【三人の王子シリーズ】無能王子に婚約破棄されたので実家に帰ろうとしたら、王国のトップ3(全員仕事中毒の変態)に拉致されました。「私の書類を恋人のように撫で回すのはやめてください」
【番外編】冷徹王太子と市場調査に行ったら、真顔でぬいぐるみの検品を始めました。「俺の分も買う。……お前とお揃いだ」って、その顔で言うのはギャップ萌え爆発で反則なのでは?
このお話は、本編『無能王子に婚約破棄されたので実家に帰ろうとしたら、王国のトップ3(全員仕事中毒の変態)に拉致されました。「私の書類を恋人のように撫で回すのはやめてください」今さら復縁?私の承認印がないと予算出ませんよ 』の後のエピソードです。
まだ本編を読まれていない方は、先にそちらをお読みいただくと、より楽しめます!
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王宮の廊下を、カツカツという硬質な足音が響く。
その音を聞いただけで、私は反射的に姿勢を正し、手元の書類を整え、心の準備を完了させていた。
数秒後。
予想通りに執務室の扉が開かれ、この国の王太子、イグニス殿下が入室してきた。
銀髪に、冷徹さを極めた紅の瞳。
今日も今日とて、その美貌は無駄に洗練されており、すれ違う侍女たちがため息をつくのも無理はない造形美だ。
だが、私にとっては「今日も大量の仕事を運んでくる鬼上司」でしかない。
「おはようございます、殿下。本日の書類はこちらに……」
「レイラ」
イグニス殿下は私の挨拶を遮り、私のデスクの前に立った。
「立て。出かけるぞ」
「……はい?」
私はペンを持ったまま固まった。
「出かけるとは、どちらへ? 本日の予定表に視察の予定はありませんでしたが」
「予定表にはない。今決めた」
彼は懐中時計を一瞥し、私を見下ろした。
「市井の経済動向を視察する。変装をしてな。十分で支度しろ」
「あの、殿下。こちらの『第二次干拓事業予算案』の締め切りが……」
「私が帰還後に三倍速で処理する。問題ないな?」
問題しかない。
王太子が三倍速で処理をするということは、その補佐官である私は六倍速で事後処理をしなければならないということだ。
だが、彼の瞳は「拒否権はない」と語っていた。
私は小さく息を吐き、ペンを置いた。
「……承知いたしました。お供します」
逆らっても無駄だ。
私は知っている。
この男が一度言い出したら、たとえ天地がひっくり返っても意見を曲げないことを。
こうして。
私は貴重な事務処理時間を奪われ、王都の下町へと連れ出されることになった。
◇◆◇
王都の大通りは、週末ということもあり、多くの人で賑わっていた。
色とりどりの屋台が並び、香ばしい匂いが漂ってくる。
行き交う人々は皆、笑顔だ。
平和だ。
この平和を守るために、私が執務室で死にかけているのだと思うと、少しだけ複雑な気分になる。
「……人が多いな」
隣を歩くイグニス殿下が、不快そうに眉をひそめた。
今日の彼は、目立つ銀髪を魔法で黒髪に変え、仕立ての良い、それでも平民に見える程度のジャケットを羽織っている。
だが、隠しきれない高貴なオーラと、無駄に良い姿勢のせいで、周囲から浮きまくっていた。
一方の私は、地味なワンピースにショールという、完璧な「町娘A」スタイルだ。
「週末ですから。経済活動が活発なのは良いことです」
「効率が悪い。人の流れが淀んでいる。右側通行を徹底させれば、歩行速度は一・二倍に向上するはずだ」
「ここは軍の行進ルートではありませんので。……それで殿下、視察の目的は? 特定の商品の価格調査でしょうか?」
私は手帳を取り出し、メモを取る態勢に入った。
しかし、イグニス殿下は私の手帳を手で押し下げた。
「今日は記録しなくていい。……ただの、市場調査だ」
「はぁ」
市場調査なら記録が必要だと思うのだけど。
彼はスタスタと歩き出し、私は慌ててその後を追った。
人混みが激しい。
前から来た大柄な男性とぶつかりそうになり、私は足を止めた。
その瞬間。
グイッ、と腕を引かれた。
「……あ」
気がつくと、私はイグニス殿下の腕の中にいた。
彼の胸板に鼻先が当たりそうになる。
ほのかに、高級な香油と、書類のインクの匂いがした。
「……周囲への警戒が甘いぞ、レイラ」
頭上から、呆れたような声が降ってくる。
「お前は小柄だ。この人混みでは埋もれて視認性が下がる。はぐれた場合、捜索にかかるコストと時間が無駄だ」
「申し訳ございません。以後、気をつけます」
「口だけでは信用ならん」
イグニス殿下はそう言うと、私の右手を強く握りしめた。
指と指を絡ませる、いわゆる「恋人繋ぎ」だ。
「で、殿下!? これでは動きにくいのですが!」
