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あたたかさに包まれて

「彼女ねえ」

 うーんと上を見上げるハンウに必死に言い募ろうとしたが。

「前の人とうまくいってないの? それとも噂の彼女」

 言いかけた秋奈の口はむぎゅっとつままれる。

「ふぁに!」

 くすくす笑ったハンウは「別れたよ」と言った。


「え? 何で?」

「そこ聞く?」

「あ、ごめんなさい」

 またこちらを見たまま、静かに微笑んだハンウは、

「あの晩のときには、もう彼女とは終わってたんだ」


 あの晩ってあの時?

 驚いたままハンウを見つめてしまう。あの時は、仕事も彼女ともうまくいっているんだって思っていた。なのにあんなことをしてしまって。悪いことをしたって後悔してたのに。


「三毛さんに、って君だけどね、仕事の話とか聞いてもらってすっきりしたんだ。で、彼女とも話をしたよ、自分の考えもちゃんと伝えて。だけどわかりあえなかった」

「そうだったんだ」

 ぽつりと言った秋奈は「嫌なこと聞いてごめんなさい」と頭を下げた。 

 が、すぐに頭を上げる。

「でも、ほかに噂の彼女いるでしょ? その人は違うの?」

 ハンウの眉間にわざとらしいぐらいに皺が寄る。


「何見たの? ネット?」

 小さくうなづいた。

「スファンやジョンハには話してるし、白猫さんや靴下さんの彼女たちから聞いてないの?」

 白猫さんって。ちょっと笑いそうになったが、思わず肩をすくめてしまった。

 ミキや優花がハンウの最近の様子とかを話し始めても、ほかの話題に変えてたのは私なんだよね。聞くのが怖いような気がして、プライベートなことには耳に栓をしてたから。


「わざと聞いてなかったな」

 眉間に皺をよせたままこちらを睨まれるから首をすくめてしまうけど。ピンポイントに当てられるので困ってしまう。それにこの状況も。ずっと抱きしめられた状態のままなんだもの。

 お伺いを立てるように上目遣いで見上げると。

「あの、もう離してほしいんだけど」

「え? 離すの?」

 こちらを目を細めて見たハンウは口を尖らせる。

「そうだなあ、じゃあ、今から言うことにうなづいてくれたら離してもいいかな」


 言うこと? 何の要求? ハンウなら絵はただであげてもいいけど。それとも、猫のときのお礼に何かいるとか?

「そんなすごいこと要求しないよ」

 そんなにわかりやすく顔にでも書いてあるのか、ハンウは苦笑するとそう言ったが。

「……いや、すごいこと、かなあ」

「え!? 何?」

 うーんと唸ったハンウはちょっとだけ、上を見上げ息を整えてる?


 さっきまでと違って何だか緊張している様子にも見えるハンウが静かに視線を下に下ろす。

「この状況で察してほしいんだけど」

 小さな声でそうつぶやいたハンウは、 

「付き合ってほしい。好きなんだ」

 と私の顔を見つめた。


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 付き合うって、どういうこと?


 答えもせずに固まっている秋奈に呆れたような、面白そうな表情で「もしかしてパニくってる?」と言われてしまう。

「だって」

「だってじゃないの。三毛さんってなかなかの鈍感タイプ?」

「ど、どんかん!?」

 今にも笑い出しそうなハンウは、こちらを見てにやりとすると、

「うなづかないと離さないよ」

 ますますぎゅっとされてしまう。


 びっくりして、どきどきして、心臓がどうにかなりそうなはずなのに……。

 どうしてこんなに安心しちゃうんだろう。

 猫のとき、悩んでるときに、そっと側に来て、肩に抱っこしてくれた。あの時みたいに。


「あの」

「ん?」

「あの時」

「あの時?」

「猫だったとき、ありがとう」

 うつむいた私のことをハンウが見ているのがわかる。ちゃんと返事もせずに何言ってんだって思うよね。でもお礼は言いたくて、言えずにさよならしちゃったから。


「言葉も通じないのに、いろんなことをわかってくれて、うれしかったの。それにずっと、きちんとお礼が言えなかったから。言えないまま、猫のまま別れて、それでよかったんだって思ってて。思ってたんだけど」

 それは違ってて。

「自分の気持ち、ずっと抑えてたみたい」

 顔を見上げた私は、

「ありがとう、ハンウ、さん。猫だったときも、今も」

 こちらを見つめていたハンウの目がちょっとだけ大きくなって、すぐに嬉しそうな笑顔になった。


「それって、OKってことだよね」

 秋奈はこくりとうなづいた。

「こちらこそ、ありがとう」

 ぎゅっとしたままのハンウの腕の力は弱まることはなく。もっとぎゅっとされた。

「うなづいたら離してくれるんじゃなかったの?」

 苦しいぐらい抱きしめられた腕の中でもごもご言うと、

「離してほしい?」

 なんて言われてしまう。

「ほら、どうなの?」

 完全に面白がってるんだから。


 腕の中なら真っ赤になった顔も気付かれないはず。意を決した私は小さな声で、

「離して、ほしくない」

 と答えた。

 くすくす笑ってる。

「よく言えました」

 って返したハンウはすっと腕の力を抜くと、秋奈の両腕に手をすべらせる。

 見つめあう状態で、顔がゆっくりと近づいてきて。


 あの晩と同じ。

 アートスペースの天井につけられた間接照明。その薄暗い明かりだけが私たち2人を照らしてて、まるで、月明かりの中にいるみたい。

 広い背中にそっと手を回すと、同じように背中に手を置かれ、さっきよりももっと優しく抱きすくめられる。


 あの晩のときのようだけど、あの晩とはひとつだけ違ってた。あの晩、好きな気持ちが抑えられなかった、けどそれは一方通行だと思ってた。

 今は……

 あの時とは違う幸せの中にいることを感じながら、あたたかさに包まれていた。

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