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ハンウの悩み

 廊下を静かに進んだハンウは居間のソファに座り込む。

 ふうっと大きな息をつくと、ソファの背にもたれかかった。


 なんだか辛そう。

 さっきのホソブの話が頭に浮かぶ。

 仕事も忙しいし、彼女ともうまくいってないのかな。


 そっと、ハンウが座っているソファに飛び乗ると、横に座った。

 ちょっと驚いた顔でこちらを見てくるハンウ。

 すみません、猫だけど、多少は癒されないかな、なんて。

 やっぱ犬派だからダメかな。


 側から離れようとした秋奈の背中を大きな手がそっとなでた。

 今度はこっちが驚いて見てしまう。

 目が合って、静かに微笑んでいるのがわかった。

 だけど、どうしてそんなに寂しそうなの?


「ありがとう、慰めてくれてんだ」

 頭に手を置いてそっとなでられる。


 息をついたハンウは秋奈から視線をはずすとテーブルに視線を落とした。

「なんかさあ、仕事は楽しいんだ」

 すこーしだけ口角が上がったけど、すぐに下がる。


「だけど、思ったようにいかなくて。役になりきりたいって思うんだけど、うまくそれがつかめなくて。こんな役、引き受けないほうがよかったのかなって、彼女が言うように、もっと一般受けする役をするべきだったのか、なんて。今更だけどね」

 苦笑しているような表情で肩をすくめる。秋奈は前足を座っているハンウの腿にそっと置いた。


 どんな役?


 こちらを見たハンウはふふっと笑った。


「すっげえ怖い役だよ。人殺しの役。人の心がないような奴なんだ。相手を殺すことになんの躊躇もないんだ。普通ならどこかでひっかかりがあると思うし、悔やむこともあると思うんだけど。そんなことはいっさいない。自分の邪魔な人間は排除していいんだ、そいつにとっては、きっとそれが普通なんだよ」


 へええ、すごい。そんな役をするんだ。

 主役がほとんどで、だから大変なのかと勝手に思ってたけど。見てみたいかも。


 秋奈はハンウを見たまま、前足を両方とも腿に置くとぽんぽんとしてしまう。


 すごい役だね、でもチャレンジする意味あると思う。きっと自分の力になると思うよ。


 目を見開いたハンウは、

「お前は賛成なんだ。難しい役だけど、やりがいがありそうだろ」


 うんうん、そう思う。


 ハンウの顔がやわらかく変わる。

「そいつがね、結局、死んじまうんだ。きったない路地でさあ。でも、最後の最後にそいつの側に一匹の猫が寄ってくるんだ。今のお前みたいに」

 そっと背中をさする。

「あいつもこうやって最後の瞬間、人間になったのかもな」


 顔を見上げると、ハンウが秋奈を見つめ、にこっと笑顔を見せた。

 その笑顔にどこか胸の奥がきゅっとして、そしてあたたかくなった。




「あいつ、いつの間に来たんだ?」

 テーブルに置かれたメモ用紙を見たスファンは不思議そうにこちらを見てきた。


「三毛猫さんによろしくって。なあ、夜中にハンウ来たの?」

 ミキと優花が目をぱちくりとさせてこちらに振り返る。


 あのあと、しばらく、私相手に会話したハンウは「ありがとう」とお礼を言って帰っていった。

 まさか、言葉が通じたはずはないんだけど、少しは動物パワーで癒されたのかな。だといいけど。


「ねえ、何があったの? ハンウと」

 スファンが仕事に行った後、ミキと優花に詰め寄られた。

「え? うーん、ハンウが話すのを聞いてただけ、なんだけど」

「話? 何の?」

「彼女とうまくいってないとか言ってたけど、それ?」


 彼女。

 昨日の夜、彼女のことも話してくれた。

 彼女はこの役を嫌がってるんだ。

 話すのも嫌みたいでさ。

 でも、そうだよな、ちゃんと聞いてもらうよ、わかってもらえるように。

 わかってもらえたらいいね。もっといい関係になると思うよ。

 そんなふうに返した。

 ただニャアニャア言ってただけだけど。


「仕事や彼女の話。忙しいし大変みたいだよ」

 2人にそう返すと、ミキも優花もうんうんとうなずいている。

「そうかあ、スファンも気にしてたもんね」

「ホント、大変なんだね」

 秋奈もにこりとすると、

「うまくいったらいいよね」

 と言った。


 本当にそう思ってるのに、心のどこかに何かが引っかかっているような、何かが詰まっているような。

 変な感じ。

 微妙な顔をしていたのか、ミキも優花も小首を傾げつつこちらを見ている。


「あ、ねえ、そろそろあそこに行ってみない?」

 秋奈は話題を変えるように2人に顔を向けた。

「あそこ?」

 ミキが不思議そうな顔だ。


「だから、あそこよ、あの路地」

 秋奈が言った瞬間、ミキは顔をしかめ、優花も微妙に顔をゆがませた。

「どうしたの? ねえ、あれからもう3日目よ。このままじゃあ、やばいでしょ。何ができるかわかんないけど、行ってみた方が」


「いいわよ、このままで」

 ミキの言葉に目が丸くなる。

「え? このまま? ミキ、何言って」

「だから、私はこのままでもいいかなあって」

「嘘でしょ? このままって猫よ? 猫のままよ。何とかして人間に戻らないと、有給だってあと何日もないし、仕事だって」


「いいんじゃない、まだ」

 今度は優花だ。

「どうしたのよ、2人とも」

 言い募る秋奈に2人は真面目な顔を向けてきた。

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