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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ジャック&ジル、あるいは割れ綴じ夫婦

「血まみれ騎士と囚われの姫」 の真実は

作者: 村沢侑

「君を愛することはない! と思いきや」の続編となります。

前作をお読みいただくと話が分かりやすいと思います。

調子に乗りましたすみません。

残酷な表現及び若干の下品な表現がございますので、苦手な方はご注意ください。


囚われた麗しの姫を助け出した騎士は、その竜の首を傍らに置き、竜の心臓を捧げて、姫に永遠の愛を誓ったのでした。



ユリシア・ワーグナー辺境伯夫人が、ヴァルハイト・ワーグナー辺境伯のもとに嫁いで、2年が経とうとしていた。

ユリシアは、白銀の髪、真っ白な肌、水色の透き通った瞳を持つ、大変な美少女だった。

その容姿から、『妖精姫』やら『月光の聖女』やら『雪の精霊』やら、御大層な二つ名をいくつも付けられながらも、誰もそこに疑義を挟まないほどの圧倒的な美貌の持ち主だった。

しかし、その美貌が逆に国内外への混乱を招きかねないと懸念され、王室主導による嫁入りが画策された。

そこで白羽の矢が立ったのが、ヴァルハイト・ワーグナー辺境伯である。

ワーグナー辺境伯家には過去に王家から王女が降嫁したこともある。

また、隣接した帝国から、先々代の当主に第三皇女が降嫁しているため、ヴァルハイトは帝国の継承権も下位ではあるが有している。

それに、魔の森を抱えるという地理的な問題から、辺境軍は3万人という規模を誇り、国内最大の軍事力を有していた。それを率いるヴァルハイトも、当代最強の騎士と名高く、危険地帯である魔の森をつつがなく管理している。

外敵からユリシアを守るには最適の相手であったことに加え、ユリシアがコワモテのヴァルハイトに一目惚れしたという事情もあり、二人の結婚は光の速さでまとまったのである。



嫁いで間もなく、夫人の懐妊が発表され、世の男性たちは大いに嘆き悲しんだ。

ユリシアの信奉者たちは、これは本当の結婚ではない、ユリシアは御身の庇護を求めて辺境伯家に入っただけであり、白い結婚であるとのうわさを流し続けていた。

実際そう思い込んでいた者たちのなかには、絶望のあまり神の道に入ったり、放浪の旅に出たり、失意で呆然としている間に肉食系令嬢たちにかっさらわれていったりと、様々な道をたどることになった。

そしてユリシアは嫡子となる男の子を出産し、8か月の子育て期間を経て再び夜会へ参加することが公表され、世の男たちはまた色めき立った。

子持ちの人妻となってなお、ユリシアをいまだにあきらめきれない彼らは、今度こそ彼女を取り戻そう(そもそも自分のものですらない)と悲壮な決意でもって夜会に参加したのである。

そうして、王城で開催された夜会で、今ユリシアとヴァルハイトの前に集まった令息、のみならずあわよくばと紛れ込んだ好色オヤジどもの数は、総勢20名を超えた。

その夜、彼らは奇跡を目の当たりにするのである。


人妻となり、出産を経たユリシアは、美少女から美女へと変貌を遂げていた。


以前より少し大人びた容貌、細身ながらもしっかりとその質感を主張する胸元、折れそうに細い腰から柔らかな曲線を描くその先は、豪奢なレースの波によって阻まれているけれど、十分にそのプロポーションの良さを想像させる。

また、その真っ白な肌は、胸元から腕の先までを透け感のあるレースですべて覆われているが、その隠され具合がまた絶妙で、その薄い布の下の雪のような質感を思い浮かべるに十分な、程よい隙をうかがわせるのだ。

(ワーグナー家の侍女たちが、奥様は隠してしまったほうが色気が出ますからね! ちらりずむというやつですわ! とはっちゃけた結果である。)

つまりは、元の清楚な美しさをそのままに、控えめながらも匂い立つような色気をまとうようになっていて、人のものであるという背徳感も相まって、会場中の男性の雄の本能をいたく刺激しまくった。

