ブラックな職場(照明度的な意味で)6
銀色のドアノブに触れ、それを回す。そのまま引くと、隙間から眩しい光が差し込んできた。
「……ふ、」
ふぇっくしょん!!
唐突な鼻のむず痒さに抗えず、大きなくしゃみが出た。恥ずかしさから、誰もいないのについ周囲を見回してしまう。
今のくしゃみ、なんか覚えがある気がする。
「……」
再びドアノブを握り、ゆっくりと回す。また鼻にむず痒さを感じそうになったので、私は両手を上げて空中で振った。
この辺にヒゲを私の鼻に突っ込もうとしている龍がいる気がする。
すかすかと感触がない空気を掻き回していると、後ろから足音が聞こえてきた。
「あ、早乙女さんだー」
「勅使河原さん?」
「何してるの? 早く逃げないと当主様に滅多刺しにされちゃうよー」
「結構楽しんでますね」
私と同じく早めに上がらせてもらえた勅使河原さんは、私を探しにこの『血に染まる館』へ来たらしい。そこで私が中に入っていると知って追いかけてきたそうだ。それなら少し待っていればよかったな、と思う。
勅使河原さんはアトラクションの演出に怖がりはしなかったものの、なかなか楽しんでいたようだ。私の近くに来た彼は、にこにことスモークやライトの効果について褒めていた。
「それにしても当主様、刃物の扱いがプロだよね。少なくとも5人以上やってるのに、同じ斧使ってるし。脂どうやって落としてるんだろう」
「同じ斧をいっぱいコレクションしてたんですよきっと」
「林業が盛んな領地だったのかなー。そして早乙女さんはここで何してたの? もしかして怖すぎて非常口探してた? 手繋ごうか?」
「いえ怖くはなかったんですけど、なんかここの出口が幽霊出るとかで」
私は勅使河原さんに幽霊の噂について聞いたことを伝えた。このアトラクションに出る幽霊は、使われていない裏口の方へと消えていくらしい。スタッフ用の出入り口は目立たないように、セットやカーテンで隠すように配置されている。このドアもそうだけれど、ここは今までの部屋とは違ってクライマックスなせいか赤いライトやフラッシュで比較的明るい。普段使うドアだとしたら、裂かれたカーテンが揺れてお客様に出入りを気付かれてしまう気がした。
少なくとも頻繁に使っているわけではなさそうなところからして、これが噂のドアではないかと説明する。私がドアを開きかけたときに龍が原因っぽい唐突なくしゃみが出たことも言っておいた。
「ぷぷ……そっか、龍がくしゃみさせたんだ。あれ面白いから見たかったなー」
「結構大変なんですよあれ。やっぱり、ここに幽霊がいたんでしょうか?」
「どうだろう? 今この辺にはいないから、龍が消しちゃった可能性はあるけど……龍、早乙女さんに危害加えそうにない霊ならスルーしてるしなあ」
勅使河原さんによると、この世の中には幽霊がいっぱいいるらしい。そのほとんどが無害なものなので、勅使河原さんも龍も普段は気にせず過ごしているらしい。勅使河原さんによると龍は独自の判断基準を持っていて、ちょっと危ない霊でも私が危険じゃないと判断したらスルーするし、ほっといても大丈夫そうな霊でもオーバーキルすることもあるそうだ。とはいえ、オーバーキルされる霊は大丈夫そうとはいっても普通の霊よりは悪いらしいので、全く無害なら消したりはしない。
今までこなしてきたご依頼の経験だと、本当にやばい状態になっていたら、そこに近付いた人間に何かしら実害が出る。もしここに危険な怨霊がいたとしたら、何度もアトラクションに並ぶような人はいないはずだし、それこそバイトも全員辞める勢いになってしまうはずだ。悪い霊が賑やかなところを避けるのか、悪い霊を人が避けるのかはわからないけれど、少なくともここは心霊的に危険な条件が揃いやすい環境とはほど遠い。
やっぱりただの噂で、さっきのくしゃみは暇を持て余した龍が偶然やっただけだろうか。そう首を傾げていると、勅使河原さんが「それよりさー」とにこにこしながら切り出した。
「早乙女さん、今の話、どっかおかしいとこあったよね」
「え? そうですか?」
「気付かなかった? このドア開けようとしたときのこと、もっとよく思い出してみて」
そう言われて、私はもう一度思い出してみる。そんなに頑張って思い出すほど時間も経ってないし、何も起こってない気がするけれど。
「えーと、こう歩いて、こうやって握って開けようとした……だけですけど」
「うんうん、その次は?」
「ちょっと開いた瞬間に鼻にむずっときて、私は眩しさでくしゃみ出るタイプじゃないので龍のヒゲかなって」
「そこ! そこだよ早乙女さん!」
「どこですか?」
「わからなかったかね早乙女くん。私の名推理を披露してしんぜよう」
勅使河原さんが探偵ごっこを始めた。得意気な顔で咳払いをした勅使河原さんは楽しそうでちょっとかわいい。
「早乙女くん、君はドアの隙間から光が入ってきたと言ったね?」
「はい。ちょうど夕日くらいの眩しさで」
「でもおかしくないかな?」
勅使河原さんはにやにやと笑みを浮かべながら、ドアノブに手をかける。
「日没の時間はとっくに過ぎてる。それにそもそも、外に直通のドアがこんなところにあると思う? スタッフ用なら、事務所に続く裏の通路に通じてるはずだよね」
ノブがひねられ、ゆっくりとドアが開いた。
「そうだとしても、急に蛍光灯の光が差し込んだら台無しだ」
ドアの向こうには、光量が押さえられた小部屋が見えている。私がさっき見た光のもとになるような明かりは見当たらなかった。勅使河原さんが嬉しそうにひっそりと告げる。
「さて、早乙女さんの見た光はなんだったのかな?」




