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悪役令嬢の尊大で横柄な遺書制作





「おわった!!」


時刻は分からないが、昼。サンサンと照らす太陽が高く昇っている頃。ローズは大きな声をあげて叫んでいた。学園の中庭に聳え立つ木々がその声に反応してざわめいた、気がした。


おわった!!


そう。終わった。何がって、今この瞬間から人生の終着点までが。

優雅なぼっち飯に勤しんでいたローズはデフォルトで強気な顔は今では見る影もない程に歪められ、今にも泣きそうだ。それでも叫び続けた。


「おわった!!おわった!!おわった!!おわった!!おわった!!」


通りすがる生徒たちがまるで未確認生命体でも見たかのような顔をしてそそくさと去っていく。それを視界の端に留めながらローズは変わらず叫んだ。


「おわった!!おわった!!おわった!!」


この行動に意味は無い。ただひたすらに、早く消化したかったのだ。

家の鍵を閉め忘れた!と思い出した時と同じような感じで蘇った前世の情報量を。どうしても。

頭が真っ白になって、ぐるぐると世界が回る。気持ち悪いとか言ってる場合でもない。正直に言うともう今すぐ吐きそう。そんな気持ちを忘れたくてローズは叫んでいた。




――わたし、しぬの。

ふと冷静になったローズは心の中でそう呟いた。その頃にはすっかり口をむっつりと閉じて顔を俯かせていた。しかしその顔は相も変わらず歪んでいて、透明な雫が瞳から漏れ落ちる。それをいつも昼食を共にする茶色のベンチだけが静かに見ていた。


前世を思い出して知った。どうやらローズは悪役らしい。そして死ぬらしい。ローズは前世の記憶の中にあったゲームの悪役だった。それを今、唐突に思い出してしまった。

なんで今なのよ、なんで「あ、そういえば」くらいの軽さで思い出しちゃうのよ。なんて誰に言う訳でもなく一人文句を積もらせた。

わたし、しぬのね。なんだか感傷的になったローズはあることを思いついた。


遺書を書こう。

そしてみんなに配って回ろう。


今すぐにでも風に攫われて消えそうだわ、というような儚い空気を漂わせながらフラフラとベンチから立ち上がる。

ゲームでは確か、死ぬまで後一年と半月ほど。ヒロインがやってくるのが後期から。そして婚約破棄されるのが一年後で、私が殺人未遂で処刑されるのがそのまた半月後。学園の全生徒数は約七百人。まあ、猶予はまだあるし、頑張れば書ける。


ローズは涙も鼻水も垂らしたままの不細工な顔でふむふむと頷いた。なぜ全校生徒に書こうといているのかというツッコミは誰もしてくれない。一生に一度のどん底テンションを味わった反動でハイになっている。つまり暴走列車。しかも無人運転の。止められる車掌は何処にもいない。

そして、正気に戻ったとしてもローズはきっと同じことを考え、遂行するだろう。なにせローズである。

傲慢で、暴君で、偉そうで、見下しと常に人生を歩んできた誇りとプライドとヒールの高き公爵令嬢である。私の死をみんなに伝えてあげなきゃ!私から遺書が貰えなかったら悲しむかもしれないわ!なんて激ポジティブ思考で筆をとる姿が容易に想像できる。受け取って貰えないという可能性を一ミリも考えていない。なんなら、受け取れないはずがないわよね?と圧をかける。それがローズという女である。


そうと決まればなんとやら。ローズは早々に早退した。時期尚早、性急で拙速で短兵急。兎にも角にも即断即決。即行動。それもまたローズという女である。


「ありったけの便箋を寄越しなさい!お父様から貰ったルポール店の最高級万年筆とインクも持ってきて!」


家に着くなりパンパン!と手を叩き、いつも通り偉そうに命令する。

呼べばサササッと準備をしてくれた馬車に乗って学園を去ったのは約十五分前。時間的には未だお昼休憩の時間だろう。お昼休憩が終わらぬうちに思いついて、馬車を呼んで、家まで帰ってきた。なんともまあ速すぎる帰宅であるが、これはローズが「全速力で帰らないとどうなるか、分かるわよね?」と脅しをかけたから。そういうところ。とは誰も指摘してくれない。だって怖いんだもん。とは馬車をぶっ飛ばしながら帰ってきた御者の証言である。