その結果。


「ユリシア嬢、目を覚ますんだ! その男に惑わされてはいけない!」

「かわいそうに、そこの悪魔があなたを無理やり自分のものにしたのだね。ユリシア嬢、待っていてくれ、今君を救い出す!」

「辺境の悪鬼よ、ユリシア嬢から手を引け! 彼女にふさわしいのはこの僕だ!」

「辺境伯殿、これ以上あなたに縛られる可憐な花を見ていることはできない。ユリシア嬢を解放してくれ!」

「辺境伯閣下、まだわからないのですか? あなたのような野蛮で恐ろしい男は、ユリシア嬢の隣にはふさわしくない!」


『目を覚ませ』族、『あなたにふさわしいのはこの僕だ!』族、『君を解放してあげる』族、『君は姫にふさわしくない!』族、『姫を奪った男の魔の手から助け出す』族が一堂に会した場は、(ある意味)なかなかに壮観だ。


「ユリシアは我が妻だ。ワーグナー辺境伯夫人、と呼べ」


が、そこに冷や水を浴びせたのは、夫であるヴァルハイト・ワーグナー辺境伯であった。

2mに迫る長身、鍛え抜かれた体躯、精悍で整った顔立ちだが、いかんせんワイルドすぎるのと目つきの鋭さで、ラスボス感満載の容貌は、はっきり言ってその場の誰よりも威厳と迫力が備わっている。

玉座の王族もかすむほどの圧倒的な存在感(主に恐怖で)をこれでもかと放ちつつ、周囲を威嚇している。これだけで、胆力のないものは『退避ッ! 退避~ッ!』とばかりに壁際までぴったりと引き下がる始末だ。

「こいつらをユリシアに近づけるな」

辺境伯家の護衛に命じながら、まるで宝物のごとくユリシアのほっそりした手を捧げ持ち、ヴァルハイトはその白い指先にキスを落とす。

「ユリシア、俺が守る。安心してくれ」

「はい、ヴァル様」

ユリシアは、己の唇から指先を離そうとしない夫を、ぽうっと上気した顔でうっとりと見つめている。

さすがに結婚から2年たてば、このくらいの会話は緊張せずにできるようになった。もともとユリシアに惚れ込んでおり、愛を隠せないヴァルハイトは、口に出すのが苦手な代わりに、時にこのような触れ合いを臆面もなく実行するようになった。

そうして意図せずぶっこまれる実力行使(愛情表現)を食らう度に、嫁はめろめろに惚れ直してしまうのだが。


辺境の悪鬼、大進歩である。


だがしかし、所有権を主張され、独占欲をこれでもかと見せつけられたユリシアは、素晴らしい夫にときめいてしまい、周囲に群がる男たちのことなど、塵芥(ちりあくた)ほどにも目に入っていない。


そんな馬鹿な。王国の『妖精姫』とうたわれる美女が、こんな魔王に心奪われる姿など!

見ない、見えない、見たくない、信じない!

阿鼻叫喚である。


「だが」

たった一言。声に乗った圧力で、数人がへたり込む。残りの男たちに不機嫌を隠さず、ヴァルハイトは視線に力を込めた。

「我が妻に不埒な意思を持って近づくのならば、命を散らす覚悟があるということだな?」

そう言い放った瞬間、男たちはがくがくと腰が抜けてへたり込み、這う這うの体で逃げ散った。

しかし、顔面蒼白になりつつも、総崩れになる男たちの中で踏みとどまった数人の令息に、ユリシアは困ったように首をかしげた。

「わたくし、もう子持ちのオバサンですのに。なぜ年増の既婚者にこのように興味を持たれるのかしら?」

当然、ヴァルハイトは地獄の番犬のようにブルブルと首を横に振って否定する。

「あなたは、いつまでも若くてきれいだ」

「まあ! うれしいわ。ヴァル様も素敵です!」

ほのぼのいちゃいちゃする夫婦の横で、うんうんとしたり顔でうなずくのは、ヴァルハイトの副官、キール・ローランドだ。

「仕方がありません。奥様はお美しいですから。特に今夜のいでたちは素晴らしい。うなじをすっきりと見せ、胸元はレースで隠しながらも艶めかしさを損なわない。ヴァルでなくとも男が放っておきませんよ」

