私達の世界(3)
八月八日、帰国翌日──私は久しぶりに出勤した。例の会議の準備作業を手伝うためと、近々結婚することの報告。それから世間を騒がせて学校に迷惑をかけたことに対する謝罪。もちろん教頭先生に辞める気は無いとも伝えるつもり。
ただ、予定より大幅に到着が遅れてしまった。
「三十分遅刻ですよ」
「すいません……」
私のこの疲れ切った表情を見てもそう言えるんだから本当に嫌な人だよ。まだ額に包帯巻いてるし。
実はあの日以来、ずっとマスコミに追われていてなかなか自由に行動できない。今日も部屋の前に報道陣が詰めかけていて外に出た瞬間に質問攻め。振り切って来るのに本当に苦労した。
(艶水さんの力を借りれば良かった……)
オーストラリアにいる間に久しぶりに接触してきた彼女とケイトくん。今回は別れた後も忘れていない。詳しい話はしてくれなかったけど、記憶を封じる必要が無くなったからだとかなんとか。
「まあ、準備作業は午後からなので大目に見ましょう」
「あれ? 九時からって聞いてましたけど」
「予定外のお客様がいらしたので時間を変更したのです」
「お客様?」
誰だろうかと眉をひそめた時、隣の校長室に続くドアが開いて予想外の顔が二つ職員室に現れた。
「えっ?」
「あっ、歩美先生!」
「お帰りになってたんですね、お久しぶりです」
駆け寄って来る谷川君とお母さん。どうしてここに?
「彼は二学期から復学するそうです」
「復学!? ほ、本当に?」
「本当だよ」
谷川君はいつものように斜に構えながら理由を説明する。
「しばらくプロゲーマーとして活動したけど、流石に毎日毎日ゲームばかりしてたら飽きちゃってさ。担任も柿崎から歩美先生に変わったことだし、僕のせいで先生に余計な負担をかけていたこともわかったから、そろそろ学校に戻ってもいいかな~なんて」
「で、でも機会損失は? 学校に通うより、人気がある今のうちにできるだけ稼いでおきたいって言ってたじゃない」
「なに? 先生は僕に学校に来て欲しくないの?」
「そんなことはない!」
もちろん学校には通って欲しい。今の説明じゃ納得できないだけ。
「言ったよね、先生は本当にやりたいことをやって欲しいって。学校に戻るのが今の君のやりたいことなの?」
「大塚先生、君は自分の言っとる意味がわかっとるのかね?」
「もちろんです」
「いや、先生は何もわかってないよ」
一瞬だけ教頭の方に振り返ってから視線を戻すと、何故か谷川君は拗ねた表情になってしまっていた。あれ? 私、何か間違えた?
「……決まってるじゃん」
「え?」
「先生に会えるからに決まってるじゃん! 歩美先生が僕の担任なのは、ひょっとしたら今年だけかもしれないんだよ! だから学校に戻ることにしたの! このまま先生の授業を一回も受けずに卒業なんてことになったら、それこそ大きな機会損失だろ!」
顔を真っ赤にする谷川君。隣でお母さんは微笑む。
私もちょっと赤くなってしまった。
「なっ、なっ……なる、ほど……そっか……そっかあ」
「こっち見ないでよ」
「はは……」
なんだよもう、思ったより可愛いな君。
そんな私達を見つめ、教頭は唐突に頭の包帯を外し始める。
「教頭先生?」
「あなた、私がこれをあなたに対する当てつけで巻いていると思ってたでしょう」
「いっ!? い、いえ、そんなことは」
「嘘の下手な人ですね。言っておきますが、これは戒めと巻いてあったのです、私自身に対しての」
戒め? 訝る私に教頭先生は説明を始めた。
担任の私に無断で谷川君を訪問した、あの日の出来事を。
「私はね、確かめることにしたんです。一年かけても成果が出せない、それは君の力不足が原因なのか、それとも彼がもはやどうしようもないほど腐っているからなのか」
「先生、そんな言い方は」
「黙って聞きなさい、まだ始めたばかりです」
「うっ……」
腐ってるなんて言い回しを聞き咎めた私が抗議すると、想像以上の気迫で睨みつけられ思わず後ろへ下がってしまった。前から怖い人だと思ってたけど、今までは手加減されていたのだと察する。
私を黙らせた教頭先生はさらに話し続ける。谷川君を見つめて。
あれ? こころなしか谷川君も焦ってるような?
「ちょ、まさか、あの話を……」
「そのまさかです。大塚先生、彼は私の説得に対し、理路整然と冷静に反論を続けていました。私があの一言を発するまでは」
教頭先生の額の怪我は谷川君に物を投げつけられてできたものだと聞いていた。けれど、最初は冷静だったとなると少し話は違って来る。谷川君は私以外の人間が部屋に入ってもちゃんと落ち着いて対応できていたんだ。
ならどうして?
「いったい何を……?」
「教師に対し不信感を抱いている彼に対し、言ってしまいました。大塚先生も同じだろう、内心では君の不登校を迷惑に思ってるに違いない。君は大勢の人を心配させ、いたずらに悲しませているだけだと」
なんだって?
「……じゃあ、まさか」
「ま、待って教頭先生。それは──」
「お察しの通り、彼はあなたを侮辱されたから怒ったのです。私に対し『お前らなんかと一緒にするな』と激昂してゲーム機を投げつけました」
「あ……う……」
教頭先生を制止しようと腕を伸ばした姿勢で固まってしまう谷川君。念の為にお母さんを見ると私の視線に気付いて頷き返した。その通りらしい。
『歩美先生は全然違う! 僕が子供だからって話を聞き流したりしない! 反論できないからって封殺しようともしない! ちゃんと話を聞いて理解して自分なりの考えを伝えてくれる! 馬鹿にしてないんだ! 僕をちゃんと一人の人間として見てくれる! 考えを尊重してくれる! そんなあの人と、お前らなんかを一緒にするな!』
「──彼にとって、あなたは特別だったのです。侮辱に怒り、我を忘れてしまうほど信頼していた。つまりこの額の傷は私のミス。あなたを侮り、あなたと彼の絆を知りもせずに生徒の心を傷付けてしまった。その愚かさを忘れぬための戒めです。
ああ、言い忘れるところでした。婚約おめでとうございます。辞めるつもりが無いなら大切にしなさい。今時そんなに教師を信頼してくれる生徒も、そこまで生徒から慕われる先生もそういませんよ。お互い良い出会いに恵まれましたね」
それだけ言うと、教頭先生は私達に対する興味を失ったように視線を外し、書類仕事に戻ってしまう。困惑し戸惑う私達がそのまましばらく目の前に突っ立っていたら、またもジロリと一睨み。
「何をしているんですか? すでに校長先生への挨拶は終わりました。あとは君が復学の手続きを進めてやるだけです。さっさと見送って差し上げて仕事をなさい」
「は、はいっ!」