カツカツとヒールの音を響かせて部屋へ向かう。その間、使用人たちがせっせと鞄を剥いだり制服を自宅用のドレスに着替えさせたりと忙しく働く。一切足を緩めないローズに早足で追いかけながら纏わりつく使用人達はなんともまあ大変そうだ。


部屋に着けば既に最高級の万年筆と大量の便箋、そしてローズの部屋着ならぬ部屋ドレスは準備満タンだった。金に輝く髪だっていつもの綺麗な縦ロールの形をしている。今から外出ですか?と聞きたくなるほどに。


さあ。書くか。と万年筆を握る。書く内容は決めていないが、まずは関わりのない生徒へのテンプレートを考えることにした。


書き出しはどうしようか。ローズは首を傾げながら考えた。拝啓、見知らぬ学園の生徒さんへ?でもその前に、まず自己紹介から入った方がいいのかしら。でも私のことを知らない生徒などいるはずもないし。私の紹介はしなくともいいわよね。激励の言葉でも書いておきましょうか。遺書兼後世へ継がれていく歴史的文化財になってしまう可能性もあるし。でも、それならばもっとちゃんと書くべきだろうか。


実は些か真面目がちなローズは悩んだ。悩みに悩んだ末、あまり関わりのない人には一文字で終わらせることにした。それは他の、ローズと関わりのない人々の手紙を繋げるとある文章が出来る。そういう仕組みにした。

関わりのない人であるのに余計に書きすぎたらオークションなどに出回り高値でやり取りされてしまうかもしれない。だったら一文字でいいか。という思考の結果である。

ローズは割と雑だった。まあ、つまるところ面倒くさかったのである。


そうと決まれば早い。帰りに使用人に用意させた、学園生徒の名簿を片手に一文字だけを書いていく。


『ローズは稀代の天才であり、頭の切れる優秀な人材だ。素手でイモムシだって捕まえられる』


その文字たちはどう並べようともローズによるローズへ向けた賞賛にしかならない。これじゃあ遺言とは言えない。が、ローズはそんなことどうでもよかった。自分の良いところを文字に起こして遺せる。それだけでかなり満足であった。


『ローズは幼い頃からこの世界の全てを理解しており、学園の授業は耳を塞いでいても理解が出来る』


少々盛り過ぎなのではと指摘してくれる人はやはりいない。いつだってローズの世界ではローズただ一人だけで完結しているのだ。


それから日が暮れ、夕食の知らせが来るまでローズは書き続けた。一日二人分なんて量には収まらず、すでに百人近くのものを書き上げた。万年筆を置いた時の手の痺れに膨大な達成感と次なる遺書へのやる気を漲らせたローズは超高級牛肉をナイフで切り分けながらあることに気が付いた。

来年入学してくる生徒の分はどうすればいいのだろうか、と。


ああ!何たる失態!ローズはそこまで考えの及んでいなかった自分に落ち込み…………なんてことは一切無く。寧ろ今更ながらに気が付くことの出来た自分を誇らしく思っていた。さすが私。こういうことに気が付ける女。そうしていつもの強気で得意げな顔を誰に見せる訳でもなく披露するのだ。もはや特技と言ってもいいほどのポジティブ思考である。


いつもより数倍楽しそうに食事を終えれば、いつも通りにパンパンパン!と手を叩く。お風呂の時間だ。


ローズはお風呂の時間が大好きだ。そりゃあもう何時間も入っていられるというくらいには。でもそうしたら手の指がしわくちゃになってしまう。ローズはそれが許せなくて、不可抗力のお風呂短時間派だ。

そして、そんな短時間派のローズのためにこれまたせっせと体を洗い、髪を洗い、スキンケアまでも終わらせる使用人のなんと優秀なこと。彼女らの努力をローズはいつも、自らが育てたと誇らしげに湯船に浸かる。やっぱり、なんとも傲慢な女だ。


しかしそんなローズも今日ばかりは思いに耽っていた。遺書の内容についてひたすらに考えていたのである。いつもの「もうちょっと早く出来ないの?指がしわくちゃになってきたんだけど」という圧力の籠った声が飛んでこないことに使用人たちは首を傾げ、一周まわって恐怖していた。だがそんなことローズは知らないし、知ろうともしないし、知ったところで理解もしない。