と、今夜の夜会に付き従ってきた、ヴァルハイトの幼馴染の副官は臆面もなく言う。

キールは垂れ気味の目に整った顔で、軽薄な雰囲気を漂わせる美形だ。ヴァルハイトほどではないが、長身で鍛えられた体躯は細身の騎士服がよく似合う。しかし、キールの軽口を、ヴァルハイトはあきれたようにため息をついただけで、彼をとがめることはない。


キールにとって、ユリシアは美術品のような女性だ、と思う。

美しく、見ていて飽きないが、主の隣に立っているのを見るのが楽しいのであって、全く欲望の対象にならない存在だ。

何せ、ヴァルハイトとユリシアがそろっている前で堂々と、

「奥様は美しいと思いますが、俺は妻にしか勃ちませんので」

と言い放ち、『ユリシアに下品な言葉を聞かせるな!』とぶっ飛ばされたことがあるくらいだ。自他ともに認める愛妻家なのである。


その彼が、ふと何かを思いついたように笑い、ヴァルハイトは眉をひそめた。

「ヴァル、この際だから現実みせてやれよ」

にやにやしながらそんなことを言う副官が何を企んでいるのかと、ぎらりと剣呑な視線を送るが、本人はどこ吹く風。

令息たちはその視線に、喉元にむき出しの刃を突き付けられたように肝を冷やし、そんなヴァルハイトをうっとりと見つめるユリシアに戦慄した。

「じゃ、控室に移動しましょーか。どうぞこちらへ」

辺境伯家の護衛騎士に先導され、王宮内に用意されたワーグナー家の控室に向かうにあたり、ヴァルハイトが目に見えて落ち着きをなくす様子を見せ始めた。

そわそわしたあと、意を決してすっと身をかがめた瞬間。

「ヴァルー、公の場だぞ。抱っこ禁止」

のんびりと、だが的確なタイミングで投げられた副官キールの声に、ヴァルハイトはびくっと背筋を伸ばす。

(抱っこはだめか、だめなのか? では、腰を……抱き寄せたいが、このままでは手が届かない。どうしたら?)

身長差があるせいで、小柄なユリシアの腰を抱き寄せるには膝をかがめなければいけない。ヴァルハイトはうろうろと手を上げ下げして、ユリシアをどうやって確保するか逡巡した挙句、自分の漆黒のマントごとユリシアの肩を包み込むという方法で落ち着いた。

ふわりとマントを広げ、その血のように赤い裏地の中にさらうように引き入れて、きれいに結った髪を崩さぬよう、ユリシアの頭頂部にキスを落とす。

すると、不満そうにちょっと唇を尖らせて見上げられ、(俺の妻可っ愛(かっわ)……!)とあまりの尊さに、あざけるように口元をゆが(小さく微笑んだ)めたヴァルハイトは、その桜貝のように艶々と光を反射する妻の柔らかな唇に、触れるだけのキスを落とした。

「ヴァル様……!」

望んだ口づけを与えられたユリシアは、ふわっと頬を染めて恥ずかし気に口元を押さえ、引き寄せられるままヴァルハイトの腰にピタリとくっつく。


マントに囲われた彼女の姿は、外野から見れば、さながら魔王にさらわれる姫のような風情であったが、マントの中のユリシアがうっとりしているせいで、さらに魅了された姫君感がプラスされ、何やら悲壮感が半端ない。

会場の人々は、さらわれてゆく姫になすすべもなく、なぜ彼女を助け出す勇者が現れないのかと悲嘆にくれながら、彼らをただ見送るしかなかった。(そもそも夫婦でパートナーであり、何も問題はないということを指摘してくれる人はなぜか誰もいない。)

キールをはじめとする辺境伯家の護衛隊は、その異様な雰囲気のなか人波の間を巧みに誘導し、一行は夜会の会場を後にしたのだった。



ワーグナー家の控室は、警備上の問題と護衛の数を鑑みて、広い部屋が割り当てられていた。

ソファセットも四人掛けが向かい合って二つ、二人用が一つのコの字型に配置されており、令息たちは大きなソファに分かれて座り、ヴァルハイトとユリシアは二人掛けにくっついて座っていた。

そりゃもう、細い腰を鷲掴みにする勢いで手を添え、隙間もないほどぴったりと密着するように引き寄せて。


はじめに席につこうとしたときに、当たり前のように妻を膝に抱き上げようとしたヴァルハイトを、キールがまた『公の場』と止めたため、ヴァルハイトは渋々膝抱っこを断念し、ユリシアをしっかり自分に接着することで妥協したのである。


ちなみにキールは二人の後ろに立ち、その他の護衛は壁際に配置されていた。

(くうう、ユリシア嬢の腰にあんなにべたべた触れるなど、不埒な真似を!)

