あなたの恨み、わたくしが晴らして差し上げますわ!
「うわぁ! な、何をするッ!?」
「あら、ごめんあそばせ。視界に入るのも汚らわしい虫がいたのでつい……」
マルセール王国の王都カーディナ。そのとある場所にて華やかな仮面パーティーが催されていた。
仮面を付けているとはいえ、顔を見れば誰が誰だか分かるくらいのもので、だが仮面を付けているからこそその人物に気が付いても名前を呼ばないという暗黙のルールがあった。
そしてその仮面パーティーは人にあまり勧められたものではなく、この場にいる者も何かしら人に言えない秘密を抱えている者も多い。
その中に、キャサリン・へリントンはいた。そしてシャンパンが入ったグラスを目の前にいる男の頭の上に掲げ、そのまま中身をぶっかけたのだ。
キャサリン・へリントン。公爵家の次女で豊かな金の髪に紅い瞳、つり目のキツイ印象を与えながらも白く輝かしい肌に美しい顔立ち。腰は驚くほど細く足も長い。……まぁ胸の方は少々発達が遅れているが。
そしてこのキャサリンは貴族の間でとても有名だった。それも『悪女』として。
こうやってとある人物にシャンパンやワインをぶっかけたことは一度や二度ではない。そして決まって暴言を吐きパーティーで問題を起こすということを繰り返している。
このパーティーは仮面を付けているとはいえ、誰が誰だか分かるようになっている。パーティーの参加者はキャサリンの姿を見た時に『今日も何か起こるのだろうか』とそわそわしていた。そしてそれは現実となった。
「汚らわしい虫だとっ……! お、お前は私が誰だか分かっているのか!?」
「ええ、もちろん」
ふふふ、と美しい笑みを見せながらキャサリンはシャンパンを掛けた男の耳元へと近づき、そしてそっと囁いた。
「フェルネ・リワース伯爵様でございますわよね」
例え誰か分かっていても名前を言わない暗黙のルールに従い、キャサリンは伯爵本人にだけ聞こえるようそっと名前を告げる。
自分が誰だか分かっていながらこんな事をしでかしたのか。伯爵の目はそう訴えるようにキャサリンを睨みつけた。その顔を見てキャサリンはますます笑みを深めていく。
「ふふふ。怖いお顔ですこと。伯爵様、悪いことは言いませんわ。今すぐお帰りになった方がよろしくてよ」
白髪も混じり、齢五十を超える伯爵の睨みなんてなんのその。伯爵から見ればまだ十八歳の小娘だが、キャサリンは余裕の笑みを見せて忠告した。
「……サージ男爵令嬢の件ですわ」
「ッ!?」
伯爵の耳元でそっとその名前を囁く。すると伯爵は一瞬にして青ざめるも、キャサリンを突き飛ばすようにして手を振り払った。その衝撃でキャサリンが手に持っていたグラスは地に落ちてガシャンと派手に音を立てて割れた。
「……全く。か弱い婦女子に手を上げるなんて、マルセール王国の紳士とは思えませんわ。ああ、申し訳ございません。とっくに紳士でもない、ただのクソジジイでしたわね」
か弱いと口で言いながらも、その態度にか弱さは全くない。あるとすれば、伯爵を面白そうに見る不遜な態度。
「き、貴様ッ……!」
「ふふふ。ご忠告申し上げましたから。では失礼いたします」
キャサリンはすっとドレスの裾を摘まみ挨拶をすると、そのまま身を翻し去って行った。
残された伯爵は「クソッ!」と一言発するとその場を急いで離れて行く。
会場にいた人々は『またへリントンの次女が何かをやらかしたぞ』とひそひそと会話をするのだった。
数日後。王都にあるへリントン家の自室で、キャサリンは優雅にお茶を飲んでいた。
「お嬢様、例の伯爵ですが捕まったようですよ」
「あら。それは良かったわ」
侍女であるライラの報告ににんまりと笑う。その様子を見たライラは「はぁ……」と大きなため息を零した。
「ライラ、ため息を吐くと幸せが逃げるらしいわよ。気を付けなさいな」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
「さぁ。誰のせいかしらね」
