閉鎖されたホテル
「勅使河原さん」
「なんですか助手の早乙女さん」
「目的地ここですか」
「そうですよ助手の早乙女さん」
再び走り出した車で15分。
ピカピカな外車は、どんよりとした藪の前で止まった。
周囲に人家がないのをいいことに、もう何年も草刈りをしていないような藪は、色んな背丈の雑草で埋め尽くされている。ひび割れながらもかろうじて残っているアスファルトの道だけが、他よりはほんの少しだけ通りやすそうかもしれない。
そして、藪の向こうに不気味にそびえ立っているのはコンクリートの建物。上の方しか見えないけれど、3階建てか4階建てくらいの大きな建物だ。屋上部分に突き出している看板は、赤茶色のサビが垂れるように流れてそこに書いてあっただろう文字を読めなくしていた。
「こ、こ、ここ!! 有名な心霊スポットですよ!! 本で見たことある!!」
「あれ、なんだ早乙女さんもそういうの好きなんですか」
「中学生の時に一時期ハマっただけですけど」
「ああいう年頃はちょっとダークなものに憧れますよね」
私もそうでしたと頷く勅使河原さんだけど、私からすると彼は今でもダークなものに憧れているような気がする。
「ここ、入ると絶対に呪われるとかいう恐怖のナントカホテル……ですよね」
「ヨシノ山林ホテルですよ。あ、でもオカルト雑誌で見たなら『自殺ホテル』とか『最凶怨霊ホテル』とかで載ってたかもしれませんね」
「別名が物騒すぎるんですが」
私がこの場所の存在を知ったのはもう10年以上前のことだけれど、雑誌に掲載されていた怪しげな白黒写真と、今目の前にあるホテルは驚くほど変わっていなかった。
「確か、毎晩女の人の悲鳴が聞こえるとか」
「それは隣の市にあるラブホテルの廃墟ですね」
「ここで寝ると着物姿の子供に睨まれる夢を見るとか」
「それは隣の県の有名な心霊旅館です……早乙女さん、あんまり覚えてないんですね」
「すいません、中学生の頃の記憶とかおぼろげで」
自分が住んでいる近くの心霊スポットを重点的に見ていたせいで見覚えはあったけれど、一過性の趣味で終わったせいか詳しいことは全然覚えていなかった。
勅使河原さんがちょっと残念そうに私を見たけれど、代わりにちゃんと説明をしてくれた。
「ここはバブル初期くらいに建てられたんですけど、あるとき宿泊客のひとりが首吊り自殺をして、それ以降首吊り自殺が増え最終的に当時のオーナーも首を吊って閉鎖されたホテルなんです。自殺しなかった宿泊客も大きな事故に遭ったり霊障に悩まされたりしたとか。この辺はリゾート地としての開発も計画されてたみたいなんですが、あまりにも噂が広まり過ぎたこともあって中止になったとか」
「めちゃくちゃ物騒じゃないですか」
毎晩女性の悲鳴が聞こえたり、夢で睨まれる程度のほうがまだよかった。
オカルト雑誌で見たら「盛りすぎでしょ」と胡散臭く思えるだろうに、勅使河原さんが普通のテンションで話すものだから何故か信憑性が高く感じてしまう。
「あの、噂……ですよね?」
「事実ですよ。自殺だと警察も来ますから記録も残っていますし」
「帰っていいですか」
「バイト代返却しますか?」
「帰りません」
もしかしてバイト代を前払いしてくれたのは逃さないためだろうか。騙されたのかもしれない。でももし後払いだったとしても家賃のために逃げられなかった気もする。
「色々あってこの土地の現在の所有者が、今回の依頼主の佐々木さんになったそうです。この土地はトラブルも多いし近隣の方からも苦情が来るのでサクッと更地にしたいと思ったのですが、噂が噂だけにお祓いしておこうということで話が来まして」
「いくら不動産といってもこんな立ち入れない土地だなんて負債でしかないですもんね……」
「そうそう。肝試しに来た若者が警察を呼ぶことも多くて、そうなると所有者の佐々木さんにも連絡が来るのでめんどくさいとか」
「思ってたよりも現実的なデメリットだった」
確かに心霊スポットになっているような場所は、トンネルやら橋やらでない限りは誰かの私有地のはずだ。廃墟になっていたとして、そこに入ったら不法侵入だし、トラブルがあれば責任を問われかねない。
不動産が相続されるような人は、こういうリスクもあるんだなあ。私は遠い世界の話に思いを馳せてしまった。
「じゃあ早めに更地にしちゃった方がよさそうですね」
「その通り。なのでしっかりお祓いして、工事関係者が入っても死んだり病んだりしないようにしましょう」
「…………やっぱり本当に呪われるんですか」
「呪われますよ」
「呪いとかただの噂で、首吊りは偶然で、肝試しチャレンジャー対策と近隣住民の安心のためにカタチだけお祓いしに来た的なことは」
「ないない」
アッサリ否定された。
やばすぎる場所を前にそんな明るいテンションで呪いだのなんだのを肯定しないでほしい。
「安心してください。早乙女さんに危害が及ぶようなことは絶対ありえませんから。その龍に誓って大丈夫ですから」
「見えないものに誓われても。ていうか勅使河原さんは大丈夫なんですか。私イヤですよ建物に入った瞬間何かを見て絶叫して自分だけ車に乗って先に逃げられるとか」
「俺を心配しているように見せかけて巧妙に我が身の心配をしていますね早乙女さん。まあ俺は大丈夫です。それより帰りが遅くなってもアレなので、早く行って明るいうちにすませましょう」
トランクからリュックを取り出して肩に背負った勅使河原さんは、まるでスーパーに買い物に行くようなテンションで呪いのホテルへと入ろうとしている。
振り返った勅使河原さんが私を見て言った。
「もし怖いのであれば、早乙女さんはここで待っていてもいいですよ」
正直、行きたくない。
でも、車を停めてあるここも随分暗くて雰囲気が悪い気がする。車内で待ってたとして、窓ガラスに手形が付きまくったり、カーナビがひとりでに起動したりしたらわりと怖い。
「……待ってください。行きます」
「よかった。そのほうが安全ですし」
「でもちょっと待って」
勅使河原さんの羽織の袖を引っ張って止める。
「せめて靴にビニール袋被せさせてください」
心身の安全は保証できないかもしれないけれど。
せめて買ったばかりのスニーカーだけは、この藪や汚い地面から守りたい。
私がそう主張すると、勅使河原さんがさっきコンビニでもらった袋をくれた。