結局、風呂から上がってベッドへ行くまでローズの小言が飛ぶことはなかった。そのくらい、遺書のことで頭がいっぱいだった。


しかし、今日の遺書作成はもう終わりだ。ローズの美容の秘訣は十分な睡眠と食事にある。どちらかを疎かにするのは耐えられない。やっぱり、何となく真面目な女でもあった。

明日と明後日は早退しよう。そうして午後の時間の全てを持ってして全校生徒への遺書を書き終わらせる。来年入学してくる人達に関しては入学前に理事長へ脅しをかけて名簿を頂き、入学式当日の門で待機して渡す。これぞ完全で完璧な犯行ならぬ遺書配りである。と、ローズは布団の中で得意げな鼻息を零して目を瞑った。

明日はもっと書いてやる。そんなやる気を漲らせながら。







書くのやめようかしら。

時間帯はお昼。ローズは今日も今日とて早退を決め込み光速で家へ帰ってきた。しかし昨日の前のめりな書き姿勢とは逆に、背もたれへだらしなく体重を預けていた。


ローズは飽き性である。これが欲しい!と思った物は意地でも手に入れようとするが、それをずうっと大切に眺めたり身に付けたりするなんてことはしない。手に入れたという達成感と共にその物欲も弾け飛んでいく。

そうしてローズの熱視線を貰えなくなった物たちは宝石入れの一つになるか、交渉の材料にされるのがオチである。

そんなローズは遺書に関してももちろん、早くも飽きが来ていた。

私が死ななきゃいい話じゃない?そもそもゲームの中でだって私、色々な殺され方があったじゃない。誰に殺されるかなんて分かんないし、死ぬかどうかも分からないじゃない?なんて、遺書を書かなくて良い理由をローズはいくつも頭に思い浮かべた。思い浮かべて………………寝た。


椅子に座ったまま、しかも首を後ろへだらりと垂らして寝るなんてはしたない!と、純ローズならば気力を振り絞ってベッドへ直行しただろうが今は前世の記憶を持った不純物混じりのローズである。寝落ちなんぞどうってことは無い。という感覚を植え付けられていた。つまり何の気後れもなく寝落ちた。だからだろう。


「きゃああああああ!!ローズ様ぁ!」


夕食時になっても一向に姿を現さないローズを心配したメイドが部屋へ入り、絶叫した。その頃のローズは机に突っ伏しており、辛うじて書けていた五十枚程の遺書はローズのヨダレと共にぐちゃぐちゃになっていた。

なによ、と言いながら不機嫌ながらに起きたローズはそれを見てまた絶叫するのだ。


「誰よ!紙に水を垂らしてぐしゃぐしゃにしたのは!あんたか?!あんたね?!」


そんな横柄な言葉といつもの必殺責任転嫁をモロに食らった憐れなメイドは顔を真っ青にしながらブンブンと必死に首を横に振った。

お前だよ。という心の叫びはメイドの中だけで響き渡った。





そして翌日。二日ぶりに午後の授業を受けているローズはなんの面白味もない先生の話を右から左へ流しながら考えた。遺書、書くの面倒くさいな。と。

だがしかし、素晴らしきローズについて後世に伝えるにはそのくらいしか思い付かないのだ。楽で、尚且つ確実に私を後世に残す方法。板書を書き写しながらうんうんと考えている時、あることを思い出した。


先に全校生徒から書いていたら、メインキャラで渡せない人がいるということ。

うううう、と獣のような呻き声があがりそうになってローズは慌てて呑み込む。自らのプライドと尊厳のために耐えた呻きは眉がくっつきそうな程に顰めることで何とか相殺した。


それは、兄であるシェーリス。シンプルにローズの事が嫌いでむちゃくちゃに避けられているからだ。そりゃあそうだろう。私が女王!みたいな顔をして人生を縦横無尽に暴れ回っている我儘な暴君はまさに触らぬ神に祟りなし、というものである。

しかし、ローズは自分が優秀すぎて妬んでいるから避けていると思い込んでいる。なんて傍若無人で自己評価の高い鈍感少女なのだろうか。その鈍感さとポジティブさはきっとヒロインにだって引けを取らない。そして、それがローズ。兄が可哀想でならない。

他の人は正直遺書を渡せようが渡せまいがどちらでも良いのだが、一応血縁者である。親にも書かねばならないが毎日会うのでまだそう急がなくても良い。


とうとうローズは頭を抱えた。いつもは「髪の毛が崩れてしまうから風に触れさせるのも嫌だわ!」と言って日傘で風から守っているその綺麗な縦ロールまでもくしゃくしゃと掻き回されている。


そうして暫くして、ハッと顔を上げた。

髪が崩れてしまったから、という事ではなく解決方法を思いついたからである。


遺書がダメなら遺言よ!!明日勝手に喋りかければいいんだわ!