キャサリンは素知らぬ顔をしてカップに口を付けた。この後必ずと言っていいほどライラのお説教が始まる。そしてそれは予想通り行われ、内心げんなりとしながらぐちぐちと言うライラのお説教を聞き流していた。
「全くお嬢様は一体いつになったら公爵家のご令嬢としての自覚が出来るんですか! こんなことばっかりやっているから未だに婚約者が決まらないんですよ!」
「嫌になるわよね。私が『悪女』と呼ばれているからってみーんな逃げて行くんだもの。でも逆に言えばそんな弱っちい男は近寄ってこないんだから要らぬ手間が省けていいじゃない」
「そういう問題ではございません!」
淑女としての嗜みがどうとか、姉であるステラ様を見習えだとかそんないつもの話を聞いているふりして聞き流す。毎度行われていることのため、聞き流すスキルは自然と高まってしまった。
「でもねライラ。あのリワース伯爵のことは許せないと思わない?」
「それは、まぁ……。確かに酷い人ではありましたけど」
フェルネ・リワース伯爵は領地に銀山を所有する大富豪だ。伯爵でありながらも資金繰りに困っている高位貴族を含む様々な人に金貸しを行っている。それもかなり高い利子を付けて。所謂『高利貸し』だ。
そして返済が遅れれば破落戸を向かわせ脅すなどという、真っ当な金貸しとは言い難くあまり良い噂を聞く人物ではない。
だがそれくらいならまだ珍しくとも何ともない。貴族とは互いの腹の内を探り合い、足の引っ張り合いをする輩ばかりだ。それくらいならキャサリンだって何もするつもりはなかった。
だがリワース伯爵は平民の女性を攫っては暴力と強姦を繰り返すという、悪党そのものだったのだ。
しかも被害者は平民ばかり。貴族が脅せば平民は何も言えず泣き寝入りするしかない。訴えたところで平民の言葉なんて届かないのだ。
そしてリワース伯爵はとうとう貴族の男爵令嬢に手を出した。
サージ男爵家が営む事業が上手くいかず資金繰りに困っていたところを、伯爵が訪ねたことがきっかけでそこの令嬢を知ることになった。サージ男爵令嬢はまだ14歳。だが発育が良く大人びており、体つきが男性を虜にするような魅惑の体型の持ち主だったのだ。
その娘が気に入った伯爵はそれをおくびにも出さず、淡々と金貸しの話をする。そして担保にはこの家にある『家宝』を指定した。先祖代々大事にしてきた『家宝』は壺だった。だがただの壺ではなく、200年前の有名な大作家が作った壺だったのだ。価値は計り知れない。そしてその壺は返済が終わるまで預かると言われてしまう。
最悪その家宝を売るつもりだった当主は断腸の思いでその提案を飲むことにした。返済してしまえばその家宝を売らずに手元に残すことが出来る。
だが事業は立て直せそうな時に何度も問題が起こり、苦しい状況に陥ってしまう。このままでは返済できず家宝までも失ってしまう。そんな時、伯爵から令嬢宛に一通の手紙が届いた。
『返済も無くし、家宝も取り戻せる方法がある。それを知りたくば、誰にも言わず令嬢が一人で指定された場所へ来るように』
手紙にあった通り、サージ男爵令嬢は深夜こっそりと家を抜け出し指定された場所へと赴いた。
その場所へ行くと伯爵が待っていた。そしてゆっくり話をしようと飲み物を差し出され、令嬢はそれに口を付けた。だがその中には薬が混入されており、意識が混濁した令嬢は抵抗できず伯爵の餌食となってしまう。
処女を散らされてしまい、そのことがショックで令嬢は精神を病んでしまった。
当然男爵は抗議しようとした。だが伯爵は壺は返さず大金を渡すだけ渡し、「もし訴えを起こしたら命の保証はしない」と破落戸を連れて脅した。
娘を傷物にされ家宝も奪われたが、男爵家である以上爵位が上の者にあそこまでされては何も出来ない。解決するまでに自分達全員が殺されるか、もしくは妻と娘は何処かへと売られることになってしまう。
結局泣き寝入りするしかなかったのだ。
そのことを知ったキャサリンは傷つけられたサージ男爵令嬢の為に、伯爵の様々な悪事の証拠を集めた。すると男爵家の事業が立ち直りそうな時に問題が起こったそれも、伯爵がわざとそうなる様仕向けていることも分かった。