(あれほど密着して、う、うらやましい!)

(本来ならあそこに座ってユリシア嬢を抱き寄せるのは僕のはずなのに!)

などなど、それぞれ脳内妄想に忙しいが、ヴァルハイトが怖いので決して口にしない。口にしたら、()られる。

何度も言うが、二人は夫婦。何の問題もない。むしろもっとくっつきたい。こいつらがいるせいでくっつけない。夫婦はお互いに不満たらたらである。

「し、しかし、ユリs……」

「ワーグナー辺境伯夫人」

中の一人が意を決して口を開きかけて、地を這うようなドスの効いた声でぼそりとさえぎられ、ソファの上でびっくう、と体が跳ねた。心臓を握りつぶされるかと思った。

「そっ、そのっ、ワーグナー夫人!」

「はい、なんでしょう」

「そもそもっ、辺境伯閣下は、悪魔のごとくおそろしく野蛮で、常に不機嫌で周りに当たり散らし、気に入らない女性をにらみつけるような輩だと聞き及んでおります!」

「そうです! 不躾でマナーもなく、粗暴な男だとか! 少しでも気に障るようなことがあれば、剣を抜いて脅しつけるとも!」

「聞けば、夫人は屋敷からもなかなか出られないようだと。監禁されているのではないかと心配で!」

「夫人は日々、身を縮めるようにして生活し、恐ろしい思いをしているのではありませんか!?」

ヴァルハイトは、前に聞いた噂からまた随分とパワーアップしたものだとある意味感心していたのだが、もちろん表情には出ない。

それに、そんな噂は、ユリシアに愛されている自信と実感を得ることで、とうにコンプレックスは解消していた。

「まあ。本当にマナーもわきまえず、粗暴で野蛮で、だれかれ構わずトラブルを起こすような方、王城に招かれるわけがございませんでしょう? わたくしから見て、ヴァル様の振る舞いは、貴族のマナーに従って、洗練された態度だと思いますわ。そのような不躾な言動を、あなた方はご覧になりましたの?」

「いえ、それは、その」

「噂に振り回されるのは、貴族としてどうかと思いますわ。様々なうわさの中から、真実を見極める手腕も、社交界では必要なスキルではなくて?」

こてん、とかわいらしく首を傾けながらも、ユリシアの言葉の内容は辛辣だ。


噂の真偽を自分で確かめることもせず、自分に都合のいい言葉だけを信じ込み、勝手な妄想を押し付けるような人間は、貴族社会の中ではひそかに敬遠されるもの。そうしてうだつの上がらない境遇に気付くことなく、こうして堂々と厚顔無恥をさらしに来ているのが、ユリシアは不思議で仕方がない。

まあ、そんな鈍感力だけは無駄に鍛えているらしい彼らだからこそ、こうして雁首揃えて夫妻の前に出てこれるのだろうが。

それはともかくとして、ヴァルハイトは夜会ではユリシアとしかダンスを踊らない。噂とその風体から、ご婦人ご令嬢はヴァルハイトには近づきもしない。

ダンスが終われば壁際に引き、ユリシアに男どもが近づかないように護衛を配置して休憩をとる。

その後、彼が妻を伴って相手をするのは、取引のある貴族や同じ辺境伯家、高位貴族や交流のある騎士関係と、分別のある相手ばかり。

しかも口数が少ないので会話も短い。

全くトラブルになりようがないのだ。

そんなことにも気づかないのかと、他ならぬユリシア自身に指摘された形になり、令息たちは赤くなって不満そうに黙り込む。


「それに、わたくし肌が弱くて。日差しに当たりすぎると赤くなってしまうので、もともと実家にいたときも、外出は多くありませんでしたわ。監禁だなんてとんでもない! ヴァル様はわたくしの外出には一切制限をかけておられません。普通に街歩きはしております」

