
沈黙。父は手紙を机へ戻した。
「名前が書いてあるだけではないか」
四つ目。終了。
ここまで来て、ようやく会場の空気が変わった。アルフォンスも気づき始める。証拠が。ない。そこで。マリアが声を上げた。
「そんなはずありません!」
全員が彼女を見る。
「ベアトリーチェ様は、私をいじめるはずなんです!」
大広間が静まり返った。
「……はず?」
父が聞いた。マリアの顔が青くなる。
「い、いえ」
「なぜ、いじめるはずだと?」
「それは……」
彼女は答えられなかった。後で知ったことだが。マリアも転生者だった。私と同じゲームを知っていた。ただし彼女は、私とは正反対の考え方をしていたらしい。ゲームの世界に来た。自分は主人公。なら、ゲーム通りの出来事が起きる。悪役令嬢は自分をいじめる。王太子が助けてくれる。そして最後には悪役令嬢が断罪され、自分が王太子と結ばれる。そう信じていた。
だから何かが起きるたび。ベアトリーチェの仕業だと思った。証拠は、後から物語が用意してくれる。そう思っていたらしい。だが。現実はゲームではない。誰かが勝手に証拠を用意してくれたりしない。
午後八時。温泉から上がった私は、浴衣姿で果実水を飲んでいた。そこへ王都から早馬が到着した。
「ベアトリーチェ様! 至急、王都へお戻りください!」
王家の使者だった。
「嫌です」
即答した。
「しかし、王太子殿下が」
「今日は休暇中です」
「国家に関わる問題です!」
「では、お父様へ」
「公爵閣下は、御令嬢本人に確認すべきだと」
なるほど。父。こちらへ投げたな。母が横から口を挟む。
「明日になさい」
「公爵夫人!」
「娘は本日休暇中です」
「ですが」
「王国は、十八歳の令嬢一人が一晩いないだけで滅びるのですか?」
使者が黙った。
「滅びないのであれば、明日で結構でしょう」
母は強かった。私は二杯目の果実水を注いだ。
翌日の午後、王都へ戻った。王宮へ行くと、父、国王、王妃、アルフォンス、マリアが待っていた。アルフォンスはひどい顔をしている。
「ベアトリーチェ」
「はい」
「昨日はなぜ来なかった」
「休暇でしたので」
「卒業祝賀会だぞ」
「知っています」
「私が話をすると分かっていたのか」
「ええ」
「だから逃げたのか!」
私は考えた。
「逃げたというより」
「何だ」
「予定が重なったので、行きたい方を選びました」
アルフォンスの顔が引きつる。
「私との婚約より温泉を選んだのか?」
「正確には、断罪される祝賀会と温泉を比較しました」
父が咳払いした。笑ったらしい。
「それで」
国王が疲れた声を出した。
「ベアトリーチェ嬢。昨日挙げられた嫌がらせについて、そなたは関与していないと?」
「はい」
「すべて?」
「はい」
「マリア嬢」
国王が彼女を見る。
「そなたは、ベアトリーチェ嬢が犯人だと直接確認したことは?」
「……ありません」
「ではなぜ」
マリアが俯く。ここで私は初めて彼女をじっくり見た。ゲームでは主人公。私の破滅の原因。ずっと避けてきた相手。でも今は。ただ、自分が知っている物語を信じすぎた十八歳の少女に見えた。
「マリア様」
私から呼びかけた。
「はい」
「あなたは、私があなたを嫌っていると思っていました?」
彼女が頷く。
「なぜ?」
「だって……アルフォンス様と親しくしていたから」
「それだけ?」
「……はい」
「私、アルフォンス殿下のことを好きだと言ったことありました?」
アルフォンスがこちらを見る。マリアも見る。
「……ありません」
「では、なぜ嫉妬すると思ったの?」
答えはない。私はなんとなく理解した。彼女は、ゲームのベアトリーチェを見ていた。私も同じだ。ずっとゲームのマリアを見ていた。目の前の本人ではなく。それは少しだけ、反省すべきことかもしれない。
「今回の件については、学院側でも改めて調査する」
国王が言った。
「アルフォンス」
「はい」
「王太子という立場でありながら、不十分な証拠で公爵令嬢を公衆の面前で断罪しようとした責任は重い」
アルフォンスが俯く。
「当面、王太子としての公務を縮小する。王位継承についても再検討する」
ゲームなら。ここで王太子は廃嫡。マリアは追放。そんな展開になったかもしれない。でも現実は違った。アルフォンスは王太子教育をやり直すことになった。マリアは学院卒業後、地方の高等学院へ進学し直すことになった。罰というより。一度、王都とアルフォンスから離れて、自分の人生を考えるためだ。
そして。
「ベアトリーチェ嬢」
国王が私を見る。
「アルフォンスとの婚約についてだが」
「解消を希望します」
即答した。
「……そうか」
「はい」
アルフォンスが顔を上げる。
「待て、ベアトリーチェ」
「何でしょう」
「今回のことは謝る。だが婚約まで解消する必要は」
「あります」
「なぜ」
「私たち、合わないと思います」
七年間婚約して。ようやく言えた。
「あなたは正義感が強い。でも、一度正しいと思ったことを疑わない」
アルフォンスは黙っている。
「私は面倒なことが嫌いです」
「それは知っている」
「知っていましたか」
「昔から」
なら話は早い。
「きっと結婚しても、お互い疲れます」
アルフォンスは何も言わなかった。しばらくして。
「……そうかもしれない」
婚約は解消された。断罪イベントは。私が欠席したことで、なぜか全員の人生を見直す会になった。
三か月後。私は王都を離れ、北部地方の王立高等学院へ入学した。昔から魔法植物学を学びたかった。王太子妃になるなら必要ないと言われ、諦めていた分野だ。今は好きなだけ研究できる。マリアとは別の学院なので、会うことはない。アルフォンスからは一度だけ手紙が届いた。
『あの夜、君がいなかったからこそ、私は自分が何をしようとしていたのか初めて見えた気がする』
少し意外だった。返事には。
『次は、本人がいるか確認してから断罪することをおすすめします』
と書いた。父から「もう少し優しくできないのか」と手紙が来た。できない。
一年後。研究室で魔法植物の苗を植え替えていると、エマが一通の封筒を持ってきた。
「お嬢様。王都から招待状です」
「何の?」
「第二王子殿下の婚約披露祝賀会です」
第二王子。アルフォンスの弟だ。兄の一件以降、王位継承順位について議論されているらしい。私は招待状を開く。日付を見る。来月十五日。予定表を確認。研究発表。十日。温泉旅行。二十日。十五日は空いている。
「出席なさいます?」
エマが尋ねる。私は少し考えた。
「断罪の予定は?」
「ございません」
「婚約破棄は?」
「そもそも婚約しておりません」
「国外追放」
「される理由がありません」
完璧だ。
「では、出席します」
エマが笑った。
「今回は休暇を取られないのですね」
「ええ」
私は招待状を予定表へ挟んだ。前世で知っていたゲームの物語は、もうとっくに終わっている。誰が悪役で。誰が主人公で。誰と誰が結ばれる。そんな予定表は、もうどこにもない。これからの予定は、自分で決めればいい。ただし。休暇だけは。今後もしっかり取るつもりだ。