それらの証拠を匿名で治安部隊である第五騎士団へと送付。そしてあのパーティーの日はその第五騎士団が伯爵の家へと向かう日だった。
キャサリンは伯爵があの仮面パーティーに伯爵が出席することを掴んでおり、自分もその中へと紛れ込みあの行動を起こした。
そしてあの夜、伯爵は捕まったというわけだ。
「ですがお嬢様がわざわざ手を出すことはなかったのではないですか? 今までにも何度もこういったことをされて、お嬢様の評判は地に落ちています」
キャサリンの本当の事情を知らない貴族たちはパーティーでのキャサリンの振る舞いしか見ておらず、そのせいで『悪女』として名を馳せてしまった。だが当の本人はそれを意に介さず、むしろ歓迎している節がある。
「だってああやって人を罵るのって気持ちがいいんだもの。しかも相手は悪人ばかり。罵倒したって問題ないし、罪を暴けて一件落着。良いことずくめじゃない!」
「良くありません! 早くその悪癖をお止めください! はぁ……どうしてステラ様と違ってこんなお転婆になってしまわれたんですか……」
キャサリンがこうなってしまったのには原因がある。
五歳のキャサリンは王宮のお茶会に呼ばれていた。そこである事件を起こしてしまう。
お茶会の会場は王宮の庭園だった。見事に咲く薔薇を愛でながら、とてもいい陽気の中で同じ年頃の令嬢たちが仲良くお茶会を行っていた。
このお茶会の目的は、第三王子であるジュリアン・マルセール・シャルジュの婚約者候補を選定するためだ。
ジュリアンは母親である側妃マリア・シャルジュによく似ていた。マリアは非常におっとりとした性格で、空を思わせるような青い髪、そして漆黒の瞳の美女だった。息子であるジュリアンも、母の色と顔立ちを受け継ぎ子供ながらも美男子だった。
そんな第三王子の姿を見た令嬢たちからは当然ながらも黄色い声援が上がる。
キャサリンも例に漏れずジュリアンに見惚れていた一人だ。
お茶会の途中でジュリアンは一度離席する。その間令嬢たちも自由に庭園を見て回っていた。
キャサリンも綺麗な薔薇を眺めながら庭園を散策する。すると何やら話し声が聞こえて来た。
そっと近づいてみるとそこにはジュリアンと侯爵家の令嬢がいた。
「お前、そんなそばかすだらけの顔のくせによく僕に話しかけたな」
侯爵家の令嬢は顔にそばかすがあり、それをジュリアンはからかったのだ。だがそれがチャームポイントでもあり、キャサリンは可愛らしいと思っていた。
「も、申し訳ございませんっ……」
「ふん。僕の婚約者になれるのは、美人で頭もいい人間だけだ。お前みたいな不細工が僕に近づくことすら気持ち悪いっ!」
ジュリアンは第三王子で末っ子。その為甘やかされて育てられたのか、かなり傲慢な性格だった。自分の顔が良い事も理解しており、王族という立場もあり人を見下すような性格だった。
それを見たキャサリンはカチンと来た。カッコいいと見惚れていた自分がバカだと思った。怒りに飲まれたキャサリンはずんずんと二人の近くへと寄り王子に向かってビシッ! と指を突き付けた。
「あんたなんか顔だけのつまんない男じゃない。そんなあんたにこの子を虐める権利なんてないわ!」
「な、なんだお前はッ! ぼ、僕は王子だぞ!」
「だから何? 王子なのは父親が王様だってだけでしょ? あんたが自分で努力したわけじゃないじゃない。親がいなければ何も出来ないあんたなんて、ただのクソガキよ!」
「な、なんだと!? 父上に報告してお前の家を潰してやるからな!」
「は? それがつまんない男だって言ってんの。結局父親がいないと何もできない無能じゃない。自分でそう言ってることがわかんないわけ?」
「~~~~ッ!! 覚えてろよ!!」
ジュリアンは顔を真っ赤にしてその場を走って逃げて行った。
そしてジュリアンに不細工だと言われた令嬢はそんなキャサリンにお礼を言い、凄くカッコよかったと興奮していた。
キャサリンはあのクソガキの王子に言いたいことをスパッと言い、不細工だと虐められていた令嬢から感謝をされたそのことに快感を感じてしまった。
(ああ……なんて気持ちいいの!! 病みつきになりそう!!)