その裏では、ユリシアへ近づく輩を徹底排除して、彼女が安心して街を歩ける環境を維持しているという、ヴァルハイトの涙ぐましい妻への献身がある。


心配のあまり護衛を一個小隊分つけようとして、落ち着け住民の迷惑だとキールに殴られて諦めた。

今はユリシアが外出する際は、護衛4人と護衛侍女1人の合わせて5人をつけ、離れて見えない位置に15人を配置、さらに特務隊である『夜行』という隠密部隊を100人規模3交代で運用。

結局最初の一個小隊よりはるかに規模がでかくなってしまったのだが、住民の迷惑になるわけでなし、治安もよくなるのでまあいいだろうとキールの許可が下りた結果である。

そうして、ヴァルハイトは愛しい妻の行く先に彼らを散開させ、影でユリシアを狙う不埒者や外敵を秘密裏に排除しつつ、彼女の平穏を全力で守っているのだ。

そこまでするか!? と思われそうだが、国を挙げてユリシアを守れと王命が出ているうえ、心配性で過保護が過ぎる夫は、妻を守るためには一切の妥協をしないのである。


「ヴァル様は、今まで王宮や領地で、何の罪もない方相手に剣を抜いたことなどございません。とてもお優しい方ですもの。でも、ちょっとだけ緊張しいなのですわ。緊張すると、少しお顔が怖くなってしまわれるだけなのです」

(『少し』怖くなってしまう『だけ』っていうのがすでに感覚おかしいからな!?)

(やはりここは目を覚ましてもらうしかない!)

(いったいなぜ、姫はこのような勘違いを!?)

にこにこと聞く耳を持たないユリシアに歯噛みする彼らの前に、副官のキールがさっとテーブルに出したのは、一冊の古びた本。

(ちょっと待て、今どこから出した!?)

(いつも持ち歩いてんのか!?)

(手品か!)

『まあ!』とユリシアが声を上げ、嬉しそうにその本を手に取った。

(てか疑問にも思ってないな姫!?)

(ちょっとは気にしたほうが!?)

いやこの副官もなんなんだ!? とおののきつつ確認した本のタイトルは、『血まみれ騎士と囚われの姫』。

(タイトルが物騒!)

(この二人の状況そのままじゃね!?)

いったい何のためにこの本が登場したのかがさっぱりわからないが、ユリシアはその本を宝物のように胸に抱いた。

「これは、わたくしが10歳の時に出会った本ですの。騎士デビットは強く、たくましく、優しく、わたくしの理想だったのです!」

(んん……?)

(強く、たくましく……?)

(理想……?)

何やら雲行きが怪しくなってきたように感じて、令息たちは戸惑う。

「ヴァル様は、まさに騎士デビットが物語から出てきたように、わたくしの理想そのままの方なのですわ! ヴァル様との出会いは、わたくしにはまさに運命でしたの!」

本をぎゅっと抱きしめたまま頬を上気させ、きらきらした瞳でヴァルハイトを見上げるユリシアは、まさに妖精の名にふさわしい美しさだ。

誰もが目を奪われるに違いない……視線の向く先が、鬼神のように真っ赤に憤怒した(照れている)表情の辺境伯でなければ。

(ゆっ、ユリシア嬢、逃げて!)

()られる! (タマ)ぁ殺られる!!)

(命大事に!!)

ユリシアの危機だと思うものの、ヴァルハイトの顔のあまりの恐ろしさに声も出なければ体も動かない。そもそも自分が助けるという発想もなく、ユリシア自身の回避を願う有様。

まったく、中央の弱々しい男たちは気概がない、とキールなどは生ぬるく見守っているわけだが。

「皆様も、どうぞご覧になって」

ユリシアは喜々として本を開いてテーブルに置いた。

真っ赤だった顔色は平時に戻ったものの、腕を組んで無表情でこちらを睥睨するヴァルハイトに恐々としつつ、令息たちはそろそろとページをめくっていく。

内容は子供向けの物語で、悪い竜にさらわれたお姫様を、国一番の騎士が王の命を受けて助けに行くという、よくある話だった。


まあ、その騎士が筋骨隆々で、常に周りをにらんでいるような顔立ちで、序盤に王から姫の救出を拝命した時の『御意』という一言以外、姫を助けるまで一言のセリフもなかったあたり、これはいったい物語として成立するのか、そもそもこの作者はどういった意図でこんなキャラにしたのか、ニッチすぎて需要あんのかという疑問が誰しも浮かんだけれど、それはひとまず置いといて。


