「母親ヅラがうざいんだよ」と婚約破棄した男の末路
「最後から二番目の女」というテーマで書きました。
「フローラ! お前との婚約を破棄する!」
パーティーの最中、高らかに声が響き、エルマーはそちらを振り返った。
きらびやかな衣装の男が、控えめな色の装いの令嬢に向かって指を突きつけている。
──あいつか。
傍らには、ひらひらしたドレスの女を伴っていた。
どうやら、控えめな彼女が婚約者、もう一人のほうが浮気相手、ということのようだ。
……婚約破棄劇なんて、本当にやるバカがいるんだな。
他人事のようだが、実際他人事である。
エルマーは給仕から受け取ったばかりのグラスに口をつけた。
爽やかな喉越しが、周りの緊張感にそぐわない。
周りの人間は固唾をのんで展開を見守っていた。
エルマーが冷静で、どこか白けているのは、彼がこの国の貴族ではないからだろう。
今回は家業の貿易の関係でこちらに来ており、招待されたパーティーでこのような茶番劇に出くわしているというわけだ。
一同の視線が集まる中、指を突きつけられた令嬢が口を開いた。
「このようなところで、そう声を張り上げるものではないわ」
途端に男は激昂する。
「それ! その態度だよ!」
ギャラリーは一様に眉をひそめた。
「いつもいつもそうやって上から目線でさあ! 婚約破棄って言ったら女には一大事だろ!? もっと取り乱して、すがって見せれば可愛げもあるのにさ」
白い目とはこういうことか。
周りの表情をさらりと見て、そんな感想が浮かんだ。
女性はといえば、傍目には大きな動揺もせず、わずかに困ったような顔をしてみせた。
「それは、ごめんなさい。上から目線になっていたつもりはないけれど、ファビオがそうおっしゃるなら、私の態度もよくなかったのでしょうね」
謝った。認めるんだ。
「う、うん、わかればいいんだよ、わかれば……」
意気をくじかれたのか、ファビオと呼ばれた男は語尾をもごもごさせた。
この場はそれで収まってしまうのだろうか。ギャラリーはそんな雰囲気になりかけたが、もちろんそうは問屋が卸さない。
「よくありませんわ。ファビオはわたしと愛し合っているんですもの。もうフローラ様の入る隙はありません」
ひらひらした服の女がファビオの腕を引き、援護射撃を得たファビオは鼻の穴を膨らませた。
「そ、そうだ! それにフローラは、アマーリアをいじめてるそうじゃないか」
アマーリアというのが、腕引っ張り女の名前らしい。
……というか、フローラだって? エルマーは目を瞬かせた。
「身に覚えがありませんわ」
フローラがアマーリアのほうを見ると、ひらひら女は大げさに身をすくめた。
「きゃっ、怖い」
「大丈夫だ、アマーリア。俺が守るからな」
フローラはエルマーと同じくらい白けた目になっている。
それでも、気を奮い立たせたといった様子で言葉を繋げた。
「……皆様の前で、堂々と浮気宣言ですか? 侯爵閣下ご夫妻が知られたら悲しみますよ」
「ふん、おじい様とおばあ様の許可はもう取ってある。二人は俺をかわいがってくれているからな。俺が選んだアマーリアのことも、フローラよりも気に入ってくれた」
「なっ……」
これにはさすがにショックを受けたのだろう、フローラはよろめいた。
「だいたい、お前は何様のつもりなんだ? たかが婚約者の分際で、俺の交友関係や学校の成績にまでネチネチネチネチ口を出して……。最近は侯爵家の事業にも首を突っ込んでるらしいじゃないか」
「そ、それは、おじい様に、よかったら見てほしいって頼まれたから……」
「そんなの、社交辞令だってわからないのか? まったくこれだから。女にはそんなことよりも気を配ることがいくらでもあるだろ、例えばその格好とか」
「うふふ、フローラ様、おばさんみたい」
ここぞとばかりにアマーリアが嘲笑した。
彼女の着ているドレスは茶色の織物で、確かに年齢に対してはシックすぎてはいたが。
「ああ、恥ずかしくて仕方ないよ。……アマーリアなら、いつも綺麗に着飾って俺を癒やしてくれるし、連れ歩いても自慢できる。出しゃばったりもしないしな」
