また後で!
「もーまじ最悪!」
湿気で巻いた髪は広がり、アイラインの太さは左右で違う。
萌はスマホに映る自分を睨んだ。
「ねえあかりぃこの前髪まじやばくね?!」
シュン、と耳もとに何かが走り、背後で何かが弾ける。
「危な!まじ何してんの」
砂埃が舞う廃工場では怒声が響き渡っている。
あかりは倒れた男から足をどかし、靴底についた血を床に擦りつけた。
「三郎行かん?」
「行く。ニンニクマシマシするわ」
「よっしゃ!手伝う?」
「もう終わったから大丈夫」
あかりがポケットから鏡を取り出す。
鏡を覗き込みながら前髪を整えていた萌は、ふと思い出したように上を向く。
言いづらそうにすこし唇を窄め、ネイルをカチカチと鳴らす仕草にあかりが目線を送る。
「なんかさぁもうさ、疲れちゃったくね?」
迷うような仕草とは裏腹に、その瞳は前を向いている。
「もしだよ?もし、あたしが全部やめたいって言ったらどうする?」
「え…やめようよ。全然あり。終わりでよくね?全部置いてこーぜ」
あかりはまつ毛を直しながら、なんでもなさそうに言った。
「ニンニクマシマシ、野菜マシ、アブラマシ」
油と汗の匂いが充満する小さな店には、太った男が2人と無駄にテンションが高い店主がいて、その中の女2人はとても目立っていた。
「えー、じゃあどうする?」
「食べたらどっか行こ」
油で光る唇を舐めて満足そうに息を吐き出す萌は、スマホを少し眺め、まだ野菜とスープが少し残る丼に落として元気よく退店の挨拶をした。
「つーかうちら金ないんだった」
小さな公園の片隅。
ボロボロのベンチに2人はいた。
「そうだよ。財布置いてきたしどこも行けないじゃん。小学生かよ」
ポッケに100円入ってたわ、と月に翳しながら萌はあかりの肩に頭を乗せる。
「…どのくらい持つと思う?」
静かな声が住宅街に広がり、溶けていった。
どこかでちりんと風鈴の音が鳴る。
「…一週間じゃね?」
あかりの声はいつも通りからりとしていて、萌はそれが嬉しくて目を瞑った。
「一週間は無理っしょ」
「確かに。じゃー3日?」
「無理無理!明日で終わるわ!」
あはは、と笑うその声は本当に楽しそうで、丸々とした地域猫がにゃあんと泣いた。
「甘いの食べたくね?」
「あり。てかアイス食べたい」
「コンビニいこ」
「スーパーのが安いっしょ」
「じゃースーパーで。あースマホないと探せないやーん」
「まあどっかしらあるっしょ。歩こ」
スマホも財布もない。
2人の頭上にはまあるい月が変わらず光っていた。
「あれ、閉まってるじゃん最悪」
「まじで終わったー!歩きすぎて足パンパンなんだけど?!」
「えー、今食べたかった」
「明日また来よ!」
「だるすぎ」
2人は笑って来た道を引き返した。
眠りについた住宅街に、笑い声がいつまでも響いていた。
スマホも財布もない。月だけがそこにある。
それでも、この夜は不思議なくらいよく笑った。
それから、いくつか夜が過ぎた。
銃声が重なる。
視界が白く弾け、体は燃えるように熱い。
ずるり、と背中に落ちる重さを支え切れず倒れ込む。
「…まだ起きてる?」
「…なんとか。けどもう、…普通に、眠い、やばい」
「もういいっしょ!」
「先寝る…」
「おけおけ!じゃあ、また後で!」
萌が笑う。
つられてあかりも少しだけ笑った。
乾いた音が夜に響いた。
そしてもう一つ。
まあるい月はいつもと変わらず夜を照らしている。
どこかで丸々とした地域猫が小さくにゃあんと泣いた。