なんて素敵な考え!とローズはこっそり笑った。 そしてそれと同時に授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。ローズにはそれが自分を祝福するような鐘の音に聞こえた。これが終わればもう帰れる。帰ったら伝える内容を大まかに考えて、そしてちゃっちゃと寝る。遺書を書くのはまた気が向けばで良いだろう。


ローズは急に席を立ったかと思えばツカツカと門へ歩いて行く。朗らかに、楽しそうに、嬉しそうに微笑みながら。周囲からすれば恐ろしいことこの上ないが。

しかし、ローズの脳内にはピカピカと光が差している。ナイスアイデア!そうよね!直接言葉をかけた方が彼も嬉しいでしょう!と勝手に決めつけて。


門へ着けばいつもの通り、パンパンと手を叩く。暫くして駆け足で寄ってきた御者に馬車へエスコートされている途中、馬車の窓に映った自分の姿を視界に入れ、ローズは絶句した。先程までの清々しい気分は急転直下。ジェットコースターの下りのように落ちていった。


「誰よ!!私の髪をめちゃくちゃにしたのは!!」


お前である。

が、自分であることなど一切考えず、ローズは憤怒したまま馬車へ乗り込んだ。

御者は手をプルプルと震わせ、危うく馬を制御不能にするところだったが根性で耐えた。俺はまだ死にたくない。その一心。最近、輪をかけて予測不能な主に胃を痛めながら御者は冷や汗を垂らした。





「私はあなたの自慢の妹であると思うの!」


ビュウという音が聞こえてきそうな程に凍ったその廊下には珍しい兄妹が向き合って話していた。

妹の方はフンと胸を張って得意気な表情をしているが、対する兄は無。ただひたすらにそこにいるだけ。それが恐ろしく怖かった。とはその場に居合わせた生徒談である。


さて。遺書を残せなさそうな兄には遺言を残そう!と決意して約二日間、ローズは己を避けまくるシェーリスを探し求めていた。

彼は寮に入っているため家には居ないし、学校でも学年が違うから滅多に会わない。それにプラスして避けられているので、遭遇率はゼロに等しかった。

しかしローズはやり遂げたのだ。ついに捕まえた。周りの生徒を脅して、シェーリスを連れてきてもらったのだ。


「だからね、私を避けたくなる気持ちは大いに分かるわ。太陽は眩しいけれど、近付き過ぎたら熱いものね」


シェーリスに表情はやはり無い。ローズはそれも私の才能への嫉妬の形なのね!と考えているが、実際、そんなことは一切ない。表情を見れば一目瞭然なのだが、ローズは見たうえで気が付かない。さすが、ポジティブの申し子。


「でも私は兄様に言わなければならないの。なぜならそれが後世のためになるからよ。心して聞きなさいな」


シェーリスは今すぐここから逃げ出したかった。なぜなら何の得にもならない話を聞かされると分かっているからだ。いつもそうだった。幼い頃から変わらない。どれだけ振り回され、マウントを取られ、嫌味を言われてきたか。シェーリスはその身をもって十二分に理解していた。

たしかに、もっと小さな頃は仲が良かった。にいさま、舌足らずに追いかけてくるその姿は可愛らしかった。なのに何故こんなことになってしまっているのか。


シェーリスがこの場から逃げ出さないのは、逃げ出した先の方が面倒くさいからである。それならば全部を聞き流す方が楽。そう結論づけた。さすが兄妹、その面倒くさがりなところと諦めの早いところがそっくりである。嫌味ではなく、良い意味で。