「これが最も確実な『紛失防止策』だ。……黙って繋がれていろ」
彼は顔を背けたまま、強引に歩き出した。
繋がれた手は熱く、少し汗ばんでいる。
痛いほど強く握られているのに、不思議と不快感はなかった。
ただ、心臓がトクトクと妙なリズムを刻んでいるのが、自分でも分かった。
(……これは、業務だ)
私は自分に言い聞かせる。
これは「王太子の所有物」としての管理業務の一環だ。
そこに他意はない。
絶対にない。
そう思わなければ、この甘い雰囲気に呑まれてしまいそうだった。
◇◆◇
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。
そこは、高級な雑貨店やブティックが並ぶ一画だった。
イグニス殿下は、ある店の前で足を止めた。
「ここに入るぞ」
「は? ここは……」
看板を見る。
『ファンシーショップ・ドリームベア』。
ショーウィンドウには、パステルカラーのリボンや、フリル付きのクッション、そして大量のぬいぐるみが飾られている。
どう見ても、十代の少女やカップル向けの店だ。
冷徹な合理主義者であるイグニス殿下とは、対極に位置する空間である。
「殿下、店をお間違えでは? 隣は書店ですが」
「間違っていない。ここだ」
彼は迷いなく店内に足を踏み入れた。
カランカラン、と可愛らしいベルが鳴る。
店内は甘い香りに包まれていた。
客層は若い女性ばかり。
そこに、長身のイケメン(変装中)と、それに手を引かれる地味な女(私)が入ってきたのだ。
一斉に視線が集まる。
居心地が悪い。気まずい。
しかし、イグニス殿下は全く気にする様子もなく、一直線にある棚へと向かった。
それは、壁一面に陳列された「熊のぬいぐるみ」のコーナーだった。
「…………」
イグニス殿下は腕組みをし、鋭い眼光でぬいぐるみの山を睨みつけた。
まるで、敵国の軍事配置図を見ているような目だ。
(……まさか)
私は密かに戦慄した。
あのイグニス殿下が、実は可愛いもの好き?
隠れファンシー愛好家?
執務室の隠し金庫の中には、重要機密書類ではなく、モフモフのぬいぐるみが詰め込まれているというの?
もしそうなら、弱みを握ったことになる。
いや、見なかったことにするべきか。王太子の秘密を知った者は消されるかもしれない。
私が葛藤していると、イグニス殿下がボソリと呟いた。
「……品質にばらつきがあるな」
「……はい?」
「見ろ、レイラ。右から三番目の熊。耳の縫製位置が2ミリずれている。これでは左右のバランスが悪く、自立させた時の安定性が損なわれる」
「……はぁ」
「左端の個体は、綿の詰め方が甘い。腹部の弾力が不均一だ。これでは抱き心地の最適値が出ない」
彼は真剣だった。
可愛さを愛でているのではない。
工業製品としての「品質チェック」を行っているのだ。
私は深く脱力した。
「殿下……。それは手作りの味わいというものでして、工業規格品ではありませんので」
「甘い。金を取る以上、完璧な製品を提供するのが義務だ」
彼はブツブツと文句を垂れ流しながら、次々とぬいぐるみを手に取り、検品していく。
店員さんが引きつった笑いでこちらを見ている。
恥ずかしい。
穴があったら入りたいが、あいにくとここはファンシーで埋め尽くされて、逃げ込む隙間もない。
「……これだ」
数分間の厳正なる審査の結果、イグニス殿下が一つを掴み出した。
それは、棚の奥に隠れていた、少し茶色の濃い熊だった。
顔は……正直、他のものと比べるとあまり可愛くない。
目が少し離れていて、とぼけた表情をしている。
だが、イグニス殿下は満足げに頷いた。
「縫製、重心、綿密度。すべてにおいて許容範囲内だ。特にこの毛並み……抵抗係数が低く、肌触りが最も滑らかだ」
「機能性は分かりましたが、お顔の方はよろしいので?」
「顔? ……まあ、愛嬌という点では評価できなくもない」
イグニス殿下は、そのブサカワな熊を、大事そうに抱えた。
そして、くるりと私の方を向く。
「レイラ。これを受け取れ」
「はい?」
彼は熊を私に押し付けた。
「お前への支給品だ」
「……支給品、ですか。職務に必要なものとは思えませんが」
「必要だ」
彼は断言した。
「最近、お前の睡眠効率が低下しているという報告を受けている。目の下の隈が、化粧で隠しきれていないぞ」
ドキリとした。
確かに、オラント時代からの不眠症気味な体質は、まだ完全には治っていない。
まさか、気づかれていたとは。
「このぬいぐるみは、抱き枕として最適なサイズと弾力を有している。私の計算では、これを抱いて寝ることで、入眠までの時間が平均15分短縮されるはずだ」
「……私の睡眠改善のために、わざわざ?」
