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六 徐奉仙(じょほうせん)

「徐奉仙様です」


 盆を手に入って来た広が、そう言って手で示したのは、春燕と同い年くらいの少女だった。


 美しいと言うより可愛らしい顔立ちだが、本当にここにいていいのかと案じているような、どこか不安げな面持ちだ。


 長い黒髪を二つに分けて捩じり、兎の耳のような形に結って、扇めいた髪飾りで飾っている。


 ほっそりした体を包むのは、東雲色の襦と裙。


 春燕の可愛らしさは貴人らしいそれだったが、奉仙のそれはもっと親しみ易く、歩く所作は市井の者と大差ない。


 恐らく後宮に入るまでは、「普通」と言われる暮らしをしていた少女だったのだろう。

 

 私は冏と共に立ち上がって自己紹介し、奉仙と揖の挨拶を交わすと、板独座を勧めた。


 奉仙は何故呼ばれたのかわからない様子で、少なからず戸惑っているようだったが、黙って板独座に腰を下ろす。


 広が盆に乗った茶杯を奉仙の前に置き、春燕に出した茶杯を盆に乗せて出て行くと、私は静かに切り出した。


「急にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。私達は、金英様が亡くなられた件について調べておりまして、金英様について少々お話を伺いたいのです」

「それはいいですけど、あなた方士様ですよね? やっぱり金英様のことは、鬼の仕業だったということですか?」


 気味悪そうに尋ねてくる奉仙をできる限り安心させようと、私は笑みを作って答えた。


「まだ調査中ですから、何とも申し上げられません。人の仕業とも限りませんので、こうして私達が調べているのです」


 私の言葉は不安を払拭することはできなかったようで、奉仙の眉間に刻まれた皺が消えることはなかった。


 奉仙は、目の前に置かれた茶杯を両手で包み込むようにして取ると、水を一口飲んでから小さく息を吐く。


 私が辛抱強く奉仙の気持ちが落ち着くのを待っていると、奉仙は少し間を置いてから言った。


「わかりました。何を話せばいいですか?」


 冏が墨を含ませた筆を手に取ったところで、私はようやく質問に入る。


「では、金英様とは親しかったですか?」

「私、あの人とは仲が良かった訳じゃないんです。玉環様があの人を苛めていて、私も手伝わないと苛められると思ったから、それで……」


 奉仙は気まずそうな面持ちで曖昧に言葉を濁したが、要するに玉環の行いに加担していたということのようだ。


 それでも玉環のように開き直ったりせず、己の過ちに罪悪感を覚えている様子なので、性根が腐り切っている訳ではないのだろう。


 決して褒められたことではないが、自分を守るために似たような振る舞いをする者は少なくないし、今初めて会った私が責める筋合いでもなかった。


「春燕様が金英様と親しかったと伺いましたが、春燕様の他に金英様と親しかった方に心当たりはありませんか?」

「多分、そういう人はいなかったと思います。玉環様はあの人を随分嫌っていて、他の宮妓達と一緒に随分あの人を苛めていましたから。でも、あの人が春燕様を味方に付けてからは、春燕様がいる前であの人を苛めるのは玉環様くらいで、玉環様の仕打ちも前より大分控えめになってました。玉環様は春燕様みたいな貴族じゃありませんけど、舞の先生ですから、春燕様もあまり強くは言えなくて、結局あの人はずっと苛められてましたね」


 「春燕の他に金英様と親しかった者はいない」という奉仙の証言は、春燕のそれと合致する。


 親しくないと言うのであれば、金英の交友関係を把握していなくても当然であるし、この証言は信用して良さそうだった。


「では、金英様が誰かと揉めていたところを見たことはありませんか?」


 私の質問に、奉仙は天井を見上げて、少し考える素振りを見せてから答えた。


「苛められているところなら何度も見ましたけど、あの人が言い返したりしているところは見たことがありません。あの人が憎んだり、恨んでた人は何人もいると思いますけど、逆にあの人をそんな風に思ってた人は、多くはなかったんじゃないでしょうか。少なくとも私は、玉環様がいなかったら、あの人に何かしようとは思いませんでした」


 春燕の証言通り、金英の人柄は良かったらしい。


 そうなると、今の時点で最も金英を殺す理由がありそうなのは、金英を苛めていた玉環ということになりそうだった。


「念のためにお尋ねしますけど、昨日金英様が連れて行かれてから、今朝亡くなっているという知らせが入るまでの間、どうされていました?」

「あの人は夕餉の最中に連れて行かれたんですけど、私はみんなと一緒にそのまま夕餉を済ませて、自分の房間に戻ったんです。その後は飼っている猫と少し遊んでから、寝る支度をして横になりました」


 この証言が事実とすると、奉仙は房間に戻ってから、完全に一人きりだったことになるが、果たして本当だろうか。


「失礼ですけど、本当に夜の間はお一人でしたか? 恋人やご友人と過ごされてはいませんでした?」

「私に恋人はいません。友達ならいますから、時々夜に房間で話し込むことはありますが、昨日は少し風邪気味でしたから、移したらいけないと思って、ずっと部屋で大人しくしていたんです」