「やだ、ファビオ。そんな本当のこと」
巨大な態度でもじもじしてみせるという、高度な技術を繰り出したアマーリアの腰をファビオが引き寄せ、高らかに宣言する。
「俺はこのアマーリアと結婚する! 母親気取りの勘違い女なんか、お呼びじゃないんだよ!!」
指名されたアマーリアは口に手を当てて、頬を染めた。
ファビオは得意顔である。
エルマーはフローラを見た。
こわばったその顔を目にした時、理屈よりも先に体が動いて、踏み出していた。
「──そうですか。では彼女には、僕がお相手をお願いしても構いませんね?」
「……何だ、あんた?」
唐突に目の前に現れた男に、ファビオは面食らって尋ねてきた。まぁ当然か。
エルマーはにっこり笑って相手をしてやる。
「対面では、はじめまして。隣国はフォルツ侯爵家の一男、エルマーと申します。以後お見知り置きを」
「……外国人が、何の用? あんたには関係ないだろう」
エルマーは肩をすくめた。
「それが、大いにあるんですね。僕はリヒト商会の代表として、挨拶まわりに来ているもので」
リヒト商会、かの大商会じゃないか。ということは……と周囲のささやき声が耳に入る。
「……あっ」
ファビオは小さく叫んで黙ってしまった。アマーリアがその脇腹をつつく。
「どういうことよ?」
「ふふ、僕からご説明申し上げましょう。ファビオ殿のジリアーニ侯爵家とは、お取引をさせていただいているんですよ」
「……それがどうしたっていうの?」
エルマーはにこにこと続けながら、さり気なく二人からフローラをかばえる位置に歩み入る。
「しばらく前から、侯爵閣下ご本人ではなく、とある女性のお名前でご挨拶状を頂いていたものですから。この機会にお顔を拝見できれば、と考えていたんですよ。なるほど、お孫さんの婚約者だったんですね。……いや、元婚約者、になったんでしたっけ?」
「あんた……!」
ファビオにぎりりと睨まれる。
この程度の安い挑発に乗らないでほしい。煽りの本番はこれからなので。
「いやはや、心のこもった丁寧なご挨拶に、季節折々の、選びぬかれたこの国の名物。洗練されたご趣味の後継者がいらっしゃるならば、ジリアーニ侯爵家は安泰だ、と考えていたのですが……。とんだ見込み違いだったようです」
「なんだと!」
「フローラ嬢のドレス。……最上級のロッタ織でしょう? 確かに色合いこそ目を引かないが、容易に手に入るような品ではなかったはず」
フローラがはっとした気配を背中に感じた。頷いてやる。
「我が商会がジリアーニ侯爵家とお取引しているのは、綿花です。それを主産業にしているような家の跡取りが、自国の織物の種類にさえ無頓着とは」
確かにそうね、これでは先が危ぶまれる……と周囲の招待客らは扇の影などでささやきあっている。
ファビオはぐぬぬと歯噛みした。だがここで手を緩めてやるつもりはない。
「ドレスの価値がわからない、だけではない。仮に婚約者の装いが地味だと思うなら、あなたがドレスを贈ってやるべきではないのですか。それこそ、洗練された趣味のものを」
エルマーはことさらにアマーリアのドレスを舐めるように見てやった。
こんなひらひらしたドレス、どの国でもセンスがいいとされたためしはない。
それを伴って、綺麗だのなんだのとほざいていたファビオの美的感覚だって、おのずと知れたようなものだ。
「な、なんですって……」
こき下ろされているのを敏感に察したのか、アマーリアの顔が真っ赤に染まった。
それを鼻で笑って、エルマーは優雅な礼をし、フローラに手を差し伸べた。
「それでは。……行きましょう、フローラ嬢。あなたにお伺いしたいことが、たくさんあるのです」
「……! は、はい」
手が握り返されてほっとした。
余裕を持った足取りを心がけながら、エルマーはフローラを伴って、パーティー会場を後にした。
後がどうなろうと、知ったことではない。
*
数日後。
エルマーはフローラの屋敷を訪れていた。
もちろん、正式な手順を踏んでの訪問だ。
フローラはエルマーの持参したお見舞いの品に目を細めた。
「まあ、何から何までお気遣いいただいて……お礼のしようもありませんわ」
