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事の真相

「湯気?」

 秋奈はつぶやくと、あの時、路地の家と家の間、猫が通るぐらいの細い路地から湯気というか煙のようなものが出ていたのを思い出した。

 普通に民家が立ち並んでいて、普通に人が家の中にいると思っていたのだから、お湯も沸かせば、料理だってする。てっきりそういう蒸気が出ているのだと気にもしなかった。


「その湯気って何よ!?」

 ミキが盛大に吠えたが、たぶんニャー!と言っただけ。

 眉を下げたジョンハは「それがね、信じられない話なんだけど」と言い出した。


 店の主人は、

「立ち退き要請が激しくなってきたんですよ。ここらへんはほとんどが立ち退いていったんですが、うちや、他にもいくとこのないお年よりも数人残ってまして」

 と言うと「それで、ちょっとばかり、役人連中を懲らしめてやろうなんて思いましてね」と八の字眉だ。


 何年、何十年と、ずいぶん昔から漢方を取り扱う仕事を生業としてきた家だったらしい。昔から伝わる薬の調合の中に、人を小動物に変える怪しい調合があったとか。


「まさか、本当かどうかはわからない。だけどやってみようと思ったんだって。それで、地下室でこっそり調合してたら」

 長時間、煮出さないといけなかったらしいのだが。そのときの湯気というか、蒸気が地下から壊れた排気口を伝わり外に出たというのだ。


「嘘でしょ」

 優花が小さくつぶやいた。

 信じられない話とジョンハは言ったけど、実際こんな状況なんだから、調合は大成功だったみたい。

 秋奈も自分の身体を見下ろした。


「ねえ、それより、元に戻る薬は? 作ってないの?」

 通じるはずはないが、ジョンハは理解したのかますます眉を下げる。

「それがね。治療薬はないんだ」

「えーーーーーーーーっ!!!!!」

 ミキがのけぞった。


「あっ、だけど、自然に戻るって」

「はい?」

 3匹でジョンハの顔を下から覗きこむ。

「治療薬はないけど、日にちが過ぎれば自然に元に戻るって言うんだ。治療薬がないなんて言われたときは、2人して飛び掛りそうになってたよ」

 苦笑したジョンハは続けた。


「人間の言葉をしゃべってたって話をしたら、戻る兆候でしょうって」

 主人はまた「すみませんでした」と頭を下げた。

「お嬢さんたちにはご迷惑をおかけして。たぶん数日中には戻るでしょう、個人差はあるが」

「いや、いいんです、元にさえ戻ってくれるなら。あっ、もうこんな時間」

「仕事でしょ? 早く行かないと」

 頭を下げてあわてて飛び出す2人に、店の主人は「言葉はまた元に戻るかもしれませんが大丈夫ですよ」と声をかけた。


「あ、あとは」

 手を上げた主人は、小さくなる背中に、

「運命の相手同士が求め合ったら、なんてお話みたいなことも書いてあったが、まあこれは言い伝えだからどうかわからないし」

「まあ、いいか」と手を下ろした主人は「さて、排気口を何とか修理しないとな」と地下室に下りていった。


 店の主人の話だと、もうすぐ自然に戻るらしい。


「調合製法を書いた古い書物によると、だいたい1週間前後で戻るって」

「1週間」

 ミキが肉球立派な手で数えようとしたが無理だったらしく諦めて座りなおすと「ってことはもうすぐ?」と私たちに顔をむけた。


「そうなるよね。もう戻ってもいいはずだよね」

 希望が見えたような、だけど不安も大きい。本当に元に戻るんだろうか。

 3匹して、視線を床に落としてしまう。


「さてと、もう仕事にいかないといけないから」

 と立ち上がったジョンハは顔を上げた私たちににこりとした。

「もうすぐ戻るから大丈夫だよ。もし何かあっても僕らがいるから安心して」

 優花じゃないが、思わずキュンとしてしまう。横でミキも上を見上げたまま「ジョンハ、かっこいい」とつぶやいている。猫語だからわからないだろうけど。


 私たち2人がこんな調子なんだから、優花はそれ以上だったに違いない。

 立ち上がったジョンハの足元に切なそうに身体を摺り寄せた。そんな優花の頭にジョンハの手を伸び、そっとなでようとした。


 その時。

 優花がいきなり身体をぐっと丸めた。


「優花?」

「どうしたの?」

 身体が微妙に震えているように見えた。更に身体を九の字に曲げた優花にジョンハも驚いて手を伸ばした。

「どうした? どこか悪いの?」


 優花の身体を抱えあげようとした瞬間。

 身体の中からなのか、優花を取り囲むように白い霧のような蒸気が現れ、優花の、真っ白な猫の姿を完全に見えなくさせた。


 白い蒸気なのか、煙なのか、一面の空気を白く変え、横にいるはずのミキの姿さえ見えない。

「優花? ミキ?」

 秋奈の目に、白い空気は徐々に薄れていくのがわかった。


 今まで、一面真っ白だった空気が薄くなり、横にいたミキの靴下を履いたような足元が見え、ぴんっと立った耳が見えた。

 少しだけホッとして顔を上げると、ジョンハがすぐ近くに立っているのがわかった。だけど、白いもやが消えていくにつれ、ジョンハの表情が驚いて固まってしまったように見えた。


 秋奈は目の前、ジョンハの視線の先、一番白い空気が濃くて部屋の奥すら見えなかった場所、優花が座っていた場所を見つめた。

 そこには、懐かしいシルエット。ゆるふわな髪、韓国旅行のために一緒に買いに行った服のまま。


「優花」

 声をあげた私とミキに近寄った優花はそっと2匹を抱え上げてくれた。

 私たちをきゅっと抱きしめた優花はジョンハに顔を向けると、

「ありがとう、ジョンハさん」

 と恥ずかしそうに言った。


 元に戻った優花を見つめていたジョンハは名残惜しそうに仕事に行った。



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