騎士デビットは竜の首を両断し、吹き上がる血に姫は歓声を上げました。

騎士デビットは、竜の体を蹴り上げてひっくり返し、腹を裂いて心臓を取り出します。

竜の心臓は魔力生成器官のため、これを取り出すことで、竜は本当の絶命を迎えるのです。


(これ、ホントに子供向けか……?)

(変なとこ生々しすぎねえ……?)

(首切った瞬間に歓声を上げる姫って普通に怖いよな……?)

令息たちは首をかしげる。


竜の返り血に全身を染め、騎士デビットは雄々しく心臓を天に掲げました。

竜の心臓は、豊富な魔力が含まれています。これを使えば、一度だけ、あらゆる願いが叶うのです。

騎士デビットは、討伐の証の竜の首と心臓を持って、姫の足元に跪きました。

「姫、あなたを愛しています。私の命尽きるまで、生涯あなたを愛し続けます。この心臓を捧げ、あなたを私の妻としたい。どうか結婚してください」

その瞬間、竜の心臓はぱあっと光を放って周囲を照らしました。

「まあ、もちろんですわ騎士デビット! わたくしもあなたを愛しています! 結婚しましょう!」

そうして、騎士は姫を片手で抱き上げ、その場を去っていきました。

二人は結婚し、末永く仲良く暮らしましたとさ。


(いや、血まみれでプロポーズとか怖いって!)

(姫に竜から抉り出した臓器を捧げるとか頭いかれてんじゃねえのか!?)

(しかも生首近くにさらしたままで!)

(つか心臓使って洗脳して結婚仕向けただけだろこれ!)

(あれ? でも竜の首落として歓声上げるような姫なら別に問題ない? のか? え?)

(待ってこいつ片手に心臓、片手に姫を持ってる状態で帰ったってこと!? サイコパスすぎねえ!?)

(そんな危険人物のプロポーズ受けてんじゃねえよ姫えええ!)

(なんで最後だけ『めでたしめでたし』みたいになってんのぉぉ!?)


まさかこれが……姫の理想を形成した本だというのか……!?

令息たちは絶句した。絶句しながらも内心のツッコミに忙しい。

いやたしかに、たくましく強い騎士が活躍する物語といえばその通りなのだが、その他がいろいろひどすぎる。

あまりのストーリーに、令息たちは全員、激流に落ちたような混乱状態にぶち込まれる。

だが、ユリシアはそんな彼らの様子は眼中になく、こらえきれないというように満面の笑みで感想を述べる。

「竜の心臓をささげてのプロポーズは、騎士デビットが命がけで姫を救い、愛を示した最高のシーンだと思いますの! 姫がその愛を受け入れるのも当然ですわ! それに、プロポーズを受けた後、騎士デビットが姫を片手で抱き上げて山を下って去っていくシーンが、本当に素敵なのです! わたくし、そんな風にひょいっと片手で抱き上げられてみたかったのですが、ヴァル様はそれをいつもかなえてくださるのですよ!」

「ああ、奥様、ヴァルがいるときは館の移動はいつも抱っこですもんねえ。室内履きいらないんじゃないか? ってぐらい抱っこされてますもんねえ。食事以外は基本ヴァルの膝の上ですしねえ。さっきも公衆の面前で危うく抱っこで運ばれるところでしたしねえ。あんまり抱っこばかりだから奥様の足がなまらないか俺たちも心配で」

(ああああ聞きたくねええええ!)

(常に抱っこ移動とか膝抱っことかー!)

(辺境伯コノヤロウ俺たちのユリシア嬢にー!)