「いいんですよ、僕の好きでやっていることです。お気になさらず。それよりも、今日はあなたとお話をしたくて参りました」
「……あれは、その場限りの口実ではなかったのですか」
「そんな、まさか」
庭のガゼボに案内され、お茶をいただく。
エルマーは宣言通り、フローラから贈られた品のことについて根掘り葉掘り聞き倒した。
フローラにも驚かれたが、我ながらよく覚えていたものだなと苦笑してしまう。
また、どの品についても深い知識を持っているフローラの教養にも感服した。
……話はやがて、自然とあの日のことに戻っていく。
「……私としましては。ファビオとは、貴族の結婚ができればよかったのです」
「貴族の結婚、ですか?」
「ええ。ファビオが侯爵となるのを支え、領民を愛し、義務として子を作れればそれでよかった。……それでは何かが足りなかったのでしょうか」
「…………」
表情を沈ませるフローラに掛ける言葉を探しあぐねて、エルマーはしばし沈黙した。
「……わかりません。僕は彼ではないので。……ですが、あなただけに非がある、という話では断じてないでしょう」
それだけ請け合うが、フローラの笑みは悲しげだった。
「それでも、考えてしまうのです。もし、私が……。アマーリアさんはその足りなかったものをファビオに与えることができる女性なのでしょうか」
「……どうでしょう。人には相性というものがありますからね。そうなのかもしれませんが……」
「──『フローラだけが頼りだよ。本当に感謝してる』」
フローラはどこか遠いところを見ながらつぶやいた。
「……そう、ファビオに言われたことを、鵜呑みにして、あぐらをかいていてはいけなかったのですね」
エルマーは焦燥にかられた。言葉が口を衝いて出る。
「──あんな男のこと、さっさと忘れておしまいなさい。簡単にはいかないでしょうが」
フローラは静かに頷いて、さみしげに微笑した。
「……そうですね、そうできれば……。時間はかかると思いますけど……」
エルマーは密かに決心する。
「フローラ嬢。これは、あんなことがあったから言うのではないのですが」
「はい、なんでしょう?」
「一度、僕の国に来ませんか。あなたがご興味を持たれそうなものが、たくさんあります。美しいものも珍しいものも。僕はあなたにそれをお見せしたい」
考えてみます、とフローラはつぶやいた。
*
ふう。
宿泊先に戻ったエルマーは、一人息をついた。
あの、さみしげな微笑みが、どうしても頭から離れない。
エルマーは大貴族であり、やり手の商人だ。
そういう肩書きの者が、何かに執着を覚えたならどうするべきか。
そんなことは誰に言われずともわかっていた。
フローラは責任感のある女性だ。少し話しただけで、エルマーにはそう感じられた。
好きなもののことを話しているときの表情は、穏やかながらも鮮やかで。
今の深い憂いが晴れれば、さぞ美しい笑顔を見せてくれるのだろうな、とほのかな期待を抱かせる。
できれば、それを己が引き出したい。
さまざまなものを見せ、いろいろな場所に連れて行くのだ。それだけでなく、自分の家族や友人にもぜひ引き合わせたい。
そして何より、こんな人にこそ自分の幸せというものを追求してほしかった。
話の端々から察するに、フローラはどうやら、婚約してからの数年をファビオとジリアーニ侯爵家のためだけに費やしてきたようだった。
ファビオは赤子の頃に両親を亡くし、侯爵家当主である祖父母に育てられた。
甘やかされすぎていた、という情報はエルマーの耳にも入ってきていた。しかし、ここ数年は落ち着き、代替わりも間近だ、というふうにも聞いていたのだが。
おそらく、その陰にはフローラの献身があったのだろう。
頼りだ、感謝しているという言葉はその現れではないか。
それを忘れてあんな醜態をさらすとは、傲慢もいいところだ。
そこまで考えを巡らせて、エルマーはふと顎に手をやった。
──何だ。何かが引っかかる。
……有能な商人は、少しの違和感も見過ごさない。
これは、勘に従ってみる必要がありそうだ。
