勇者、新入社員合宿に行くの巻
※労働基準法の知識として誤っている部分がありましたら申し訳ありません。
朝6時新宿バスターミナル。
4月とは言え早朝はまだ少し肌寒く、100名ほどの若い男女が寒さに耐えながら立っている。
「ねえ、今からどこに行くか知ってる?」
「合宿らしいけどどこだろうね」
「ググったけど毎年違うんだって」
口々に不安が聞こえる。
今から俺たちは全員参加の新入社員合宿に行くために集合しているが、どこに行くのか知らされていなかった。
予め指定されていたのは
『3日分位の着替えをリュックに詰めてくること』
これだけだった。何泊かも分かっていない。服装指定もなかったため、大半の人がスーツを着ている。
俺も不安じゃないと言われれば嘘にはなるが、前世の『魔王討伐の記憶』がかなり辛いものだったため、大体のものは大丈夫な気がしている。
だからか少し余裕に見えたのだろうか、隣の男が声をかけてきた。
「だいぶ余裕じゃん。さすが勇者様だねえ」
少し嘲笑うかのような口調で名前を呼んできた。
遡ること、入社式のスピーチ。予告はされておらず当然何も準備してこなかったため、壇上に立たされてかなり緊張して硬直してしまった。
その間集められる視線、そして口々に出る「勇者?」「名前が勇者?」「やばくね?」「最上級のキラキラネームじゃん」という言葉。
壇上脇にいる役員からは「勇者さまー!頑張ってー!」というふざけた応援。
この最悪な状況で俺が出した答えのスピーチは
「世界平和のために頑張ります!!!!!」
だった。
声を発した瞬間会場はシーンと静まり返り、そして大爆笑となった。
こうして俺は新入社員で1番の有名人になってしまったのだ。
「余裕というか、わからないものはしょうがなくね?」
勇者様という呼び方に皮肉はあったが、返す方法もなくただ普通に返した。
「まー、確かにな。」
話しかけてきた男は右耳に何個も空いたピアス痕を触りながら答えた。そして続けて
「あ、俺は相沢修斗。よろしくな、勇者様」と自己紹介をしてきた。
あまり好きなタイプではないが、知り合いがいなかったので知り合いが出来たことに少し安堵した。
「俺は田中勇者。よろしくな。それで…」
と、話を続けようとした時、遮るように大型のバスが何台も到着した。
到着したバスから上司達が降りてきた。
「みなさんお疲れ様です。これから合宿に向かいます。なお行き先は教えません。現地に到着しましたらカリキュラムと一緒に発表します。」
行き先も教えず合宿に行くと宣言する上司に騒つく新入社員達。そしてさらに続く言葉に全員絶句することとなる。
「なお、この合宿は研修のため給与外になる事を予め覚えておくように!」
絶句している他の者とは違い、勇者は考え結論に達した。
確かに。俺も昔ギルドに入りたての時、ギルド長に訓練してもらったがギルド給付はなかった。むしろ直接訓練してもらって嬉しかったし、お礼にビールもご馳走させてもらった。
研修如きで給料をもらうなんて確かにおかしい。こっちが払ってもおかしくない位だ。
勇者は過去の記憶から、ブラック企業に対しての許容がガバガバになっていた。
「無駄話はそれくらいにして、早く乗り込むんだ!出発するぞ!」
上司に急かされ、全員絶句しながらバスに搭乗する中、勇者はただ1人少しだけワクワクしながら乗り込んだ。
強制合宿は給与対象であり、無休は企業側の違法になる可能性があるが、ブラック企業に対してに許容がガバガバの勇者は見極められず。
のちに勇者が出世した際、この伝統を続け労働基準法に斬りつけられたのは言うまでもない。
強制参加の研修合宿に参加した際には、しっかりと給与をもらいましょう。
そんな未来を知らない勇者の冒険はまだまだ続く。