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歩美ちゃんは勝ちたい  作者: 秋谷イル
完結編

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85/106

私と家族

 日曜日、一週間の中で唯一本当にゆっくりできる日。私はだいたい昼までじっと眠っている。少しでも回復しないと身体が保たない。

 ところが今日は午前十時にチャイムが鳴った。夢うつつの中どうにかそれに気が付いて身を起こす。

「うう……」

 スマホで時刻を確認して恨めし気に呻きながら起床。せっかく今日は一日ゆっくりしようと昨夜のうちに仕事を片付けておいたのに……。

 何か注文したっけ? 地元から二時間もかかる街なので誰かが遊びに来たなんて想定はしない。

 ところがドアを開けた私は、その想定外の事態だとやっと気が付きびっくりする。

「友美!?」

「おはよう、歩美姉ちゃん」

 うわーかわいー。すっかり大きくなっちゃって、美樹ねえそっくり。長く伸ばしたサラサラの黒髪が風にそよいで揺れている。清楚な白いブラウスと紺のスカート。映画みたい。アイドルだって言われてもみんな信じちゃうよ。

 一方、私は起き抜けのボサボサ頭にパジャマ。ちょっと恥ずかしくて慌てて髪だけでもと手櫛で直す。

「ふふ、今まで寝てたの?」

「あはは、日曜日はどうしても気が抜けちゃって」

「だらしないわねえ」

 友美の後ろからさらに聞き慣れた声。そりゃ一人では来ないか。

「ママ」

「しっかり食べてる?」

 苦笑を浮かべ、ママは買い物袋を持ち上げてみせた。




「あー、懐かしい。うちの味だ」

 遅い朝食。ママがささっと用意してくれたハムエッグとサラダ、納豆とお味噌汁で白いお米を食べる。このごはんだけは家から持って来てくれた。

「おばさんが『きっとごはんも炊いてないわよあの子』って言ってたの正解だったね」

「ちょっと、冷蔵庫の中もなんにも無いじゃない。コンビニのお弁当ばっかり食べてるんでしょ」

 だって作る暇が無いんだもん、とは友美がいる手前言わないでおく。

 代わりに友美に質問した。

「高校、どう? 楽しい?」

「うん。友達けっこうできたよ」

「もう? 早いなあ、流石は友美」

「なにそれ。ただ一つだけ困ってることもあって」

「えっ」

 それは聞き捨てならない。私にできることならなんでもしよう。

 そう思って身を乗り出すと台所で何かしているママがプッと吹き出した。

「心配しなくていいわ、笑い話よ」

「私は笑えないよ」

 ぷうと頬を膨らませる友美。話を聞いた私も悪いけどママに同意。笑ってしまう。

「あっはっはっはっ、なるほど、美樹ねえのせいか」

「そうなの! お母さんが色々やらかしすぎて伝説が今でも残ってるんだよ! 校長先生とか当時の先生もまだ何人かいて、みんながみんな私のことを“何かやるかも”って目で警戒してくるの!」