「私はたしかに今世紀最大の最強完璧淑女だわ。だけれども、だからって兄様が劣等感を感じる必要はないの」


何言ってんだこいつ。劣等感なんぞ一切合切、微塵も、毛ほども、ミジンコほども感じてないですが。という心をシェーリスは隠さずそのまま顔に出す。素直な男なのだ。悪い意味で。


「兄様は十分良くやってるわ。顔も私に似て良い。この私が認めてやるの。光栄でしょ?だから誇りなさい!………あと何かあったかしら。あ!そう。女の趣味はどうにかした方がいいわよ。いいと思った相手には別の相手がいるかもしれない。そして、その人が心にいるからって独身を貫くような馬鹿で恥知らずな人にはならないでね」


突然、出会ってもない女の趣味を言われたシェーリスは首を傾げそうになったがそれよりも猛烈に上からの発言に猛烈に怒りがせり上がってきたのでどうでもよくなった。


「………あのなぁ」


シェーリスは兄としての尊厳を踏みつけられた、というかシンプルに馬鹿にされ、見下されたのが腹立たしかった。とうとう我慢ならず声を出す。その声も怒りで震えている。


こうして、闘いの火蓋が破られた。


「まあ、こんなもんかしらね。じゃあ私は失礼するわね。ちゃんと結婚して、私の素晴らしさと美しさと誇り高き生き様を後世に伝える努力をしてちょうだいね」


が、そう言って颯爽と去っていったローズにより即急に闘いの火蓋は閉じられた。短い闘いだった。


「……クソ!!!」


ぽつんと残された廊下でシェーリスの苛立ちを含んだ悔しそうな声が響いた。いつもこれ。いつも一方的に嫌味を言われ、反撃する間もなく背を向けられるのだ。お前の言葉など興味が無いとでも言うように。兄妹なのに、他人のように感じるその素っ気なさ。それがシェーリスにとっては何よりも腹立たしかった。


そしてローズはそれも、兄は私相手には緊張して言葉数が減ってしまうのね。と思っているだけである。お前が勝手に話を切り上げるからだ、と言いたいシェーリスはいつも失敗するので結局互いにまともな喧嘩も出来ずにこの歳までやってきた。そりゃあ拗れるわけであるし、そもそもローズの性格は人類に向いていないのだ。仕方がない。


そんな兄を残してローズは校門へ向かい、馬車を待った。そろそろ昼休憩が終わる頃。人通りは無いに等しい。そんな校門へ背筋をピシリと美しく伸ばしたままローズは待つ。帰ることにしたのだ。なぜなら遺書へのやる気が湧き出てきたから。


残りの全校生徒分を今日中に終わらせる。後はそれを配り歩くだけ。婚約者やヒロインなどのメインキャラの遺書はゆっくり書けばいい。そうすれば時期に目的は達成される。

ローズはホクホクとした気持ちのまま飛ばしてやってきた馬車へ優雅に乗る。今日は急げなどとは言わない。心が穏やかだったから。


今日は急がなくていいんですか、急いだ方がいいんですか、何も言わなくても分かるだろってことですか、でも勝手なことするなと怒られませんか。御者は悩みに悩んで、普通よりも少し早いかな?という程度で馬を走らせた。握った手綱は手汗で湿っている。


いつまで経っても響いてこない怒鳴り声に安堵と一抹の不安を抱えながら御者はチラリとローズの様子を伺った。が、満面の笑み。楽しそうで何よりである。御者は小さく溜息をつきながら前を向いた。


それから急かされることは一度と無く、ついには彼女を乗せることさえもなくなった。できなくなった。

それでも、御者はいつまでもその笑顔を覚えている。





**





『我が婚約者であり、素晴らしい私を手放そうとした愚か者の馬鹿王子に告ぐ。私の死後、勇姿と美姿をその唯一の権力をもって語り継ぎなさい』


そこまで読んでイベリスはそっと紙を閉じた。そしてその紙が入っていた封筒を見る。


『遺書』


うん。間違っていない。イベリスの視力は変わらず良好だ。


忘れ去っていた、婚約者からの遺書。彼女の死後から一月経ち、ふと思い出したその遺書の初っ端。そんな言葉を目にした瞬間、イベリスはドッと懐かしい疲労を感じた。


これ、遺書だよな?遺書って初めの書き出しで相手を愚か者とか馬鹿とか書かないよな?自分について語り継げとか言うか?ギリ言うか。いや、でも初っ端からは言わないよな?というか、俺王子なんだが。死んでいるから不敬罪は適応されない。それがなんとも恨めしかった。