内心の絶叫に忙しい令息たちを横目にキールがしたり顔で言えば、ユリシアは困ったように首を傾ける。

「ええ、侍女たちも心配して、ヴァル様が不在の時は、なるべくたくさん歩かせてくださるのよ。だって、ヴァル様ったら、歩けますって、おろしてくださいって言っても聞いてくれないのだもの」

つんとすねたようにユリシアが言えば、ぎゅうっと不機嫌顔になったヴァルハイトが、彼女に視線を向ける。

「……すまない。君を、離したくなくて」

「あら、いいんですのよ! 旦那様の希望を叶えるのも、妻の役目ですわ! ヴァル様に抱っこされるのは大好きです!」

ユリシアがころっと笑顔になって、つん、とヴァルハイトの頬を突くと、途端にその顔は敵を滅せよと言わんばかりの気迫に真っ赤に染まり、顔を正面に戻してまっすぐ虚空に殺気を放つ。

(おっ、俺はまだ死にたくない!)

(これからカチコミに行くって顔してる!?)

(えっなに隣国でも落としに行くの!?)

(なんであなたその至近距離で平気なんです!?)

うふふ、と笑いながら、そんなヴァルハイトの腕にしがみつくユリシアの思考回路が、令息たちには本気で理解できない。

無条件で彼女を崇め奉っていた感情は、順調にヒビが入り、令息たちの勢いが目に見えて弱まっていくのを、キールはほくそ笑みながら観察する。

「な、ならば、私は竜を討滅し、姫に心臓を捧げると誓いましょう!」

一番体格のいい令息が、勇気を振り絞って宣言する。その足が生まれたての小鹿のようにふるふる震えているのは隠せていないが、この雰囲気でこんなことを言える胆力は評価してやろう。

まあ、空気読めてない時点でどマイナス評価だから、結局マイナス寄りのプラマイゼロなのだが。と、キールはにやにやしながらヴァルハイトの返答を待った。

「それは無理だろう」

「なんだと!? 辺境伯殿は俺が力不足とでも言いたいのか! 王都武道大会準優勝者のこの俺が!」

(準優勝って微妙~)

その場にいたユリシア以外の全員の共通認識である。

「いや、それ以前の問題だ」

(ぶった切りすぎィ!)

「今、魔の森の浅層には、竜がいない」

(あっそっち?)

(こいつの腕が足りないとかではなく?)

(そもそも竜がいないからからできないよってことでOK?)

「ある程度の技量があるであろうことは察するが、たとえ浅層に出るような亜竜でも、貴公の腕では単騎討伐は無理だと断言する」

(言い方ァ!)

(もうちょっとオブラートにくるんでやって!)

「魔の森は危険ですもの、そこに立ち向かおうとする方をご心配なさるなんて、ヴァル様は本当にお優しいわ!」

(えっ……あれで心配してるのか……? 本当に?)

(言葉の選び方がどう考えても厳しさしかあふれてないんだが)

(口下手って噂は本当なんだな……)

(あれを心配してると変換できるユリシア嬢の思考回路ってマジでどうなってんだ?)

だが、さすがにあんまりな言いように後に引けないのもあってか、騎士らしき令息はいきり立った。

「辺境伯といえど無礼ではないか! やってみなければわからな……」

最後まで言い切る前に、とん、と首に何かが触れた。

息をのんで恐る恐る振り返ると、にこやかな表情のままのキールが立っていた。

揃えた2本の指を、令息の首に当てたまま。

「い、いつの、まに」

「竜を倒そうってんなら、これくらいは対処できなきゃお話にならないよ。ましてや、平常時のヴァルに飲まれてるようじゃ、普通の魔獣討伐だって無理無理」

そうして、キールは『失礼』と断りを入れて、またヴァルハイトとユリシアの座るソファの後ろに戻っていった。


令息たちは誰も、キールの動きが見えなかった。

気配も、足音すらも。

竜討伐を口にした彼はあまりの実力差に消沈して、うなだれるしかなかった。


「ユリシア、すまない」

ぎゅうっと不機嫌そうに眉を寄せて、ヴァルハイトが唸った。

「はい、どうしましたヴァル様?」

「君がその本にあこがれていたのは知っている。俺も、ユリシアの夢をかなえてやりたいと思った」

(いやあんたその顔でそんなロマンチストなん!? そのプロポーズの殺伐さは置いといて!)