「あははは、流石は美樹ねえ。ところで友美、声はもうちょっと小さく」

「え?」

 大丈夫そうかな? 私は隣室の方を見つめつつ注意を促す。

「隣の人も夜遅いらしくてさ、あんまりうるさくすると苦情が来るんだ」

「ええ……? でも日曜だし掃除機かけたりするんじゃ?」

「午後になると必ず出かけるんだ。だから、それから急いでやっちゃう」

「アパートって大変だね……」

「ねえ?」

 私もここで暮らし始めるまでずっと一軒家暮らしだったから、こんなに音に気を遣ったことはない。おかげで引っ越して来た直後は迷惑かけちゃった。

 東京での舞さんとのシェアハウスは楽しかったんだけどな……互いに多少の物音なんて気にしなかったし、そもそもどっちも家にいる時は大抵リビングで一緒だったもん。

 舞さん元気にしてるかな。さおちゃんともしばらく会ってない。というか故郷に帰ったのに昔の友達とは全然顔を合わせていない。最初の頃に何人か会えただけ。


 ああ、神住市に戻りたい……。


「どうしたのお姉ちゃん、ぼんやりして」

「あっ、ごめんごめん」

 つい郷愁に浸ってしまった。せっかく友美とママが来てくれたんだからもっと話をしないと。

 それから友美と、たまにママも交えて色んな話をした。友美の高校生活。実家の最近の様子。正道と柔の近況。ご近所さんに不幸があったこと。逆に嬉しい報せも。当間さんの息子さんが結婚したらしい。すでにお相手のお腹の中に孫もいるとか。

「当間さんがおじいちゃんかー」

「おじちゃん、めでたいめでたいって言って今からお祝いの品で悩んでるよ。出産予定日までまだ半年あるらしいのに」

「はは、変わんないな父さん」

「当間さんと言えば」

 当然、あいつを連想するよね。やっと一仕事終えたママが戻って来て座った。

「木村君とはどう? 上手くいってる?」

「上手くって言われても……」

 半年近く会っていない。あいつ今年のオリンピックに出場することになって以来、柔道一直線だからさ。こっちはこっちで忙しいし。

「連絡は取り会ってるの?」

「まあ、一応……」

 高校卒業したての頃みたいに毎日電話とはいかないけど、ZINEでメッセージのやりとりくらいはしてるよ。

「そんなんでいいの? 心配じゃない?」

 友美に問われ、頬を掻く私。

 もちろん心配はしてるけど……じゃあどうしたらいいのって状況だし。こっちは二年目の新米教師。向こうはメダルを期待される代表選手。どっちも恋愛にかまける余裕なんか無い。

「木村君、来月にはオーストラリア入りでしょ。このままじゃ現地の金髪美人にかっさらわれるんじゃないの?」

「うっ……」

 金髪美人と言われて脳裏に鈴蘭さんが浮かんだ。あの人は薄桃色の髪だけど、とにかくオートラリアだもの、ああいう美女がたくさんいてもおかしくはない。でなくとも世界中の人間が集まって来るわけだし……。

「もう、麻由美おばさん。歩美姉ちゃんをおどかさないで」

「だって事実だもの。木村君だって長いこと放っておかれたら他の子に走っちゃう可能性はゼロじゃないわ。男の子ってそういうものよ」

「ええー、おじちゃんも?」

「あの人は無い無い。男じゃなく漢字の漢と書いて“漢”(おとこ)の方だもの。浮気なんかしたら自分で自分を許せなくなって切腹するわ」

 簡単に想像できるなそれ。

「じゃあ木村さんだって大丈夫じゃない? あの人、おじちゃんに似てるし」

「まあ、こまめに連絡してあげていれば心配いらないと思うわよ」

 チラッ。私を見つめるママ。

「そうなんだ、つまり歩美姉ちゃん次第ってことだね」

 チラッ。友美もわざとらしく目配せ。

 私は黙々と食事を続け、食べ終わったところで箸を置き、代わりにスマホを持つ。

「あの、ちょっといいかな?」

「どうぞどうぞ」

「覗いたりしないから安心して」

 思惑通りという表情。悔しくもそんな二人に背を向けてZINEを開く。

(今、何してる……と)

 こちらから送ったメッセージにすぐに既読はつかなかった。まあ、この時間なら練習中だろうし。

 友美達のせいで嫌な想像が脳裏をよぎる。もう一言付け足しておこう。

(愛してる……と)