思考がぐるぐると回り、なんとなく目眩もしてきた気がしたイベリスは一旦席を立ち、窓の外を眺めた。快晴。気持ちのいい天気である。しかし、あの日もこんな天気だった、と思い出してイベリスは嫌な気持ちになった。楽しい記憶ではない。決して。


ローズの処刑日。

その日は皮肉にもうざったらしいほどの快晴で、風も気持ちいい日だった。


イベリスには彼女に、「自業自得だ」と吐き捨てられるほど情が無かった訳でもないし、「殺してやるな」と止められるほど情が有った訳でもない。ただ、シンプルに嫌いではあった。それがイベリスにとっての婚約者であり、ローズだった。

そんなローズを裁いて、処刑した。それは間違いなくイベリスによるものである。


だって、友人を殺されかけたのだ。しかも優秀で将来有望な人。だから仕方がなかったのだ!というのは建前で、実際は優秀で将来有望な顔と性格の可愛い女を、恋した相手を、殺されそうになり憤怒しただけなのだが。

もちろんローズの罪状は処刑されるに一応は相応しいもの。しかし、生かそうと思えばいくらでも生かせた。そのくらいの重さ。


ふぅ、と息を整え席へ戻る。

たまたま残していたこの遺書をふと思い出し、読もうと思ったのは自分である。そして婚約者がいるというのにほかの女へうつつを抜かしていたのも自分である。


イベリスはなかなかにローズへの罪悪感を募らせていた。彼女が死んだのは、言ってしまえばイベリスによる鶴の一声ならぬ王子の一声によるものだから。


それでも、イベリスはローズの傲岸不遜な態度を思い出し、なんだか笑いそうになった。こんな遺書の書き出しは彼女にしかできないだろうという確信がある。


再び遺書を開く。そこに目を滑らせ、滞りなく読んでいく。


『私は幼い頃、あなたを助けたことがあるわ。野良犬からよ。その時の私の勇姿を忘れたとは言わせない。語り継ぎなさい』


『私は恐ろしく才能に恵まれた人間よ。だって逆立ちができるもの。語り継ぎなさい』


『私は、私みたいな男がいればあなたを捨ててそっちと結婚したわ。あなただけが捨てる側ではないのよ。覚えておきなさい。そして何かしら語り継ぎなさい』


ついには笑いが堪えられなくなった。ははは、と小さな笑い声が自室に溢れる。


野良犬に襲われて、泣き出す自分を背に隠して啖呵を切る彼女の姿を、久しぶりに思い出した。

定期的な交流の場で、逆立ちができると自慢する彼女の姿が脳裏に浮かんだ。

最近はもう朧気になってきていた、いつでも自信を持って己を愛する彼女のその強気な顔が鮮明になった。


懐かしい話から、なんだそれという物まで。何でもかんでも語り継がせようとするのが彼女らしい。

それがどうにもおかしかった。イベリスの嫌いなあのローズが文の中でイキイキと生きていた。あの頃の眩しいくらいの輝きと傲慢さを持ってローズはここに生き続けていた。


ローズが嫌いだった。今も嫌いだ。偉そうに見下してくる彼女をずっと煩わしいと思っていたし、婚約者としての役割を果たそうとやりすぎな程、常に迫ってくる彼女をずっと鬱陶しいと思っていた。


『女の趣味が悪く、私を捨てようとするような愚かなあなたの創る国がせいぜい滅びなければいいわ。励みなさい』


最後まで読んで、イベリスはそっと引き出しにその手紙をしまった。

愛する人について趣味が悪いと言われたことは置いておいて、あのローズからこうも応援されてしまえばなんでも出来そうな気がしてくる。通りで、偶に熱狂的な信者がいたはずである。