エルマーはしばらく、社交での噂話集めにいそしんだ。
フローラとファビオの婚約は、すみやかに解消されたという。もちろんファビオの有責だ。
下世話な話だが、多額な慰謝料も支払われたそうだ。
そういえば、フローラの屋敷から辞す時、荷物を満載した馬車が入れ違いに入ってきた。
紋章はジリアーニ侯爵家のもの。
聞けばフローラの私物だという。
「アマーリアさんでは侯爵夫人は務まるのかしら、とご心配してますの」
そんな声も聞こえてきた。
彼女は伯爵家の妾腹の娘だそうである。
「なかなか社交界に馴染めなくって、フローラさんだけが仲良くしてさしあげてたでしょう。その唯一のご友人を裏切って、だなんてね……」
「侯爵ご夫妻も、あの方を喜んで迎え入れるなんて、ねえ……」
耄碌したのだろうか、とでも言わんばかりの語調である。
「でも、あれから一度も公の場には出ていらっしゃらないわね」
「出てこられるわけがありませんわ。あの場にいらしたまともな貴族なら、しばらくはあの方々に招待状を送るなんて、考えもしませんもの」
その通り、ファビオもアマーリアも、完全に引きこもって沈黙していた。
……やはり、国に帰る前に、確かめておくべきか。
*
エルマーは普段よりいくぶんか地味な服装で、庶民向けのパブに足を向けた。
護衛には遠巻きについてくるように申し付けてある。
商いを生業にしている関係で、このような場へ赴いた経験もそれなりにあるのだ。貴族である、ということは隠しようがないのだが。
入口をくぐると、わっと喧騒に迎えられる。そのあたりはどの国でも変わらないようだ。
首をめぐらして客席を見渡す。壁際に探していた姿を見つけた。
目が合うと、露骨に嫌な顔をされる。
構わず同じテーブルの空いている席についた。
「どうも。僕にはエールを一杯。君はおかわりは?」
近づいてきた給仕の娘に注文する。相手はちょうど一杯からにしたところのようで、立ち上がろうとしたのを強引に引き止める。
渋々といった様子でもう一杯注文した。エルマーもつまみになりそうなものを数品頼んで、給仕を立ち去らせる。
「さて」
卓の上で手を組んで笑いかけた。
相手はこの場所によく馴染んだ格好をしていた。むしろエルマーだけが浮いている。
「何の用だよ。こんなところにまで追いかけてきたのか?」
その男、ファビオ・ジリアーニは不貞腐れたような顔をした。
「よくわかってるじゃないか」
エルマーも相手に合わせて、くだけた口調を選ぶ。
「つまり、僕が君を訪ねて来た理由もだいたい察しがついてる。そうだろ?」
「はっ、なんのことだか」
ファビオはジョッキを煽りかけ、中身が残されていなかったことに気づいてちっと舌打ちをした。
「ここにはよく来るんだ?」
「どうせ調べは付いてるんだろ」
「まあね。でもわからないこともある。たとえば……」
エルマーは周囲をぐるりと見渡した。
「彼女が口を出してきた交友関係って、これのこと?」
ファビオはあからさまなしかめっ面を作る。
「あいつがそんな女かどうかは、あんただってわかってるだろ」
「へえ、ずいぶん認めてるんだな」
あんなに人前で蔑んでみせたくせに。
とは言わなかったが、じゅうぶん伝わったようで、ファビオはいよいよ渋面になった。
まあ、今の言葉で確信を得た。
フローラが諌めたのは、おそらくファビオを意のままに操れるお坊ちゃんだと見てすり寄ってきた、そんな人物との関係だったのだろう。
「言いたいことはそれだけか? ここらはそんななりのお貴族様が来るところじゃないぜ。カモにされる前にさっさと帰れよ」
「そういうわけにはいかない、まだ頼んだ料理が来てないからね。……おっと、噂をすれば」
給仕が皿を持ってきた。ソーセージとじゃがいもの炒め物を受け取ってテーブルに置きながら、ファビオにも勧める。
嫌な顔をしながら素直にフォークをつける姿を見て、図らずも少し微笑ましい気持ちがわいてしまった。
なるほど、これはフローラも世話を焼くわけだ。
「少し噂話を集めてみたんだけどさ」
切り出してみたが、ファビオはすんとしている。
「アマーリア嬢と君、あの日まではよそよそしい関係だったんだって?」