その日、家に帰り侍女のライラにそのことを興奮気味に話した。ところが「王子殿下に何て不敬な事をなさったんですか!」と怒られてしまう。もちろん父親にも報告が上がり、両親からしこたま怒られたのだ。
後日父親が謝罪をしに王宮へ行くと、国王からは「あの子の鼻っ柱を折ってくれて感謝する」と逆にそう言われ、キャサリンがやったことは不問となった。
両親からは二度とあんなことをするなと言われたが、あの快感にはまったキャサリンは止まらなかった。元々お転婆だったのだがさらに輪をかけて酷くなり、そして今に至るのだ。
それからは公爵家の力もこっそり使い、色々と調べ上げ情報を集める。そしてターゲットは女性に対して酷いことをした人を選んだ。どうしても女性の地位は低く、虐げられることが多かった。キャサリンはそんな女性たちに代わりやり返していたのだ。
浮気に暴力、結婚詐欺や強姦などなど。それを行った男性に制裁を加えていった。中には女性が女性に対し暴行や詐欺などを行っていたこともあり、その場合は同じくその女性にやり返していた。そのパターンは少なかったが。
そしてそれを自分がやったとは被害女性には言わない。あくまでも自分が勝手にやったということにしている。キャサリンはお礼を言われたいわけでもなんでもない。ただムカつく相手に反撃する。その快感を味わいたいだけなのだ。
「いつか恨みを買って何か起こらなければいいんですけど……」
「大丈夫よ。その為に護身術を習っているんだし」
そんなライラの心配をよそにのほほんとしているキャサリン。さて次はどんな相手か。新たなターゲットに胸を躍らせているキャサリンに、長年侍女を務めて来たライラは深い深いため息を零すのだった。
◇◇
「……ライラ? ちょっと気合が入り過ぎじゃないかしら?」
それからしばらくして。
キャサリンは朝起きるといつものようにライラの手を借りて身支度をする。だが用意されたドレスは普段着るカジュアルな物とは違い、お出かけ用のドレス。そしてメイクにヘアセットもいつもよりしっかりと施された。
「それはそうですとも。本日は第三王子殿下がお見えになりますからね」
「は?」
第三王子と言えば、子供の時に『親がいなければ何も出来ない無能』と罵ったジュリアン・マルセール・シャルジュのことだ。そのジュリアンがこの屋敷へやって来るという。だがキャサリンはそのことを聞いていない。口ぶりからするにライラは知っている。
「ちょっと……? 何故それを事前に言わなかったの?」
「そんなの逃げられるかもしれないからですよ」
「は?」
私が逃げる? 一体何を言っているの? というか、事前に知っていれば自分が逃げる様な話だという事ではないのか。
どうしてジュリアンがここへ来るのか皆目見当がつかないが、逃げるかもしれないと言われ自分にとって良い話ではないことがなんとなく分かる。キャサリンはすぐに屋敷を出なければならないと思い、すっと立ち上がるもライラに肩を押され座らされた。
「どこへ行こうというのです? 逃がしませんからね」
ライラの圧が凄い。目が座っている。絶対逃がすものかとライラの背後からは見えるはずのないオーラが見える気がする。
キャサリンはそんなライラを見てたらたらと冷や汗が流れて行く。
(もしかして、子供の時の事を根に持っていてやり返しに来るのかしら?)