イベリスは微笑みながら席を立つ。仕事をしなければならない。もちろん公務だ。そして、明日には学園に行って、生徒会の仕事をして。

忙しい。イベリスは忙しいのだ。それでも今日は少しだけ足が軽いような気がした。





**





『あなたは顔と性格だけの女なのだから、私の後釜としてしっかりやりなさいよ』


ロベリアはただでさえ大きな瞳を更に大きくさせ、その文字を読み返した。

そっと紙を閉じ、その紙が入っていた封筒を見る。


『遺書』


どこかの誰かと同じような確認をして、再びその遺書を開く。


『あなたは顔と性格だけの女なのだから、私の後釜としてしっかりやりなさいよ』


その文字は先程と変わりない。見間違いではなかった。遺書って、初っ端からボロカスに相手を貶したりするものだったかしら。と不安になったがこれは確かに遺書らしい。

まあ、私は嫌われていたらしいし。それならばこの書き出しもおかしくはないだろう。ロベリアはそう開き直った。思考を放棄したとも言う。


『でももっと愚かなのはあの馬鹿王子、イベリスよ。私は素晴らしく才能に溢れた素晴らしい人間なのに、王子とあろうものが顔と性格だけが売りの権力も地位もない男たらしの女へ落ちるなんて。ロベリア。あなたが彼を叱っておきなさい』


ロベリアは驚いた。イベリスについてボコボコに言っていたからだ。てっきりイベリスの事が大好きで、自分をいじめていたのだと思っていた。

通りで、「ローズ様はイベリス殿下が大好きなんですね」と言った時にイベリスが複雑そうな顔をした訳だ。なるほど、と半年越しの答え合わせをした。


『そして彼がまだあなたに求婚をしていないのならそのケツを引っ張叩いてやりなさい。あなたに私の後が務まるとは到底思えないけれど、その他の人間ではもっとダメよ』


思いもよらない高評価に嬉しく思いつつ、首を捻った。求婚?イベリス殿下に?なんで?頭に疑問符を浮かべるロベリアはヒロインらしく鈍感だった。


私はただ面倒見の良い王子様に世話になっているだけなのに、ローズ様にそう見えてしまっているのなら申し訳ないわ!と、イベリスを避けに避けまくった時期もあったが、今では兄のような存在である。ロベリアからすれば、彼の婚約者となるのはあまりにも畏れ多かった。

兄と思うことも畏れ多くないのか、というのは聞いたところで無駄である。ロベリアはヒロインらしく天然なので。


『私は私が死ぬことを知っている。だからこうやって私の素晴らしさを文字に残しているの』


その文字を目で追って、ふと遺書を受け取った日のことを思い出す。珍しく嫌味を言われることも無く、機嫌良さそうに渡してきたローズに一周まわって若干の恐怖を感じつつ受け取ったあの時を。


そういえば、一時期彼女が色々な人に紙を配り歩いていたというのを聞いたことがある。ロベリアはそれをたまに目撃していた。あれも遺書だったのかしらと首を捻って考えたものの、今となってはもう本人のみぞ知るってとこだろうと思考を辞めた。ロベリアはこう見えて割とドライだ。


ちなみに、大抵は脅しの紙かもしれないと事故を装って捨てられていたというのは、一文字だけの遺書を貰った生徒しか知り得ないことだ。


『あなたに伝えることなど何一つ無い。以上』


つらつらと私や周囲への苦言と自賛を述べた後、最終的にはその素っ気ない言葉で締められていた。

その彼女らしさに思わず苦笑いがこぼれた。


たしかに、ロベリアはローズから多くの嫌味を言われて、物を隠されて、さらには毒で殺されかけた。そんな相手のことなど全く好きではない。好きではないけれども、それでも、その鮮烈な生き様にロベリアは憧れていた。強く、美しく、気高い人であると思っていた。


そんな彼女の最後の言葉を思い出す。


「私は何があっても私である。私こそが一番である」


と、彼女が死ぬ間際なのだということを忘れてしまうくらいに堂々と、自信に満ち溢れた姿で響かせる声。

あの広場も、人々の歓声も、キンと響いた大きな鉄の音も、飛び散る鮮明な赤も。全て忘れられない。忘れない。


もし身分なんてものがなければ、もし貴族なんて制度がなければ、私は多分あなたを好きになった。友達になりたがった。

なんて言ったら、あなたは怒るかしら。

ロベリアはローズの怒り顔を思い浮かべ、優しい笑顔を浮かべた。






**






学園内の中庭。ちょうど日陰のできる、少し奥まった場所の茶色いベンチ。

中々気持ちのいい場所であるにも関わらず、最後に座られたのはもう三年前になる。今はもう枯葉と、鳥と、虫くらいしか座らない。そんな場所。そんなベンチ。そこへ、三年ぶりに人の温もりがやってきた。