「はっ、他人の前でわざわざいちゃいちゃしてみせる趣味があるかよ」
いちゃいちゃどころではない醜態を演じてみせておいてそんなことを言う。
「むしろフローラ嬢とのほうが仲睦まじく見えていたらしいね。妬けるよ」
肩をすくめてみせると、ファビオは鼻白んだような顔をした。
それにしても感情がすぐ顔に出る男だ。
「……君、貴族に向いてないって言われたことない?」
ついそう聞くと、新しく届いたエールに口をつけながらファビオは自嘲する。
「逆にどこを見たら俺が貴族に向いてるって思うんだよ」
──ああ。
そうか。そういうことか。
「……ジリアーニ侯爵家には、君以外に、後継者は……」
「戸籍の上はいないでもないけどな。両親が死んだ時、弱ってる爺婆とまだ何もわかってない赤ん坊のところに好機とばかりに乗り込んでくるような神経のやつは」
「なるほどね……」
両親が健在ならばよかった。
向いていないファビオが短い間頑張れば、両親からその孫に爵位を譲り渡すことができる。
だが今の侯爵夫妻は高齢で、ファビオの次が育つのを待てる時間はなかった。
「それに、あんただって知ってるだろ。うちの主産業は、綿花だ、よりにもよって」
船舶の改良によって、東大陸との航路が確立されつつある。
その広大な土地と適した気候で栽培されている綿花は、安価で、品質もいい。
実のところエルマーの商会でも、輸入をそちらに切り替えてはどうかというのは検討に挙がっていた。
「うちのことを安泰だ、なんて言いやがって。あのときは笑っちまうかと思ったよ」
「……それは、悪かったな」
「いや。……血筋だけで当主になれる時代はもう終わりってだけのことだ」
それどころか、近隣の国では革命が起き、貴族制が崩壊したところもある。
「この国も変わろうとしてる。革命だの、戦争だのとは言わないが、それに近いことはあり得るだろ……。その時にぼやぼやしたガキだの爺婆だのの漕ぐ泥舟じゃ、乗り切れない」
そこでファビオはジョッキに目を落とす。代わりに、続きを告げてやった。
「だから、彼女を逃がそうと?」
「……元の場所に返しただけだよ」
「アマーリア嬢はどうなんだ。泥舟に付き合わせて気が引けたりしないのか」
「あいつは、あいつも、平民に戻りたがってた。急に父親に引っ張り出された貴族社会に馴染めてなかったからな。フローラに恩が返せて一石二鳥、だってさ」
侯爵夫妻も、アマーリアを気に入ったと言っていたはずだ。
ということは、ファビオの計画を知った上で、それに乗ったのだろう。
「まさか婚約破棄のその場で、どんな世の中になっても渡っていけそうな大商会の主に見初められるとは思わなかったけどな。たいした幸運だ」
……言いようもなく、腹が立った。
自分がフローラとこれから積み重ねていきたいと思っているものを、露悪的な物言いで評された、そんなことに対してではなくて。
じゃがいもに思い切りフォークを突き刺す。
「──お前にフローラを心配する資格はない」
「そうだろうな」
対照的に、ファビオはどこかけろりとした様子になっていた。
腹の中に抱えていたことを吐き出して、すっきりしたのだろう。
そして、独り言のように続ける。
「……怪我をしていないか。苦しんでいないか。ちゃんと食べているか。よく寝ているか。家族は元気か。気に病んでいることはないか」
「…………」
「きっといつになっても、思うだろう。資格がなくても。向こうが綺麗に忘れても」
いや、むしろさっさと忘れてくれたほうがいいんだが。
と、どこかの男が言ったようなことを言い添えて、こちらの目をまっすぐ見る。
「だってそれが、人間らしさってもんだろ?」
そうだとも、違うとも言えなかった。
ファビオは気にした様子もなかったが。
「……それが、あいつが俺に教えてくれた人間らしさってもんだ」
そんな相手とはどっちみち子供は作れねえよ。
そう言って、母を知らなかった男は微笑んだ。
まったく似ても似つかないはずの女性のさみしげな微笑が、なぜかその姿に重なって見えた。
──確かに彼らは家族だったのだ。