「補佐官の健康管理も上司の務めだ。お前が倒れたら、私の業務計画が狂うからな」
素っ気ない言葉。
でも、その裏にある不器用な気遣いが、じわりと胸に染みた。
彼はただの効率厨ではない。
私のことを、ちゃんと見てくれている。
その事実が、少しだけ嬉しかった。
「……ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
私が素直に礼を言うと、イグニス殿下はフイと視線を逸らした。
耳が少し赤い気がするのは、店内のピンク色の照明のせいだろうか。
「なら、いい。……会計をするぞ」
彼はレジへと向かった。
私も後ろに続く。
そして、会計の場面で、私は我が目を疑った。
「これを二つだ」
イグニス殿下は、私に渡したものと全く同じ、ブサカワな熊をもう一つ、カウンターに置いた。
「えっ? なぜ二つ?」
私は思わず尋ねた。
「予備ですか? それとも、保存用と実用で分けるタイプですか?」
「……違う」
イグニス殿下は、店員に金を支払いながら、ボソリと言った。
「一つは、俺の分だ」
「えっ」
「お前だけに持たせるのも……不公平だろう。検証のため、私自身も同じ環境で睡眠データを取る必要がある」
苦しい言い訳だ。
どう見ても、こじつけだ。
私が呆然としていると、彼は受け取った熊を脇に抱え、早足に店を出ようとした。
だが、その直前。
彼は立ち止まり、背中を向けたまま、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。
「……それに」
「はい?」
「……お前と、お揃いだ」
「…………っ!?」
時が止まった。
今、なんと仰いましたか?
お揃い?
あの、冷血漢で、仕事人間で、論理の化身のようなイグニス殿下が?
ブサカワな熊のぬいぐるみを?
私と「お揃い」にするために買ったと?
顔が熱い。
カッと一気に沸騰したように熱くなった。
見れば、振り返ったイグニス殿下の顔も、真っ赤に染まっていた。
彼は気まずそうに咳払いを一つした。
「……行くぞ。早く帰って仕事を片付ける」
「あ……は、はい」
私は慌てて彼を追った。
腕に抱えた熊のぬいぐるみが、先ほどよりも少しだけ温かく感じられた。
◇◆◇
帰りの馬車の中。
私たちは無言だった。
向かいの席には、仏頂面で熊を膝に乗せたイグニス殿下。
その光景がシュールすぎて、笑うべきなのか、萌えるべきなのか、私の脳内は大混乱していた。
(……お揃い、か)
私は自分の膝の上の熊を撫でた。
確かに、手触りは最高だ。
イグニス殿下が厳選しただけある。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
イグニス殿下と目が合った。
彼はすぐに逸らしたが、その瞳には、いつもの冷徹な光はなく、どこか甘い色が宿っていた。
「……レイラ」
「はい」
「その熊には、名前をつけろ」
「名前、ですか?」
「ああ。愛着を持つことで、リラックス効果が高まる」
また理屈だ。
でも、もう騙されない。
この人は、ただ私と共有する何かが欲しいだけなのだ。
「分かりました。では……『イグニス』と名付けます」
「なっ!?」
殿下が目を見開いた。
「不敬だぞ! 王太子の名をぬいぐるみに……!」
「ダメですか? 殿下が選んでくださった、私を守るための熊ですから。これ以上の名前はありません」
私が少し意地悪く微笑むと、彼は口をパクパクとさせ、やがて深いため息をついた。
「……好きにしろ。ただし、誰にも聞かれるなよ」
「はい。二人だけの秘密ですね」
私がそう言うと、彼はまた耳まで赤くして、窓の外を向いてしまった。
窓ガラスに映る彼の口元が、少しだけ緩んでいるのを、私は見逃さなかった。
どうやら、私の新しい職場環境は、想像以上に甘く、そして手強いものになりそうだ。
私は「イグニス」をぎゅっと抱きしめた。
その感触は、繋いだ手のひらのように、確かな温もりを伝えていた。
「次は……」
イグニス殿下が窓の外を眺めながら呟いた。
「次は……流行りのカフェとやらにでも……行ってみるか」
そう言った彼の耳は、こっちが見るのも恥ずかしくなるほど真っ赤になっていた。
「た……楽しみにしております」
こうして、私たちの甘い(?)時間は過ぎていった。
これが、私と、計算高いけれど計算外に可愛い王太子殿下との、初めてのデートの顛末である。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
現在、本編(番外編含め)連載版の執筆中です。
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