 本当かどうかはわからないが、そういうことなら一人で過ごしていたというのも、腑に落ちるというものだった。


「では玉環様、春燕様、智蕭様に恋人がいるという話は、聞いたことがありますか?」

「玉環様は怖いし、春燕様は貴族だから近寄り難いし、智蕭は下品で好きじゃないから、よく知ってる訳じゃないんですけど、玉環様には恋人がいるみたいです。私の部屋は玉環様の左隣なんですけど、昨日寝ていたら、その、逢引の最中の玉環様の声で目が覚めたので……」


 奉仙は声を潜めて辺りを憚りながら、最後の一言を口にした。


 この証言が事実なら、玉環は嘘を吐いていたことになる。


 嘘を吐いていたからと言って、金英を殺したとは限らないが、玉環への疑いは更に濃くなった。

 

 私は、何とか玉環を追い詰める手掛かりを得られないものかと、問いを重ねる。


「玉環様の恋人が誰なのか、わかりますか?」

「いえ、顔を見たことはないんです。女の人にしては声が低かったですから、宦官なのは間違いないと思いますけど」


 名前がわからなくても、面通しで顔を確認できれば良かったのだが、仕方がなかった。


 まだ智蕭から話を聞いていないし、智蕭が駄目でも玉環と親しい者を当たって行けば、証言を得られる可能性はあるのだから、他を当たることにしよう。


「その宦官は、いつ頃玉環様のお房間を出たのでしょうか?」

「わかりません。目が覚めた時、まだ辺りは暗くて、すぐに寝直しましたから」


 もし宦官が房間を出たのが朝方だったら、容疑を裏付けることはできないまでも、玉環を追い詰める一助になるのではと思ったが、今のところこれも決め手にはならないようだった。


「朝起きてからは、どんな風に過ごされていました?」

「猫に餌をあげてから支度をして、朝餉を食べに大広間に行きました」

「その時、玉環様と春燕様、智蕭様のお姿はご覧になりましたか?」

「はい、玉環様と春燕様はもう先に来ていて、私に随分遅れて、智蕭も来ました」


 奉仙の証言は、玉環のそれとも春燕のそれとも矛盾しなかった。


 大広間にいたのは確かなようだ。

 

 私がそう考えていると、奉仙は言い足した。


「私が友達と朝餉を食べていると、『金英が死んだ』という声が聞こえてきて、春燕様が怖い顔で玉環様を問い質してました」


 奉仙はそう言い終えると、口を噤んだ。


 私は訊くべきことを全部訊けたが、冏はどうだろうか。

 

 私が冏に視線を向けると、冏は静かに筆を置き、奉仙に問いを投げ掛ける。


「畏れながら、奉仙様にお尋ね致します。朝餉を共にしていたご友人のお名前を、お聞かせ願えますか?」


 奉仙の証言に疑わしい点はなかったが、一部行動を共にしていた友人なら、奉仙の証言を裏付けてくれるだろう。


 名前を聞いておけば、おいおい役に立つかも知れなかった。


周季蘭(しゅうきらん)です」

「どのような字を書かれるのでしょうか?」


 奉仙が教えてよこした一通りの字を冏が書き留めたところで、私は冏に訊く。


「まだ何か、訊いておきたいことはある?」

「いいえ」


 冏がそう返事をすると、私は冏に向けていた視線を奉仙に戻して言った。


「ありがとうございました。もうお帰り頂いて結構ですが、私達が金英様について調べていることは、どうぞご内密に」

「わかりました」


 奉仙は、静かに立ち上がった。






 奉仙が出て行くと、私は早速冏に尋ねた。


「冏は、奉仙様を怪しいと思った?」


 冏は再び筆を置くと、私に顔を向けて答えた。


「私には、特に不審な点があるようには思われませんでした。勿論嘘を吐いていらっしゃる可能性はありますが、あの方は金英様に恨まれることはあっても、金英様を恨むことはなさそうです。奉仙様は、基本的に金英様を避けていらしたようですから、金英様に対して殺意が芽生える程、深い関わりもなかったでしょうし」

「そうよね。個人的な恨みがなかったとしても、もし金英様が皇帝陛下の寵愛を受けていたら、のし上がるために金英様を亡き者にしようと思うのもわかるけど、そういう話は今のところ全く出て来ないし」


 奉仙からは野心のようなものは感じられなかったし、そういう行いをするとしたら、それはむしろ玉環の方だろうという気がする。


 考えれば考える程に、玉環が怪しく思えてきて、私は言った。


「玉環様は夜の間一人じゃなかったみたいだけど、下手人は玉環様で決まりだと思う?」


 女性一人の力で殺すのは難しい以上、玉環が宦官に協力を求めたとしてもおかしくはなかったし、だとしたら玉環が昨夜宦官と会ったこと自体を伏せたのも道理だろう。


 だが、冏は慎重に言った。


「嘘を吐かれたからには、玉環様に後ろ暗いところがあったのは間違いないでしょうが、それは些か拙速なご判断かと思われます。後宮の女性が、宦官や宮女の方と関係を持つのは珍しいことではありませんが、このような事件の調査でそうした関係が明るみに出るのは、外聞が悪いでしょう。それは、玉環様が嘘を吐く理由になり得ます」


 冏の言う通り、決定的な証が見付からない以上、思い込みで玉環を下手人だと断じる訳には行かなかった。


 とにかく、決め手になる何かが欲しい。


 私は逸る気持ちを落ち着かせようと、茶杯を傾けてから言った。


「次は、智蕭様からお話を聞きたいわ」






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