そこには、何が悲しいのかしくしくと泣く少女。

少し汚れた制服、使い古された安物の靴、手にはボロボロの教科書。その姿から想像できる彼女の境遇は何とも憐れで惨めなものだった。


頬を伝う涙を拭うように優しい風がそよぐ。ちょうどその時、教科書の間に挟まっていた紙が滑り落ち、ベンチの下へ潜り込んだ。


貧乏人、金無し、身の程知らず


そう乱暴に書かれた紙。それを拾う気力は彼女にはなく、一応ベンチの下を覗き込んだものの手を伸ばすことは出来なかった。

涙で滲む視界の中、ぼーっと見つめる。その視界の端でなにか白い紙がベンチの裏に付いていることに気が付いた。

涙を拭ってその紙に書かれた文字を見れば『遺書』と書かれているのが見えた。


え、こわい。

という気持ちがまず初めに湧き出てきて、次にはそれを少々上回る好奇心が溢れてきた。気になる。気になって仕方がない。

彼女は好奇心旺盛だった。そして勇敢で、怖いもの知らず。だから余計にいじめられてしまっているというのは本人のみが知らない。


多少の躊躇いがありつつもその紙を手に取った。


『遺書』


丁寧で美しい字だった。

見ていいのかな、と頭では迷いながらも好奇心で動かされる手は止まらなかった。


『私はローズ・ラフレイシア。

この世で最も優れた人間であり、最も美しい人間。

そんな私がなぜ遺書を書いているのかというと、優秀な脳みそを持ってしまったばかりに自らの死期が分かってしまったから。なんて優秀なの。優秀すぎるからやっぱり死なない方がいいわ。

死に方もまあ、分かる。知っている。でも私は私を変えることはしない。私の心のままに行動をする。だから、一応の遺書よ。そしてこれは私から私への遺書。

そして、私がいかに素晴らしい人間なのかを記録するもの。に、しようと思ってたのだけれども。それは他の人へのもので書いたから、まあいいでしょう。私は私の偉業など身に染みて分かっているのだからね。なにせ優れた脳みそを持っているのだから。


ねぇ、私。生きてるかしら?この手紙はいつものベンチに預けておこうと思うの。だから生きているなら卒業前に取りに来て欲しいのだけど、多分私は忘れているわね。だって私の偉業のことなど一つも書いていない、面白みのない遺書なのだから。

ねぇ、私。自分を変えていない?自分のやりたいことを我慢していない?自分のことを愛せてる?今、私は私が大好き。きっとこれからも大好き。愛してる。


でもね、本当に。本当に、死にたくなくなったら、自分を曲げることを少しは許してあげる。

変えていい。我慢していい。でもどうか私は私のことを好きでいて。それだけで強くなれるの。


負けないで。記憶の、私が歩むことになる未来を怖がらないで。

今を精一杯生きて、そのまま学園も卒業できたら。その時はありったけの宝石とドレスを買うの。私の好きなことをするの。今と変わらない、なんてことは無い。気持ちの持ちようがちがうの。


私は私が大好きよ。大丈夫。大好き。愛してる。だからまた、この手紙に出会えることを願ってる。ずっとずっと待っているからね』


強いひとだ。少女は彼女の言葉を見てそう思った。

自分が好きなんだ。私と違って。自分を愛しているんだ。


惨めさ。この学園に入ってから何度も思い知った。自分は惨めだ。所詮、貧乏庶民はこの程度の扱いだ。

自分を呪った。自分の未熟さと産まれを恥じて自分が嫌いになった。それでも、それでも。


そっと遺書を畳んで元の場所へ戻す。もしかしたら、ふと思い出したこの人が取りに来るかもしれない。そこまで古いものでも無さそうだったから、もしかしたらまだ卒業していないかもしれないし、最近卒業したばかりなのかもしれない。


会ってみたいな。


姿も知らぬローズ・ラフレイシアに。私の涙を引っ込めさせた、優秀なこの人に。


すっかり乾いた涙でカピカピになった頬を緩く持ち上げて少女は笑った。


茶色いベンチだけが、それを見つめていた。


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