あんな十数年前の事を今更になって持ちだして来たら、きっと以前のように罵ってしまうだろう。大人になった今、王族相手にそんなことをすれば不敬だという事は分かっている。だがもしそんなことになれば自分を止められる自信がない。
「そろそろ時間ですね。さぁお嬢様、参りますよ」
ライラの圧に負けてキャサリンはそのままライラに連れられ応接間へと移動する。
(で。なんで私まで会う事になってるの? お父様とだけ会えばいいんじゃないの? なんで? なんでなの?)
「失礼いたします。キャサリンお嬢様をお連れ致しました」
「入りなさい」
事情を全く知らないキャサリンをよそに、ライラは応接室の扉をノックしキャサリンの到着を告げる。扉が開き中へ入ると父親であるマーティスと空色の髪を短く整えたジュリアンがいた。
「……殿下、ご機嫌麗しゅう」
「久しぶりだね、キャサリン。子供の時も可愛かったけど、大人になって更に綺麗になったね」
「……お褒めに預かり光栄でございます」
(全っ然嬉しくないけどね! しかもいきなり名前で呼ぶとか馴れ馴れしすぎるんだけど!?)
キャサリンを見る目は優しく、今のところ子供の時のような傲慢さは見られない。だがそれも今だけだろうとキャサリンは警戒を強めた。早く退室したいところだが、父親に座る様言われ渋々ソファーへと腰掛けた。
「キャサリン、お前と第三王子殿下との婚約が成立した」
「は……? はぁぁぁぁぁぁ!?」
いきなりの第一声、とんでもない爆弾が落とされた。淑女教育はどこへやら。ガタっ! と勢いよく立ち上がり、大声量が口から飛び出した。
「そんなにも喜んでくれて嬉しいよ、キャサリン。これからよろしくね」
「は? は? はぁぁぁぁ!? 喜んでいるわけないでしょう!? ちょっとお父様!? 婚約なんて一体どういうことですの!?」
いきなり名前で呼ばれた理由はコレだったのか。ただ馴れ馴れしかったわけじゃない。婚約者になっていたからだった。
キャサリンが淑女らしからぬ行動をしていてもジュリアンは変わらずにこやかで。それに対し父は大きなため息と共に頭を抱えている。
「殿下……改めてもう一度確認いたします。こんな跳ねっ返りのじゃじゃ馬のお転婆娘で、本当の本当に後悔なさいませんか?」
「ちょっとお父様! どういう意味ですの!?」
キャサリンは、確かに自分は少々お転婆な自覚はあるが、父親が言うようなそこまで酷い女じゃないと思っている。そう思っているのは本人だけだが。
「もちろん。ずっとこちらが望んでいたことだし、それも全て承知の上だよ」
「本当に?」
「本当に」
「……本当の本当に?」
「神に誓って」
「ちょっと! お父様!?」
話を聞くに、どうやらジュリアンがずっと前からキャサリンを婚約者に望んでいたらしいことがわかった。だが肝心のキャサリン本人は全くその話を聞いていない。全く知らない話だった。
「キャサリン、お前がうちの力を使って色々と調べていることは分かっている。その後、お前がどこで何をしていたのかもな」
公爵家当主であるマーティスが、家の力を使われて気が付かないわけがない。ちょっと考えれば分かることだが、調査に出向かわせていた人間に『ご当主様にはバレていない』と言われた言葉を鵜呑みにしていたのだ。
そしてマーティスは全てを語った。
子供の頃、キャサリンがジュリアンを罵倒したことでジュリアンは当初かなり怒り心頭だったらしい。だが両親や周りの人に聞けば、皆口を揃えてジュリアンが悪いと言う。もちろんキャサリンが行ったことも褒められたことではないが、そばかすがあるからと言って令嬢を『不細工』呼ばわりしたのは良くなかったと。