「ここ数年、名のある竜の個体は、魔の森の奥に移動したまま出てこないんだ。森の深層へ向かうには、片道一か月かかる。往復二か月もあなたから離れるなど、俺には無理だ。竜の心臓を捧げてのプロポーズは、少々難しい」

(竜が引きこもってるなんて絶対あんたのせいだろ!!)

(つか実践しようとするな!)

(竜がいればできるみたいな口ぶりが怖いんだよ!!)

(できない理由が姫と離れるのが嫌だからって、それでいいのか辺境伯……)

内心での突っ込みに忙しい令息たちには目もくれず、ユリシアはふんわりと笑ってみせる。

「あら、そんなことはありませんわ。先日お館にご帰還の際、私の両手に余るくらいの大きな魔石を捧げてくださいましたわ! その時わたくし、まるであの本の姫のようだと思いましたのよ! あれは何の魔石だったのですか?」

「イビルレックス、だったか?」

「変異種のつがいだったな、ヴァル。魔石は抱卵前のメスのでかいほう」

(ええ……イビルレックスの変異種って確か災害級じゃなかったか……)

(しかもつがいなんて下手すりゃ国が落ちるレベルだろ……)

(抱卵前後のメスなんて狂乱状態になるはずだろ、正気か!?)

「あんな小物ではあなたに釣り合わない。ふがいない俺を許してくれ」

(いや、あれを小物扱いっておかしいだろ!)

(化け物……!)

「何をおっしゃるの! 跪いて血の滴る魔石をポケットから取り出し、わたくしの手が汚れるからとハンカチにくるんで捧げてくださったそのお心遣い、わたくしときめいてしまいましたわ!」

「ああ、ユリシア……!」

感極まったように両手を伸ばし、ヴァルハイトはユリシアをひょいと抱き上げてその膝にのせて、しっかりと抱きしめて(拘束して)しまった。

もちろん、地獄の底から這い上がってきた炎鬼(えんき)のごとき凶悪な顔で。

「姫えええやっぱり目を覚ましてくださいー!」

「なんでそんな血なまぐさい話を美談のように語ってんですかあああ!」

「あなたはその男に騙されてるんだぁぁぁ!」

「あら」

愛する夫の膝の上に囲われて、ほわほわとほほ笑む彼女は、こてんと首をかしげた。

「わたくし、今とっても幸せですのよ。もし目を覚ましたとして、今以上にわたくしが幸せを感じられる保証はございませんし、そんなリスクを冒してまでも目を覚まそうとも思いませんし、何よりわたくしの幸せはヴァル様のおそばにあることですし」

ユリシアはきゅっとヴァルハイトの礼服の胸元をつかんで、とてもとても照れている(まさに悪鬼の表情の)夫の顔を、幸せそうに見上げた。


「そもそも、ヴァル様がわたくしを騙していたのだとしても。わたくしが死ぬまで騙し通していただければ、それがわたくしにとっての真実ですわ」



その後、令息たちはがっくりとうなだれて退出していき、二度とユリシアに近寄ることはなかったという。

それから4か月ほどたって、ユリシア・ワーグナー辺境伯夫人が第二子を妊娠したと公表された。

時期的に考えれば、おそらく夜会の前後と思われる。

つまりは、結婚し、子供を産んでなお男たちを魅了する美しい妻に、嫉妬にかられたヴァルハイトがたいそう張りきった結果、そのようになったのだろうと察せられて。

(ヴァルハイト)に塩を送る結果になったことに、貴族令息たちは完膚なきまでに心を折られ、膝から崩れ落ちたのだった。


再び失意のどん底に落ちた令息たちは、またしても神の道に入ったり、放浪の旅に出たり、失意で呆然としている間に肉食系令嬢たちにかっさらわれていったりして、その存在のほとんどが消えていった。

そして、仕掛け人である副官・キールには、二度目のボーナスが支給されたとかどうとか。


副官君、名前が付きました! キール君です! 今回もしっかりおいしいところを持って行ってくれました。

ヴァルのコワモテっぷりを表現する語彙が欲しいところ……。

辺境の男は、常に誰かを守るという環境に置かれているせいか、愛する者に執着する傾向が強いです。

イビルレックス・・・まあでかくて凶悪な恐竜系の何かとでも思ってください。

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