「んふふ」

「お姉ちゃん、大胆」

「覗かないって言ったじゃん!?」

 背後からの視線に気付き、慌ててスマホを隠した。




 夕方、遅くならないうちにと二人は玄関に。

「それじゃあ行くけど、くれぐれも身体には気を付けなさいよ」

「わかってる」

「本当にわかってる? お姉ちゃん、今朝すっごい疲れた顔してたよ」

「え? ほんと?」

 自分の顔を触ってみる。もちろんそんなんでわかるはずもない。後で鏡を見よう。

 そう思った私の手を取り、ママは真剣な表情で訴えかけて来た。

「歩美、今の職場が辛いならやっぱり雫さんに」

「駄目だって」

 そういう不正は大嫌い。今の職場で私が鏡矢の血縁だと知ってるのは校長だけ。だから校長にも絶対に特別扱いはしないで欲しいと頼んである。

 そりゃあの人達とは親戚だけど、だからって鏡矢の力を気軽に頼っちゃ駄目だよ。問題は私自身の力で乗り越えなきゃ。

「まだ二年目だし、もう少し長い目で見守って」

「そういう風に言う人ほど無理をしがちなのよ」

 はぁと深いため息をつくママ。心配かけてるのはわかってるから、こっちとしてもそういう顔をされると心苦しい。

 目を逸らしかけた私の顔を、けれど左右から柔らかい手が挟む。

「お姉ちゃん」

友美(ふぉおみ)?」

「私もおばさんも、おじちゃんも正道と柔も、うちのお母さんもお父さんもおじいちゃん達もみんな味方だからね。忘れないでよ?」

「……うん」

 もちろん忘れてない。それに、父さんやさおちゃんに言われたことだってちゃんと覚えてる。

 一人でやる必要は無い。

 でもさ、一人でやりたい時だってあるんだ。

 友美の顔を同じように両手で挟んで引き寄せる。

 おでこをこつんと当てて囁きかけた。

「もう少し待って。私、自分の力を確かめたい。どこまでやれるか、どこから無理なのか知っておきたいんだ」

「……わかった」

 諦めたように頷く友美。それから手を離し、にっこりと笑う。

「うちのお母さんもよく言ってるもん。人生なんてどうせ試練の連続、好きにやってみなさいって」

「美樹ねえらしい」

 私も笑う。あの人は谷川君と気が合うだろうな、どっちも独特な感性と価値観を持つ天才だし。

「じゃあ行きましょう友美。歩美、またね」

「うん。暇が出来たらこっちからも遊びに行くよ」

「いつになるかしらね。気長に待ってるわ」

「お姉ちゃん、またね」

「また」

 軽く手を振り、二人を見送る。しばらくすると車の発進音。

 遠ざかって行くそれを玄関に立ったままで聴き続け、やがて何も聴こえなくなってから部屋の中へ戻る。

 冷蔵庫を開けるとママの作って行ってくれた総菜がいくつものタッパーに小分けになり保存されていた。もうそろそろ晩ご飯の時間。少し早いけど食べちゃおう。

 一つだけ取り出し、中身をお皿に移してレンジで温めテーブルの上へ。久しぶりに稼働した炊飯器からごはんもよそってお箸と一緒に持って来る。

 お味噌汁も残っていた。やっぱり温めて食卓へ。

「いただきます」

『いただきます』

『いたーだきますっ!』

『いただきます』

『めしあがれ』

「……」

 父さんと正道と柔と、そしてママの声。三年前までは当たり前だったそれが今は無性に懐かしくてたまらない。

 袖で涙を拭い、静かすぎるせいだとテレビをつける。

 ちょうどスポーツニュースをやっていて無限が映し出された。あいつは今や世界が注目する選手。対するこちらはうだつの上がらない新米教師。

 さっきとは別の意味で不安になる。

 本当に私なんかが、あいつと付き合っていていいの?

 すると、そう考えるのを待っていたかのようなタイミングで午前中に送ったメッセージに返信が来た。


『オレもだ。世界一愛してるぞ歩美!』


「……そっか」

 なら、もう少し頑張ってみる。あんたに世界一愛されてもおかしくない、そんな自分になれるように。

 画面の右上にはオリンピック開催まであと二ヶ月を切ったというテロップも。

 あと二ヶ月か。せめてそれまでには笑顔であいつと会えるようにならなきゃ。

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