「それに王子である僕に向かってあんな風に言い切れる君の胆力は素晴らしい。今でもあの時のことを思い出すだけでもドキドキと胸が高鳴るんだ」
「……変態?」
「キャサリン!」
マーティスがとんでもないことを言ったキャサリンを咎めるも、ジュリアンの表情は恍惚としていてこの場にいる誰もが内心キャサリンの言葉に同意している。罵られて快感を覚えているのだ。そう思われても致し方ない。
キャサリンの言葉に初めは怒りを覚えたものの、あの時のキャサリンの怒りの籠った瞳、言葉、令嬢を守った姿、その全てに心が震えた。その一件からキャサリンに惚れたジュリアンは、国王に言ってすぐさま婚約の打診を送ってもらう事にする。そもそもあのお茶会はジュリアンの婚約者候補を見繕うためのものだ。
だがマーティスはその婚約に待ったをかけた。不問になったとはいえ、キャサリンは第三王子のジュリアンに罵倒を浴びせたのだ。そのような事をしでかした娘を婚約者にするわけにはいかないと。
だがそれでジュリアンは引き下がらなかった。ならば今は婚約者候補としておいて欲しい。キャサリンがどんなにお転婆であってもそれを御せる人物になるから、と。
そしてその言葉の通り、ジュリアンは自らの見識を広めるために留学をし勉学に励んだ。体を作るために剣術も磨いた。そして五年前に帰国。
すると当時十三歳のキャサリンが色々と怪しげな行動をとっていることを知る。たまたま王都へ出かけていた時に、平民の男女の喧嘩の現場に遭遇した。そこで男が女に平手打ちをした。女はそのまま転倒。そして男はそのまま女の髪を掴み暴言を浴びせた。
それを見たキャサリンは淑女らしからぬ走りで駆け寄ると、その男へ飛び蹴りを入れる。子供の蹴りだったためあまりダメージは入らなかったが、男はキャサリンにヘイトを向けた。
だがキャサリンはひるむことなく男へ罵倒。『暴力で女の人を従わせようなんてとんだクズね! あんたみたいなクソ野郎は私が成敗してやるわ!』と自分がへリントン公爵家の人間だと主張。当然男は信じなかったが、すぐさま護衛が前に出たことで男は委縮した。そのまま警邏隊へと引き渡されたのだが、当然キャサリンは父親に怒られてしまう。
(ああ……あんなクソ野郎にやり返した瞬間、やっぱり気持ち良かったわ!)
激怒する父親の言葉なんて全く聞いておらず、あの時の状況を思い出してぞくぞくとしていた。
それからのキャサリンは使えるものは何でも使って情報を収集した。そしてターゲットを見つけると罵倒する。それを繰り返していた。
だがそんなキャサリンに対し恨みを持つ者も当然出て来る。ジュリアンはキャサリンを守るために治安部隊である第五騎士団の団長となった。そしてそういった輩が行動を起こす前に潰していったのだ。
「キャサリンが色々と情報を集めて罵倒していた人間だけどね。叩けば埃が沢山出る奴らばっかりだったんだ。お陰でこちらとしては凄く助かってしまって。それをへリントン公爵に伝えてキャサリンのやりたいようにさせていたんだ」
まぁつまりは要するに。キャサリンは誰にもバレずにやっていたと思っていたが、父親だけではなくジュリアンにも全て知られていたのだ。そしてそれによって起こる問題をフォローまでされて。キャサリンはずっと掌の上で転がされていたのだ。
(そんな……私がやっていたことがこの人に全部筒抜けだったなんてっ……!)
「それと私と懇意にしている貴族も全てを知っている。お前が悪女だと悪評が経ち色々と聞かれたときに答えたんだ。殿下から特別任務を与えられていると。だからキャサリンが何か騒動を起こしていても静観して欲しいとな」
(そんな所にまで知られていたのーーー!? というか全く知らなかったのは私だけじゃない!!)
衝撃の事実を知ってしまいキャサリンは呆然とする。それを見てジュリアンはくすくすと笑っていた。
「だからキャサリン。僕と結婚しよう。ね?」
「い、嫌ですわ! 私が結婚してしまったらもうこんなこと出来なくなるじゃないッ!」
悪女として名を広めてしまった以上、いい縁談何て来るとは思っていなかった。それにああやって悪人を罵倒するのが気持ちよくて堪らなかったキャサリンは結婚なんてしたくなかった。
だが既に婚約は調ってしまっていると言う。だがキャサリンは最後の最後まで諦めることはしたくなかった。とにかくなんとか破談にしたかった。
「いや、そんなことはないよ。今後も続けて貰うつもりだし。言ったでしょう? キャサリンのお陰で色々とこちらが助かっているって。それに僕と結婚すればもっと情報は入って来るしもっと色々と出来るよ?」
「……え? 止めなくてよろしいんですの?」
「うん。止めなくていいよ」
「本当に?」
「本当に」
「……本当の本当に?」
「神に誓って」
それを聞いたキャサリンは絶望感漂う表情から一変、パァっと笑顔になるとジュリアンの手をがしりと握った。
「最高ですわ! 殿下、結婚いたしましょう! わたくし、殿下と物凄く結婚したいですわ! 今すぐにでもッ!」
「ありがとう。今すぐ結婚したいのはやまやまだけど、準備とかいろいろあるからちょっと時間をくれるかな? 満足いく式にしたいからね」
結婚してもやりたいことを止めなくていいと言われ、むしろ情報が入りやすくもっとターゲットを見つけることが出来る。それを聞いたキャサリンは最初の態度とは打って変わり結婚に乗り気になった。
「ライラ! わたくし、殿下と結婚するわ! そして今まで以上に張り切ってやるわよ!」
「……おめでとうございます、お嬢様」
ライラの内心は複雑だった。縁談がまとまり結婚が決まったのは喜ばしいことだ。だがそれでもキャサリンは止まるどころか余計にひどくなるだろう事が分かり、心の中で大きくため息を吐いていた。
「……殿下、よろしくお願いいたします」
「任せてよ、へリントン公爵。ちゃんと幸せにするから安心してね」
(……まぁ今は僕の事がどうというより、僕の出した条件に頷いたって感じだけど。でもいずれはちゃんと振り向かせて見せるから)
ジュリアンはこれからどうやって自分を好きになってもらおうか素早く頭を回転させていく。だがこれでキャサリンを手に入れることは決まった。時間はこれからたくさんある。
さて、これからどうしてやろうか。ジュリアンはそんなことを考えながら、ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶキャサリンを眺めた。
◇◇◇
「ぐすっ……あの男の事が許せないんですっ……お父さんまであんなっ……」
あれから数年後。キャサリンの元に一人の平民女性が訪ねて来ていた。
彼女の実家は飲食店を経営しており、そこに食事に来た貴族が泥酔状態でこの女性に一晩の相手をしろと迫り、それを断ったことで暴力沙汰を起こされたらしい。
父親が娘を庇ったことでその貴族の男は父親をボコボコに殴り、父親はそのせいであちこち打撲や骨折など数か月は安静にしなければならなくなった。当然店の経営は続けられない。
彼女は王都から少し離れた町に住んでいる。今ではキャサリンの噂は王都から外れたところまで広まっており、こうやって訪ねて来る人も増えて来た。
「辛かったわね。でもここまで来て話してくれて良かったわ」
「キャサリン様ッ……!」
キャサリンは泣きじゃくる女性の肩を落ち着かせるように優しく撫でた。
許せない。自分の思い通りにいかないからって平気で人に暴力を振るうなんて。相手が平民だからと好き勝手にするなんて。
キャサリンは知らず知らずのうちに、悪女らしい笑みを零していた。
「安心なさい。あなたの恨み、わたくしが晴らして差し上げますわ!」
そしてまた、新たなターゲットが悲鳴を上げることが決まった。
最後までお読みいただきありがとうございました!